3、氷の精霊
棒に磔にされたテレーシアは、両足や腰、それに状態を縄で縛られた。縄には、燃え尽きぬように泥が塗ってある。
「おやめください、こんな残虐な刑は、どうかおやめください。真偽を確かめてください」
どんなに神官長が叫んでも、その声はただ風に千切れるばかり。
「この愚昧王子。お前がこの国に災いを呼ぶのか」
刑場に集まった群衆が、声を張りあげる。
テレーシアは幼い頃に神殿に上がり、家族はもういない。もし両親が存命だったら、神官長のように哀願することだろう。
季節は夏。目を開けていられないほどに、太陽はまぶしい。皮肉なほどに空は青く、白い雲が呑気に浮かんでいる。
髪をひとつに結ばれたテレーシアの足もとには、束ねた薪が小高く積まれた。
(ビリエル殿下は、わたくしを見くびっている)
縄のせいで全身に、ぎりりと痛みが走る。テレーシアは、群衆のむこうに設けられた席に座るビリエルを睨みつけた。
彼のとなりの椅子には、当然のようにパウラが座っている。
「あれが暑熱の聖女か。男爵の養子となってから聖女に選ばれたというじゃないか」
「聖女を引退したら、王妃になろうと狙ってるんだろ。けど、あれじゃ聖女と言うよりも愛妾だ」
噂は早いし、正確だ。
パウラがテレーシアを殺そうとしているのは、ただ邪魔だから。
聖女は国王陛下と直接言葉を交わし、提言することができる。
テレーシアが、パウラが妃にふさわしくないと言えば、王妃になりたいという彼女の野望は潰えてしまう。
昨日、神殿でビリエルを煽った男爵こそが、パウラの義理の親だ。
聖女として見込みのあるパウラを養女に迎え、そして王妃にさせる。その計画のためには、テレーシアが存在しては都合が悪い。
パウラは白いハンカチで目もとを押さえた。
周囲からすれば、まるで泣いているように見えるだろう。貴族以外は、神殿の広間でのいきさつを知らないのだから。もうひとりの聖女の処刑に心を痛めていると勘違いする者もいるかもしれない。
けれどテレーシアからは、パウラの唇がにやりと歪んでいるのが分かる。
薪のうえに、油が撒かれた。木のにおいと油のもったりとしたにおいが鼻につく。
「火を放て。その魔女を早々に焼き殺してしまえ」
椅子から立ちあがったビリエルは、鋭い声で命じた。刑吏の男は、これまで経験したことのない火刑に及び腰だ。
火のついた松明を持ちながら、油まみれの薪に引火させるのをためらっている。
「申し訳ありません、テレーシアさま」
松明を持つ手が震えている。
「刑を行使しなければ、次はあなたが幽閉されるのでしょう?」
誰もが汗をかいている炎天下に、テレーシアの涼しい声が響いた。
「国王陛下が今は国を空けていらっしゃるはず。その隙に、聖女を焼き殺そうとする人間が、王位を継承するなど。この国はもうすでに腐っています」
「なにをグズグズしておる。さっさと火をつけろ」
ビリエルの声はイライラしている。
なかなか刑が執行されないことに痺れを切らしたのか、パウラが立ちあがった。
今日は、毒で現れたという頰の痣の位置がきのうとは違う。
(パウラ。あなたは甘いのよ。人を騙そうとするなら、もっと徹底的にこだわった方がいいわ)
「殿下。わたしがテレーシアさまに罰を下します」
「パウラ。そのような賤しいことを君がしなくとも」
「いいえ。テレーシアさまは腐っても聖女。民が恐れる気持ちもわかります」
パウラはまっすぐにテレーシアの元へやって来た。彼女が聖女となって十年。これまでで一番威厳に満ちた姿だった。
「さようなら。テレーシアさま」
朗らかな笑顔を浮かべながら、パウラは薪に手を伸ばした。
ぽぅっと小さな火が、パウラのてのひらで生まれる。
けれど火は消えた。
焦った様子で、パウラがまた火を生じさせる。また消える。
「いいかげんに……しなさいよ」
こらえきれぬ憤怒が、パウラの表情に浮かぶ。茶色い瞳が赤に染まった。
テレーシアは聞こえぬ叫びを聞いた。絹を引き裂くような悲痛な声。パウラに仕える陽光の精霊の悲鳴だった。
それは一瞬だった。
おそろしいほどの炎が、薪を燃やす。赤い火の舌が、テレーシアの服を舐める。手が、首が、頬が、ちりちりと痛みを覚える。
「これで刑は執行されたわ」
天に向かって、テレーシアは叫んだ。
「イングリッド。わたくしの表へ」
後ろ手に縛られたままの状態で、テレーシアは指を動かした。
炎の熱で、肌が痛い。まるで刺すような激痛だ。急がなければ。
『呼ぶのが遅いよ、テレーシア』
ぱぁんと高い音を立てて、縄が弾けた。
炎が燃え盛る形のままで、凍っていく。それまで揺らめいていた赤い炎が動きを止め、白から透明へと色を変える。
透きとおった炎の氷が、幾重にもテレーシアを取り巻く。
テレーシアの頭上に、ガラス細工のように透明な少女が現れた。触れれば折れそうな、氷でできたストレートの髪。
「氷の精霊イングリッドさまだ。精霊をこうもはっきりと具現化できるほどに、テレーシアさまは力がおありになるのか」と、誰かが呟いた。
テレーシアは氷の炎のなかで、手を空に向けた。
透明なかけらが、ひらひらと降ってくる。
「雪?」
ビリエルがてのひらで、降ってきたものを受け止めた。
ほんの一瞬、氷の花びらが形を留めていたが。すぐに溶けて水になってしまった。
真夏に氷の花が降る。やむことなく、次々と。まるで透明な薔薇の花びらを贅沢に撒くかのように。
花はテレーシアを包み、その姿を隠してしまった。
「なんのつもりよ!」
誰もが氷の花に見とれるなか、パウラだけが大声で叫んだ。
自身の火の力で、氷の花を溶かしていく。
残されていたのは、大量の薪とテレーシアを縛めていた棒、そしてちぎれた縄だけだった。
「どこに行ったのよ。探しなさいよ」
「だめだ」
刑吏がかすれた声を上げる。
「もう刑は執行されたんだ。二度目の刑はない」
確かにテレーシアがそう告げたことを思いだしたのだろう。パウラは舌打ちをした。