2-1.ブリード番長
作中のエルフは、食事を取らずともエーテルなる存在の接種だけで生きていける設定デス。
人というより精霊よりの存在デスネ。
第2話 ブリード番長
ここは『村』。エバンの森のエルフの『村』である。
エルフは長身痩躯の眉目秀麗な美男美女揃い、魔術と弓術に長けた長寿の種族である。ただ、他種族との交流には排他的であり、森をテリトリーとし、そこでエルフだけの村を作って過ごしている。そして、基本的に一つの森には一つの村しか作らないため、エバンの森の『村』といえば、それでエルフ達には通じるのである。
そして、この『村』の様子と言えば、『村』という野暮ったい表現をするのが憚られるほどの幻想さを誇っていた。家は巻貝のような滑らかな曲線を持った白地の建物で、青白く輝く小川が家々の間を流れている。小川からは絶えず白く発行するシャボン玉のような球体が湧き出て、『村』を幻想的に照らしている。球体はある程度の高さまでいくと、これまたシャボン玉のように割れて消える、なんとも儚げだ。
小川の至る所に美しいアーチの小さな石造りの橋がかかっており、道を辿ると『村』中央の大きな広場へと繋がるようになっている。その広場には白く小さな花が咲き乱れ、青白い蝶がヒラヒラと花々の間を舞い踊る。
だが、ここには決定的な要素が足りない。
いないのだ。
エルフの姿が、どこにもいない。一体どこに行ってしまったのだろう?
正解は家である。家の中に閉じこもり、外に出ることを拒んでいるのだ。
エルフとは排他的な上に引きこもりの種族なのか。
違う。
家の中に閉じこもらざるを得ないのである。
そうこう説明している間に、『村』にうっすらと霧が出てきている。うっすら……? なんということだ! その霧はあっと言う間に濃くなり、既に三寸先すら見ることが出来ない!
ぐるるるる……
霧に紛れ、何やら低い獣の唸り声が聞こえる。そして、家々の間を徘徊する大きな足音……恐ろしい何者かが外にいるのは間違いない。この何者かを恐れてエルフ達は家へと引きこもっているのだ。
しばらくして、唸り声が遠ざかっていく。そして、霧も嘘のように晴れていった。
広場に近い、ひと際大きい家の中。
小さな窓から外の様子を伺っていた男エルフがため息をつく。銀色の長髪であり、顔は堀が深く少しばかり皺も見られる。
「いったか……」
「長老、やはり私は心配です。妹一人に行かせるべきではなかった」
ブロンド短髪の精悍な顔つきの男エルフが俯き、嘆いた。
長老と呼ばれた銀髪の男エルフが鋭い視線を送る。
「あの娘は村の戒律を破り、外の者に助けを呼びに行った。助けることまかりならん」
「グローリエルの行動も村を思ってのこと! それを戒律だと、悪しき風習だ! 外の魔獣を殺せないのも戒律のせいではないですか! ただ、滅ぶのを待つくらいなら、私も妹のように戒律を破り、村を救う!」
「マルディル! 誇り高き祖先を愚弄するな!」
「私は祖先よりも、今を取る!」
マルディルと呼ばれた若い男エルフはいきり立ち、壁に立てかけてある長弓に向かってズンズンと歩いていった。
それを止めるもの有り。シルク(かどうかは定かではないが、そのような滑らかさを持つ素材である)のドレスを清楚に着こなした、女性のエルフだ。髪は金の長髪を後ろにまとめており、その胸はかなりの大きさを誇っている。
「母上……」
マルディルが呟く。どうやら彼の……ひいてはグローリエルの母親のようだ。そうは見えないほど若く美しい。長寿のエルフにおいては、一見すると親子関係の見分けは付きにくい。成人の期間が驚くほど長いのだ。
「マルディル、下がりなさい」
「ですが」
「下がりなさい」
「母上はグローリエルのことが、村が心配ではないのですか!?」
「そのために、ここにきたのでしょう? 感情で道先を見失ってはなりません」
「くっ……」
「グローリヴリン。どういう意味かね」
長老がマルディルの母親、グローリヴリンに尋ねる。彼女は、ゆっくり、優雅に振り向き、そして一礼をした。
「長老。私たちは戒律を破った愚かな娘に慈悲を頂きたく、ここに参上させていただきました」
マルディルも渋々といった様子で長老に頭を下げた。
長老は白い椅子へと腰かけ、二人を見る。
「顔を上げなさい。二人とも。して、慈悲とは?」
「娘の過ちを二つ、許していただきたいのです」
「二つ? 一つでは?」
「いえ、二つです」
グローリヴリンは顔を上げる。そのエメラルドグリーンの瞳に強い意志を秘め。
「一つは許しなく外の者に接触する目的で村を出たこと。そしてもう一つは……」
*
場所は変わってエバンの森。
その中を進む二つの影。そう、ダイセンとグローリエルだ。
「キャン!」
犬のような、ただ、口が異常に大きい動物の頭にダイセンの勢いをつけた人差し指が直撃し、弾き飛ばされる。
しばらくして、よろよろと犬のような動物は立ち上がる。そして、ダイセン達を一瞥し、森の奥へと尻尾を巻いて逃げていった。
何度か道程で似たような獣に襲われたが、ダイセンはその全てを同じようにあしらっていた。
「すごい、ビッグマウスも指一本で……それって『スキル』なんですか?」
グローリエルが感心するようにダイセンに尋ねると、彼は眉を潜めた。
「すきる? よぉわからんが、デコピンのことけぇ? 遊びの一つじゃ。しっぺ、デコピン、ばばチョップってのぉ! がっはっはっ!! ま、犬っころ躾けるには丁度えぇ具合ですけぇ」
「遊び……? 魔獣を殺さず、躾ける? 不思議な人ですね。外の世界では魔獣退治ってお金になるのではないのですか? 私はそう聞いたのですが……」
「獣退治が? ならんならん! 稼げるのは一部の職人だけじゃ。それに奴等も生きるのに必死なんじゃ。よっぽどの理由でもなきゃ、あんま殺す気にゃならんですのぉ」
「そうですか……」
グローリエルが立ち止まる。
「? どうしやした? ぐろうりえるさん?」
「バンチョーさん……私のお願い、覚えていますか?」
グローリエルの言葉にダイセンはボロボロの学生帽のツバを撫でる。
「がっはっはっ! こう見えても学生ですぜ、わたしゃ! 記憶力には自信があるのですよ! 村に出た獣をなんとかしてほしい、これでしょう!」
「いえ、違うのです」
「むぅ?」
「村に出た『魔獣』を『殺してほしい』のです」
「……どういうことですかい?」
ダイセンの目つきがふと、日本刀のごとく鋭い切れ味を帯びた。
*
グローリエルは再び語った。
村に出た魔獣のことを。村に迫った危機を。二度とこの危機を起こさないために魔獣を殺してほしいということをつけ加えながら。ダイセンが内容をどこまで理解しているかはわからない。だが、もう一度判断してもらった方がいいとグローリエルは感じたのだ。
それによって、ダイセンに頼みを断わられようとも。グローリエルには彼に不本意な形でやらせてしまうのだけは避けたい気持ちになっていた。それは彼を信頼したから。信頼に不義をしたくなかったから。
「むぅぅぅぅん……」
話を聞いたダイセンは腕を組んで唸りを上げる。
「やっぱり、ぐろうりえるさんの話は難しいのぉ。その獣がいるとなんたらってもんが?」
「エーテルです。村の小川からは私達エルフが生きるために必要なエーテルが常に溢れているのですが、魔獣『フェンリル』の出す霧はそのエーテルの放出を止めてしまうのです」
「そのふぇんりるが村に降りてきて、定住しそうになっちょると」
「はい。初めは数日に一回、村に現れるかどうかでした。それが今や半時間に一回……追い払おうと試みては失敗するばかりで、ずるずるとこんな状況に。これ以上は、お年寄りや子供達から順に倒れていってしまう……」
「はぁ。ようわかりやせんが、追っ払えんのなら、こっちが引っ越しちまえばえぇんじゃ?」
グローリエルは慌てて首を振った。
「エーテル源は先人達の英知の結晶なのです! おいそれと捨てるなんてとても……! それに村の人々が丸々引っ越せる移住先なんて作りでもしないとありませんよ。そんな悠長なことをしているような暇は」
「まぁ、そりゃそうじゃ。難儀なもんじゃのぉ」
腕を組んだままダイセンは目を閉じ、眉根を寄せた。
「駆除しようにもその獣がおっそろしく強いと」
「えぇ。フェンリルは『深き闇の殺し屋』とも呼ばれる上位の魔獣。太刀打ちできるものは村には存在しません。それに、村の戒律……決まりで戦うことすら出来ないのです」
「決まりじゃと?」
「『食殺以外の殺生を禁ず』。つまり、殺すなら食べろ、そういうことです」
「食えばえぇんじゃ?」
「魔獣の肉は毒!」
「毒のある獣とは珍しいのぉ」
結局ほとんどもう一度最初から説明する羽目(実は四回目である)になってしまった。せめて三回で勘弁してほしかったとグローリエルは肩を落とした。
ダイセンは頭を掻き、ため息をつく。
「気が進まんし、気に食わん話じゃ」
「誤解させるような話し方をして申し訳ありません」
グローリエルは頭を下げた。
「じゃが、約束は守る。獣をどうにかするという約束はの。どうであれ、一度は約束したんじゃ」
「え! いいんですか」
「殺す約束は出来んぞ。それは現場で判断するですけぇ」
ダイセンはきっぱりと言った。十分だ、とグローリエルは思った。
気に食わない。その言葉の行先はきっと自分を含めた村全体のことを指している。村の戒律に縛られて滅びの宿命に嘆くばかりの村と、村ではどうにもできないから、他人に全てを押し付けようとする自分に。それを飲み込んだ上でやってくれるという。感謝以外に何があるというのか。
グローリエルは頭を再び下げた。
「ありがとうございます!」
彼女はダイセンとの付き合いはほんの数時間であるが、この竹を割ったような男の性格をぼんやりと理解し始めていた。
「わたしゃ聖人クンシじゃないですけぇ。殺すの嫌じゃゆうても、本当にしゃーない状況なら、最後には人の味方をしちまうでしょう。人って奴はとことん勝手やねぇ……」
そうボヤくダイセンの大きな背を、グローリエルは見つめた。
*
エバンの森、エルフの『村』。
グローリヴリンはきっぱりと長老に言い放った。
「もう一つは、許しなく娘が外部の者を村に入れることです」
長老の整った銀の眉がピクリと動く。
「あの娘が無事に戻ってくると? 外から、この状況を救える何者かを連れて」
グローリヴリンは頷いた。
「えぇ。もし、闇が落ちても戻ってこないなら、私の命を精霊に捧げなさい。いくばくかは村の皆の命の足しになるでしょう」
「私の命も賭します。最もその時はこの弓で魔獣と戦った上での戦死でしょうが」
マルディルもグローリヴリンの横に並び立った。手にはいつの間にやら長弓が握りしめられている。
長老は咳払いし、頭を振った。
「いいだろう。そこまで言われては無碍にできまい。『きらめきの賢母』と言われたお主の頼みならば、尚更。だが、何故だ。何故そこまであの娘を信じることが出来る」
グローリヴリンはニコリとほほ笑んだ。
「娘を信じない母親がいるものですか」
「妹を信じない兄もね」
マルディルがそっけなく付け加えた。