1、冤罪の聖女【1】
寒冷の聖女、テレーシア・アシェルはぼろぼろの服を着せられていた。
牢獄では硬くなったパンと、野菜くずがほんの少し入ったスープしか与えられず。プラチナブロンドのストレートの長い髪は艶を失い、体は二十二歳には思えぬほどにやせ細っている。
「殿下。わたくしは無実であると申しあげております」
声をふり絞り、テレーシアは訴える。
どんなにやつれようとも、テレーシアの高貴さは奪われはしなかった。長い睫毛に縁どられた蒼玉の瞳が、王太子を射る。
神殿の広間には、ふたりの聖女と神官たち、王太子ビリエルや名だたる貴族が揃っている。
「だまれ、卑劣者。お前が後輩であるパウラ……暑熱の聖女に毒を盛ったことは明白だ」
ビリエルは、彼のとなりに立つパウラの肩を抱きよせた。まるで恋人であるかのように。
「テレーシアさまを責めないでください、殿下。彼女を信じたわたしが甘かったのです」
肩までの赤い髪を揺らしながら、暑熱の聖女であるパウラは首をふる。その右頬には黒ずんだ痣が浮かんでいる。
まるで炭を塗ったかのように。
「まさか、テレーシアさまがわたしの食事に毒を入れるなんて、考えもしませんでした。ええ、そんなおぞましいことをできるなんて、聖女どころか人ではありません。きっとテレーシアさまは魔女です」
テレーシアを責めるなと言いながら、パウラは真逆のことを口にしている。
きっとパウラは気づいていない、その矛盾を。彼女は聡明ではないから。
「パウラ。汗をかいていてよ」
長らく牢獄に囚われた身でなければ、テレーシアは絹のハンカチを差しだしたことだろう。だが、今は何ひとつ持たぬ身だ。
代わりにビリエル殿下が、パウラにハンカチを渡した。
「魔女と対面して冷や汗をかいているのだろう。かわいそうに」
ビリエルが白いハンカチで、暑熱の聖女の右頰をぬぐう。パウラははっとして「殿下に拭いていただくなど、もったいないことです」とハンカチを奪った。
テレーシアは見逃さなかった。純白の布が、うす黒く汚れたのを。
(やはり炭を塗っていたのね)
パウラが盛られたと主張する毒の名は、黒花の種子。体に黒い花が咲いたような痣ができることから名の由来だ。
もちろん、拭こうが洗おうが痣が消えるはずはない。解毒せねば、黒い花は咲き続けるのだ。
『ねぇ、テレーシア。この嘘つきーって糾弾しないの?』
テレーシアの身の内から、怒ったような少女の声が聞こえた。
『ほんと、パウラってムカつくんだけど』
少女の声はテレーシアにしか聞こえない。だからこそ、彼女は稀代の聖女と称される。
(あなたの言うことは分かっていてよ、イングリッド。ですが、誰ひとりとして味方のいない場で、そんな愚かなことをしても意味がありません。それにわたくしは、氷の精霊であるあなたを貶めるような振る舞いはできないのです)
イングリッドは『追放で済むならってこと? あたしはイヤよ。聖女はテレーシアじゃなきゃイヤ』と、不満そうに声を上げる。
氷の精霊が、自分の代わりに怒ってくれるから、テレーシアはまだ冷静でいられるのかもしれない。
ビリエル殿下も、パウラも浅はかで愚かだ。
このタイメラ王国は、古来より冬と夏があまりにも厳しいので、ふたりの聖女によって守られている。
氷と冬をつかさどる寒冷の聖女、テレーシア。陽光と夏をつかさどる暑熱の聖女、パウラ。
テレーシアは、歴代の聖女の中でも唯ひとり、精霊の声を聞く力を持っている。
(このままでは、わたくしは国を追放されるわ)
イングリッドは次の聖女を選ぶ気は毛頭なさそうだ。ならば、タイメラ王国は暑熱の聖女がひとりになってしまう。
それは季節のバランスが崩れるということに他ならない。
(これまで、ふたりの聖女が絶えた時はなかった。だから片方の聖女が欠けた時にどうなるかは、誰にも分からない)
テレーシアの不安など、王太子であるビリエルは気づきもしない。
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