女子大生の自殺について
耐えられない。
あの人がいないなら、生きていくことが耐えられない。
汚してごめんなさい。迷惑をかけてごめんなさい。せっかく生んでくれたのに、辛くて、悲しくて、もうやだ、――――のは、――――のは。
さようなら。次に生まれ変わる時は、――がいますように。そうじゃないなら、もう(解読不能)
「これが、藤村花鈴さんの遺書です。……尾谷さん、大変お辛いと思いますが調査に協力してくれませんか?貴方は藤村さんと交際関係にあった、と聞いております。……もし、よければ」
涙を滲ませたぐちゃぐちゃなその文字は、その最重要箇所を消して僕にその内容を伝えた。
8月13日の蒸し暑い夏の夜に僕の彼女は、死んだ。飛び降り自殺だった。鈴虫が羽音を響かせて、青い草花が生い茂るその地に、赤い花を咲かせて逝ったらしい。
――その事実は、まるで透けた文字列を濃くなぞるように、僕の前で足を組む。冷たいコンクリートの壁の中で、僕は力なく頷いた。
彼女と出会ったのは、2年前の春でした。大学の新歓で、隣の席に座ったんです。甘栗色のくるりと内巻きな長い髪と、二重の大きな瞳……優しい表情とは裏腹に全ての興味が失せていた顔が――たまらなく、好きだったんです。
「全ての興味が失せた……?」
……藤村は、時折そんな顔をみせて、くれました。きっと……僕にだけ。目が合うと元に戻るんですが、たまに、表情が消えていたんです。出会った当初はいつも笑う女性でした……でも、僕が会いたくて、ご飯に誘っている内に……そういう顔を、見せてくれるようになりました。
サークルでの飲み会の時。ゼミでの雑談の時。カメラのフィルムの一つだけに残るように、藤村は表情を、色を、失っていたんです。
「原因は?悩みでもあったんですか?」
知りません。知っていたら、こんな事態になるくらいの悩みを知っていたら、僕は傍を離れなかった。
「……申し訳ありません」
いいえ、僕の方こそすみません。
「……。この遺書の、あの人とは誰のことなんでしょう?……別れ話でも、切り出したんですか?」
ははは、どうして別れ話をする必要がありますか?こんなに、足りないのに。
あの人……――嗚呼、もしかして、あれのことかもしれません。
いつだったか……藤村が、恐らく藤村も話すつもりはなかったかもしれませんが、零すように話してくれたんです。――誰かを、探していると。
「……誰かを?」
はい。それがあの人に当たるのかはわかりませんが。
「聞かせてください」
一年前、だったかな。図書館の個室で課題をしている時……藤村はずっと夕暮れを見つめていました。ガラスに頬を付けて、力なく……目が痛いほどの、赤い夕暮れを。どうしたの、って僕は笑いながら聞いたんです。いつもしゃんと背筋を伸ばしている彼女の伸びた姿を見れたことが、嬉しくて。でも彼女照れたりもしなくて、此方を一度も見ずに、本当に無意識に呟きました。「……探してるの」と。僕は、課題をこなしながら「何を?」と聞き返しました。そうしたら、「誰かを。赤い、……赤?誰かを、探しているの。早く見つけないと……」って。寝ぼけているのかと思って目を向けると、藤村は、泣いてたんです。
「泣いてた?」
はい。驚いて、膝を机にぶつけた音に藤村は我に返った様で顔を赤らめていました。涙を拭って、そのままトイレに行って――――。戻って来たころには、いつもの笑顔を携えていました。
その日はそれ以上聞けませんでした。ただ、その日を皮切りに藤村はそちら側を見せてくれた。その頃から僕は……藤村が……嗚呼、いいえ。これは、こちらの話です。
「自殺の原因を紐解けるかもしれません。知っていること、全てお話してくれませんか?」
僕以外から、藤村の話を聞いていますか?――嗚呼、そうですか、そうですよね。明るくて、悩みなんて無さそうな人だと……。
「ですが、貴方の話を聞いてそれは違うと確信しました。貴方にしか見せていないその顔が、原因に一番近いと踏んでいます」
……その日以降、夜になると藤村は泣くんです。大学でも、部屋でも、二人きりの夜になると不意に泣き出していました。その度に僕は藤村を抱きしめて、大丈夫だってずっと言うんです。藤村はずっと謝っていました。僕になのか……あの人になのか……両方に、なのか、わかりませんけど。何か言ってたか、ですか?……「ごめんなさい、どこにいるの、わからない、ごめんなさい」……ずっと、ずっと繰り返して、眠るんです。この腕の中で……一昨日も、ここに、いたのに。
藤村は、眠ると幸せそうな顔をするんです。何を見ているのかは知りませんけど、まるで恋する乙女のように頬を赤らめてふにゃふにゃ言うんですよ。……僕の告白を受け入れた日でさえしなかった顔を、眠るとするんです。はは、これで僕の前では二度とあの顔を見せてくれないんだな……。
そして、目が覚めて、僕が「おはよう」と言うと、初めの内はそこで目覚めたのが理解出来ないという風に周りを見渡して、何かを言い掛けて――――「おはよう」と此方を向いて笑って返していました。それが、ここ一週間前……でしょうか。嗚呼、そうだ。先週の日曜日。深夜に不意に僕が目覚めると、彼女がベランダに居たんです。大きなフルムーン、でしたっけ?あれを食い入るように見上げていました。僕は驚いてベランダの窓を開けると、藤村は振り向いて、一度もにこりとも笑わずに再び月を見上げました。「どうしたの?」と声を掛けるとただ一言だけ。「……あたし、何、してんだろ」って、言ったんです。
嫌な感じがしました。椿が落ちる時のような――――眉間が動く、あの感じが。だから僕は手を取って、冷えるから戻ろうと部屋に引っ張りました。藤村は抵抗もせずに、そのままベッドに入ってくれて、眠りました。――――わかりません。僕が藤村が死んだ原因を掴んでると本当に思っていますか?確かに怪しいのはわかりますが、僕は、藤村の言動の真意を図ろうとしたことが無いんです!だってそんなことどうでもよかった!藤村が手に入ったのなら、そんな些細な妄言……気にするはずがないだろ……!
「落ち着いてください。せめて残された私達で、藤村さんの伝えたいことを汲み取ってあげませんか」
藤村が、伝えたかったこと?
あの人がいないから、死にますってことですよ。ここに書いてあるじゃないですか――――あ。
「どうされました?」
……藤村が眠った次の日の朝。初めて、藤村は僕の寝顔を見ていたんです。「尾谷くんはさ、あたしのことが好きなんだよね」って聞いてきて。寝起きで思うがままの頭の僕は、まあ、頷きました。そうしたら、あの、何の感情も無い目で――――「あたしが急に消えちゃって、そのまま戻ってこないってことがわかったら、どうするの?」って言ったんです。
「……何と答えましたか?」
僕は……耐えられそうもない、と。後を追うから、そんな悲しい顔をしないで、と……言って、腕を引きました。
「……それで、藤村さんは何か言いましたか?」
……そうだよね、と。それから、藤村は大学にも来なくて、この、結果です――――。
「嗚呼、お疲れ。取り調べ、どうだった?」
「自殺として見ていいと思います。念のため、尾谷さんの部屋は調べますが……嘘をついているようには見えなかったんです」
「まあ、大学生だもんなあ。たとえ付き合って無くても、一緒の部屋で寝るんだろ」
「ははは――――。では、資料にしますので。お疲れ様です」
嗚呼、赤い夕陽が目に痛い。どうして彼女は死んだのか。どうして彼女は、あの問い掛けに優しく微笑んだのか。わからない、わからない。
唯一人、僕の路地に人影が入り込む。風が吹く、静かな風がその男へ僕を誘った。
「ありがとう」
「……誰だ?」
「名乗る程の者でもない。ただ――ささやかな時間でも良い。まやかしの様な時間でも良い。み――、あいつがあいつだけでいられた時間をくれたあんたに、礼が言いたかった」
嗚呼、赤い夕陽が目に痛い。どうして、彼女はあんな風に笑ったのか。どうして、この男もそのように笑うのか。
始まりと終わりが一緒ならば、強引に繋ぎ合わせた赤い糸は、強引に引きちぎられるのだろう。わかりたくもないと足を進ませて、僕はその風を振り払う。
「――――ありがとう」
振り返ると、誰もいない。
ただ、彼女が泣いていた溶けた太陽を見て――――。
僕の視界と、身体が、震えるだけだ。
うお~~久しぶりのなろうだ~~!!
ということで、久しぶりにシナプスが活性化したので短編をドン!ドドドドン!寝る!