3月9日
五歳になったある日、叔父・叔母の家に連れられた。そこにはクリーム色の壁に、暖かい陽の光が差し込んでいた。大人たちは高くて小さいベッドを囲んで口々に「かわいい」と言っていた。
ボーっとしていた僕に向かって母が、
「葉介も琴子ちゃんに、こんにちはをしたいよね」
僕を抱きかかえてベッドの宿主を見せた。そこには丸々とした赤ちゃんが気持ち良さそうに眠っていた。ちっちゃいなあと思っていると、
「これからはお兄ちゃんだね」
叔母さんから穏やかな微笑みを浮かべながら伝えられた。お兄ちゃん?
意味を飲み込めないままこの子をじっと見ていた。振り返っていると初めて従妹と会った記憶は意外と鮮明に残っていた。
外は凍えるように冷えていて、まん丸の月が光るきれいな夜だった。部屋の奥の方では大人たちのギャハハという声が響き渡っていた。
「葉介~。あんた、ちゃんと琴子ちゃんと仲良くするにょよ~」
へんてこりんな声で母さんに言われた。そしてスタスタと手に持ったビールを口にしながら、居間のテーブルに向かっていた。
うるさい空間から離れたところに僕と琴子は適当にほっぽり出されていた。いつものことだと思って僕は絵本を広げていた。彼女はクマのぬいぐるみをいじって遊んでいた。
しばらくはお互い自分のことに集中していた。そのうち従妹の方はクマを触るのは飽きたのか、ぬいぐるみを僕の方に持って来て、ぺしんぺしんとぶつけてきた。絵本を読みたかったから無視していたら、今度はクマの手を僕の顔に押して来た。
「なに?」
つっけんどんな声で答えた。彼女は、
「よう兄。あそぶ」
舌ったらずな声で言って来た。
「やだよ」
絵本に戻ろうとしたが、従妹はぺたぺたと触ってきて、
「あそぶう。あそぶう」
と、しつこく迫ってきた。僕はムッとしながら、
「やだよ。ひとりであそべよ」
ちょっと大きな声で伝えた。そしたらびええと大きな声で泣き出した。突然のことにオドオドしていると、大人たちがこちらの様子に気づいた。叔母さんは琴子を抱き上げて、
「よしよし。葉兄の邪魔しちゃダメでしょ」
ゆっくりとあやしていた。母さんは少しあきれた笑みを浮かべながら、
「こらこら。琴子ちゃんを泣かしちゃダメでしょ。少しは遊んであげなさいよ」
そう言って僕の頭を軽くグリグリとした。
なんで僕がこの子と遊ばなきゃいけないんだよ。ケロリと泣き止んでキャッキャと笑っている琴子を見ながらモヤモヤとした気持ちを抱いていた。
この頃は少し彼女に冷たかった。せっかくだから少し遊んであげればよかったのに。
僕が小学生ぐらいになってから叔母一家と旅行に行くようになった。時にはキャンプに時には海に。西へ東へ行くも最後は酒盛りが始まっるというスケジュールだった。だらしなくなる親族を見ながら、将来は絶対に酒を飲まなないことを心に誓った。
大人たちが集まっているときは決まって子どもたちはほっぽりだされていた。琴子は相変わらずベタベタしてきて、僕は相変わらず素っ気ない態度を取っていた。
十歳の夏休みに親戚でキャンプに行った。街中が蒸し暑い時期だから、涼しい風が吹く山の中は気持ちよかった。僕たちは牧場で牛を追いかけたり、冷たいソフトクリームを食べたり、川で水浴びをしたりした。そんな風に昼間は大人子ども共々楽しんでいた。
夜はバーベキュー。肉や野菜を切りつつ、「最初は」大人子ども共々楽しんでいた。アルコールが回り始めると大人たちだけ楽しみ始めて、僕と従妹は端の方で時間を潰していた。
いつものように僕は絵本を読んでひとりの世界に入り、いつものように琴子は僕にちょっかいを出してきた。
「葉兄。遊ぼう」
くいくいと袖を引っ張ってきた。もうこの動きにも慣れたから、
「やだ。ひとりで遊んでて」
冷めた言い方で彼女に伝えた。
「いいじゃん。少しくらい」
「やだよ。めんどくさい」
少しの間押し問答を続けていた。そのうち彼女は顔を膨らまして、
「いいもん。私だけで探検に行くもん」
そう言ってひとり歩き出した。僕はやっと解放されたと一安心していた。そうして一人の時間に浸っていた。
集中していたのだろう。大人たちの様子を全く意識していなかった。気づいたら母さんが目の前に立っていた。
「ねえ葉介、琴子ちゃんどこにいるか知らない?」
周囲を見渡しても従妹の姿が見えなかった。僕は小さく横に振った。
「そう。ありがとう。叔母さんたちが今探しているから待ちましょう」
そう言って、母はキャンプファイヤーの前に座った。心がギシギシ音を立てているような気がした。身体中がムズムズして来た。どうしよう。
ふと母さんを見ると携帯電話で誰かと話しているようだ。
「どう。見つかりそう? どうしちゃったのかしら」
結構熱心そうだったから、僕は気づかれないように後ろを歩いて、森の方に向かった。なんとなく琴子が行きそうなところに向かって歩いた。
森の中ではフクロウがホーホーと鳴いていた。夜空を見上げると満月が輝いていた。風はキャンプファイヤーのときと違って、冷たさを増していた。
僕は草をかき分けて前に進んだ。小さな足跡があったから、それに向かって走った。この暗さでよく琴子は歩けたな。僕は結構怖くて、背中のあたりがブルブル震えていた。
だいぶ奥まったところまで進むと、木にもたれていた従妹が目に入った。一息ついて、
「みいつけた」
と、声をかけた。琴子はびっくりして僕を見た。泣きはらしたかのように、目の周りを赤くしていた。いきなりひっついて来て、
「わーん」
と、大きな声で泣き出した。こっちだって怖いよと思いつつ、僕は彼女の手を軽く握った。
「ほら。帰るよ」
僕の顔を見上げた後、コクっと少しだけうなづいた。
どの道を歩いたかなんて全く覚えていなかった。それでも心細さを押し込めて、ゆっくりと歩いた。
どこまでも木々だらけで一向に建物の明かりが見えなかった。ずっと休みなく進んだせいで、足が重くなるのを感じた。後ろからも、はあはあという切れ切れの息が聞こえた。ちょうど広場のようなひらけた場所を見つけて、
「ここで少し休んで行こうか」
と、言って見た。琴子はやっぱりコクっとうなづいた。
中ほどまで歩いて行くと肌寒い風が吹いた。昼は気持ちよかったけれど、夜だと少し厳しいものがある。大きな石があったから僕たちは座り込んだ。
ふう。これからどうしよう。帰る道がわからないし、夜はまだまだ長引きそう。父さん・母さんも心配するだろうな。内心途方に暮れていると、
「ごめんなさい」
か細い声が聞こえてきた。隣を見ると琴子が今にも泣き出しそうな顔でいた。
「わたしのせいで葉兄に迷惑をかけて」
本当だよ。君のせいだよ。どうしてくれるんだよ。
普段だったら言うセリフをこのときは思い浮かばず、
「ふふ。お兄ちゃんだからへっちゃらだよ。琴子ちゃんは気にしなくていいよ」
頭を軽くポンポンとたたいた。うつむきつつも、いつもの様な笑顔が少しだけ戻ってきた。ふと空を見上げると一面に星が散りばめられていた。今までの疲れや心細さが溶けていくような感覚を抱いた。
「ねえ琴子ちゃん。上を向いてごらん」
隣の少女は僕に促されて顔を上げた。すると沈んでいた表情が晴れていくのが手に取るようにわかった。
「きれい」
「本当だね。ねえ、あのたくさん星が集まっている大きな線見える?」
「うん」
「あれが天の川だよ」
柄にもないお兄ちゃんらしいことを自然としていた。
「七夕じゃなくても見えるんだ」
目を丸くしながら口にしていた。
「ふふ。そうだよ。あっちが彦星で、こっちが織姫」
昔父さんに教えてもらったことを、そっくりそのまま琴子に伝えていた。あの頃の僕と同じように、隣の少女は楽しそうに星空を眺めていた。
ふと森の方をちらちらとした光が見えた。「おーい。琴子ー。葉介ー」
「琴子ちゃーん。葉介ー。いたら返事してー」
従妹の肩をポンポンと叩いて、
「琴子ちゃん。おじさんたちが探しにきてくれたよ」
ちょっぴり残念そうな表情がよぎったように見えたけれども、すぐに嬉しそうな顔をして、
「よかったね。葉兄」
僕たちは手をつないだまま大人たちの方に走っていった。
当然その夜は二人そろって怒られた。琴子はえんえん泣いて大変だった。僕は夜遊びなんてあまりしなから、結構疲れた。もう探検なんてしない。そう思いつつも、少しだけ充実感を覚えていた。
黒い学生服と紺のブレザーの列ができていた。目の前の舞台には校長先生が立っていた。さて長い話が始まるのかと思っていたら、
「新入生のみなさん。第五中学校ご入学おめでとうございます。ぜひよく遊び、よく学んでください。以上」
周りからどよめきが上がった。
「校長の話が短いなんて嘘だろ」
あとあと聞くと、話が短い校長で有名な人みたいだ。このことだけ聞くと幸先はいいみたい。
僕は小学校を卒業して地元の中学校に進んだ。顔なじみの友達が一緒に進学しているから結構気が楽だ。入学式が終わった後も、一緒に帰宅をした。
「部活なにする?」
「野球部にしようかな」
「俺はバスケかな」
各々が自分の希望を言っていた。
「葉介は?」
そういえば何をやるか全然考えていなかった。歩きながらぼんやり考えていると、
「ちょっとツタヤ寄るわ」
「あいよー」
流れでレンタルショップの中に入った。中には僕達みたいな学生があふれていた。
「何借りるの?」
「ちょいとCDを」
そのままミュージックコーナーに向かった。そこにはたくさんのアルバムが並んでいた。ふと僕は、
「借りてもすぐ返さなきゃいけないんでしょ。なんだか味気なくない?」
みんな僕を見てキョトンとして、
「あれ? パソコンに音楽保存できるの知らないの?」
「え? そうなの?」
「そうそう。ミュージックプレイヤーで聞いている人たち、みんな買ってないぞ」
知らなかった。思わず赤面していると、
「まあまあ。これも何かの縁だと思って葉介も借りてみれば」
僕を棚の前に押してった。
改めて見るとたくさんのアーティストがいて迷った。せっかくだから好きな曲CDをと思っていると一組のバンドを見つけた。
「あ。俺もよく聞いたわ」
「ドラマのタイアップになってたよね」
これにしようかな。生まれて初めて借りたアーティストはレミオロメンに決まった。
家に帰ったら緊張しながらパソコンにコピーした。それまではCDは買うものだと思っていたから、僕の中で音楽に対する革命が起こった。
粉雪・太陽の下・3月9日。テレビによく流れた曲を久しぶりに聞いたら、体中に電気が走ったような感覚を持った。
その日は何度も何度も歌を聞いた。それまではあまり読まなかった歌詞も意識するようになった。音楽ってこんなにいいもんだったんだ。
それからは手当たり次第にアルバムを借りまくった。サザン・ラルク・スピッツ・ゆず。なんとなく世界が広がるような感覚を覚えた。
「もっと早く出会っていればよかったよ」
親戚たちの集まりで熱弁していた。いつもは無口な僕が饒舌であることに周りは興味津々といった感じだった。
「そうなんだ。熱中ものがあるのっていいわね」
叔母が同意してくれた。
「もうね。身体中が熱くなる感じ。NO MUSIC. NO LIFE.だね」
どっかで聞いたようなフレーズを自然と口にしていた。
「そんなにはまったならギターを弾いてみない?」
叔父から思いついたように口にした。
「ギター?」
「そうそう。音楽は聴くのもいいけれど、演奏するのも楽しいよ」
そういって少しの間、場を抜け出した。戻ってきたときには、古びたアコスティックギターを手に持っていた。
「僕が昔使っていたものだよ。よかったから貸そうか?」
僕は手にとってジャンジャンと弾いてみた。音の波が全身に広まっていく心地を感じた。
「うん。貸して」
叔父の気が変わらないうちにと即答した。改めて手にしたギターをしげしげと目にしていた。
「葉兄。頑張ってね。今度聴かせてね」
琴子の朗らかな笑顔を見た。それに対して僕はぎこちなく笑い返した。
その日から時間があればかき鳴らし、きれいな音色を出せれるよう目指した。ギター教本を片っ端から読んでみた。YouTubeのギタープレイを真似してみた。気に入ったフレーズはどんどん弾いてみた。もうギターリストを気取っていた。
好きこそ物の上手なれ。昔の人はうまい言葉を考えたものだ。気づけばギターは僕の生活の一部になった。他のことよりも格段に時間をかけただけあって、次第に様になって来た。
ある日、僕は近所の河原でギターの練習をしていた。外で演奏したい気持ち半分、地域の人に見せびらかしたい気持ち半分だった。
レミオロメンの茜空を弾いていたら目の前に人が立っているのに気づいた。その人を見てみたら、ショートカットの女の子だった。
「やめちゃうんだ。もっと聴かせてよ」
慌てて続きを奏でた。ちょうど今日みたいな春風を思い浮かべつつ演奏した。
「君うまいね。五中の生徒だよね?」
「そうだけれど」
誰だっけ? 違うクラスの子だよね。
「ああ。あたしは二組だから絡みないよね」
たはは、と笑った後、
「ねえ。あたしたちとバンド組まない?」
人生で初めてスカウトされて、内心ビクビクしていた。
南。それが彼女の名前だった。タッチみたいだなと最初思ったが、本当に浅倉南から取られたらしい。
「清純な子に育って欲しいだって。なんかもう。ね」
たはは、と乾いた笑い声をあげていた。地元の仲間と音楽をやろうとしていたが、肝心のギターが見つからなかったとのこと。そこで偶然見つけた僕に白羽の矢が当たった。
すぐに僕は他の人たちと顔合わせをした。なんとなく気が合ったから、即決でメンバーにいれてもらった。
その日から有名バンドのカバーを練習し始めた。それまでば自分で弾くだけだったけれど、誰かと合わす楽しさも覚え始めた。それぞれの音楽が上手くはまった時の爽快感は格別だった。もうすぐに僕はバンド活動にのめり込んでいった。
「へえ。叔父さんがギターから借りたギターなんだ。どうりで良さげなものを使っているわけだ」
「そうそう。ここまでハマるとは思わなかったよ。いつか借りを返さなきゃ」
南と二人で下校をしているときに、ギターを始めたきっかけを話していた。自分が女子と仲良くしているのを内心感慨深く思っていた。
「あ、葉介。マンガ買いたいからツタヤ寄らせて」
南のお願いにより立ち寄った。小さい頃はそれなりに読んでいたから少し懐かしく思っていた。暇つぶしに平積みされた本を眺めていた。今はやりの作家で埋め尽くされた。
奥の方にはCDの棚があった。なんでもあるなと思いつつ、僕はそっちの方にも近づいた。レンタルコーナーとは違った品揃えをしている印象を受けた。ふと、レミオロメンのアルバムを見つけたので、何気なく手に取ってみた。
「あ。懐かしい。一リットルの涙でよく聞いたわ」
いつの間にか買い物を終えた南が隣に立っていた。
「カラオケでよく歌ったな。あたし一番好きかも」
好きな音楽を共有できる感覚にくすぐったさを抱いていた。その時にふと手軽に借りを返す方法が思い浮かんだ。手にとったCDをそのままレジに運び、プレゼント包装してもらった。
とある秋の夜。叔父・叔母の家に親戚一同は集まった。
「ハッピーバースデー。琴子ちゃん」
各々が持っているグラスをぶつけた。そしてまた大人たちは顔が赤くなり始めていた。今日も夜は長くなりそうだ。
「琴子ちゃんはいくつになるの?」
「九才!」
はつらつとした声で答えていた。すっかり彼女は親戚たちのアイドルの座を確立していた。クリクリした目をして豊かな表情で話す姿は、僕にはないとよく感じる。
「は~い。それじゅあ~。プレゼントタイム始めま~す」
呂律が回っていない叔母の音頭で、それぞれが用意したプレゼントを出し始めた。
もらうたびには「わあ」とか「きゃあ」とかいっていて、みんなの期待通りの反応をしていた。一通り渡しきった後、僕はこの前買ったレミオロメンのCDを取り出し、
「琴子ちゃん。お誕生日おめでとう」
両手で持って贈った。僕からもらうことをイメージしていなかったのだろう。一瞬きょとんとした後、ひまわりの様な笑顔を見せた。
「葉兄ありがとう! じっくり聴かせてもらうね!」
若干の居心地の悪さを感じてそわそわしている中、従妹は近くのソファに座ってCDプレイヤーにかけ始めた。母が、
「ようやくお兄ちゃんらしくなったわねえ。えらいえらい」
と、茶化してきて。別に。叔父さんにギターの借りを返しただけだし。顔が赤くなりつつ、そっぽを向いた。
ふと琴子を見ると、真剣な表情をしてメロディーに浸っていた。茶化されたことや居心地の悪さは忘れて、かすかな嬉しさを心の中に抱いていた。
高校生になった。バンドのメンバーはそれぞれ別の学校にいって離れ離れになった。最初はバンド続けようかと話していたけれど、新しい環境に慣れると結局疎遠になった。中学生の時はあんなに毎日会っていたから、一抹の寂しさを覚えた。
日の光が溢れる音楽室で僕は新しいメンバーと音合わせをしていた。半分は高校生から始めたから、楽器になれるために四苦八苦という感じだ。
「お。今のよかったよね。この調子でがんばろ」
ショートカットで整った顔立ちのボーカルがみんなに笑いかけた。練習で少し疲れた空気が爽やかになった。南とは高校も一緒になった。新しい友人を作るのが苦手だから、彼女と一緒に通えるのはありがたかった。
「じゃあ。もう一度あたまからやろうか」
そういってスピッツのチェリーを僕たちは弾き始めた。
なんとなはなくたまに昼飯を食べたり、一緒に帰ったりはする様になった。クラスの友人からは冷やかされるけれど、そんな関係ではない。
「あたし、サッカー部の中野くんと付き合ってんだけれど」
飲みかけていたお茶を危うく吹き出しそうになった。いきなりの発言でびっくりした。動揺しないよう努め、
「へ、へえ。そうなんだ」
と、相槌を打ったが、
「たはは。なにあんたがテンパってんのよ」
あっさり見抜かれた。
「この前の放課後告白で告白されたんだ。特に悪い印象持っていなかったし。それでこの前映画に行ってね」
こっちの傷心は気にせず話しを続けていた。
「いやあ。彼氏の勧めで見たんだけれど、めちゃくちゃ面白くて。価値観広がった気がするよ」
ざっくらばんに話してくれるだけでもよしとしよう。うんそうしよう。
目の前にバチバチと火が燃え上がっている。煙はどんどん高く登り月に向かって伸びていくようだ。
「どんどん燃えろー。ガソリン投入ー」
持っている酒をキャンプファイヤーにかけて行った。叔父と父は冷たい目で見つつ、
「バッキャロー。酒が勿体無い」
と、つぶやいて、さらに酒をあおった。僕と琴子は少し離れたところで眺めていた。最初はバックグラウンドミュージックを演奏していたが、酔っ払った人たちには無駄だと思い横に置いた。
「私は大人になってもお酒飲まない様にしよう」
「僕もあんな大人にはなりたくないな」
「それじゃ葉兄。約束だね」
「うん。約束だ」
(注:数年後二人して約束を破ります)
しばらくぼおっとしてたけれど、若干沈黙に耐えられなった。
「琴子ちゃんは今度中学生になるんだっけ?」
「そう。緑山中学にいま通っているんだ」
たしか頭いいところで有名なところだっけ。落ち着いたイメージがあるな。
「へえ。すごいね」
照れ隠しにはにかんだ。その表情は少し成長した従妹に似合っていた。
「それで軽音部と合唱部をかけもちしている」
その話に僕は食いついた。
「えっ。そうなの? パートは何? 何やっているの? どう? 大変?」
矢継ぎ早に質問している僕に苦笑いを浮かべながら、
「ヴォーカルをやっているの。曲はみんなが知っている曲をカバーしていて。レミオロメンとか」
「おお。僕たちと同じじゃん」
昔から苦手意識を持っていた彼女に対して初めて親近感を抱いた。調子に乗って、
「それじゃ、せっかくだからセッションしてみようか」
「ええ。恥ずかしいよ」
目の前で手をひらひらしてやんわり断った。僕はやんわりと無視して二人とも知っているイントロを弾き始めた。諦めたのか実はこういうノリが好きなのか、彼女は自然と歌い始めた。やっぱり『3月9日』は知っていた。
透き通る様な綺麗な声だった。清涼感あふれる雰囲気にあっている歌声だった。ギターを弾いている方も自然と優しい気持ちになってきた。いいヴォーカルだ。
親戚たちは僕たちの方を温かい目で見ていた。叔母が母に小声で話しかけていた。
「やっと二人は打ち解けたね」
僕も同じ気持ちだった。晴れやかに笑いながら歌っている彼女も、たぶん同じ気持ちの様な気がする。
校舎は色とりどりの看板や飾り付けで彩られている。変な着ぐるみや衣装をまとった生徒たちが歩き回っている。ブラスバンドのにぎやかな演奏が響いている。今日は文化祭。学校中お祭り気分があふれていた。
僕たちも軽音部員らしく、校内ライブに向けての準備をしていた。万全に整えられなければいけないはずだが、妙に雲行きが怪しかった。
「うぅ」
「あぁ」
「おぉ」
それぞれが体調の悪さを言外にアピールしていた。曰く夜はしゃぎすぎて眠れなかった。曰く布団かけ忘れて寝て風邪ひいた。曰く変なもの食べて腹壊した。
「体調管理できてなさすぎじゃん」
頭を抱えつつ嘆息した。
「こんな状況でライブできるの?」
疑いつつ声をかけると、
「だいじょうぶ……」
「おーるおーけ……」
「まかせろ……」
不安しか感じない声が返ってきた。もうどうしようもないので僕たちは準備室の方に歩き始めた。
悪い予感にかぎって当たるような気がする。僕以外のメンバーは体調不良で演奏できずにいる。せっかくの文化祭なのにこれは中止かな。陰鬱とした気分で廊下を歩いていると、
「あ。葉兄だ」
琴子が僕に向かって駆け寄ってきた。最初は朗らかな笑みを浮かべていたが、すぐに怪訝な顔に切り替わった。
「どうしたの?」
「実はバンドのメンバーがダウンして」
文化祭でライブやるから来てと調子に乗った手前バツが悪かった。とはいえどうしようもない気持ちが強かった。ギターの弾き語りでやるにしても、僕はそんなに歌が上手くないし。ヴォーカルを他から借りるにしてももう時間がないし。
ふと一つのアイディアが浮かんだ。僕は引きつった笑いを浮かべつつ、
「ねえ琴子ちゃん。ちょっとだけアルバイトしない?」
きょとんとした顔の従妹がそこにはいた。
ステージにはスポットライトがたくさん当たっていた。文化祭の熱気もこっちまで来ていた。
琴子は硬い顔をしていた。なんでこんなことにと内心思っているかも。なんせ短い時間で互いが知っている曲をあわせただけだから、こっちもビクビクしていた。演奏の始める前にアイコンタクトをした。先方も覚悟を決めたのか頷き返した。
僕はゆったりとしたアルペジオをできるだけ丁寧に弾き始めた。イントロを聴いて生徒たちもざわつき始めた。『3月9日』はやっぱり人気だ。
琴子が歌い始めるとぴんとした雰囲気が伝わってきた。オーディエンスの背筋が気持ち伸びているような気がする。こっちも普段以上に丁寧に弦を弾いていた。
緊張感はいつも以上にある。同時に楽しさはいつも以上にあった。僕のギターと彼女の声のハーモニーが温かい感情を出していた。
間奏に入ったから、聴衆は一斉に僕の方へ視線を向けた。いつもこの瞬間は気が引き締まる。ふと隣を見ると琴子も朗らかに笑みを浮かべていた。『がんばって』と言っているかのように。
間奏をしっかりと弾き終え、ラストに向かって二人で盛り上げてきた。最後のパートは
調子に乗って僕も声を出した。
音を楽しむ。そのとき僕はこの言葉を強く感じた。同じ気持ちを一部でも彼女にもあると嬉しく思う。観客からの拍手を浴びながら従妹の横顔を眺めていた。
西の空が徐々に暗くなっていき、少し冷えた風が吹いていた。僕らは火照った体を涼ませるため、グラウンドでぼんやりしていた。
「あっという間だったね」
「そうだね」
赤とんぼが数匹僕たちの前を飛んでいった。琴子はぼんやりと前を見ていた。僕はさっき買ってきたジュースの缶を彼女のほっぺたにくっつけた。
「冷たい!」
そう言って僕をキッとにらみつけた。予想通りの反応をしてくれたので内心ニヤニヤしつつ、
「ごめんごめん。これバイト代」
そういって持っていたジュースを渡した。
「葉介。ありがとう」
そう言って従妹はごくごくと飲んだ。顔からはおいしいという雰囲気が伝わってくる。この子の顔を見るとドキドキしてしまう。気分を紛らわせるように、
「琴子。僕東京の大学を受けようと思う」
一瞬、びっくりした表情が隣から見えたけれど、すぐにいつもの表情に戻って、
「そうなんだ。さみしくなるね」
「うん。もし受験がうまくいったら東京へ遊びに来てね」
その後、僕たちはまた押し黙った。胸の動悸を悟られないように、僕は何も言わず秋風に吹かれていた。
ぎっとりとした暑さがした。アスファルトのモワッとした熱が街中に漂っていた。昼間の忙しさでクラクションが鳴り響いていた。
僕は午後からの講義に間に合うように、ゆったりと御茶ノ水を歩いていた。神田川は今日も汚い色をたたえていた。かぐや姫が歌った川だとはとても想像できなかった。避暑を兼ねて僕は大通り沿いのCDショップに入った。
店に入ったら適当にアルバムを見回した。
特に買う気はなかったけれど、種類豊富なジャケットを見ているだけで気晴らしにはなった。
すると、トントンと肩を叩かれた。反射的に後ろを振り返ると、誰かの指がほっぺたに当たる感触がした。
「二限サボって来て見たら。休んだ気がしないわね」
南が後ろに立っていた。大学に入ってから少し髪が伸びた気がした。
大学の講義が終わった後、僕と南は近場の居酒屋に入った。店内はサラリーマンと学生で賑わっていた。
「じゃあ、とりあえずおつかれー」
二人でビールをぐびっと飲んだ。あんなに親戚を冷たい目で見ていたのに、あっさり飲むようになったとは。
「てかさー、この前彼氏と別れたんだけどさ」
「あの。その人って何人目だっけ?」
「三人目。細かいことはどうでもいいでしょ」
「いや。意外と君って遊び方激しいよね」
そうして南の愚痴がマシンガンのように飛んできた。いちいち連絡が細かい、家デートばかり、誰と会ったかすぐ聞くなどソクバッキーな人のようだ。御愁傷様と聞き流していると、
「そうだ。葉介、あんた夏休みは帰省する?」
もうそんな季節か。サークルに明け暮れていてすっかり忘れていた。
「うん。盆あたりに顔を出そうとしている」
東京の雑踏に慣れていると田舎の方が恋しくなる。ドラマや漫画でありふれていたテーマが最近身に染みるようになって来た。そういえばそろそろ琴子の誕生日ということを思い出し、自然と帰る算段を立てていた。
もう何度目かになる琴子の家にて。
「それじゃ、琴子ちゃん。お誕生日おめでとう」
そう言って親戚一同グラスをぶつけ合った。毎年変わらぬ光景だが、最近になって僕も輪に入るようになって来た。
「お、葉介。空いてんじゃん。もっと飲もうぜ」
そう言って叔母が大笑いしていた。端の方で従妹が冷たい目で見ていた。
「サークルとかは何やっているの?」
「一応軽音サークルを」
「長いねー。ギターを貸したかいがあったわね」
といって、叔母は叔父の肩をバシンと叩いた。
「ええ。中学校の時に借りてから、かなり人生変わりました。その節はお世話になりました」
「なにいっちょまえの口を聞いてんのよ」
そういって僕の方もバシンバシンと叩いた。ちょっと痛い。
「は~い。それじゅあ~。プレゼントタイム始めま~す」
呂律が回っていない叔母の音頭で、それぞれが用意したプレゼントを出し始めた。
毎年恒例になったイベントなので周りの動きも素早かった。
「ありがとうございます。これ欲しかったんですよ」
従妹はもらうたびに嬉しそうな顔と丁寧なお礼をしていた。僕自身はだんだんと素直さが足りなくなっていると感じているから、余計見習わなきゃと思い見ていた。
「それじゃ、僕はこれらを」
そう言ってラッピングされた箱を渡した。
「わー。ありがとう。あ、かわいい」
手にクマのぬいぐるみを抱きしめながら言った。ぬいぐるみは王道だよね。
「あ。ミスチルだ。よくこのアルバム聴くんだ」
彼女の手には最近流行りの小説を持っていた。ふと隣にいた叔母が言った。
「いつもありがとうね。葉介がCDくれた時から、この子音楽にぞっこんなのよ」
僕のおかげで。ちょっとくすぐったい気持ちが回って来た。
「そうだ葉介。大学はどう?」
「ゆるくていいね。もう毎日授業を受けなくて楽だよ」
それを娘に伝えるなよと叔母からジト目で見られた。僕は華麗に気づかないふりをした。
「ふふ。楽しそうだな」
にこやかに笑った後、口にした。
「今度東京に遊びに行くから案内してね」
キャンパスの食堂にて。僕はラーメンをすすりながら、向かいにいる南に聞いた。
「上京してから行った街でどこが楽しかった?」
「ん?」
同じくラーメンをすすっていた南が怪訝そうな顔をした。
「突然なに?」
「いや。今度親戚の子が遊びに来るからどっか案内しようかなと思って」
「その子って女の子?」
「う、うん。まあ。五歳年下の従妹なんだ」
「へえ」
少し考える様子を見せた後、
「うーん。渋谷や原宿とかかな。あとはお台場とか」
「ふーん」
きゃぴきゃぴ系のところか。南の好きそうなところだな。だけど琴子だとどうかな。
「ま。あたしの感覚だから参考になるかわからないけれどね」
「だよね」
「その子はどんな子?」
「おとなしめの子かな」
「かわいい?」
「……。少し」
「たはは。おしとやかな清楚系ね」
ニヤニヤしながら答えた。そろそろ茶化される頃だと感じたので、
「どうもありがとう。ちょっと考えてみるよ」
話を急いで打ち切ろうとしたら、
「鎌倉はどう?」
「鎌倉?」
「寺とかがあったり、海を見れたり。こっちに来たら行ってみたいと思ってたな。清楚系だったら、こういうところが面白いと思うよ」
確かに鎌倉だったら琴子楽しんでくれそうだな。そこにしよう。
「ありがとう。やっぱり女子の意見は頼りになるよ」
そう言って席を立とうとしたら、
「葉介。従妹とは結婚できるよ。せいぜい頑張んな」
後ろから来るセリフは聞こえなかったふりをした。
鎌倉駅に着いたら、爽快な青空がどこまでも広がっていた。
「わあ。晴れてよかったね」
従妹はクリーム色のワンピースに水色のカーディガンを羽織っており、今日の天気にぴったりな装いをしていた。
「そだねー」
僕はなるべく声の調子が上擦らないように、細心の注意を払った。
「それじゃ。遊びに行こうか」
「うん」
向こうからははっきりとした声が返って来た。
「まずはこっちへ」
自然な形で江ノ電の駅へと案内した。いかにも慣れたようにスムーズに心がけた。
「結構いい眺めだね」
琴子は周りの風景を見つつ呟いた。江ノ電の素朴な駅舎と車体は、どこか懐かしい印象を与えてくれた。
僕たちは長谷寺に行った。中は古い寺らしく、静謐な雰囲気が漂っていた。僕たちは鬱蒼とした茂った参道を歩いていった。道端にホタルブクロが咲いていて、かすかな彩りを境内に与えていた。
「梅雨の時期だったらなあ。ここはあじさいがきれいなんだよ」
思わず口に出すと、
「全然いいよ。こうして連れて来てくれるだけで十分だよ」
すごい気を遣ってくれたセリフに思わず苦笑した。
「そうだね。せっかくだから楽しもうか」
「うん。それにまた行けばいいし」
えへへといたずらっぽく笑った。またドキッとしたけれど、
「うん。また行こう」
平常心を保ったままなんとか答えた。
「あ。この子たち可愛い!」
脇を見ると三体のお地蔵様がいた。彼らは目が垂れて、微笑ましい顔をしていた。そばの看板には『良縁地蔵』と書かれていた。僕はつい琴子の方に目を向けてしまった。彼女は僕に気づかずお地蔵様の写真を取っていた。
この日はとことん遊んだ。鶴岡八幡宮、江ノ島、由比ヶ浜。有名なスポットはどんどん行こうと、ハイペースに移動していた。
途中琴子の勧めでカフェなんかに入ったりもした。普段おしゃれな場所にはいかないから、ついキョロキョロしてしまった。従妹はそんな僕を見てクスクスと笑っていた。
帰る頃にはもうクタクタになっていた。上り方面の電車で僕たちはバタンキューとなっていた。
「今日は疲れたね」
琴子はぐったりしながらも、充実感あふれる表情で口にした。
「そだね」
僕も足の熱さと心の温かさを感じながら、返した。
「葉介。ありがとう」
彼女がよく口にする言葉を聞きながら、
「こちらこそ、ありがとう」
僕も彼女を見習って、今日一日の気持ちを込めた。
「不思議な気分だよ。あの冷たい葉兄がこんなに遊んでくれるだなんて」
「はは。その節はご迷惑をおかけしました」
苦笑しつつ答えた。
「ねえ」
隣の従妹に顔を向けた。何かを逡巡しているように見えた。
「どうしたの?」
「……」
やっぱり何かを迷っているように見えた。目を足元で揺らしていた。と、心持ち短く息を吸って口にした。
「葉介って好きな人いるの?」
電車からガタゴトという音が聞こえた。人のざわめき声が急に耳に入ってくるようになった。
「……。いるよ」
琴子は気持ち目を開いた。僕は「とある人」の顔が思い浮かんだ。その人について話そうとした。ただ、どことなくためらいを覚えた。その人について口にしてはダメだと。だから、二番目に思い浮かんだ人について話した。
「中学校からの同級生でね。一緒にバンド活動をやって来たんだ」
彼女の目が大きく開いた。
「明るい子でね。話していて楽しいんだ」
「へえ。そうなんだ。……。そうなんだ」
いつもと同じような調子で口にした。どことなく平常心を保つように聞こえた。
「その人は葉介のことをどう思っているの?」
「どうも思ってないんじゃないかな。いつも彼氏の話をしてくるし」
「そっか。大変だね」
一呼吸置いた後、
「大丈夫だよ。いつか葉介のよさをわかってくれる人が現れるよ。私が保証する」
笑顔のまま、胸をグウでドンと叩いた。
「ありがとう」
窓を見ると家々の灯りが素早く過ぎて行った。彼女は隣で普段のことについて口にしていた。僕は従妹と話しながら心の中で口にしていた。これでよかったんだ。これでよかったんだ。
みんなと御茶ノ水のスタジオでセッションしていた。
昨日の彼女の表情を思い出すと、暖かい気持ちと重い気持ちが入り混じってくる。心がかき乱れていて、さっきからミスタッチばかりしている。
やばいなこれ。そう思って焦っていると、
「それじゃ、今日はこれくらいにしましょうよ」
後輩の真田君がみんなに向かって言った。今日は暑い日で全体的にだれていたから、誰も異論はなかった。各々雑談を始める中僕は淡々と荷物をまとめて、
「ごめん。今日は先に上がるよ」
そそくさとスタジオを出た。キャンパス内では部活やサークルを楽しんでいる人たちが大勢いた。僕は彼らを横目にてくてく歩いていた。ブルーな気分を抱いていると、
「葉介さん」
振り向くと真田君がいた。
「この後って暇ですか?」
「いや。特に何もないけれど」
後輩は白い歯をニッと見せて、
「この後飲みに行きませんか?」
近場の飲み屋に入って生ビールを二つ頼んだ。
「それじゃ、かんぱい」
「かんぱい」
真田君とグラスをぶつけた。
「くう、バンドの後はやっぱりこれですね」
「そうだね」
正直気が乗っていなかったが、いつものようにビールは美味しく感じた。不思議なものだ。
「葉介さん、今日疲れているように見えましたが大丈夫ですか?」
やっぱり気づかれていた。僕より年下なのにしっかりしているなあ。
「ちょっとバテたかもね。暑いから」
彼はしっくりきていないみたいだが、
「だから冷えたビールはいいよね。身体に水分が行き渡る感覚だよ」
「はは。酒を飲むと脱水症状になるみたいですけれどね」
後輩は笑って言った。そうやってかたい雰囲気だった席はほぐれて来た。
「そういえば葉介さんって結婚式に行かれたことってあります?」
「全然ないなあ。テレビで見るぐらい。真田君は?」
「僕はこの前行ったんですよ。五歳上の従姉の式に」
イトコという音を聞いて、心に線がぴっと張られたような気がした。もやもやを紛らわすために少し多めにアルコールを入れた。
「あれっていいですね。もうあの雰囲気泣いちゃいますよ。あの優しいお姉ちゃんがって」
照れながら口にしていた。琴子がウェディングドレスを着ている姿を想像した。その隣に誰がいるのか、あえて思い浮かべないようにした。
「へえ。じゃあ、昔好きだったりしたとか」
酒の酔いでついナイーブなことを聞いてしまった。しまったと思ったけれど、
「ああ。やっぱりわかっちゃいますか」
一呼吸置いて、
「結構好きでしたね。高校生くらいのときまで」
つい彼の顔をまじまじと見てしまった。
「お互い一人っ子で兄弟・姉妹がいない中、従姉はよく僕と遊んでくれて。冗談めかして将来は一緒に結婚しようっていったこともありましたね」
どこか懐かしそうな顔で微笑んでいた。これでこの話は終わりにしようと思ったのに、
「真田君は」
後輩は僕の顔をじっと見た。
「その。従姉の人と付き合いたいなとか、結婚したいなとか。大人になってからは思わなかったの?」
今日は余計なことを聞いちゃうなあ。飲み過ぎてしまったかな。軽く自己嫌悪に陥っていると、
「もちろん。何度も何度も思いましたよ」
今度は少し寂しそうに笑った。
「ただ、もし恋愛関係になってしまうと、イトコという距離感が壊れてしまう気がして。何かあったら姉さんが一人になってしまうんじゃないかと思いました」
一人になってしまう?
「変な話、彼氏彼女とか夫婦とか突然壊れることがあるじゃないですか。近づきすぎるからこそ、反発が大きくなってしまうていうか。もし僕があの人と結婚したのに、離婚してしまったら。姉さんを一人にさせてしまうんじゃないかって思って。それならいっそずっとイトコのままでいて、適度な距離感を築いていけたらいいなと思って」
いつの間にか日本酒を頼んでおり、後輩はぐびっと飲んだ。
「君は大人だね」
琴子のことについて考えたことが僕には全然なかった。
「なんて。本当は姉さんに好かれる自信がなかったのかも知れませんね」
「それでもだよ」
僕は席を立ち、居酒屋の外に出た。携帯電話から従妹の番号にかけた。すぐに出たので、
「あ、琴子ちゃん。まだ東京にいる? 今度さあ……」
そうして、また会う約束をした。今度は一人知り合いを連れてくると添えて。夜になると冷えた風が吹いていた。少しは僕の戸惑いを飛ばしてくれたようだった。
灰色の空からハラハラと雪が降ってきた。僕は就職活動の時に購入したコートを深く着込み、寒さをしのいでいた。周りの景色はどこか地元を思い起こさせる、殺風景な土地が広がっていた。
メーカーに入ってからいろんな地域に行ったが、こういうところに行くと帰郷したくなる。列車が来るまで時間はあるから、駅前の喫煙スペースでタバコを吸っていた。何度も吸っても不味さしか感じないが、癖になってやめられなくなっていた。親戚たちは僕を見てどう思うだろうか。
ふとカレンダーを目にすると十一月の終わりを指していた。今年はクリスマス前から一気に連休を取れると聞き、使い道を考えていた。こっちにいてもやることないから実家に帰るか。少しセンチメンタルな気分に浸っていたから即決し、すぐに母親に連絡を送った。
さて行こうか、と思ったら母からすぐに返信が来た。
『オッケー。待ってるわよー。そうそう、琴子ちゃんが大学に受かったからなんか買っときなさいね』
職場ではカタカタとした音が響いていた。奥のスペースではミーティングの声が鳴り響き、活発な印象が出ていた。
会社勤めをするようになり、最初はこの雰囲気に慣れなかったが、徐々に動き方がわかってきた。
トゥルルー。電話の音が鳴り始めた。僕は素早く取って企業名を名乗った。今の自分は戦力として一番下だからできることからやっていこうの心算だが。
「東都電気の田中ですが」
うげ。聞きたくない声が。
「えっと。葉介くんだよね?」
違いますと言ってみようかしら。ダメだよね。
「はい。そうですが」
何もない何もない。早く切って。
「ちょっと聞きたいんだけれど」
あー。出たこのパターン。ニシヘヒガシヘ聞き回らないといけないやつだ。心の中で嘆息しつつ、パソコンの画面でぽちぽちメモった。
電話を切ったら、これからやらなければ行けないことを頭の中で整理した。
「また田中さんからの問い合わせ?」
と、先輩が声をかけてきた。今日も姉御肌な雰囲気を出してきている。
「ええ。まためんどくさいもので」
「ふふ。そういうのは後々君の助けになるものよ。気分転換にご飯行かない?」
時計を見るともう十二時を回っていた。周囲も寝る人、ゲームする人、弁当食べている人。完全に休憩の雰囲気になっていた。
「ではお伴します」
そうして僕たちはオフィス街に繰り出した。
いつものカレー屋は会社員の方々で賑わっていた。僕たちは日替わりランチを頼んで、カレーが来るのを待っていた。
「そういえば先輩、プレゼントって何をもらったら嬉しいですか?」
「え? 何かくれるの?」
「いえいえいえ。違います」
僕はつい慌てて手を左右に振った。
「ふふ。冗談よ」
先輩は茶目っ気に笑って見せた。
「従妹が今度大学に入るのでそのお祝いに」
「あら。いいお兄ちゃんね」
いいお兄ちゃん、か。
「そうねえ」
数秒間黙考された後、
「ロクシタンのハンドクリームとか嬉しいかな。あとはクッキーやチョコレートとか。あとはキャッシュ!」
「あはは。そうなりますよね。キャッシュはちょっと」
「あはは。味気ないわよねえ」
そうこうしている間にカレーがきた。会話をそこそこに食べ始めた。ヒリヒリとした刺激が舌にまとわりついた。
「相変わらず辛いわね」
「そうですね」
僕たちは若干汗をかきながら、一心不乱にカレーをかきこんだ。これは明日お腹壊すだろうな。
外を出ると涼やかな風が身体の熱を飛ばしてくれた。僕はどこか開放感を味わった。
「ここって辛いけれどおいしい。おいしいけれど辛いわね」
「そうですね。明日午前休とるかもしれません」
「今ここで言うな!」
軽く頭を小突かれた。
「そういえばティファニーいいかもね。従妹ちゃんへのプレゼント」
「ティファニーですか。あのアクセサリーの」
僕でも知っているぐらいの有名なブランドだ。ただ、
「僕はまだそこまで給料は」
「あー。察しはつくから心配しないで」
つくんですかい。いや、まあ先輩も新人の頃があったから当たり前だけれど。
「ティファニーって高くていいものもあるけれど、リーズナブルで手頃な物も多いからオススメよ」
少し高いくらい値が張ってもいいか。うん、サプライズになるだろうし。そう心に決めると、
「そういえばあいつ元気かな」
先輩がふと懐かしむような目をしていた。
銀座にあるティファニー本店はどこか圧迫感を与えるような雰囲気があった。重厚感のある建物とTIFFANY & Co.の文字が僕をそわそわさせた。ここに本当に入るんだよな。
中はカップル、老夫婦、シングル男性と色々な人がいた。最初に入ったガラスケースに百万円の指輪が置いてあったが、怖いので見なかったことにした。てくてくと歩いていると、多種多様なアクセサリーが飾られていた。二重のリングでつながれたもの、涙のような形のもの、鍵状のもの。興味深く見ていると、
「何かお探しですか?」
と、声をかけられた。髪を後ろに束ねた実直そうな方だった。
「従妹へのプレゼントを探していて」
と、そのまま伝えた。餅は餅屋だ。力を貸してもらおう。
「プレゼント用のネックレスを探しておりまして」
「さようですか。その方の年齢を伺ってもよろしいでしょうか?」
「十八になります。今度大学に入学するのでお祝いにと思いまして」
「いいですね」
店員の方は穏やかな微笑みを浮かべた。
「それでしたらこちらのオープンハートのネクレスはいかがでしょうか? 若い方に人気のあるものになります」
可愛らしいハート型のネックレスだった。シンプルなデザインが彼女に似合うような気がした。
「ではこちらをいただきます」
「ありがとうございます。絶対喜ばれますよ」
「はは。だといいんですけれど」
「いいえ。絶対喜ばれます」
店員の方は力強くいっていた。その言葉に不思議な気分を持ちつつ、明るいブルーの箱に白いリボンがかけられるのを眺めていた。
もう何度この家に行っただろうか。すでに中からはガハハとした笑い声が聞こえている。
中に入ると、
「おっせえぞ~。葉介~」
「仕事が長引いてしまって。主役は遅れて来るものですよ」
「ばっきゃろ~。今日は娘が主役だ」
と、酔っ払い特有の会話を繰り広げた。助け舟を叔父が出してくれて、
「どう? 最近ギター弾いている?」
「時間を見つけて弾いてはいますが。学生時代までにはいかないですね」
「ええ。もったいない。文化祭のライブ楽しかったのに」
いつの間にか隣に琴子が座って会話に入っていた。髪は気持ち長めになっていて、ほんのり化粧をしていた。また少し綺麗になった気がする。
「は~い。それじゅあ~。プレゼントタイム始めま~す」
早くね。いや遅刻していた僕が悪いんだけれど。
「それじゃ、一番。パピー&マミー」
そういってプレゼントを渡した。そのあと、続々と親戚が従妹に贈答していった。その度に、
「ありがとうございます」
といって、頭を下げていた。もう何度その礼儀正しさを見ただろうか。諸先輩方が渡し終えた後、
「それじゃ、最若手いきまーす」
と宣言した。そう言ってカバンの奥からティファニーの袋を取り出した。
「わあ!」
琴子は目を輝かせながら呟いた。
「開けていい?」
「もちろん。君へのプレゼントなんだから」
彼女は白いリボンをするすると解いた。箱の中からネックレスを見てさらに目を丸くしていた。早速手にとって首につけてみた。
「似合うかな?」
「もちろん」
清涼感のある彼女の雰囲気にあっていた。はにかんだ顔を見て、このプレゼントを買ってよかったと思った。
「今日はみなさんありがとうございましした」
「いいってことよ」
叔母が茶々を入れていた。
「そんな私から報告があります」
「おー。なんだなんだ」
一呼吸置いてから、
「私に恋人ができました。時期をみて紹介します」
華金の居酒屋はガヤガヤと賑わっていた。店員さんたちは右往左往してアルコールやらおつまみやらを運んでいた。
白のブラウスにグレーのジャケットを着た女性がやって来た。
「南ちゃーん。こっちこっち」
僕は大きく手を振って友人を呼んだ。彼女は僕を見て顔をしかめた。
「あんた。もう飲んでいるの」
「いいじゃな~い。店員さん待たせるのも悪いし~。あ、お姉さん。生ビールください」
素早くジョッキとお通しが南の前に置かれた。
「それじゃ。君の瞳にかんぱーい」
「……」
相方は無言でグラスをぶつけた。僕は一気に傾けて酒を飲み干した。
「お姉さん。生もう一杯」
目の前の人は摂氏零度の視線を向けていた。僕は気にせず炭酸の液体を口にした。
「いやあ。酒はいいねえ。何もかもを洗い流してくれるよ」
南は深いため息をついた後、
「それで。どうしたの?」
「……。いやあ何? そんな深刻な顔しちゃって。お姉さん、ビールもう一杯」
そうして運ばれた酒を南は自分の方に引き寄せた。
「今日のあんた飲み過ぎよ。ゲロぶちまけるより愚痴ぶちまけてくれた方がよっぽどましよ」
私あたまがとてもいたいですという表情で口にしていた。
「いやあ。ここ最近とてもいいことが続いているよ。給料アップしたし、ロッキンの予定あるし、従妹に彼氏ができたし」
連れは「あー。そういうことね」という雰囲気を出し始めた。失礼な。
「その子って大学の時に一緒に鎌倉行った子だよね」
「よく覚えてるねえ。そうそう。僕のかわいいかわいい琴子ちゃん!」
「で。あんたはかわいい従妹を盗られて傷心中ってわけね」
「……。……。そんなことないよ~。そもそも親戚で付き合うとか結婚とか僕には考えられないし~」
本当に考えられない。なんかわからないけれど、彼女を好きになっちゃいけない。そういつも感じている。ビールを取り返してごくっと飲んだ。ざらついた苦さがまとわりついていた。
「まあ、いいや。多分あんたとこうして飲めるもこれが最後だから。今日は付き合ってあげるよ」
「え~。冷たいこというね~。どうして~」
まったくと呆れながら笑った後、
「あたし結婚することになったんだ。ご祝儀ちゃんとちょうだいね」
一気にダブルパンチの衝撃を食らった気分だった。
鏡の前の自分を見る。髪は整っているか。OK。ネクタイは曲がっていないか。OK。ポケットチーフはよれていないか。OK。最後にもう一度、身体全体を見る。よし。服装は乱れていない。スマホで時間を確認して控え室に向かった。今日は3月9日の土曜日。琴子の結婚式に当たる。
ホテルの廊下は綺麗に整えられている。落ち着いたクリーム色の通路を、緊張した面持ちで歩いた。途中新郎・新婦と思われる人たちとすれ違った。彼らは幸せそうな顔をしていた。
控え室の扉を二回叩いた。中から聞き覚えのある人の応答を聞いた。
部屋からは叔父さんと叔母さんが迎え入れてくれた。
「いらっしゃい」
「葉介。よく来てくれたね」
お二方とも穏やかに僕を迎え入れてくれた。かすかな白髪や小皺を見るにつけ、それ相応の月日が過ぎたことを思い起こされた。
「琴子も喜ぶよ」
そう行って奥の方へと連れて行ってくれた。そこには純白のウェディングドレスを着飾った女性がいた。
「あ。葉兄」
従妹はこっちに気がついた。
「来てくれてありがとう。嬉しいよ」
照れを交えながら礼の言葉を口にした。
「こちらこそ招待してくれてありがとう。琴子ちゃん。……。綺麗だよ」
「ありがとう。自分でもちょっとびっくり」
小さい時から知っていた人が大人になり、時の早さを感じていた。
天気は快晴。横須賀線の中は多くの人で賑わっていた。梅雨に入ってから雨天が続いていたため、遊びに出かけたくなったのだろう。
「葉兄、古い家が見えて来たね」
僕と琴子も行楽気分を味わいつつ、窓の外を眺めた。
数日前に来た電話は、久しぶりに二人で遊びにいこうという内容だった。真田君が気にするんじゃないかと言ったら、本人は大丈夫とのこと。
それならば僕も異存はないと引き受けた。久しぶりの遊びに楽しみ半分、突然のお願いに戸惑い半分という塩梅だった。
「次で大船か。目的地まで後少しだね」
「うん」
従妹が指定して来たのは鎌倉だった。昔楽しかったからまた次もとのことで、とんとん拍子で決まっていた。
長谷寺の雰囲気は相変わらずだった。深い緑に富んで、情緒的な雰囲気を醸し出していた。
僕たちは参道を登っていた。途中で、
「あ、君たち。ひさしぶりー」
従妹はカメラを取り出して、ニコニコ笑っている地蔵の写真を撮った。『良縁地蔵』って名前だっけ。
今の僕たちには似合わないなとひとりごちていると、
「ほら。行くよ」
と、促された。
僕たちは境内の階段を上っていった。そして、長谷寺見所のあじさい路に入った。
「うわー。きれいだね」
同感。本当にきれいだ。青・紫・ピンク。色鮮やかな光景が広がっていた。
「葉兄が言ってた通りだね。梅雨の時期に来るのがいいね」
「あー。そんなこと言ったかも」
「うん。また二人で来れて嬉しいよ」
ふふっと軽く笑った。前よりも大人びた表情に少し鼓動が早くなる。
「ねえ。葉介」
「うん?」
「私結婚するんだ」
温かい気持ちとヒヤっとした気持ちが入り混じることは、たぶんこれっきりだろう。
「そうか。おめでとう。先越されちゃったな」
「葉介には良い人が絶対に見つかるよ。私が保証する」
まっすぐこっちを見て口にした。この子が従妹じゃなければいいのにと思ってしまった。
「それで、葉介に一つお願いがあるんだ」
「うん。僕でできることなら」
「ギターを弾いて欲しいんだ。たぶん今でも続けているよね?」
「もちろん」
仕事終わりとか休日とかで弾いていた。あの頃の習慣が今でも生きている。
「よかった。じゃあ、私とセッションしてね?」
「わかった」
「うん。ありがとう」
セッションか。高校の体育館の演奏もだいぶ昔のような気がする。
「それじゃ、よろしく」
足元には良縁地蔵が控えていた。彼らの表情が『頑張って!』と言っているように見えた。
チャペルの中は眩い白色に染められていた。初めて式に参加するから、興味深く見渡していた。
「琴子ちゃんもついに結婚するのね」
隣に座っている母はしみじみ言った。
「ちょっと前まであんなに小さかったのにねえ」
本当に。僕にべったりしてた彼女がいつの間にか大人になって。
「あんたって子どもの頃とても冷たかったんだから」
知っている。最近は何度もあの頃もう少し優しくできたのではと思っていたから。
「それでも、いつの間にか良いお兄ちゃんになれたわよね」
「正直実感わかないな」
いったい良いお兄ちゃんとは何なんだろう。僕は琴子の人生の糧になれたのか自信がなかった。
「うじうじ考えていないので胸張りなさい」
軽く肘打ちされた。
そうこう話しているうちに式は始まった。
最初に真田君が入場して来た。長身の彼が白のスーツをビシッと決めて、すごく似合っていた。
「結構良い男じゃない?」
「そうだね」
母上のお眼鏡にも叶ったらしい。彼はこの晴れ舞台に若干緊張しているようだ。十字架の前まで一歩一歩踏みしめて歩いていた。
新郎が入場したので、続いて新婦入場。琴子が叔父さんと腕を組んで歩いて来た。教会にはパイプオルガンのメロディーが流れていた。純白のドレスを着た従妹がゆっくり歩いていた。今日の彼女は今までで一番美しい顔をしていた。
二人はそろって牧師さんと向かい合った。そしてあまりにも有名な問いかけを始めた。
「汝はこの男を夫とし、良き時も悪きときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、夫を想い、夫のみに沿うことを、誓いますか?」
琴子は厳粛な顔をして、
「はい。誓います」
と、答えた。これで彼女は一歩別の世界の人になったような感覚を覚えた。
「それでは誓いのキスをお願いします」
牧師が穏やかな声で口にした。二人は一歩違いに近づいた。お互いの顔をゆっくり接近させた。
僕はその瞬間を見ないように目をそらした。
挙式・披露宴とは打って変わって、二次会はドンチャン騒ぎとなっていた。歓談が飛び交う中で僕はギターを取り出した。弦の音が最終確認をした。マイクを手に持った琴子は若干緊張している面持ちだった。
「久しぶりだね。この感覚」
高校の時の文化祭以来か。
「あの時、いきなり言われて大変だったんだから」
困ったような、それでいて楽しそうな笑みを浮かべていた。
「それでも、いろいろと歌って来たけれど、あの時が一番楽しかったな」
一夜の浮つきがあった独特の空気。僕も印象深い日だった。
「だから、今日も楽しもうね」
彼女っぽい丁寧な笑顔を見せていた。従妹は客席の方を見て、
「今日はみなさま集まっていただき、ありがとうございました」
二次会らしく、あちこちから茶々が入って来た。主役は苦笑いしつつ、
「そんな私からみなさまにささやかなお返しをしたく思います」
おーっという歓声があがった。ノリがいい人たちが多いな。
「私の思い出の曲です。聞いてください。『3月9日』」
そして僕は学生の頃、何度も聞いたアルペジオを弾いた。一斉に周囲は清聴モードに入った。
ーー流れる季節の真ん中で
ーーふと日の長さを感じます
彼女の透明感あふれる声が会場に響き渡った。どこか安らぎを感じさせる声を僕も横で耳を傾けた。
ーーせわしく過ぎる日々の中に
ーー私とあなたで夢をえがく
ふと懐かしい風景が見えて来た。僕たちがまだ小さい時にみた星空が浮かんで来た。
ーー3月の風に想いをのせて
ーー桜のつぼみは春へとつづきます
いつの間にか彼女は大人になったんだろう。いつの間にか僕は大人になってしまったんだろう。
ーー溢れだす光の粒が
ーー少しずつ朝をあたためます
なんとなくお互い子どものままでいると思っていた。お互いただの従兄妹同士でいられると思っていた。
ーー大きなあくびをしたあとに
ーー少し照れてるあなたの横で
長谷寺の良縁地蔵たちが笑っている。頑張れと。
ーー新たな世界の入り口に立ち
ーー気づいたことは一人じゃないってこと
高校時代に二人で歌った『3月9日』。あのときの時間がずっと続けばいいと思っていた。
ーー瞳を閉じればあなたが
ーーまぶたの裏にいることで
わけもなく涙がでてきた。名前をつけることが憚れる気持ちが溢れて来た。
ーーどれほど強くなれたでしょう
ーーあなたにとって私もそうでありたい
僕は涙が止まらないまま歌っていた。せめて従妹の門出を祝えるように。
ーーら~らら~ら~らら~らら~ら~
ーーら~らら~ら~らら~らら~ら~
横にいる琴子も泣いていた。
なんで泣くんだよ。
これから幸せになるんだろ。
そんな面を僕に見せるなよ。
笑えよ。笑ってくれよ。
二人してとめどなく泣きながら歌っていた。もはや誰のためなのかわからない旋律が漂っていた。まるで心の中に押し込めている気持ちを癒すかのように歌い続けた。
ーーら~らら~ら~らら~らら~ら~
ーーら~らら~ら~らら~らら~ら~
しんみりとした時間が終わり、また賑やかな空気が戻って来た。
「キース。キース」
僕はあと何度目を背ければ良いのだろうか。あと何度気まずい思いをしなければならないのだろうか。
「なにブツブツ言っているんです。ちゃんと飲んでます?」
ふと気づくとノースリーブの女性がそばにいた。顔が赤みがかっているから、もうだいぶ飲んでいるのだろう。強気な顔立ちをしていて、結構酒に強そうだ。
「そこそこ飲んでますよ」
「本当ですか? じゃ、もっと飲みましょう!」
そう言って僕のグラスにビールを傾けた。半分ぐらい泡立っているんだけど。
「まあ、いいじゃないですか。それじゃ、乾杯!」
行きずりのノリで酒を飲んでいた。この人はぐびっと豪快に飲んでいた。
「えっと。あなたは?」
「あ、琴子の親友の明美です。えっと葉兄さんですよね?」
……。なんで知っているんだ。
「あー。琴子よく話していたんですよ。年上の従兄がいるって」
そんなことを話していたのか。
「ギターを弾いているんですよね。さっきの演奏かっこよかったです!」
「いやあ。ありがとう」
女の子に褒められるのは気分がいいものだな。心の中でウキウキしていると、
「数年前にティファニーのネックレスをあげていましたよね。あの子、何度もつけて嬉しそうにしていましたよ。私もつい言ってしまいましたよ。こんな従兄欲しかったって」
照れ・驚き・嬉しさ。言葉にできない気持ちを胸の中で逡巡させていると、
「なに照れてるんですか」
あははと笑いながらバシバシと肩を叩いた。地味に痛い。
「あ。そうだ。連絡先交換しませんか」
そう言ってスマホを出し始めた。
「ずいぶん積極的だね」
思わず口にすると、
「馬鹿ですね。葉介さんだけですよ」
そう言いつつウインクした。結構決まっていることがこれまた癪に触る。ふと新婦席を見ると、従妹がニヤニヤした顔をこっちに向けていた。琴子は親指をグッと立てた。
『がんばって』
そう伝えていることを肌で感じた。苦笑しつつ僕も親指をグッと立てた。
『がんばるよ』
~FIN~