空をかける
謎の集団に囲まれながらも、安斎と城沢は刀一本でビルから脱出した。
「この後どうするよ? さっき上から見たとき、ビルの周りにも何人かはいたよな」
安斎が屋上から見た時は、三、四人はこの廃ビルに向かって歩いていた。
誰もいないビルだから、堂々と刀を振り回して、敵をばこばこ倒すことができた。しかし、人通りの多い場所では刀を容易に振り回すわけにも行かない。逆に、警察に銃刀法違反で捕まるリスクの方が普通に高い。
「私に言われても知らないわよ。一体、何が起きているわけ?」
隣では半分パニック、半分はこの意味の分からない状況に対してお怒りを顕にしている城沢。
安齋の中では、城沢は頭脳明晰、運動神経抜群で、人望に優れている。故に、いつも冷静で落ち着いた性格だと思っていた。しかし、今、隣にいる彼女にそんな印象はない。だが、危機に瀕した女子高生なんてちょっと成績が優れていても、年相応でこんな感じだろう。
かく言う、安斎とて冷静ではなかった。アドレナリンで一時的に興奮状態であったが一気に冷めて、今はなんだか落ち着かない気持ちになっていた。
握った日本刀で、さっきはばっさばっさと人を斬っていたが、よくよく考えるとどうなのだろう。少なくとも死にはしなかった。
「俺に言われても分からないよ。連中、言語が滅茶滅茶だけど、お前が盗んできたドラッグを取り戻そうとしているんだろ? お前が余計なことしなければ、問題なかっただろ」
「いや、ただのドラッグ問題とは明らかに違うでしょ? 彼女が詳しそうだけど、何か聞いていないの? 彼女は悪魔なのよね?」
質問づくしに若干、戸惑いながら安齋は俺に言われても知らないよと、
「いや、彼女と付き合うことになったのもさっきだからな。実はまだお互いの自己紹介すら終わっていない状況なんだ。だから、まだ俺は彼女の名前を知らない。悪魔だと言うのは自己申告していたからね。なんか翼も生えていたしさ」
「ちょっと待って。つまり、どう言うこと?」
意味が分からないと城沢が聞く。
彼女に聞きたいことが沢山あるのは安斎もだ。
「色々、お互いに言いたいことがあるけどさ。まずは逃げるのが先だろ?」
呑気に立ち止まっている場合ではない。ビルからいつあの連中が追いかけてくるのか分からない。
「おっと、まともな意見だね」
空から声がした。声の主はそのままゆっくりと地面に降り立った。
「質問づくしにされそうだからちょっと冷静になるのを待っていたのよ。でも、うれしい誤算ばかりで良かったわ。幸先が良いわね」
「ねぇ、一体、何が起きているの?」
「君、頭が悪いね。ここで私がゆっくり説明をする余裕があると思う? あいつら、既に手遅れだから、視界に映る限りどこまでの追いかけてくるわよ。人間の執念は私でも目を見張るからね」
「・・・なら、どこに逃げるのよ?」
「今回は特例として、私が特別に助けてあげる。私の手を握って」
不審に思ったが、安斎はすぐに悪魔の手を握った。その安斎の様子を見て、何も起こらないことを確信してから、城沢も手を握った。
「私の手なら、人間の握力如きでは何をしても壊れないから、死ぬ気で捕まっていなさい」
「その前に、これから何が起きるのかだけ、簡潔に説明してくれ」
「空飛んで逃げるのよ。あいつら、まだ外見は人間だからね。空飛んで視界から消えれば、もう追って来ることはできないわ。別に、ナイフとかであいつら皆殺しにしても私は、悪魔だからね。結果的には追手が来ないから問題ないのだけど?」
「馬鹿を言うな。さっさと飛んでくれ。城沢も、それで良いか?」
「ちょっと空飛ぶのは面白そう」
城沢は目を輝かしていた。こんな切羽詰まった状況よりも、空を飛ぶワクワクが勝つらしい。さっきまで自殺を考えていた女とは思えない。結局、高所恐怖症かつ、痛いのが嫌だと言う理由で自殺していないが。
「しっかりと捕まっていてね。空中で手を離せば、結果的には死ぬわ」
「怖いことを言うなよな」
悪魔は大きく膝を曲げる。
ビルの中から10人を超える、黒い霧の晴れたこ男たちが何かを叫びながら、追いかけて来る。
「彼女様よ、時間がないぞ」
「黙って。舌を噛むわよ」
悪魔は足を膝を曲げた体勢から、一気に膝を伸ばす。すると、大きく空に向かって、上昇した。
安齋が思っていた空を飛ぶイメージとは違った。空を飛んでいるのかもしれない。しかし、これはただのジャンプだ。でも、スケールは違う。ビル7階の高さに飛ぶ人間、生物なんて知らない。
昔、テレビではバッタが人間サイズに大きくなるとビルを飛び越えられるみたいな話がある。しかし、それはあくまでも想像の産物でしかない。ビルを超えるジャンプをする生物はいない。
実際、上昇にかかる重力が予想以上だった。空気が壁になり、呼吸をするのも苦しい。
悪魔の手を離さないように、二人は空を飛ぶ体験楽しむ余裕も消え、切実に様子で必死に握る。二人は冗談抜きで、死を覚悟した。ビルの8階から落ちるよりもよっぽどリアルだ。景色が凄い勢いで、変わっていく。まるで、ジェットコースターに乗っているかのようだ。
実際は1秒にも満たない滞空時間が、数分にも感じた。
「加速するわよ」
やっとの思いで脱出をした廃ビルの屋上に着地したかと思ったが、そこから一瞬深く沈み、いっきに斜めに上昇した。一度目の跳躍の比ではない。
「これ、面白い」
ジェットコースターに乗って叫ぶようなトーンで城沢は叫ぶ。一度目で、恐怖とかすべて吹っ飛んで、今は一転して楽しそうな笑顔を浮かべている。
街が凄い勢いで、小さくなって行く。
このまま大気圏に突入して、月まで到達してしまうのか。沈みかけた夕日に対して、そんな錯覚さえ覚えるほど。凄い勢いで空に近づいていく。
耳がキーンとする。
飛行機に乗っているときに起こるあれだ。
雲を突き抜け、やがて勢いは徐々に消えていき、今度は下に向かって行った。
「おい、この速度で地面に降りれば、確実に死ぬぞ」
「それは人間みたいな脆弱な生物の話ね。私なら、このくらい片足で十分よ」
弾丸のような速度。雲を戻り、やがて都会の夜景が見えてくる。
「ほら、着地するわ。口を閉じていないと、舌を噛むことになるわ」
気が付くと、安斎と城沢は赤い血液のようなものでからだがしっかりとホールドされていた。そして、悪魔は翼を大きく広げて、強引にその速度を殺した。
速度に比例する慣性力は凄まじく腕一本握るくらいでは無理なくらい前方に飛ばされたが謎の物体が二人の身体をしっかりとホールドしていたおかげで死なずには済んだ。
絶叫系は苦手ではない安斎はもう二度とこんなめには会いたくないと強く思った。