9話 どんどん食い込んでくる君
「有馬くん、今日、新人達の懇親会があるんだけどどうかな?」
「すみません、金無いんでいいっす。お気遣いありがとうございます」
俺は今、大学から車で20分ほどにある大型ショッピングセンターの食料品売り場の品だしのバイトをしている。
【親友】に裏切られたことで俺は友人を作れなくなった。
その言葉を聞くだけで嘔吐し、ひどい時は失神に近い状況になってしまう。
それは相手が信用できる人であればあるほどひどくなる。
だから俺は昨年の12月31日のある一件からほぼ全ての関わりを絶った。
学業の知り合い、サークルそしてバイト先。
居心地の良かった居酒屋のバイトを辞め、まったく知り合いのいないこの場所で働いている。
我ながら情けない。精神的に強いと思っていたのに誰よりも弱かった。耐えられなかった。
「有馬ってほんと付き合い悪いよな」
「暗いっていうか……ねぇ」
「大学生とは思えないな」
そんな陰口にももう慣れた。
悪口はまだいい。明確な悪意があるからハブられたとしても理解はできる。一番怖いのは存在を無かったことにされることだ。
少なくとも俺は大学卒業まではこのスタイルを貫くつもりだ。
社会人になってしまえばもっと西か東に移動し、1からやり直したいと思っている。
地元から数十キロしか離れていないこの場所ではまだ近い。
新人の歓迎の話で盛り上がる店員達の横を通って、俺はさっさと店を出る。
22時上がりのため、軽くメシを食って、もう寝ないといけない。明日は1限目からの授業だ。
学業とバイトで正直、余裕はまったくない。
オンボロアパートに到着し、指定の駐車場に車を停める。
本来であれば車も過ぎたものではあるんだが……これだけは手放せない。
たばこやお酒といった嗜好品と同じだろうか。
「あれ」
アパートから明かりが漏れている。
確か、電気代の節約のため毎回チェックしていたはず。
もしや泥棒だろうか……。
恐る恐る近づき、鍵のかかった扉を開き、中に入る。
1Kアパートの一室に乗り込んだ先には……。
「あっ、先輩おかえりなさい」
「えっ! あっ、ああ……雨宮」
晦色の流れるような髪が印象的なとんでもない美少女がそこにはいた。
相変わらず雨宮楓は可愛い。顔立ち整った顔は長く見つめていたいと思えるほどだ。
そんな雨宮がなぜかお鍋をお玉でかき混ぜていた。
「雨宮、何でここに」
「え、メッセージ送ったじゃないですか。今日何時上がりですか? って」
「ああ、そういえばそうだったな」
「だからその時間に合わせて晩ご飯を作りに来たんですよ。11月に入って、寒くなりましたからね」
そういえばバイト前にそんな連絡が来た気がする。
雨宮と出会って1ヶ月、俺との会話も慣れてきた。おかげで俺との会話でテキーラは必要なくなった。
雨宮は豚汁を作ってくれており、これで炊飯器の残り飯と合わせてちょうどいい晩ごはんという所か。
最近めっぽう寒くなったからありがたい。この家は当然エアコンなどない。防寒着を着て温まるしかないのだ。
「って違う!」
「何がですか」
「何でおまえがここにいるんだよ! どうやって中に入った!」
当然、この家はオンボロだが鍵はちゃんとかかっている。
まさかこいつ、こじ開けて入ったんじゃないだろうな。
「え、合鍵で入りましたよ」
「は? そんなのいつ作ったんだよ」
「この前、一緒にホームセンターに行ったじゃないですか」
先日、ホームセンターで大きい物を買いたいって言われて、車を出してあげたっけ。
「それで私が車に私物を忘れたから先輩が車の鍵を渡してくれたじゃないですか」
「そうだな」
「先輩って車の鍵と家の鍵を一緒にしてるじゃないですか」
「そうだな」
「だから合鍵作りました」
「やべぇな、そう来るとは思わなかったわ」
今、思うとあの時帰ってくるのが遅かった気がする。
トイレに行っているとばかり思っていた。
「だからって、人の家に勝手に入るな。俺の家にだって高価なものがあるんだからな」
「例えば……なんですか?」
「伯父からもらった28型の液晶テレビとか」
「あ、私、42型の4K対応のテレビがあるのでいらないです」
そうか……。
格差社会だったか。
……AVとかも買う金がないから今は全部スマホの無料動画ですましている。
正直、雨宮に見られて困るものが1つもなかった。それに貴重品は常に自分で持ってる。
「今なら晦色の髪をした女の子がだいたい毎晩料理をしに来ますよ。口ベタ訓練のお礼です!」
可愛く、ウインクしてアピールしてくる。
コイツも【空を目指して姫は踊る】を読んでるから晦色を知っているのか。メインヒロインの髪の色なんだよな。
晦とは月の光がまったく見えなくなる頃を言う。月の光を陽と取り、その逆の陰の性質をしているから晦色という表現があるらしい。
ってラノベに書いてた。
雨宮は普段、その美しさを隠しているからぴったりだと思っていた。陰の中に潜む陽を超える美しさ。
「先輩?」
「……なんでもない」
正直言うと飯作ってくれるのは凄くありがたい。冬は特に寒いし、心も冷え切ってしまう。
だけど、彼女でもないのに作ってもらうのも……いや、彼女じゃないからいいのか?
雨宮の口下手訓練にはこれからも付き合うつもりだ。その報酬と考えるなら確かに悪くない。
一方的に雨宮の方が不利な気がするが。
「ただ、食事代とか……正直払えないぞ。知ってる通り俺は貧乏だ」
「元々私1人だと食べきれないから2人で処理したいだけですし、御代はガス、水道、電気代が増えることでいいですよ」
「それなら……。ただ、来る時は毎回連絡しろ。あとこの辺は暗いから十分に気をつけること。防犯ブザーとか絶対持っておけ」
「はーい」
確か雨宮は原付持っているって言ってたな。歩いて帰らないならまだ危険は少ないだろう。
「先輩、じゃあご飯たべましょ!」
「ああ」
◇◇◇
「そろそろ日も超えるし、帰った方いいぞ」
「えー、今日は泊まっていこうかな~」
雨宮は艶めかしい表情で呟く。
スカートから伸びる黒タイツの足を何度も組み替えて情をそそる。
「このアパートマジで古いからな。夜たまにGの動く音がガサゴソ」
「帰ります!」
それが賢明だ。
原付のある所まで送っていき、周囲を確認する。
人の気配はないようだ。雨宮はマジでかわいいからな。襲われでもしたら大変だ。
雨宮はヘルメットを付けて、原付のエンジンをかける。
「雨宮、ちょっといいか?」
「はい?」
俺は財布から1万円札を取り出し、雨宮に渡した。
「何ですかコレ」
「ようやく給料日になったからな。この前、その……嘔吐物でおまえの服を汚してしまっただろ」
あの時、俺は【親友】という言葉に反応し、トラウマを刺激してしまい嘔吐してしまった。
雨宮には本当に嫌な思いをさせてしまったと思っている。
「あの時汚してしまった服を弁償させてくれ。いくらクリーニングしても男のアレがかかった服なんて着れないだろ」
「うーん」
雨宮は顎に手を当て、考える。
「あのカーディガン、5万くらいしたんですよねぇ」
「ご、ご、ご、5万!? どんな服着てんの!? ぶ、分割でできないだろうか」
「ふふ、返さなくてもいいですよ。気にしてないですし」
気にしてないってこいつ、いい奴すぎるだろ。
あの時、雨宮に嘔吐物を全部綺麗にしてもらって、介抱までしてくれたんだ。
さすがに借りを返さないと困ってしまう。
「これはお返しなのかもしれません」
お返し……? 口下手訓練のことか。
だからと言ってそれとこれとは話は別だ。
「分かりました。じゃー、お金を受け取るかわりにお願い聞いてください」
「お願い? まぁ、俺に出来る事なら」
雨宮は原付に跨がった。
「次のバイトの休みの時に服買いにいくの付き合ってください。私とデートしましょ!」
「へっ?」
「じゃ、先輩おやすみなさーい!」
俺の返答を待たず、雨宮は原付を走らせてあっと言う間に去ってしまった。
それ……俺のお返しになるんだろうか。
人付き合いを避けようとしても……雨宮楓だけはどんどんと食い込んでくるらしい。
でも悪くない。




