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第9話「王子の涙と、母の昔話」

 王妃ミランダが放つヒステリックな怒声に、空気が震えている――。 部屋の扉をわずかに開いたまま覗き込む私の視界には、床に膝をついて俯く王太子ブレイディアの姿があった。 彼の表情は、恐怖も悲しみも読めないほど無機質で、いつもの“仮面の笑顔”さえ貼りついていない。 それどころか、まるで見慣れた光景のように微動だにせず、叱責を甘んじて受け入れているかのようだった。

 「……いい加減にしてよね! せっかく私がフローリアス嬢と仲良くなるチャンスを作ってあげたのに、どうして無駄にするの!?」

 ミランダ王妃は、上品なはずのドレスをくしゃくしゃにして、声を荒げている。 その険しい顔つきに、私はゾクリとした悪寒を覚えた。


  どうしよう、助けに入るべき……? でも、この相手は王妃で、私が軽々しく介入すれば破滅フラグに繋がる可能性だってある。 気持ちが千々に乱れるが、そんな悠長な迷いは一瞬で吹き飛んだ。なぜなら、ミランダ王妃がタンスの引き出しからムチを取り出したからだ。

 (……ま、まさか8歳の子供を、そんな凶器で……?)

 呆然とする中、ミランダ王妃の手は容赦なくムチを振り上げる。 ブレイディアは顔を伏せたまま、まるでそれが当然と言わんばかりに微動だにしない。 このままでは、本当に彼の体が傷つけられてしまう。 何も考えずに、私は扉を開け放ち、大声で叫んだ。

 「ブレイディア――!!」


 

 気づいたら、私は部屋の中へ飛び込み、ブレイディアの小さな体を抱きしめて庇っていた。 振り上げられたミランダ王妃の腕はそのまま降りてくる……私は目をぎゅっと閉じて、痛みに耐える覚悟を決める。

 (痛い……だろうけど……少しでもブレイディア殿下を救えれば……!)

 しかし、衝撃は予想より遅れて来る――というか、来ない。 代わりに“どさっ”という硬い物音が耳に入った。

 「……え?」

 恐る恐る目を開けると、尻餅をついているミランダ王妃の姿があった。 振り返れば、扉の前には火と風の魔法を放った直後のようなオーラを纏う母・マチルダ。 彼女の右手はまだ魔法の余波で微かに揺れており、険しい表情で王妃を睨みつけている。


 

 「お母様……っ!」

 心底ほっとして声を上げる私。その腕の中で、ブレイディアはただ目を丸くしている。 “いつもの”貼りつけた微笑は、今や驚きの表情に変わっていた。 ――そして、私はようやく“王太子に触れている”という非常識な行為に気づき、慌てて彼の体から手を離す。

 「……申し訳ございません、殿下。私、何も考えずに……」 あまりに小さな体。痛々しくて、同じ8歳なのに彼の姿が悲しく映る。

 (あの表情……やっぱり普段から叩かれていたのでは?)

 怖い想像が頭をかすめ、胸が苦しくなる。自分の中でも後悔や怒りが渦巻き、まともに言葉を紡げない。 しかし母マチルダは動じることなく、私たちに一瞥をくれると、ゆっくりブレイディアに近づく。

 「殿下、ご無事ですか? エマも、怪我はない?」

 「……私は平気、です……」

 体がガタガタ震えそうなのをこらえながら答えると、母は安心したように頷く。 ただ、ブレイディアは未だに何も言わず、虚ろな瞳のままだ。

 



 

 「……マチルダ……また私の邪魔を……!」

 すさまじい殺気を纏いながら、立ち上がろうとするミランダ王妃。 母は冷たい視線で応じ、まっすぐ王妃に向き合って言い放った。

 「ミランダ王妃。あなたがしていることは決して許されません。今わたくしが目にした一部始終、国王陛下にご報告させていただきます」

 王妃の顔が一気に歪み、怒り狂って私たちに飛びかかろうとする。 でも母は風の魔力を瞬時に繰り出し、ミランダを捕縛してしまった。 糸のように見える風が彼女の腕や足を絡め取っている。

 「離して……! 何をするのよ、私を誰だと思って……!」

 王妃が必死に叫ぶが、もはや身動きが取れない。母は目を伏せるようにして、悔しそうな口調で言う。

 「……あなたが王妃でなければ、そのまま叩きのめしたいところですが。ここから先は騎士たちに任せますわ」

 そう言って振り返り、ブレイディアに優しい眼差しを送りながら、彼に近寄った。 ブレイディアはただ茫然と立ち尽くしている。

 

 

 そのまま“大人の判断”によって、ブレイディアは国王のもとへ、私は応接室へと連れ戻される形となった。 ミランダ王妃は拘束され、騎士が動いているようだけど、私は詳しいことを聞かされないまま。母は何かを話し合うために姿を消す。 応接室にはリリアンやロンド、ディーオたちが駆け付けてきて、大騒ぎになった。

 「お嬢様、ほんとに無茶をしましたね……! 一歩間違えたらお嬢様も危険な目に遭っていたかもしれないのですよ!」

 ロンドが顔を曇らせる。ディーオも腕を組んで無言ながら、その眼差しは責めるように見える。

 「ごめんなさい。でも、あのままじゃ……」

 説明する私に、リリアンが涙目で「でも本当に無事で良かったです」と抱きついてくる。 ロンドとディーオの話を聞くと、どうやら王妃の命令によって、応接室には近寄らないように――とされていたらしい。 結果として、あの部屋でブレイディアと二人きりにされ、さらに王妃の部屋にも誰もいない状態で行けてしまった。 (あのまま私が止めなかったら、どんな悲惨なことになっていたんだろう……)

 想像するだけで暗い気持ちになる。何より、ブレイディアがどれほど辛い立場にあったのかを思うと、胸が痛む。

 

 

 そんな不安な時間を過ごして、数十分ほど経った頃に、母が戻ってきた。 ――そして、その背後に佇んでいるのは、なんとブレイディア本人。

 私は思わず息を飲む。母は言いづらそうに頭を抱えながらも、しっかりと私の目を見つめて告げる。

 「エマ、落ち着いて聞いてね。……国王陛下が、ブレイディア殿下を数日のあいだフローリアス公爵家に滞在させてほしいと希望されたの」

 「え……!!……」

 驚きで頭が真っ白になる。先ほどまであんな大事件があったばかりなのに、まさか王太子が自宅にやってくるなんて――! しかし、母は真剣な表情で続ける。

 「殿下は……今、心の安らぎが必要で、王城に戻るとまた王妃様が何をするか分からない。このまま王城で無理に過ごすより、外でゆっくり心を休めたほうが良いと判断したのよ」

 私が母の言葉に驚きで呆然としていると、視線の隅でブレイディアがわずかに身を震わせているのが見えた。 その瞳は、いつもと同じ仮面を張りつける余裕すら失ったような、不安げな色を宿している。 ――ゲームでは、エマが押しかけ婚約を迫っていたこの王太子が、まさかフローリアス家に滞在する形になるとは……

 (でも……殿下を嫌がるなんて選択肢、私にはない。あの痛々しい姿を見ちゃったら、拒否なんてできない)

 頭が混乱するけど、すぐに「はい、歓迎します」と返した。 父や祖父母がなんと言うか分からないが、少なくとも私は、苦しむブレイディアを助けたい気持ちがある――そう自覚している。

 

 

 暗くなる前にフローリアス家へ帰らなくちゃ、と母が促してくる。 馬車に揺られる中、ブレイディアはずっと黙りこくっていたが、母は低い声で事情を私に説明してくれた。

 「……さっき国王陛下にお会いしてきたけれど、王妃の悪行はまったくご存じなかったらしいわ。  殿下があそこまで苦しんでいたなんて……陛下は怒りと悲しみでどうしようもない様子だった。  結局、王妃を厳しく処罰する方向で検討する一方で、殿下を別の場所に移すのが先決だと考えたようね」

 私が頷くと、母はさらに言葉を重ねる。

 「正直、ミランダ王妃があのまま大人しくなるとも思えないし……一時的にも殿下を王城から遠ざけて守って差し上げたいみたい。

 その瞬間、ブレイディアが小さく身を震わせた。 彼はまるで小動物のように俯き、窓の外を見つめている。 私は考えあぐねた末、彼の手をそっと見て、迷いつつも自分の手を重ね、すぐに唇を開いた。

 「殿下……もう大丈夫ですよ。国王陛下が、ちゃんと正しい判断をしてくださりますから。王妃様が殿下を傷つけることは、もう……ないです」

 安堵させたいと願ってかけた言葉。 しかし、ブレイディアは少し沈黙したあと、そっと俯いて弱々しい声を漏らした。

 「…………別に……あの人(王妃)なんか、どうでもいい。……怖くもない。  だけど……陛下にまた“役立たず”とか“出来損ない”とか思われるんじゃないかって……その方が、すごく……こわいんだ」

 その言葉に、私も母も衝撃を受けた。 闇は王妃だけの問題ではない――ブレイディアは実の父から「失望される」ことを恐れている。 どう声をかければいいのか分からない私は、俯いたまま、言葉を失うしかない。


 

 すると母は微笑を浮かべ、「少し昔話をしましょうか」と、語り始めた。 ブレイディアはまだ顔を上げないが、耳を傾けるように姿勢を変える。私も“何だろう?”と興味が湧き、母の話に集中した。

 母の話は、かつての自分と前王妃アリシアの出会いから始まる。 ――彼女は物語を読むような口調で「昔...」と語りはじめた。

  「昔、ライタンド魔法学園に一人の特別な留学生が来たの。  隣国ミュウノワ聖国家の公爵令嬢……海の神アミュアを祀るあの国は、美形が多いけれど、彼女――アリシアは中でも格別だった。  水色の髪に碧い瞳、透き通る肌、穏やかな笑顔、そして強く芯のある心。わたしは第一印象で惹かれて、彼女も同じく私を“友達になりましょう”って笑ってくれたのよ。

  実は、今の国王陛下……ルーカス様が遠征先で見初めたらしく、彼はアリシアに一目惚れして婚約を結んでいた。  だから彼女は学園でも“将来の王妃候補”として周囲から注目されてたし、嫉妬する子もいたわ。  その筆頭が、ユーディーン侯爵家のミランダ――そう、今の王妃様。  もともと王太子候補の婚約者として噂されていたミランダは、アリシアに激しい嫉妬を向けて嫌がらせを繰り返した。  でも、アリシアはまったく怯まず、むしろ笑顔で受け流していたの。ふわりとした雰囲気なのに、すごく強い人だったわ。

  そんな彼女とルーカス様は心から愛し合っていて、周囲から見ても理想的なカップルだった。わたしも“早く王妃になってね”なんてからかったもの。  ミランダは結局、学園を卒業せずに去っていった。……心が折れたのかもしれないわね……」

 母の目は遠くを見つめるように虚空を彷徨い、軽く息をつく。 私もブレイディアも、言葉を挟まずに聞き続ける。

 「やがてルーカス様は国王を継ぎ、アリシアと結婚して……ブレイディア殿下が生まれた。  私も彼女とは交流が続いていて、元気そうで……本当に素敵な家族だったわ……。  だけど、殿下が3歳の時、アリシアは病気であっという間に亡くなった。  ルーカス様は深く落ち込んで、国王業務もままならないほどやつれていたわ。  そのとき、再び現れたのがミランダ……。  私はエマを産んだ直後で仕事に忙殺されてて、王城のことをそこまで把握できず、気づいたらミランダが正妃になっていた。  でも、わかるの。ルーカス様は決してミランダを愛してはいない。たとえ周囲がどう言おうとも、あの時のルーカス様は心からアリシアとブレイディア殿下だけを大切に想っていたわ……」

 

 

 母の回想が終わると、馬車内は静寂に包まれる。 ブレイディアは膝の上で手を握り締め、微かに震えているようにも見える。 ――けれど、さっきのように顔を隠しているわけではない。むしろ真剣な表情で下を向き、言葉を選ぶように口を開く。

 「……そんな話、初めて聞きました。  陛下が、……本当の母様だけをずっと大切に想っていたなんて……」

 母は穏やかに微笑みを浮かべ、「ええ、わたしはそう思ってる。ルーカス様は、あなたを捨てるような人じゃありませんよ」と言葉を継ぐ。 ブレイディアは一瞬、瞳に涙の影がよぎるが、ぐっと噛み締めて耐えているらしい。すでに涙は見られない。

 私はその光景を見て、胸がジンと熱くなる。 ブレイディアの孤独は深いけれど、少なくとも父王には見捨てられていない――その事実を、ほんの少しでも彼が受け止めてくれたのなら、よかったと思う。


 

 そんなやりとりのうちに、馬車はフローリアス公爵家の正門へ到着した。 夕日が傾きかけているが、まだ暗くはない時間帯。 メイド長シーナと執事長グイドが出迎えてくれ、ブレイディア殿下が数日滞在することを伝えると、皆は仰天しながらも「最上級の部屋を用意いたします」と慌てて準備を始める。

 ブレイディアは少し戸惑いつつ、何も言えない様子で屋敷へ足を踏み入れる。 私はこそっと彼の横へ並び、小さな声で話しかけた。

 「殿下、何も心配いりません。ここはわたしの家で、安心できる場所ですから。どうかごゆっくり、心を休めて……」

 その瞬間、彼がほんの少しだけこちらを見て、微かに口元を緩めた気がした。 やはり笑顔は完全には戻らないけれど、少なくとも王妃宮で見せた無表情とは違う“柔らかさ”があった。

 (これから、どんな数日になるんだろう。ゲームとは大きく異なる展開……悪役令嬢エマが、王太子を迎える立場になるなんて。  それでも、あのヒステリックな王妃から守られるなら、少しは殿下の心が安らぐかもしれない……)

 私はそんな淡い期待を抱きながら、そっと馬車を降りるブレイディアの背中を見つめる。 光の差す玄関先には、私たちが踏み込んだ新しい日常が待っていた――。


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