3話 晩ごはん作りに行きます
夕刻、5限目の授業が終わり、今日の履修科目は全て終了だ。
今日はとんだ目にあった。
いくら手頃な値段のモーニングセットだからといって2人分の支払いはきついんだぞ……。
今度会ったら文句を言いたいが、県最大の浜山大学の生徒の人数は多い。連絡先も知らない状況で出会うのは奇跡に近い。
それに2年の俺が1年の女の子を呼び出すのは心情的にしたくない。
今日はバイトもないから大人しく家に帰って、カップ麺でも食べるとしよう。
守衛のゲートに学生証を当てて認証し、車で15分の我が家まで帰ろう。
そんなことを考えた俺は見覚えのある顔をした女の横を素通りしてしまった。
もういい。このまま無視しよう。
「うぐっ!」
胸をしめつけられるこの痛み。
背中に下ろした通学用のバッグを引っ張られたことによりベルトが胸に食い込んでいるのだ。
「分かった。分かったから離してくれ雨宮」
ここまで言ってようやく雨宮楓は解放してくれた。
口下手のくせに乱暴なやつだ。
雨宮は朝出会った時のように髪を色気の無さそうなおさげにまとめて、メガネをかけていた。
口には出してはいけないのだろうが、ザ・芋女という感じだった。
「それで何の用だ雨宮」
「……」
「朝のことならもういい。後輩から金を巻き上げるのはどうにも好かん」
「……」
「学生証も渡したし、これで全部終了だ。それでいいだろう」
「……」
「テキーラ飲め」
雨宮はバッグからあのビンを取り出し、ぐびっと飲み始めた。
毎回会話するのにこれが必要なの……? マジか。
「ういーー。先輩!」
雨宮の頭にアルコールがまわり、言葉が流暢になり始めた。
ほんと変な女だな……コイツ。
「朝はすみませんでした! 混乱して逃げちゃいました!」
「はぁ……」
俺は頭を下げる雨宮に思わず頭に手を寄せてしまう。
「もういい。次から気をつけろよ。んじゃな。ぐえっ!」
早々に終わらせようと振り返った瞬間、またカバンを引っ張られる。
「もうどこ行くんですか! せっかくテキーラ入れたんですからどこか行きましょうよ!」
「ええ……?」
「もう、女の子に酒を飲まして酔わすなんて……先輩ったら!」
その芋っぽい姿で言われるとすっげーいらつくな。
言葉ってやつは見た目の印象が大事ってよく分かる。
「晩ごはん! 晩ごはん食べにいきましょう」
「また逃げる気だろ。行かねぇ」
「今度は逃げませんって、ほんと! ほんと!」
「どっちにしろ今月は赤字で外食する余裕なんてこれっぽっちもねぇ」
「じゃあ……今日は何食べるんですか?」
「まぁ……カップ麺かな」
雨宮がぐいっと近づき、俺の手を取る。
「お礼にごはん作りにいきます! 先輩の家へ! それならいいでしょ!」
いいわけないだろ……。
余計なことを言ってしまった気がする。
そもそも、コイツ貞操概念ないんじゃないか。
「おまえな……。男の家に軽々入ってくるなよ。襲われる可能性だってあるんだぞ」
「大丈夫ですよ」
雨宮はにこりと微笑んだ。
「先輩は絶対そんなことしないですから」
芋っぽい格好と顔立ちのくせに……どこか美しく見えてしまった。
どこからそんな自信が来るんだ。
俺と雨宮は今日の朝、初めて会ったようなものなんだぞ。
マジでわけがわからん。
「まっ、襲われてもいいんですよ。私に魅力があるということなんですから!」
「……ったく」
つくづく俺は女に弱いと認識させられる。
高校時代も結局こんな感じでいろんな所を……。
とりあえず、飯代が1回分浮くのはありだろう。お願いしてみるか。
「じゃあメシ一回。それでいいか?」
「はーーい!」
雨宮を連れて、大学から歩いて10分離れた駐車場へ到着した。
愛車に近づき、キーロックを解除する。
「先輩、ここって」
「言わなくていいぞ。おまえのテキーラと似たようなもんだ」
貧乏学生に駐車場代なんて払えるわけもなく、このあたりはあえて何も言わない。
「失礼しま~す」
伯父から譲ってもらった軽自動車だ。
数年で10万キロ、オフロードで走っていたものなので外観は傷だらけだが走行には支障はない。
休日は1人でドライブに行くので中は綺麗に扱っている。
「もしかして先輩って綺麗好きですか?」
「まーな。よし、行くぞ」
そういえば……他人を乗せるのって随分と久しぶりな気がする。
あのことがあって……もうすぐ1年か。時が過ぎるのはあっと言う間だな。
「先輩の家ってどこにあるんですか?」
「山上町の方だな」
「私の家から近いじゃないですか! 原付持ってるので今度遊びに行きますね!」
「テキーラ飲んでからは来るなよ」
「行きませんよ! 飲酒じゃないですか」
雨宮を助手席に乗せて、車を走らせた。
せっかくなので後輩の学生生活をチラチラ聞くことにするか。
「授業はついていけているのか?」
「えーっとですね」
同じ学部、学科のため、話が合うことも多い。
過去問回して下さいなんてことはあるあるだなと思う。
「先輩、私の家に寄って頂けませんか?」
「俺の家の近くだっけ。最寄りのコンビニ教えてくれ。そこで待っている」
「へ?」
雨宮はキョトンとした声を出す。
こいつ、分かっていないな。
「女の家を男に教えるんじゃねーぞ。めんどくせぇことになるからな」
「そういうことですか。ふふ、私は別にいいですよ」
「……いやいや」
「食材とか調理器具とか持っていきたいので家の前でお願いします」
気遣ってやってるのに仕方ないやつだ。
こんな男女の話をしているが、俺は家に女を連れ込んで襲う気はさらさらない。
ウチのオンボロ住宅に連れ込んでも何もできやしねーよ。
雨宮のナビ通りに車を動かす。
「……」
到着した。
どうやらここが雨宮の住む賃貸マンションだ。
俺はこの高々と見える綺麗なマンションに言葉を出せずにいる。
デザイナーズマンションというやつか。外から見えるエントランスホールは綺麗そのものだ。
10階建ての新築マンションっぽい。
ハザードを付けて、車を壁際に寄せる。雨宮を降ろして、帰りを待つつもりだったが、気になったことを先に問いてみる。
「なぁ……雨宮」
「なんです?」
「おまえってさ。奨学金とかもらってる?」
「いえ、受けてないです」
「授業料とかは……」
「親が払ってます」
「ここの家賃は」
「親が払ってます」
「仕送りは……」
「アハハ、無いと生活できないじゃないですか」
「帰るわ。またな」
「ままま、待ってくださーーーい!」
思わずアクセルを踏もうとしたが、フロントを押さえられ動かすことができない。
真剣な形相でくらいつく雨宮に根負けしてしまった。
「絶対、絶対、ぜった~い、帰らないでくださいね!」
「分かった、分かった。さっさと行ってこい」
雨宮はばっと車から離れて、すぐさまエントランスホールに入っていく。
ここは女性向けの新築のマンションのようだ。ご丁寧にエントランスホールはオートロックがかかっており、出入りも自由にできない。セキュリティも万全だ。
スマホを使って、ここの家賃を調べてみる。なんと俺の住んでいるアパートの約10倍ぐらいか。
格差社会って本当にあるんだな。親に文句を言う気はないが、何だかむなしくなる。
20分後
「お待たせしました」
「随分と遅かった……うおっ」
助手席に乗り込んできた雨宮はとてもかわいかった。小首をかしげて、整った鼻梁とくりくりとしたまるい瞳を見せつけてくる。
モーニングを取った時のように髪をまっすぐにし、コンタクトにして、そうなると服装もちょっと可愛らしく見えるじゃないか。
さっきまでの芋っぽい雨宮とは違い、この格好はちょっとどきどきする。
「別にメイクする必要ないだろ……」
「え~、先輩が私の晦色の髪がかわいいって言ってくれるから。おめかししたんですよ~」
「かわいいなんて言ってない」
「言いました! 絶対言いました」
なんだろう。ペースを完全に乱されている。
美女を横に乗せている高揚感を憶えつつ、雨宮を再び乗せて、自宅アパートへ向かう。