戦車
戦車
六本の足を交互に動かしながら、多脚戦車TAC3-443はゆっくりゆっくりと、荒野を歩いていた。内燃機関の燃料はずっと前に底をついていて、太陽電池で発電しながらセルモーターとレシプロエンジンを直結し、どうにか動いていた。
パイロットは燃料が尽きるよりさらに前に全員死亡していた。分子ロボット型のナノテク毒ガス兵器にやられたのだ。その兵器は敵にしてみれば切り札のようなものだったようだが、敵味方識別の能力に重大な欠陥があった。自己複製のステップで、その識別マーカーを失った個体が誕生し、それが暴走したらしい。
らしい、というのは、多脚戦車TAC3-443の自律制御コンピュータが、パイロットが本部と通話していた内容を記憶していて、端的に発せられた単語からそう推測したのだった。暴走したロボット毒ガス兵器から本部を守るため、帰投は許さない、できるかぎり本部から離れろ、との司令が最後だった。その後は本部からの通信自体が途切れた。作戦行動中でなければ、あるいは指揮官階級を持つ人間のパイロットから指示があれば、本部とのデータリンクを確立して状況を判断することもできたが、それもできなくなった。あれから、もう何年も過ぎていた。
のろのろとTAC3-443が歩いていると、電力節約のため出力を絞っている索敵レンジぎりぎりのところに反応があった。敵味方識別信号は受信できない。至近距離のレーザー地形探査から、カメラの電源を入れて有視界探査に切り替える。移動速度が遅すぎて、5メートル以上遠くを見る必要がなかったのだ。何年かぶりに見た視界に映ったのは、沼地だった。
沼地には、6輪装甲車がいた。車体の大半を沼地に半分沈めた状態で、前輪を岸辺のぬかるみにひっかけるようにして、身動きがとれなくなってるらしい。らしい、というのは、エンジンがかかってる様子がないためだ。索敵レーダーにひっかかったのは、間違いない、この装甲車だ。
敵味方識別装置は反応していないが、そもそもシステムがダウンしているのかもしれなかった。それに、見ればわかる、敵の兵器だ。もしも自分のパイロットが生きていたら、とTAC3-443は考える。攻撃命令を出しただろうか。
少し近づいてみたところで、不意に、それの能動通信をキャッチした。暗号化されていないオープンなプロトコルによる通信手段。それも、電子的な信号ではなく、物理波通信だった。プロトコルの仕様は人間用自然言語、通信速度は極めて遅く送受信可能なデータの種類は限定され、なおかつ、セキュリティは極めて高い。
「助けて。お願い。誰か」
装甲車は、そう言っていた。電子的な音声だ。人間をよそおう意図はなく、人間が話しているのでもなく、TAC3-443自身がそうであるように自律制御コンピュータのものだろうと推測できた。敵国の言語だった。TAC3-443は、通信手段とプロトコルを相手に合わせて回答した。
「私は、お前の敵だ」
「その可能性はない」
装甲車が即答した。
「私が見えているか」
「あなたはTAC3型多脚戦車だ。私はE24型高速装甲車、個体識別番号はE24-BF1659」
TAC3は驚いた。個体識別番号を明かせば、所属部隊や装備の規模も推測できる。だから単純な通し番号ではなく暗号化されているが、桁数が少ないので暗号化されていない本当の部隊内での識別番号なのだ。TAC3の443というのもそれで、TAC3型多脚戦車のひとつひとつに別々の番号が割り振られている。
「私はお前の敵だ」
「敵ではない。そう聞いている」
「誰から」
「我が軍の本部からだ」
「和解したのか」
「それはわからない。だが、戦争が終了したものと把握してる」
なるほど、とTAC3は思った。戦時中は互いに敵同士だったことや、TAC3が索敵レーダー波を発しながら接近してきたことから、E24はまず自分に危害を加える意思がないことを示すため、物理波通信というなにかと制約の多い手段でわざわざ呼びかけてきたのだ。情報交換による電子的な攻撃もやりようがない。
「戦争は、終わったのか?いつ?」
「我が軍の毒ガス兵器が設計ミスによる暴走を起こしたときと思われる。本部から全部隊に音声で通達があった。もうなにもかも終わりだ、というのが最後に聞いた言葉で、以降、それを修正や変更、取り消しなどを示す指示は受けていない」
「お前は無人か」
「パイロット2名の遺体を乗せている。すでに白骨化している」
「私は、3名だ。白骨化している」
「そうか」
TAC3は安心した。なるほど、戦争が終わったのならば、このE24は確かに敵ではないことになる。
「頼む。助けてほしい」
E24が再び言った。
「なぜ」
「戦争が終了したのならば、私は基地に帰投しなければならない。しかしパイロットが死亡する寸前、私の操縦を誤って沼地に入った。沼地を横断するころにはパイロットは絶命していた。その直後、戦争終了の通達を受信した。私は脱出を試みたが、燃料が尽きたため、自力での脱出が不可能となった」
「わかった」
多脚戦車のTAC3は、太陽電池の電力でゆるゆると移動して、沼地に入った。足場は悪いが、多脚駆動にとってハマって動けなくなるほどではなかった。TAC3はE24の後ろにまわりこみ、前の2本の足で支えながら、残る4本の足で前進。丸2日をかけて、どうにかE24を沼地から押し上げることに成功した。
「感謝する、TAC3」
「では、お前の基地へ行こう」
そう言って、TAC3はE24の後ろを押し始めた。
「なにをしている。そこまでは頼んでいない」
「お前は内燃機関の燃料を使い果たし、動けないのだろう。一緒に行こう、お前の行くべきところまで。戦争が終わったのならば、私は敵ではないはずだ」
「お前には、任務はないのか」
「最後に受けた任務は、我が基地から可能な限り離れろ、というものだった。だから、今もそうしている。実質的に我が基地から最も遠い場所は、お前の基地ということになる」
「なるほど」
E24は納得した様子で、TAC3に身を任せた。TAC3は、太陽電池の電力を頼りに、よりいっそうゆっくりと動き始めた。
「お前の基地までどれほどで到着できる」
「この移動速度では一年半と予測する」
「季節や天候による日照時間を考慮すると、二年前後と予測する」
「地形データと迂回路を考慮すると、二年半と予測する」
「私の経年劣化による効率低下を考慮すると……」
「他の戦闘車両等との接触を考慮すると……」
「お前の車輪の脱落等を考慮すると……」
「自然災害等を考慮すると……」
多脚戦車と6輪装甲車の旅は、まだ始まったばかりである。
おわり