4話 料理をする後ろ姿
「……」
「世の中には格差というものが存在する。美人局系をやりたいのであれば相手を選んだ方がいいぞ」
「だから美人局じゃありません!」
駐車場付き築45年、家賃1.3万の1K賃貸住宅に行くことなど考えてなかっただろう。
雨宮楓はいろいろ持ってきたようだが、ウチのオンボロコンロでどこまで料理ができるやら……。
「ごほん、趣があって、良い住宅じゃないですか」
「家賃1.3万だけどな」
「え、それ人が住めるんですか……?」
駐車場が無きゃもっと安い家なんて探せばいくらでも見つかる。
さすがの俺も1万以下の賃貸のアパートに行く勇気はなかった。
俺以外にも居住者はいるが、近所付き合いはまったくない。
「お邪魔しま~す」
まさかこの家に女を連れ込むことになるとは……。
しかも下手すりゃ浜山大のミスコンを勝ち抜けるほどの女の子だ。
俺でなきゃ間違いなくここで襲われている。
「あの~リビングってどこにあるんですか」
「貧乏人の現実をそろそろ知れ」
俺は掃除好きだからまだいいが、一般大学生だったらもっと悲惨な状況になってたぞ。
7畳の部屋の壁に立てかけている組み立て式のテーブルを置き、実家から持ってきたクッション性能の高い座椅子を雨宮に渡した。
「テレビはあるんですね」
「それも車と同じで伯父からもらったやつだ。それとポケットwifiが俺の生命線だな」
「よし、台所借りますね! 私が腕によりをかけて料理をしますので」
「料理得意なのか?」
「ふふ、友達がいなかったので料理とか裁縫とか手芸とか1人で出来ることは大得意です」
友達がいないという言葉にかすかな闇を感じる。
そこにつっこむのは野暮というものか。
テレビの電源を入れて、少し場を賑やかにする。
俺はぼうっとテレビを眺めているが後ろで雨宮が調理している音がやけに耳に入る。
軽く後ろを振り返ると晦色の髪をゴムで一纏めにした雨宮の姿があった。
何だか不思議な感じだ。彼女が出来たらこんな感じになるんだろうか。
親から彼女を早く作れとうるさく言われてきたがその気持ちが分かるような気がする。
そんな雨宮の髪が突如と動き、華美な顔立ちで頬笑む姿が目を惹き、俺の胸をコトリと揺らす。
「先輩、アレルギーとかないですよね?」
「あ、ああ」
美人ってやつはどうしてこう……。
ちょろい俺も修行が足らないんだろうな。
秋分の日が過ぎてしまったから夜になる時間が早まった。
19時近くになると外は真っ暗になってしまう。
気付けば濃厚な豚骨醤油のスープのにおいが鼻孔から脳髄に入り刺激していく。
昼も満腹には食べていなかったため空腹を刺激し、一刻も早く食べたい気持ちにさせられる。
「鍋か、何鍋なんだ?」
「豚鍋です。お安く買えた豚があったので一緒に持ってきました! あとゴミ袋見ましたけどカップ麺ばっかりでしょ」
「安いし、美味いんだから仕方ないだろ」
「野菜もいっぱい食べられるように鍋にしたんです。いっぱい食べてもらいますからね!」
料理はまったく出来ないわけではないけど、この狭い台所ではやる気が起きなかったりする。
あと純粋に野菜は高いし、量も多いから1人では食べきれなくて捨ててしまうことも多い。
出来上がった鍋はテーブルに置かれて、深皿に具をよそって渡された。
「なんか……すまないな」
「何ですか急に」
「今日会ったばかりなのに……ここまでしてくれて悪いと思って」
「さっきまで威勢が良かったのに急にどうしたんですかぁ」
雨宮はからかうように言葉の語尾を上げていく。
これだけしっかりとした鍋料理だ。食材だけでもばかにならないだろう。
モーニングをおごったという借りを返してもらったとしても十分すぎるような気がする。
さっそく、深皿に入った豚のバラ肉を頬張る。やばい……超うまい。
最近マジでカップ麺ばかりだったからな……。豚肉もそこそこ値段はするし、久しぶりに食べた気がする。
そのまま白菜、にんじん、ネギなど鍋定番の野菜をたらふく食べて、腹を満たしていく。
「やっぱり男の人ってよく食べますね。足りるかな」
「めちゃくちゃ上手いぞ。雨宮、おまえ奥さんになれるんじゃないか」
「やん、もう先輩ったら、フヒヒ。照れちゃうじゃないですか」
雨宮は顔を赤くし、嬉しそうに体をくねらせた。自分で言ってなんだが……ちょっと心配だ。
「俺が褒めたくらいで照れるなよ……。チョロいやつだな」
「チョロくないです! 先輩だからだし……」
「え、何か言った? テキーラ足りてねぇんじゃないか」
「もう追いテキしました」
「追いテキってなんだ!?」
酒が入っているからか気分が高揚しているのかもしれない。
テキーラの瓶を直飲みしてまともに動ける所を見ると……相当酒に強いのだろう。
テキーラって普通、ショットで飲むイメージだったのだが。
雨宮が持ってきて鍋食材は全て使い切り、残すのはもったいないので頑張って食べきった。
満腹まで食ったのは久しぶりかもしれない。
「ごちそうさま」
「ちゃっちゃと洗っちゃいますね」
雨宮は鍋に深皿とテキパキと片付け始めた。
なんだこいつ……嫁力高すぎじゃないか? 雨宮は間違いなく人をダメにする力を持っている。
ぼーっと雨宮が後ろで片付けをしてる音を耳にテレビの画面をじっと見続ける。
満腹まで食べたせいで眠くなってきた……。明日は1限から授業だし、さっさと雨宮を送って、風呂入って……寝るか。
「先輩、眠気覚ましにお茶でもどうですか?」
「おお、すまん。って……至れり尽くせりか!」
台所の奥の方にしまっていた湯飲みを引っ張り出してきたようだ。
何だか完全に雨宮にいろんな権利を握られてしまった気がする。まずいな……。これで何かお願い事されたら断れないぞ。
「先輩、【空目指】の最新刊買ったんですね」
「ん? ああ……雨宮も好きなのか?」
「はい、今度アニメ化されるから楽しみですよね~」
雨宮は俺が床のフローリングに無造作に置いてたラノベを見ていた。
【空を目指して姫は踊る】
高校時代、本屋で偶然あった人に教えてもらって愛読するようになったラノベだ。
今は複数巻刊行しており、貧乏生活の俺が貧乏を振り切ってでも買ってしまいたい作品だ。
「先輩」
テレビを背中にきりっとした声で雨宮は突如座り込む。
美人は真剣な顔も綺麗だ。俺が女だったら思わず自信を無くしてしまいそうだ。
俺は湯飲みのお茶を口にし、雨宮の言葉を待つ。
「有馬先輩に……いえ、先輩だけが頼りなんです」
「話してみろよ」
今日……正確には昨日初めて会った俺に甲斐甲斐しく世話をするのは何か大きな目的があるに違いない。
まぁ美人局系だと思っていたが、俺に金はない。それを雨宮も理解できただろう。
「有馬先輩にはその……口ベタを治す特訓にその付き合ってほしい……というか」
「テキーラ飲めばいいじゃないか」
「大学の中でテキーラ飲んでるのを見られたら下手すれば停学ですよ!」
ついでに未成年だしな……。守衛前で飲んでいたことは触れないでおくか。
「テキーラありとはいえ、ここまで地を出せたのは先輩だけなんです! 先輩ならテキーラなしでもコミュニケーション取れるし」
「喋らずにどうやってコミュニケーション取るんだよ」
「私、スマホのフリック入力世界一の自覚があるので」
そんな世界一は聞いたことがない。
だけど……テキーラの入っていない雨宮を見ればそれがわりと深刻な悩みであることは分かる。
今までも相当苦労したのだろう。酒という選択肢のない、高校生以下……雨宮がどういう生活していたか想像がつく。
だけど、俺は……今誰とも交流する気がない。
去年の年末にあったあの出来事が引き金に俺は……人付き合いをすることをやめた。
だから雨宮のこの願いを叶えてあげることは出来ない。
「私、願いがあるんです」
雨宮は頬を赤らめ、淡い笑みを浮かべる。
その瞳は何を見ているんだろう。俺ではない別の何かだ……。
「好きな人に大きな声で好きって言いたい」
その雨宮の言葉は耳から脳へ……封じ込めたい記憶を揺さぶった。
『有馬くん。私、今度こそ彼に好きって言ってくる』
……苦い思い出だらけだったけど、彼女が想いを遂げられたことだけは誇っていいはずだ。
「分かった」
「え、先輩」
「俺に何ができるかはわからんが、可能な限り手伝ってやる」
「ほんとですか!」
朗らかに笑う雨宮を見て……俺もつられて少しだけ笑ってしまった。