5話 大学のお昼休み
翌日の2限目の講義……内容がまったく頭に入らない。
少なくとも大学にいる間は人付き合いをしないと決めていたはずなのに……。
脊髄反射でOKしてしまったことに後悔の気持ちが生まれる。
高校時代、ああやって好きな人のために頑張る人を俺なりに成功するよう計らったことが結果として俺の心に影を落とすことになったんだ。
また同じような目に合わないとは限らない。
いや、ならない。俺が雨宮に対して先輩、後輩の関係をしっかり線引きすれば同じようなことにはならない。
大丈夫だ。それに雨宮だって、相談の頻度が高いかどうかは分からない。
マナーモードにしているスマホは振動し、ロック解除する。案の定、昨日の帰りに連絡先を交換した雨宮からだった。
送られてきたメッセージはご丁寧に絵文字いっぱいに加え砕けた文章だった。
実に読みにくいので、俺なりに編集して上から読んでいこう。
『せんぱい! さっそく相談したいです。お昼ご一緒しませんか?』
編集したらこんなもんか……。
相談の頻度とか考えた矢先の話か……でも、 断る理由は特にない。
浜山キャンパス、学生食堂には屋外のテラス席がある。
できる限り奥の方で雨宮と会う。
『せんぱ~い、お弁当作ってきました!』
「お、おお」
『先輩のために早起きしたんですよ。これから協力して、私の口ベタを治してくれるんですからね!』
「ああ……」
『あれ、どうしたんですか? もしかして先輩照れてる? お弁当とかもらったことなかったり?』
「そうだな」
『先輩の初めて頂きました! うふふ!』
「あのさ、メッセージで送られても感慨深くねぇよ! あと無表情で可愛らしい文字で送るなよ、反応に困るわ!」
今の雨宮は口下手モードだ。髪をおさげにまとめて額を出し、瓶みたいなメガネを付けている。
口を閉じ、真顔でかわいらしいメッセージを送ってくる。
昨日の夜のあの可憐な姿は欠片もない。
「テキーラ……って校内は無理か」
『そうですよ~。謹慎か停学になっちゃいますよ~』
雨宮は恐ろしい速度でスマホをフリックしていく。ほぼ、俺の喋りに誤差無くついてくる。
こうなるまでどれほどの努力をしたのやら……、努力の方向を間違ってると思う。
「それで、昨日の今日で……いきなり特訓ってまだ何も考えてねーぞ」
『それがですね。緊急事態発生です!』
『ぱふぱふー!』
スマホから音声が流れ出し、正直イラっと来たのは間違いない。
『先輩も2年だから覚えてると思うんですけど、必修の課題発表が来週にあるんですよ』
あー、確か後期が始まってすぐにあったな。
何人かでグループを組んで、課題に沿って調べて、勉強して、次の週に発表するというやつだ。
あの時はまだ知り合いが多かったし、何の苦もなく終わらせた。
『それで……じゃんけんに負けちゃって……私が発表するはめになりました。グスン』
テキーラ仕込んでいけよって思わず、言いそうになったが……それでは意味がない。
今後もこのような発表は何度もあるし……。
「って今までどうしたんだよ。中、高だってそんなのあっただろ」
『体調悪いと言って保健室で休んでました。あと日にちと出席番号を予測して当てられそうな日は事前に休んでました』
「努力の方向がおかしい」
まぁそれで何とかなってきたんだろうな……。
だが課題発表は必修科目の中で大きなポイントとなる。
休むことはできないし、単位を落とせば留年の可能性だって出てくる。
……まぁそれより。
「弁当もらっていいか?」
『どぞどぞー!』
いいにおいがする。
卵焼きにハンバーグにたこさんウィンナーに煮物。
悔しいがめちゃくちゃ美味い。最近は半額の菓子パンばっかりだったから弁当のメシのうま味に染みてしまう。
『美味しいですか?』
「ん、ああ。美味いよ。雨宮は本当に料理上手だな」
『やったー! 嬉しいー!』
文面で嬉しさを感じられても……何にも、って。
「雨宮、顔が赤くなってないか」
「っ!」
雨宮はスマホを顔に当てて、顔の変化を見られたくないのか隠そうとした。
完全に無表情では……と思った矢先、そのスマホに表示された文面を見る。
『えっちなことは禁止です』
「ったく……」
「あ、有馬くんだ」
聞き覚えのある声に突如、変な動悸が生まれる。
分かっている。原因は分かっているんだ。だから大丈夫……大丈夫だ。落ち着け。
「久しぶりだね!」
「あ、ああ……久山」
久山は学科は違うが同期生である。
人懐っこい童顔で友人も多く、あの時までは俺も仲良くしていた。
「最近、サークルに来てくれないから寂しいよ。有馬くんの考える企画、みんな好評だったのに……」
「すまん」
「でも忙しいんだよね。また来て一緒にサッカーしよう!」
「ああ、またな」
相変わらず5,6人も人を連れているんだな。
まぁ1年前までは俺もあの中にいたからあいつの人あたりの良さはよく知っている。
トータルで考ればすごくいい奴なんだよ……。でも久山を見ているとあいつを思い出す……。
去年の大晦日まではこの大学のサッカーサークルに入っていた。
バイトの傍ら、サークル活動も楽しんでおり、充実、とても充実していたんだ。
「はぁ……はぁ……。え?」
動悸と共に冷や汗が出る。気分が悪い、……体調が優れない。
その俺の手を包み込んで暖かいもの、それが雨宮の手のひらだった。
「せん……ぱい。だいじょう……ぶ……ですか?」
不安そうに、でも力強く雨宮は俺の手を握ってくれる。
少し安らいだ気がした。心臓の音も落ち着いているような気がする。
「雨宮、おまえ……声」
「……」
再び、雨宮の口は固く閉ざされてしまう。
勇気を出してくれたんだろうか。
今の俺が雨宮にしてあげられることは何だろう。弁当も作ってくれて、不安な気持ちを解消してくれた。
雨宮が手を繋いでくれたのなら俺がすることは1つ。
俺が好きな晦色の髪をゆっくりと撫でてあげることだった。
「雨宮、ありがとう。助かったよ」
年下の女の子であれば決して間違った対応ではないだろう。
ヘアオイルで潤いのある髪をゆったりと触れていく。
思ったより柔らかいんだな。心地よい。
ふと視線を下に向けると……雨宮の顔が今にも爆発しそうなぐらい真っ赤になっていた。
「ふわあああああ~~っ!」
「ん?」
「~~~!」
突如雨宮の口から奇声が出て、思わず手を外してしまう。
雨宮は両手で顔を隠し、大きく動いて俺の手から離れ、おぼつかない足取りで食堂から離れていく。
声が届くかギリギリの所で雨宮からメッセージが届いた。
そのメッセージは誤字脱字だらけで世界一のフリック入力の面目は丸つぶれだ。
ちゃんと修正するとこのような内容となる。
『今日の授業が終わったら……特訓の件、お願いします』
そしてもう一言。
『また撫でさせてあげてもいいですよ』
それだけ距離が離れていても顔が赤いままだぞ雨宮……。
よし、ちょっと口ベタ特訓を考えてみるか。