あっさり捕まりました
夕暮れに差し掛かり、レストランはガヤガヤと慌ただしかった。地元の人や観光客で賑わい、この港では有名なお店らしい。しかし、テラス席から眺める海へと沈みゆく夕陽は、そんな喧騒すら遠く感じさせた。
『ああ、私は遠くへ来たんだわ』
ソフィアナは見たかった海を堪能して……向かいに座る旦那様という名の、現実と向き合った。
現実は…もとい、その旦那様であるエリオールは薄く唇を弧に描いたまま、じっとソフィアナを見つめている。
「とても綺麗だね」
「え、ええ。昼の海も良いですが、夕方の海はまた幻想的ですね」
ソフィアナを見つめたままそんなことを言うので、ドギマギしてしまう。おかしい。確かに無断で旅に出たのは叱られても仕方ないが、そもそもの発端はエリオールの行動によるもの。しかし、ソフィアナはなんだか圧を感じていた。
「海のものは初めてだろうから、食べやすいものを頼むね」
「ありがとうございます……」
そう言って、ソフィアナはなんだか胸が重くなる気がした。
自分が行き先を選んで海に来たのだ。食べ物だって、自分が選んでみたい。例え失敗しても良いから、冒険してみたい。
「いえ、やはり私も選びたいです」
そう言うと、エリオールは一瞬驚いたような顔してから、にっこりと微笑んだ。
「そうだね、それも楽しみの一つだよね。気が付かなくてごめんね、ソフィアナにお願いしようかな」
「全部ですか?それは責任重大な……」
「だって、初めての海だもんね?」
「まあ、そうですけど……」
『そんなこと、伝えたことがあったっけ?』
ふと疑問が浮かんだが、ソフィアナの実家の領地は北部の山間部にあり、海へはティアード領よりも更に遠い。行ったことがないと思われるのも当たり前だろう、と思い直して、ソフィアナは海鮮のスープに、海老が沢山入ったトマトのパスタ、珍しい葉野菜のサラダを選んだ。
エリオールはソフィアナが選んだ食事に合うように、白ワインを追加した。
程なくして食事より先にワインが届き、ソフィアナはそっと口に運ぶ。甘酸っぱい刺激が口一杯に広がると、ふとエリオールの視線に気付いた。
「旦那様、お飲みになりませんか?」
と、問えば、エリオールは
「ソフィアナ、本当にすまない!!!」
と、テーブルに頭がつくかと思う程に頭を下げた。
声もあまりに大きく、店内の客たちも何事かとちらちらとこちらを伺う始末。
少しは綺麗な服装をしているものの、まさか侯爵様がこんな公で頭を下げるなんてある筈もないので、なんだ観光客の痴話喧嘩かと、すぐに周囲の視線は散っていく。
しかし慌てたのはソフィアナである。
屋敷で「いつも忙しくてごめんね」、などの会話はあったものの、こんなに平身低頭謝られたのは初めてであるし、こんな人目のある場所でなんて恥ずかしいし、とにかくエリオールの頭を上げさせるのに苦戦する。
「だ、大丈夫です。旦那様、お顔をあげてください」
「いいや、大丈夫じゃない。俺が悪い!」
「えっと、旦那様も年頃?でしょうし」
「こんなことに年頃も旬もないし、何よりも誤解なんだ!」
「誤解ですか?」
「誤解以外の何物でもないんだ!」
頭を下げたまま言い募る姿に、ソフィアナはなんだか2人で何をしているんだと可笑しくなってきた。
「旦那様、私は気にしていませんから、大丈夫ですよ」
と、笑いながら言えば、
「気にしてない?!それはそれで困る!!」
と、エリオールが慌てて顔をあげた。
「困りますか?大丈夫なのに」
「それはそれでちょっと……」
「お待たせいたしました。こちら、グリーンサラダでございます」
何やら口籠る旦那様を尻目に、ソフィアナは運ばれてきた食事に視線を移した。
「さあ、旦那様いただきましょう」
「うっ……そうだね」
美味しそうな食事を前に嬉しそうにするソフィアナに、エリオールはへにょりと眉尻を下げて返事をした。
『ああ、いつもの旦那様だわ』
3年間の少ないやり取りの記憶の中で、エリオールがよくする表情を見て、ソフィアナはなんとなくだがほっとして、サラダを口に運んだ。