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第4話「冷たい微笑の王太子と、夜の庭園」

「フローリアス公爵家より、エマ・フローリアス様、ご到着です!」

 王城の広々とした宴会ホールの扉が左右に開かれると同時に、控えていた兵士が高らかに私の名を告げる。 煌びやかなシャンデリアのもと、貴族の子どもや大人たちが談笑を楽しむ会場内が、一瞬だけざわめきを帯びる。 しかしそのざわつきはすぐに収まり、再びそれぞれの会話へ戻っていった。

 (初めての正式な場だけど、思ったより目立たないで済んだかな……)

 私は唇をきゅっと結び、慎重な足取りでホールに踏み入れる。 表には出さないが、胸の奥にはやはり緊張が走っていた。 けれど、この体に染みついた“エマ”としての貴族マナーが自然に私を落ち着かせてくれる。 前世のオタクOLだった私が、こういう場でも意外と平静を保てているのは不思議な感覚だ。

 

 

 今日は――王太子ブレイディアの8歳のお披露目パーティー。 しかも、今年8歳になる貴族令嬢・令息が一斉に招かれ、まとめてお披露目されるという大規模な催しが行われている。 私もフローリアス公爵家の子女として初めてここに参加し、強制的に「初の公の社交デビュー」を迎えることになってしまった。

 会場は想像以上に豪華で、息をのむほど広々としている。 壁には美しい紋章や金の装飾が施され、磨き上げられた床には軽やかな音楽が反射して、まるで絢爛な舞踏会のよう。 中央では8歳から12歳ほどの貴族子女たちがビュッフェに舌鼓を打ったり、楽しげに笑い合ったりしており、大人たちも優雅に会話を交わしている。

 ――まずは王と王妃に挨拶をしなければならない。私はそのことを思い出し、会場の最奥に目をやった。

 

 

 ホールの奥には少し壇上のようになったスペースがあり、そこにライタンド王国の国王ルーカスとミランダ王妃が座している。 前世のゲーム「闇に堕ちていく君と」でも何度か名前が出てきた人物で、ルーカス王は30代前半ながら深い緑の瞳と金髪を持ち、穏やかながら威厳のある雰囲気が印象的。 対してミランダ王妃は黒髪黒目のセクシーな美女……だが、その大人びた色気の奥に、笑っていない冷たい瞳が潜んでいるのが一目で分かる。 そこだけ見れば確かに絵になる夫婦なのだけど、前世のゲーム知識から言うと、王妃ミランダは“見た目こそ華やかだが、中身はかなり傲慢”という評判が強い。 しかも、ブレイディアの実母(前王妃アリシア)は既に他界しており、今の王妃は“義母”にあたるのだ。

 国王夫妻のまわりには貴族たちが順番に列を作り、挨拶をしているので、私もその最後尾に並ぶ。 順番が来ると、私は優雅にカーテシーをして名乗りを上げる。

 「フローリアス公爵家の娘、エマ・フローリアスと申します。本日は王太子殿下のお披露目パーティーにお招きいただき、ありがとうございます」

 国王ルーカスは目を細めて私を見下ろし、楽しげに声をかけてくる。

 「ほう……フローリアス家の娘か。もう8歳だそうだな? なかなか落ち着いている。ゆっくり楽しむがよいぞ」

 優雅な物腰と深みのある声が、さすが“国王”という感じ。しかし、隣のミランダ王妃は形だけの微笑みを見せるだけで、その黒い瞳に温かみは感じられない。

 「……ごきげんよう、エマ。お姿、とても可愛らしいわね。……ごゆるりと過ごしてちょうだい」

 甘やかしているようにも聞こえるその声色に、私は一瞬ゾッとする。 やはり彼女の目はまるで感情が希薄で、笑っていないのだ。前世のゲーム情報が甦る――ブレイディアを陰で酷く罵り、言葉の暴力を浴びせ続ける“裏の顔”を持つ王妃。 あれが本当なら……8歳の少年がどれほど苦しんできたか、想像するだけで胸が痛む。

 「ありがとうございます、王妃様。……精一杯楽しませていただきます」

 私がそう言葉を選んで返すと、王妃ミランダは表情を変えず、ふっと小さく頷いただけだった。

 ――その隣、ルーカス王の脇には私の父であるエルビス・フローリアス公爵が控えていた。 銀髪で冷ややかな金色の瞳を持ち、貴族然とした端正な面立ちが際立っている。 けれど彼は、私と視線が合うと柔らかな笑みを浮かべたきり、一言も発しない。まるで近所の顔見知りに会ったかのような態度だ。

 (……前世の記憶を取り戻してから父を見るのは初めてだけど……これが我が家の親子関係かぁ)

 エマの幼少期にも数えるほどしか会っていないらしいから、私も特に愛着というほどのものはない。 でも、子どもだったエマは本当に寂しかっただろうなと思うと、やるせない気持ちになる。今の私としては、こうして淡々と過ごせるだけで十分だけれど……。

 


 

 ともあれ、国王夫妻への挨拶を済ませたあとは、宴会ホールのメインフロアへと戻る。 さすが王城とあってビュッフェテーブルも見事な盛り付けで、若い貴族子女が楽しそうに会話と食事を繰り広げている。 私もどこかで食事を楽しみたいが、実はもう一つ大事な挨拶が残っている――王太子ブレイディア本人への挨拶だ。

 (ゲームの中では、悪役令嬢エマはこの場面で強引に婚約を申し出て最悪のフラグを立てたんだっけ……。絶対にあんなことしないよう気をつけなきゃ)

 そう心に決め、周囲を見渡すと……すぐにそれらしき人だかりが目に入った。 華やかなドレスの令嬢たちに囲まれて、金髪碧眼の少年が柔らかな微笑を浮かべている。 誰が見ても「王子様だ……」と分かるほど完璧な外見。私は息をつめながら、人波をすり抜けて近づいていく。

 「……エマ・フローリアスです。王太子殿下、このたびはお披露目おめでとうございます。ご挨拶が遅くなり申し訳ありません」

 使用人が私の名を告げると、ブレイディアは軽く視線を向けてきた。 その瞬間――思わず背筋が凍る。笑顔……なのに、まるで仮面を被ったような目をしている。 ゲームの中、彼は「完璧な王子」でありながら、10歳での暗殺未遂や義母の虐待を経て“腹黒王子”へと進む。今はまだ8歳なのに、すでにあの冷たい笑顔を会得しているのだ。

 「やあ、フローリアス嬢。僕のお披露目に来てくれて嬉しいよ。……父君にもよろしくね」

 表向きは穏やかで優しい声。隣の令嬢たちは「まぁ、殿下優しい……!」と微笑ましい光景に酔いしれている。 しかし私には、その笑みの奥に漂う暗い闇がちらついて見えた。 前世のゲームシナリオが脳裏を駆け巡る。

 ---

  生まれてすぐ実母アリシアを亡くし、父王からは「息子だけは失うわけにはいかない」と厳格すぎる躾を受ける。 義母となった現王妃ミランダは表向きは優しいふりをしながら、陰でブレイディアを侮蔑と暴言で痛めつける。 幼い彼は内面の苦しみを隠すため、“完璧で笑顔を絶やさない王子”を演じ続ける。 やがて10歳のときに心を許していた伯爵家の男に裏切られ、暗殺されかけた経験から「人は必ず裏切る。僕は自分以外誰も信用しない」と悟る。 そのまま成長したブレイディアは、歪んだ愛情と疑念を抱きながら、誰に対しても腹の底では疑いを捨てない腹黒王子となる……。

 ---

 「(……今、この8歳の段階で、すでに笑顔が空っぽなんだ。あの頃のブレイディアの悲しみは、もしかしたらもう始まっているのかもしれない……)」

 周囲の子どもたちがブレイディアを囲み「殿下、次はどの国へ視察に行かれるのですか?」「好きなお菓子は何ですか?」と無邪気に質問を投げかける。 ブレイディアは笑顔で答えてはいるけれど、視線は冷えきっていて、内心では何もかも白けているように見える。 そんな彼を見ていたら、胸が苦しくなってきた。わずか8歳の少年が、こんなに重い孤独を抱えているなんて……。

 「……そ、そうですか。では、わたくしは失礼しますね」

 余計なフラグを立てる前に、私は深くお辞儀をしてその場を離れる。 普段ならば爽やかな王子に胸ときめかせるシーンなのかもしれないが、どうにも“愛が重すぎる”未来を知っている私は冷や汗ばかり。 そして同時に切ない感情が湧き上がる――助けたいと思うけれど、どうしていいか分からない。 「義母にいじめられてるんでしょ?」なんて、ここで声をかけるわけにもいかないし……。

 

 

 ブレイディアへの挨拶も済んだので、ようやくビュッフェで料理を楽しむ余裕ができた。 だが食事を口に運んでも、先ほどの彼の笑顔の裏にある冷たい瞳が頭から離れない。

 (10歳で暗殺未遂……そのあと完全に誰も信用しなくなるルート。ゲームだと“腹黒王子”ぶりは凄まじいし……)

 ヒロインがいないと、その愛情を向ける相手も存在しない。下手すれば闇の魔法使いに暗殺を再度仕掛けられるルートもある。 どうしたら彼は救われるんだろう――そんな考えが脳裏をよぎる。 だけど、私にはまだ何かできる手立てがない。 そう思うと、胸のどこかが“無力感”でチクリと痛んだ。

 「お嬢様、少しお疲れのご様子ですね。大丈夫でしょうか」

 メイド長のシーナが心配そうに近づいてくる。私は「うん、平気。ありがとう」と微笑むが、それは彼女には見透かされているかもしれない。 ともあれ、今はあまり考えすぎずに、この場をなんとか無事やり過ごすことが先決――そう自分に言い聞かせる。

 「……ごめんなさい、シーナ。ちょっと外の空気を吸ってきたい。人が多いから、頭を冷やしたくて」

 「かしこまりました。あまり遠くへ行かれませんように……」

 そう言われて、私はそっと庭園への扉を開く。 王城の庭は、夜でも魔法の灯りがともり、昼間とは違った幻想的な光景を見せている。 緑の木々や花壇が、魔法のかすかな粒子に照らされ、風に揺れながらきらめくようだ。

 (フローリアス公爵家の庭園も十分広いと思ったけど……こっちのほうが遥かに壮大。さすが王宮だなぁ)

 そんな感嘆を胸に歩いていると、ふと目に留まったのが――一面、水色の花が咲き誇る場所だった。 月明かりを受けて、淡く輝く花びらが風にそよぐたびに、儚くも美しい光景を作り出している。 まるで誰かの想いが込められた神聖なスポットのようで、私は思わず足を止めた。

 (わあ、すごく綺麗……)

 そのとき、私が声を出すよりも先に、ふいに少年の声がかすかに響いた。

 「……綺麗……」

 ドキリとする。聞き覚えのない柔らかな声音が夜の静寂に溶けこんでいた。 ――でも、その声は確かに“私以外の誰か”のもの。 私は咄嗟に振り返るが、暗がりの向こうに人影が見えるようで見えない。 まるで花の向こうに隠れるようにして、月光をまとった存在が微かに動いたような気がする。

 (誰だろう……? きっとこの花を見に来ている子……?)

 風がささやくように夜気を運ぶ。水色の花が揺られて、露が細かくきらめく。 ――私は胸の鼓動を感じながら、そっとその姿を探ろうと一歩近づく。 少年らしい声がもう一度響くかと思ったが、残念ながらそれ以上言葉は聞こえない。

 そのシルエットはしばらくその場に立ち尽くしているようだが、花の影に隠れているせいで、はっきり顔が見えない。

 ワンテンポの間があって、夜の静寂が再び落ちる。 水色の花の一角にだけ、しんと静まり返った空気が漂い、私はその不思議な雰囲気に胸を高鳴らせながら立ち尽くしていた。


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