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15話 誰よりも優しい子

 男は駅前の喫煙所でたばこを吹かしてゆっくりと駅から出ていく人を眺めていた。

 視線を若い女性に運ぶたび、先日、固いビンのようなもので叩かれた頭が痛み、苦悶の表情を浮かべる。


 男は人通りがなく、監視カメラのない路地裏で2,3ヶ月に1度若い女性を襲っていた。

 実は行為に及びたいわけではない。ただ後ろから抱き寄せ、びっくりさせ、恐怖に歪ませる顔を見ることに性的な興奮を感じていたのだ。

 なので仕返しができそうにない若くて、地味な女性ばかり狙っていた。


 だが、先日は失敗してしまった。反撃で大きなダメージを受け、通報までされてしまった。

 しかし、得意な弁術で警察を躱し、腹いせに大学を調べ上げ通報までしてやった。最終、地味な女がどうなったか知るよしもないが、溜飲は下がった。


 男はタバコの火を消し、いつもの場所へ向かうためゆっくりと歩き出す。


 警戒を恐れ、基本2ヶ月は様子を見るのだが、前回失敗したことで性欲は満たされていない状態だ。舌も乾かぬ内ではあるが、男はターゲットを追い続ける。


 今回のターゲットは黒く長い髪をした美女。仕事柄、着ている服、髪色、装飾で女の性格、雰囲気を判別することができる。

 あの美女が恐怖に歪む顔を想像するだけで男はニチャリと歪んだ笑みを浮かべた。


 昨日、一昨日も若く綺麗な女がいたが、その女は金髪、歩き方、風格から気の強そうな雰囲気が見て取れた。

 そのような女を襲うと恐怖どころか、怒りの表情を見せるため、女の選別はしっかりしないといけない。


 駅から歩いて5分ほどでその人通りがない路地裏に到着する。

 歩く速度を速めて、黒髪の女性の後ろに気付かれないように近づく。

 手が女性の肩を掴めそうな距離になった時、男は女性を抱え込むように抱きついた。


「きゃっ!」


 男は女の恐怖に歪んだ顔を見ようとのぞき込む。


 しかし……次に男の瞳に映ったものは……。


 クエル○と書かれた……ビンであった。





 ◇◇◇



「ぐあっ!」


 その一撃を受けた男は叫び声を上げて、地面にへたり込む。

 衝撃で変装用のニット帽やサングラスが飛んでいく。


 俺は飛び出してその男のマスクを剥ぎ取ってやった。


「これで証拠はばっちりだな、弁護士さんよぉ」

「な、な、なんだ……君達は!」


「OK、完璧に撮れたでぇ! 楓も大丈夫?」

「大丈夫……。本気でぶん殴ったし」


 まさかここまで上手くいくとは思わなかった。


 駅から路地裏までは一直線。もし、この男が犯行に及ぶなら駅で獲物を狙っていると思っていた。

 前回失敗して、もしかしてと思っていたら直近で次の犯行に及ぼうとするとは……。


 昨日、一昨日は小笠原に囮になってもらったんだが、やはり気の強そうな女には目もくれなかった。

 なので、いい手ではなかったが今日は雨宮に囮になってもらった。

 被害に遭った時の芋女フォームではなく美女フォームにしたおかげで相手も同一人物と思わなかったのだろう。


「駅からずっと撮らせてもろたで。そんでこの子を襲う所までしっかり撮らせてもらったわ」


 雨宮はストレートの髪を二つ結びでまとめて、大きなメガネをかけた。


「き、君はあの時の!?」

「お久しぶりですね。そんなに経ってないけど」


「これで雨宮があんたに襲われたって証拠が出来たな。何が近くを通りかかっただけだ。しっかり抱きついてんじぇねぇか」


 男は地面にじっと座り込み、何かを考えている。

 顔を見ると以前に雨宮にテキーラのビンでボコボコにされた傷跡が残っていた。思った以上にボコってたみたいだ。


「……なんのことかな?」

「は?」


 男は落ちていたサングラスを再び付けて、立ち上がった。

 その表情は落ち着きを取り戻している。


「確かに彼女に抱きついてしまったことは認めよう。だが私は初犯だ。この前、そのメガネの彼女に殴られた時と状況は違う」


 なるほど、あくまで今回は今回ってことか。

 今、通報したとしてもそれだけで処理されてしまう可能性がある。

 だったら……。


 俺はスマホを取り出して、男に画面を見せつけた。


「こ、これは!?」

「イキってる所、悪いけどさ。証拠はあるんだよ」


 雨宮が襲われたあの日に……この場所を写し出すカメラの存在があった。

 この場所から数十メートル離れた5階建ての集合団地の窓に備え付けられたものがある。

 元々は周囲風景を撮るためらしいのだが、ちょうど……犯行現場写真が映っていた。

 くっきりと映っているわけではないが、後ろから男が女を襲った所くらいは分かる。


「……どこからそんなもの」

「簡単な話さ」


 1件、1件このあたりの家をまわって、隣、近所、知り合いに映像を持っている人を聞き回った。

 聞けばここ半年で何人かこのあたりで襲われているという話だそうだ。だが被害はいずれも小さく、警察への相談をしていないらしい。

 だけど、これからのこともあるのでツテを繋いで話を聞いてもらったら最後にあの団地のカメラに行き着いた。


「すっごい手間やったんやでぇ。この映像もらうだけで結構な人が協力してくれたんや」

「それだけじゃない」


 俺はスマホを操作して、別の動画を映し出した。


「あんた2ヶ月前もここで女性を襲っただろ。たまたま、そこに車があって、たまたまドライブレコーダーがあってその時の映像が残ってたんだ」

「……っ!」

「この近くに住むお堅い職業のお偉いさんの孫らしいぜ。この映像見たらぶち切れてたよ」


 今日撮った映像とそのドライブレコーダーの映像、あと団地からの映像。1つずつだけであれば大した証拠にならないが、全部集まれば話は変わってくる。

 それに小さいがまだ何個も証拠になりそうな動画もある。

 警察がしっかり調べればもっと余罪が出てくるんじゃないか。


 男は動かない。だが観念したようには見えない。

 何か考えてるんだろう。もらった映像は他の媒体にも残してあるし、カメラを持っている小笠原が襲われてもすぐ対処できるようにちょっと下がらせている。

 これ以上の手はないはず。


 男は懐から何かを取り出した。


「き、き……君達はだ、大学生だろう!? わ、私はかなり稼いでいるんだ。君達の望む額を……だ、だからこの件は内密にしてくれないか」


「はぁ?」


 こいつ……金で買収しようとしてるのか。

 確かに俺は貧乏だ。生活も苦しいし、豊かではない。満足に何も買えやしない。

 もらえるものなら持っておく。そう思っていたよ。


「ふざけるな!!」


 でもな、人が守らなきゃいけない尊厳ってのがあるんだよ。


 気付けば大声を出していた。

 俺はたまらず、男のスーツの襟を握り込む。


「舐めたマネしてんじゃねーぞ! 俺は何よりも怒ってんだよ!」


 頭に血が昇り、後ろから小笠原に有馬と止められるが、止められるはずもない。


「アンタが雨宮を襲ったことは……正当防衛で反撃を受けた。そこはいい。でもな……、その後で大学に通報したのは違うよな!?」


「……う」


「何も悪くない雨宮が……内気で口下手な雨宮が大人から詰められて、怖い想いをしたんだぞ! アンタのしょうも無い仕返しのせいで……分かってんのか!?」


「……あぅ」


 襟で首が少し絞まっているのだろう。男はうめき声を出すだけだ。


「雨宮は……誰よりも優しい子なんだよ! 汚い男の嘔吐物(ゲロ)を嫌な顔せず、掃除してくれる……本当に優しい子なんだよ! そんな奴他にいるか!? いるわけねぇんだよ!」


 大きく息を吸う。


「雨宮を傷つける奴は俺が許さねぇ……覚えておけ!」


 そのままの勢いで俺は男を突き飛ばした。

 男はぐったりと……それから何1つとして言葉を出さなかった。


 まだ……心臓がバクバクするし、頭に血が昇ってしまっている。いくら俺が貧乏だからって……金如きで心が揺らぐものか。


「小笠原、警察を呼んでくれ」

「う、うん、分かった」


「雨宮……すまん。おまえにも言いたいことがあっただろうに……キレちまった」

「い、いえ……」


 後方にいた雨宮の側に寄り、謝罪の言葉を投げる。

 雨宮の出番を奪ってしまったのが……申し訳ない。本当に怒りたいのは雨宮だったはずだ。

 この男のせいでひどく傷ついたはずだ。何とか心のケアをしてあげたい。


「男に何か言いたいことがあるなら今なら」

「……も、もうその人なんてどうでも、それより、その……その!」


 その雨宮は……目を潤ませて……顔を紅くしていた。

 両手をずっと頬を添えて、何かを我慢しているようだ。


「ど、どうした。何か嫌なことがあったか?」

「ち、ちが……その……あ、あまりに先輩がかっこよくて、嬉しくて、無、無理ぃ顔が緩むぅ」


「え?」

「な、何でも無いです!」


 俺に怒っているわけではないようだ。


 一応この地区のお偉いさんと連絡が取れるようにしているので警察との話は円滑にいくことだろう。

 大学生の俺達が話すよりもよっぽど力強い。


 それから程なくして、警察がやってきた。




 ◇◇◇




 あの事件が終わって2週間。きっかけは俺達だったが事態はわりと大きな方向へと進んだ。

 あの地区の有力者の孫に手を出したんだから当然だ。

 結局学生である俺達にはこれ以上の情報はまわって来ず、最終あの男がどういうことになったかは知らない。


 雨宮は謹慎期間はとっくに終わっていたが、謹慎処分自体は消滅した。

 風評被害については小笠原が所属している飲みサーを通じて噂を流したため、前より悪いことにはなっていない。


 元々雨宮は大学で友人がいないので変わらないと言った方がいいのかもしれない。

 全ては以前と同じに戻ったのだ。


 ただ1つ。

 変わってしまったことがある。


「先輩……。今日もごはん作りに行っていいですか」


 俺の袖をゆっくりと掴み、雨宮は甘えるような言葉を吐く。

 それまでどこか1線、先輩と後輩で明確な線引きがあったような気がしたが……、雨宮はより深く俺に甘えるようになった。


 俺自身も誰も入れる気のなかったパーソナルスペースに雨宮を入れることに抵抗がなくなってきた。


 この事件を経て……関係が変わり始める。

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