14、精霊に捨てられた聖女
パウラに叩かれたのだと分かるのに、数瞬かかった。
テレーシアの口の中に血の味がにじんだ。
「あんたじゃなくてもいいわよ。氷の精霊をよこしなさいよ」
「パウラさま。おやめください」
神官の制止を無視して、パウラが両手を伸ばす。
「聖女が死ねば、精霊は次の聖女を探すのよね」
にやっと口角を上げて、パウラが目を細める。彼女の両手がテレーシアの首にかかる。
テレーシアは身をひるがえして、パウラから逃れた。
「光で、テレーシアの目を潰すのよ。早くしなさい」
パウラに命じられた陽光の精霊は、身動きもせずに空中にいる。
「何してるのよ。わたしの命令が聞けないっていうの?」
『きけません』
か細い拒絶の声は、テレーシアにしか聞こえなかった。
「早くやりなさいよ」
『いやです。できません』
声は聞こえずとも、精霊が動かないのがパウラには気に食わないようだ。
テレーシアの銀色の髪を、パウラは鷲掴みにする。
「結局、あんたがいなくなるのが一番の解決策ってことね」
パウラの手が、テレーシアの背中を突き飛ばす。髪を掴まれたまま、テレーシアは地面に倒れた。
テレーシアの目の前に、パウラの靴が見える。湿った土の匂いが鼻をかすめた。
毒を盛ったと濡れ衣を着せられた時も、そして今も。パウラはテレーシアをゴミのように扱う。その権利が自分にあって当然だと、信じて疑わない。
ふと、テレーシアの目の前が明るい光に染まった。
見れば、陽光の精霊がテレーシアとパウラの間に立っている。両手を広げて、主の暴挙を阻止している。
「どきなさいよ。このできそこないの精霊が」
「パウラ。あなたはもう精霊に見捨てられたのよ」
髪を引っ張られる痛みを堪えながら、テレーシアは声をふり絞った。
前代未聞のことだった。そもそも先代も先々代もその前も、ふたりの聖女が対立したことはない。ゆえに、精霊が聖女を見限ったこともない。
「陽光の精霊が、あなたをもう主と認めなくなった。そもそも卑劣な手で無理やり契約させた精霊なのでしょう? 当然のことだわ」
「知らないわよ、こんな出来損ないの精霊なんて。とにかく雨が降ればいいのよ、タイメラの気候が涼しくなればいいのよ。さぁ、早く氷の精霊を渡しなさい」
パウラは赤い髪をふり乱しながら叫んでいた。
「……気づかないの? イングリッドがここにいないことに」
「はーあ?」
「もう、来るわ」
地面に倒されたままのテレーシアが空を仰いだ。
ぴしり、と空気が硬質な音を立てる。草が、花が白くなる。地面を凍らせた氷が、パウラの足を氷に閉じ込める。
風を切る音がした。一瞬遅れて悲鳴が上がる。
パウラは足を氷に拘束されたまま、前かがみになった。彼女の足には矢が刺さっていた。
「大丈夫か。テレーシア」
『テレーシアぁ!』
馬上から飛び降りたアルフォンスが走ってくる。彼の後方の宙を、イングリッドがやってくる。
アルフォンスが剣を抜いた。切り裂く一閃。
「ぎゃあああっ」とパウラの悲鳴が響きわたる。
テレーシアの髪を掴んでいたパウラの手が離れる。彼女の服の袖が裂け、腕から血がしたたり落ちていた。
「俺の大事な人に手をかけるなど。汚らわしい顔をこれ以上、俺やテレーシアに見せるな」
「なによ。なによぉ。テレーシアは男を垂らしこんでるんじゃないの」
「まだ減らず口を叩くつもりか」
おのれの血で濡れた剣を、パウラは頬にあてられた。「ひっ」と息を呑んだのは、アルフォンスの目が激しい怒りを越えて、冷めきっていたからだった。
銀色に光る刃から流れた血が、パウラの服の肩を染める。
「そこの神官」
「は、はい」
アルフォンスに鋭く呼ばれて、若い神官はひきつった声で応えた。
「この女を連れてさっさと国へ戻れ。もう聖女とは呼べぬだろうが。決して我がストランドにこいつを残していくな」
神官は何度もうなずきながら、パウラを立たせた。
「パウラ。もうあなたにはどこにも居場所はないわ。タイメラの民は、あなたのことを決して許しはしない。精霊に捨てられた聖女……なんて惨めなの」
「うるさいっ」
どなるパウラの背を、神官が「もう黙るんだ」と、ぐいっと押す。そのまま馬車にパウラを乗せた。
パウラはうなだれたまま、ワゴンのなかで倒れ込んだ。「ちくしょう、ちくしょう」とかすれた声で呻きつづけ、扉は閉められた。




