29話 〈過去〉雨宮楓②
あの電車での件があってから数ヶ月が経つ。
体調不良で戻してしまった私の汚い嘔吐物を……まるで王子様のように優しい笑顔で拭ってくれた男の子。
優しく声をかけてくれて、心配してくれて、助けてくれたその優しさに想い焦がれないわけがない。
その後風の噂で彼が有馬雄太という名前であることを知る。
彼が貸してくれたこの青いハンカチを返して、あの時はありがとうと言わなければならない。
でも……口ベタで内気な性格な私が想いを寄せる男の子に言えるだろうか。
到底無理だった。
今日も私はハンカチをポケットに入れこの場所へ来てしまう。
そこは彼がよく立ち寄る駅前のコンビニだった。
何度もシミュレーションしてきた。
彼にハンカチを返してそのまま一緒に電車に乗ってお話をするんだ。
今まで読んできた恋愛小説だって山ほどそんなシーンあったじゃないか。
でも体がすくんで動けない。
口ベタが解消される魔法の飲み物でもないものだろうか……。
彼はコンビニの車止めポールに腰かけて、いつも通りホットコーヒーを飲んでいる。
何日も何日も見つめるせいで……覚えちゃったよ。
ここで友人を待って、一緒に電車に乗っていくんだよね。
今日はその友人がなかなか来ないようだ。彼もスマホを手にじっと待っている。
もしかして寝坊とかだろうか。
チャンス……だ。今日ならもしかして一緒に2人きりで電車に乗ることができるかもしれない。
がんばれ私! やるんだ私!
心の中で奮い立たせ彼のいる所へ突き進んでいく。
声をかけられないならぶつかろう! そうすれば……優しい彼はきっと反応してくれる。
卑怯なやり方だけどこのチャンスを逃すわけには!
「有馬くん、おはよ~」
「お、平坂じゃないか」
逃すわけには……。
気付けば私の前をきめ細やかな茶髪をした女の子が塞いでいた。
誰もが愛らしいと感じるほど整った顔立ちで笑顔が素敵な女の子。
もし、自分が小説を書くことになるのであればきっと彼女のような女の子こそ物語のヒロインとなるのだろう。
平坂碧は彼の側へと寄る。
「翔真は寝坊か」
「そうなんだよー」
理想のカップルとはこのようなイメージを取るのだろうか。
平坂さんのことは良く知っている。中学の時に同じ学校でその人気っぷりは学年一の美少女なんて言葉で形容されるほどのレベルだ。
陰キャラで友達のいない私と対極に位置する人物。知り合いでなくても……平坂さんの情報は嫌でも耳にする。
そして、私は彼が平坂さんを見る目が……私が彼を見る目と同じであることに気付いてしまった。
間違いない。
彼は平坂さんに恋をしている。
口ベタで内気で何も取り柄のない私が彼の横になんていけるはずもなかった。
何を勘違いしてたんだろう……。
こんなストーカーみたいなマネをして、恥ずかしい、おこがましい。
私はその日から……コンビニで彼を見ることを止めてしまった。
◇◇◇
それから少し過ぎた放課後。
駅前の本屋に立ち寄り、お気に入りの小説を探していた。
お小遣いを手に今日も本屋へ通う。
昔の本は図書館で揃うが、やはり新刊は本屋で買わなければならない。
大半のものはネット通販で買うけど本は物で欲しい。
口ベタな私が勇気振り絞って話をできるのがこの本屋だ。
店員さんが女性というのもあるんだけど……。
友人のいない私には創作の世界が全てだった。ここに浸っていれば現実の寂しさを紛らわすことができる。
でも……いつか従姉妹の秀ちゃんみたいにお喋りになりたいなとは思う。
「【空を目指して姫は踊る】は最新刊どこだろ……」
入口にある新刊売り場にはなかったから本棚だろうか。
きょろきょろと出版社名を探して棚を1つ1つ見ていく。
出版社を見つけて、順に本を追い、目当ての小説を見つける。
あった。
でもそれは平積みではなく、本棚に差し込まれていた。しかも私の身長ではギリギリ届かない所にある。
何でこんな所に……。背を伸ばして差し込まれた本を取ろうとする。
わずかに届かないその手の上からすらりと本をかっ攫われてしまう。
「あ」
ばっと私はそちらの方を見る。
取られてしまったと感じ、眉をひそめてしまうが空目指の最新刊は私の方に差し出されたのであった。
私はその本を見つめ、差し出してくれた人の顔を見ようと見上げる。
「これだよな? はい、どうぞ」
笑顔が眩しい王子様のような人だった。
見間違えるはずもない。
それは紛れもなく……。
想いを寄せる彼であった。
「あっ……あっ……」
緊張のあまり顔全体に熱が帯びる。口は固まって動くことはない。
何て話せば……あ、ハンカチはどこにしまっただろうか。
彼は私が買おうとしていた本を眺める。
「【空を目指して姫は踊る】か……。へぇこれ面白い?」
話しかけられた!
でも口は固まったまま動かない。
面白いです。そう言えればいいのにどうして!
……私が取った選択肢は肯定のお辞儀をすることだった。
「そっか。興味あるな。俺も買ってみるか」
彼は本棚から【空目指】の最新刊を手に取った。
「ふーん、ヒロインの女の子。君の髪色と似ている。綺麗だね」
「っ!」
にかっと笑ってくれる彼の表情がとても眩しくて、諦めていた私の胸の中の恋心が再燃していく。
駄目、押さえないと……、彼には他に好きな人がいるんだから。
本を渡されて、私は今までのお礼を言わなきゃいけないのに口が動かない。
「それじゃ」
彼は行く。私は一言も喋ることができず、その去る背中を見つめることしかできない。
でも好きな人に好きな作品を伝えることできた嬉しさで私は胸がいっぱいになっていた。
彼も【空目指】を好きになったらいいな……。
心からそう思う。
多分、私はこの想いを成就することはできないだろう。
初恋のままで終わることになるのだろう。
でもいつか彼と再会して、もう少し口ベタを治すことができたら、今度こそ。
「好きな人に好きって大きな声で言いたい」
◇◇◇
「そろそろ言えるかな……」
彼と出会った頃のことを思い出していた。
あれから数年が経ち、私も彼も大きく様変わりしたと思う。
「うぅ……寒い」
12月末はさすがに激寒だ。
暖房のない室内だから部屋の中はキンキンに冷えている。
私はテキーラの瓶を指で押す。この魔法の飲み物のおかげで私は彼と交流を得るようになった。
私だけを見ていて欲しいなんて思いもあるけど、やはり昔のように彼にはグループの中心人物でいて欲しいと思う。
どっちの彼も好きなんだ。
おかげで彼は交友関係が改善し、夜に帰ってこない日が増えてきた。
そうなると私はどうだろう。
この魔法の飲み物と彼のおかげで高校の時に比べてたら口ベタも内気も改善された。
でも……まだまだ一般的にはほど遠い。唯一の友人である従姉妹も……彼女自身が交友関係の鬼だから中々一緒にはいられない。
やはり私には彼しかいないんだ。
「寂しいですよ、有馬先輩」




