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第2話「初めて見る魔法のある暮らしと、王太子の誘い」

2025/2/6 追記・修正しました。

「よかった……。本当に良くなられましたね、お嬢様」


 連日高熱にうなされていた私が、ようやく体調を取り戻した頃。

 リリアンが控えめな笑顔を浮かべながら、私の髪を丁寧にとかしてくれている。

 鏡越しに見える銀髪の少女――“エマ・フローリアス”としての私――の顔にも、以前のやつれた表情はだいぶ消えていた。


「うん、ありがとう。リリアンのおかげで良くなった!お医者さまや、ほかの使用人のみんなにもお礼を言わなくちゃ……」


 ほんの数週間前までは、使用人に礼を述べることなど考えもできなかったエマだが、今ではそれが普通の光景となっている。

 思わず自分の変化に苦笑いしながら、私は部屋を出る支度をする。

 今日は、リリアンと屋敷の散策に出かける予定だ。病み上がりではあるけれど、体を動かしているほうが気持ちも前向きになるし、何よりこの世界で暮らしていくためには、公爵家の令嬢としての務めや家の様子をもう少し知っておいたほうがいい。




 


 まず、エマの家であるフローリアス公爵家は、風の魔力を代々継承する四大公爵家のひとつ。

 広大な敷地には趣のある庭園や、魔法で制御された温室などが隣接し、使用人の数も多い。

 数日前までなら横柄に命令していた私だが、今は「彼らが屋敷をどのように支えているのか」を知るため、率先してリリアンに案内をお願いした。


「……わあ……すごい……」


 私は屋敷の廊下を歩きながら、窓の外に広がる光景に目を奪われる。

 そこでは料理人たちが、水の魔法で汚れた野菜を効率よく洗浄している。

 洗剤要らずの泡立つ水がふわふわと宙に浮いては、ゴボゴボと音をたててさまざまな野菜を回転させるのだ。

 そして余分な水分を、今度は風の魔法でさらりと吹き飛ばしていく。

 ――まるで洗濯機と乾燥機が合体したような光景。前世ではあり得ないファンタジーな風景に、私は目を丸くするばかりだ。


「炊事場では火の魔力を持つ使用人が、最適な温度を長時間保ちながら調理を行っています。もちろん、通常のかまども使いますが、火の魔法で食材を瞬時に炙ったり、煮込んだりといった応用もできるんですよ」


 リリアンが横で教えてくれる。

 遠くを見やると、中庭では地の魔法を使って花壇を耕す使用人の姿も見える。土がふわりと浮かんでは形を整えられ、肥料を混ぜる作業まであっという間に終わってしまうようだ。


 魔法を日常の家事に使うなんて、実際に見るとすごく新鮮……。

 ゲームでは“魔法の授業”のシーンこそあっても、こんな日常風景までは詳しく描かれてなかったな……



 


 そんなフローリアス公爵家のあるライタンド王国は、“光と力”を重んじる魔法軍事国家。その魔法体系は大きく分けて“基礎魔力”と“特質魔力”がある。


基礎魔力

火、水、地、風……相反する属性がそれぞれ対になっており、人々は一般的に“1種類〜2種類”を先天的に持つ。

さらに各属性で使用できる魔法には初級、中級、上級が設定されている。

凡人は初級〜中級程度が限度らしいが、貴族や魔法の名門家系ほど高いレベルの魔法を使える者がいる。

そして、四大公爵家の場合は特に強力な魔力を血筋として受け継ぎ、それぞれの大精霊の加護を受けると言われている。


特質魔力

光、闇……こちらはもっと特別なもので、闇の魔力は100万人に1人程度の確率で発言するものが現れる、とても特殊かつ危険な魔力である。

それに反して光の魔力は、王族や聖女のみが使える超気象魔力である。


幸か不幸か、ゲームでは“エマ”は風と闇魔の力を持つ設定になっていた……。

 公爵家という立場上、うちの使用人にも風の魔力を持つ人が多いとのこと。

 ――なるほど、こうやって見ていると、まさに“魔法国家”ならではの便利な暮らしだ。


 


「お嬢様、あちらの洗濯場もご覧になります?」


「あ、うん、見たい!」


 私はキラキラと目を輝かせる。リリアンは少し驚いたような表情を浮かべているが、すぐに微笑んで案内してくれた。

 洗濯場ではゴーレムのような土の塊が、地の魔力使いの合図で洗濯物を揉み洗いしている。さらに遠くでは、火と風の魔法を併せて使い、乾燥室で洗濯物をふわりと仕上げている。

 “作業効率”という言葉が頭をよぎり、私は思わず感嘆のため息をこぼす。


 「ふふ、お嬢様がこんな風に家の中を興味深く歩かれるだなんて…」


 リリアンにそう言われて、私は少し赤面した。まさか“ゲームオタクの血”がこんなところで表れるとは……。

 ファンタジーの世界を生で見られる感動と、実際にそこに生きる人々の工夫に触れられる喜びは、私の心を大いに弾ませていた。




 


 その後、私の体調が安定すると同時に、マナーの先生が新たに手配された。

 貴族令嬢としての作法はもちろん、舞踏会やお茶会の立ち居振る舞いなどを改めて学ぶためだ。

 ……と言っても、以前のエマはこの手の授業をサボったり先生を罵って追い払ったりと、最悪の評判だったらしい。

 結果的に何人もの先生が辞めてしまい、私の教育はほとんど放棄されていた状態だ。


「お、お嬢様。失礼ながら、わたくしが教鞭をとらせていただきます。まだ若輩者ではありますが……」


 薄青のスーツを着込んだ30代前半くらいの女性であるエルネスティーナ先生は、わざわざ公爵家に来て早々、緊張した面持ちでそう訊いてくる。

 きっと事前に「フローリアス家の令嬢はワガママで手に負えない」とか「きて早々の先生を追い出した」とか、散々脅かされてきたのだろう……。私は苦笑しながら、深く一礼をした。


 「よろしくお願いします、先生。何も知らない私ですが、精一杯頑張りたいので、ご指導のほどお願いします」


 へりくだりすぎず、かといって横柄でもなく。私はできる限り礼儀をわきまえた態度を取る。

 エルネスティーナ先生は瞳を見開き、一瞬言葉を失ったようだったが、すぐに軽く咳払いをした。


 「いえ、こちらこそ。……まことに失礼いたしました。さっそくレッスンに入りましょうか」


 こうして、私のマナーの再教育が始まった。

 ティーカップの持ち方、ナプキンの扱い、舞踏会での簡単なステップなど、今までほとんど教わってこなかった作法をみっちり叩きこまれる。

 これがまた意外に難しく、背筋を伸ばし続けるだけでも地味にキツい。だけど、前世で培った根気と社会人経験が活きてか、私はそこそこスムーズにコツを覚えられた。


 「……ふふ、8歳とは思えない集中力ですね、お嬢様。実に堂々としてらっしゃる。」


 エルネスティーナ先生が楽しげに笑みをこぼす。その頬がほんのり赤いのは、私への評価が予想外に高まったせいなのだろう。

 私だって、褒められるのは素直に嬉しい。これまでのエマがいかに怠惰で我がままだったのかを思うと、こうして認められること自体が奇跡に感じられる。


 


 


 使用人たちとの関係改善、マナーの勉強……。

 そうして慌ただしく暮らすうちに、あっという間に一ヶ月が経った。

 体調もすっかり良くなり、周囲からの視線も少しずつ軟化している。リリアンやメイド長のシーナ、執事長も、以前よりずっと和やかな態度をとってくれるようになった。


 そんなある日のこと――。

 私が午後の紅茶を淹れてもらっていると、シーナが軽く息を弾ませて部屋へ入ってきた。


 「お嬢様、失礼いたします。たいへん恐縮ですが、国王陛下より王太子殿下のお誕生日パーティーの招待状が届きまして……」


 彼女の差し出す封筒には、王家の紋章が大きく刻まれていた。

 ――ブレイディア王太子が8歳を迎え、正式に「将来の王」としてお披露目される大イベント。もちろん、フローリアス公爵家の子女である私も招待されている。


「そっか……もうそんな時期なんだ……」


 ゲームの記憶が頭をよぎる。『闇に堕ちる君と』では、このお披露目パーティーで“悪役エマ”がブレイディアに近づき、強引に婚約を迫るという最悪の流れが待っていた。

 そんな展開なんてまっぴらゴメン。絶対に避けたい――でも、公爵家の名誉もあるし、欠席なんてできるはずがない。


「よろしければ、すぐにお返事をお出ししますが……いかがいたしましょう?」


 シーナが確認してくる。

 私は内心ブルーになりながらも、ゆっくり首を縦に振る。ここで断ったら、父や母の顔に泥を塗ることになるし、家の名声が傷つくのも避けたい。

 この国で生き抜くにはフローリアス家の力を借りないわけにはいかないからだ。


「うん、出席するわ。シーナ、よろしくお願いね」


 声が少し震えた気もするけれど、シーナは気づいた素振りは見せず、丁寧に頭を下げた。

 その背中を見送ったあと、私は思わず溜め息をついてしまう。


「これが、ブレイディアとの出会い……。もう少し先の話だと思ってたのに」


 ゲーム中のブレイディアは、いわゆる“腹黒王子”の代表格。

 表向きは優しくて聡明、幼いころから国を支える重責を背負っているため、誰もが憧れる存在……という設定だ。

 でも実際は深刻なトラウマや歪んだ猜疑心を抱えていて、とにかく“愛が重い”男の子に成長していく。

 もちろん、本編ではヒロインと惹かれ合って最後は恋人同士になるわけだけど、ルートによってはブレイディアの独占欲が行き過ぎて監禁されるなんて展開もあったりして……。


「彼は今はまだ8歳……。まだ子どもとはいえ、あの愛憎劇がいつか始まるのかと思うと、ゾッとする」


 そう考えるだけで心臓がぎゅっと締め付けられた。

 しかし、“悪役令嬢”のエマは強引に婚約を申し込み、ブレイディアにうんざりされた挙句、ヒロインをいじめ抜いて破滅の道を進むルートが大半……。

 もし今度のパーティーでその“婚約フラグ”を回避できれば、少しは未来を変えられるかもしれない。


「絶対に強引に婚約なんて申し込まないし、むしろ関わらずにやり過ごしたい……けど、どうなるんだろう」


 不安に揺れる気持ちを抑えながら、私はもう一度招待状の封筒をそっと眺める。

 王家の紋章――光の魔力を象徴するシンボルが厳かに描かれていた。そこに向かって無理やり婚約だなんて、以前のエマはよくやったな……と呆れるほかない。


 ――とにかく、行くしかない。どうにかして悪役シナリオを回避しよう。

 ただでさえブレイディア王太子は“腹黒”。不用意に近づけば私だけでなく、家族や使用人まで巻き込む可能性だってある。

 覚悟を決めて、私はそっと目を閉じた。


「……そう、もう逃げられない。でも、負けるわけにはいかないわ」


 前世のOL時代、上司や取引先に立ち向かった気概を思い出す。

 可愛い8歳の王子様……と侮るのは危険だろう。私にできることは、まずは相手の出方を探りつつ、距離をおくこと。

 そのうえで、もし悪い流れになりそうなら早めに手を打つ。そうやって少しずつ“破滅フラグ”を折っていくしかない。


「フローリアス家の名誉もしっかり守らないとだし……」


 そんな思いで意を固めたところへ、リリアンが戻ってきた。

 きっとシーナとのやり取りが終わったのだろう。リリアンは申し訳なさそうに言う。


「お嬢様……それでは招待状のお返事は、シーナ様が出席で出されるとのことです。パーティーは今から半月後あたりとのお話ですが、しばらくは服装や振る舞いの準備でお忙しくなりそうですね」


「うん、頑張る……!」


 リリアンの笑顔に、私もできる限りの決意を込めて微笑み返す。

 この世界でまだ8歳という年齢の私が、どれほどのことができるのかは分からない。

 けれど、前世の二十数年分の経験もある今の私は、もう“わがまま令嬢”じゃない――。

 そう、自分に言い聞かせながら、私は王都の城で行われるパーティーを想像する。

 絶対に婚約だけは阻止する。どうか何事もなく、無難に終えられますように――。

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