プロローグ 『約束』
「わたし、大きくなったらリっくんのお嫁さんになりたい……」
春。一面の白いライラックの園で、隣に座る少年に顔を真っ赤に染めた少女はそう言った。
小さな両手をきゅっと握り締め、真剣そのものの表情。それは子供心、と笑えない強い意志を感じさせる。
「えー…お嫁さん、ってシルがウチのかーちゃんみたいになるって事だろ?」
驚いた、という表情で少年が答える。彼は母親を尊敬しているが、同時に恐怖の対象でもあった。
「とーちゃん見てると、お嫁さんって怖い女の人がなるんじゃないの?」
「ち、違うよぉ!ウチのお父さんとお母さんはそんな事ないでしょ?」
心からの疑問を投げかける少年に、少女は慌てて否定する。まだ顔は赤いままだ。
「あー、そうだなぁ。シルのとこはなんていうか…すっごくあったかい感じがする」
これはつまり、少年の家庭は圧倒的に女性が強く。少女の家庭は、仲睦まじいごく一般的な夫婦、という事になる。
少年は、『自分の両親は不仲ではないが、父は母に決して逆らえない。母が最強』という家庭が普通だと思っていたのだ。
そして、彼の目の前に居る少女は、ちょっと引っ込み思案な、でもとても穏やかで優しい。自分の母親とは真逆だ…
ずっとそう思ってきた彼女が、「お嫁さんになりたい」と言い出した。なんてことだろう。
その瞬間、少女が母親のように変わってしまう。怖い女性になってしまうのではないか?と想像し…先ほどの返事になった。
しかし、続く少女の言葉で、そうでない夫婦が居た事を考える。確かに彼女の両親はウチとは違って穏やかだ、と。
(とーちゃんとかーちゃんが変なのかな、多分)
少年は一人得心し、きちんと少女に向き直る。彼女は真剣だった。ならば自分も真剣であるべきだと。
「わかった。シルが変わらないならいいよ。おれもシルと一緒がいいし」
照れくさい。その感情を必死に押し殺して、少年は応えた。やはり頬を赤く染めて。
「…リっくん……っ!うん………うん、わたしずっと一緒に居るよ。変わらないよっ」
ぱあっと、花が咲くような笑顔で。少女は喜び、少年の赤い頬にそっと唇を触れた。
「約束だよ?…リっくん、大好き…っ」