第3話「新たなドレスと、初めての“お披露目”への道」
「……いらっしゃいませ、アリスさん。今日は早朝からわざわざありがとうございます」
フローリアス公爵家の応接間には、仕立て屋のアリスが一足先に到着していた。 彼女は、この国の女性としては珍しいベリーショートヘアで、気の強そうなおしゃれな雰囲気をまとっている。 そんなアリスの前で深々と頭を下げたのは――もちろん、私、“わがまま令嬢”として悪名高かったエマ・フローリアスだ。
「本日はどういったご要望を……? お嬢様」
アリスは目を伏せがちにしながら、私の機嫌をうかがうように口を開く。 数ヶ月前の私であれば高圧的に「真っ赤なドレスしか認めない」などと命令し、少しでも遅れがあれば怒鳴り散らしていただろう。 ――だけど、もうそんな自分とは別れを告げた。 過去を振り返ると居たたまれない気持ちになるけれど、それでも私はできるだけ落ち着いた声で応じる。
「今回は……王太子殿下の誕生パーティーに着ていくドレスをお願いしたくて。白や銀を基調にした、上品な感じのものがいいんです」
アリスは一瞬、驚いたようにまばたきをする。 ――私が“赤以外”を選ぶなど、珍しいにもほどがあるのだから当然だ。
「真紅やワインレッドがよろしいのでは……と、いつもは聞いておりましたが。本当に、白と銀でよろしいので?」
「ええ。きっとそのほうが品良く見えるし、瞳の色が赤いから……赤ドレスだと怖い印象になってしまうと思うの。だから今回は、落ち着いた色を選びたいの」
私の言葉に、アリスは少し戸惑ったまま、持参したサンプル布を一枚ずつ広げはじめる。 彼女の表情はやや警戒気味だが、どこかホッとした雰囲気も漂っている。 最近の噂――「エマ・フローリアスが態度を改めたらしい」――を耳にしていても、実際に目の当たりにするまでは信じられなかったのだろう。
「では……こちら、銀糸で薔薇の模様を織り込んだ生地がございます。ふだんはあまり注文のないタイプですが、お嬢様のご要望に近いかもしれません」
「わあ、すてき……!」
淡いシルバーに白いバラが浮き立つ繊細な織り柄。触れるとさらりと優しい手触りで、見るからに風の魔法と相性がよさそうな軽やかさがある。 こういう洗練されたデザインに本気で取り組めるのは、本来アリスの得意分野なのかもしれない。彼女は次第に表情を柔らかくしながら、刺繍や小物のアレンジを提案してくれる。
「……実は、こういう落ち着いたドレスをお嬢様に勧めたいと思いながらも、ずっと言い出せなくて……」
そう遠慮がちに言われて、私は苦い笑みをこぼす。 たしかに昔は、まさに“俺様”ならぬ“私様”気質だった。アリスにも散々無茶を言って困らせてきた。
「ごめんなさい、アリスさん。今まで本当に失礼ばかりしてた。私、変わりたいの。あなたのアイデアをぜひ聞きたいから……。素敵に仕上げてくれたら嬉しい」
私の謝罪に、アリスは少し恥ずかしそうにうつむきながらも、微笑みを返してくれた。
「もちろん喜んでお引き受けします。わたくしもお嬢様に似合うデザインを考えさせていただきますね」
メイド長のシーナは、そんな私とアリスのやり取りを横で見守りながら、小さく息をついて微笑む。 過去のわがまま令嬢だったエマを知る人々にとって、今の光景は夢のようなのかもしれない。私自身も、こうして人との関係を改めて築いていけることが嬉しかった。
そして数日後――。 届けられたのは、まさにイメージ通りの銀の薔薇を基調としたホワイト&シルバーのドレス。私と侍女のリリアンが箱を開けた瞬間、その繊細な光沢に思わずため息をもらす。
「これは……本当に、素敵ですね。お嬢様にぴったりだと思います!」
リリアンの瞳がキラキラと輝いている。シーナも「しばらく見惚れてしまいそう」と冗談めかしながら感嘆の声を漏らしていた。 今までのエマなら、瞳の赤色をさらに強調するような真紅のドレスを選び、強烈な印象を与えていたはず。 今回はそれを脱却し、品良く優雅な色合いを選ぶことで、悪役感を少しでも薄めたいという思惑がある。これならば“殿下の誕生パーティー”でも、激しい自己主張はしないで済みそうだ。
なぜ今回のパーティーが重要か―― 私が住むライタンド王国では、貴族の子どもが8歳になると自宅で“お披露目パーティー”を開くのが通例。 ところが今年は王太子ブレイディアが8歳を迎える特別な年であり、「貴族家の子どもは全員、王宮で合同のお披露目を行う」という布告がなされている。 さらに、その余波で“8歳~12歳の貴族令息令嬢”が一挙に集まる大規模イベントとなっているのだ。
エマ・フローリアス――つまり私――も今年が初めてのお披露目年齢。 今までパーティーなど出たことがないので、この日は否応なく大注目を浴びることになる。 もしそこで失態を犯したり、前世の“ゲームシナリオ”どおりにブレイディア王太子と因縁を結んでしまったりすれば……どうなるかは考えただけで胃が痛い。 だからこそ、今回のドレス選びやマナーの練習には、一段と力を入れてきたのだった。
ドレスの仕上がりに安堵した私は、その後も引き続きマナーのレッスンと公爵家での日常を満喫しつつ、パーティー当日を迎える。 エルネスティーナ先生から教えられた舞踏のステップも、今ではぎこちなくはあるものの、一通りはこなせるようになった。 使用人たちとの交流も、初めは私を警戒していた人たちが少しずつ声をかけてくれるようになり――「最近はずいぶん丸くなったわね」と裏で囁かれているらしい。 その噂は仕立て屋のアリスを通じて他の職人にも広がっているようで、「公爵家の令嬢が、まるで別人のようになった」と好意的に受け止める人たちも出てきているとか。
……ほんの少しだけど、前世のゲームのシナリオとは違う道を歩めてる。そう思えるのが嬉しいな
「私、ちゃんと変われてるのかな…」
私がそんなことを呟くと、リリアンがクスッと微笑んだ。
「お嬢様が努力されていること、皆見ていますもの。いまや“わがまま令嬢”というより、“ご立派な貴族令嬢”ですよ。それに、初めてのパーティーとは思えないほど、練習も十分じゃないですか」
“初めてのパーティー”――心のどこかでドキドキが止まらない。 でも、楽しみよりも不安のほうが大きい。果たして、王太子をはじめ多くの貴族子女が集まる大舞台で、今の私がうまく振る舞えるだろうか……。 そんな不安をかき消すように、私はもう一度、事前に用意していた予定表を確認して深呼吸をした。
そして、迎えた当日――。
私は侍女リリアン、メイド長シーナ、それから護衛を務めるロンドとディーオの4人を引き連れ、フローリアス家の華やかな馬車へと乗り込む。 きらめくシルバーのドレスに身を包み、軽く編んだ銀髪には花飾りをプラス。こんなにも自分の姿に気を遣うのは初めてで、少し緊張で手が汗ばんでいるのが分かる。
「どうぞ、お気をつけて、お嬢様。ご足元を……」
ロンドとディーオが両側から手を差し伸べてくれる。2人とも15~16歳とは思えないほどしっかりしていて、ロンドは金髪で猫のようにやんちゃな面立ち、ディーオは黒髪で寡黙。どちらも公爵家の護衛として名を馳せる実力者だ。 しかも以前の私とは違い、彼らに礼を言って素直に手を取ると、少年らしい照れが見えてちょっと微笑ましい。
「お嬢様、馬車に乗るときは裾が擦れないように注意してくださいね。せっかくのドレスが台無しになるといけないので」
「うん、ありがとう。ロンドもディーオも、よろしくね」
私がロンドたちの名前を口にしてお礼を言うと、彼らは「え、お嬢様……!」「あ、はいっ」と二人そろってそっぽを向きながら照れている。 ――こんな些細なやりとりをするだけでも、昔の“悪役令嬢”に比べたらずいぶん変わったのだろう。
さて、馬車が動き出せば、ライタンド王国でも最も発展した中央都市ゲイバリンドへと向かう。 ここは魔法と中世の西洋文化が絶妙に融合した首都で、石畳の大通りや街を囲む城壁こそ“古風”な趣があるものの、至るところに魔法の発展が息づいている。
・街灯は闇夜でも明るい魔法灯が使われ、昼間には天候を読み取るための風の魔術具が設置されていたり……。 ・商店の看板は地面から少し浮かせられる工夫が施され、人々の頭上をふわふわ漂うように表示されているものもある。 ・露店では火や水の魔力を使って調理したホカホカのパンや、氷の塊で冷やされたスイーツが売られていて、行列が絶えないらしい。
馬車の窓越しにそうした賑やかな光景を眺めながら、ロンドが声を弾ませる。
「わあ、お嬢様見てください! あそこにいる獣人の子ども、羊の角を持ってますよ。楽しそうに走り回ってますね。あ、猫耳の子も手を繋いでる……可愛い!」
ディーオも珍しく少し口数が多い。
「……人種差別禁止の法律が厳格に施行されているから、こうやって亜人も暮らしやすいんだろうな。俺は人混みは苦手だが……ま、活気があるのは嫌いじゃない」
街の中心に近づくほど、人通りはさらに増え、どこもかしこも“王太子のお披露目”を祝うムードが広がっている。 軒先に彩られた色とりどりの魔法オーナメントが、まるでイルミネーションのようにきらめき、人々の笑顔も浮き足立って見える。 人間種や亜人や獣人の子どもたちがフォークダンスのようなステップを踏んでいる姿もあって、ファンタジーと西洋の風情が入り混じった景色に、私の胸がワクワクしてくるのを感じた。
(……でも、浮かれてばかりもいられない。ここから先は王城だし……本番はまだこれから)
馬車が城門をくぐると、王国騎士の厳粛な儀礼のもとで見慣れないワープゲートを通過し、白亜の城がそびえる敷地内へ。 巨大な石橋や噴水のほか、高く連なる塔の尖頂がいくつも確認できる。魔法で守られた城内は、まるで眩い光に満ちた別世界だ。
「お嬢様、そろそろ到着です。あまり緊張なさらず……わたくしどももお供しますから」
リリアンが優しく励ましてくれる。私も深呼吸をひとつ。
「うん……ありがとう。……頑張るね」
――こうして、私の初めてのパーティー、そして“王太子ブレイディアの8歳お披露目”は幕を開ける。 前世からの知識では、この場で悪役令嬢エマが強引に婚約を申し込んでしまう流れだった。 だけど今の私は、もうそんな道は選ばない。素敵なドレスをまとい、日々学んだマナーでうまくやり過ごしてみせる――少なくとも、破滅フラグだけは絶対に回避してみせる……!
心にそう誓い、私は馬車から降り立った。 祝福の光が降り注ぐ王城を見上げながら、“初めてのパーティー”を無事に乗り切れるようにと強く願い続ける。