小話9.5.お忍び番長3
小話9.5.お忍び番長3
「おにいさま! あそぼー!」
グローリエル、もう少し寝かせてくれないか……
「マオーたいじごっこー! ねぇー!」
俺は昨日あれだけ働いたんだ、今日は休ませてくれ……
「はたらいた?」
あぁ、そうだ。知ってるだろ、あのドワーフの連中に……
ドワーフ?
*
「おわぁ!」
マルディルは跳ね起きる! その拍子にポテッと体の上から何かが落ちた。
「ぷる!」
真っ赤なスライム。だが、それを気にしているような余裕が今の彼にはない。持ち前の鋭利な頭脳が正確な現状を既に把握し始めていたのだ。そして……彼は頭を抱えた。
「しまった……寝過ごした……!」
そう。今はあのお祭り騒ぎから一夜過ぎた、次の日。ダイセン達に合流する絶好の登場タイミングを計っている最中の彼であるが、ドワーフ達にこき使われた疲れで気持ちいいほど寝過ごしてしまったのだ! 寝起きですら絶世のイケメンたる彼でも、疲れはどうにもならなかった!
マルディルは慌てて支度し、ダイセン達がいた洞窟へ様子を窺いに行ったが、
「くそ……」
やはり、既にもぬけの殻。どこかへと出発してしまったようだ。これで完全に彼等を見失ったことになる。立ち尽くして途方に暮れるマルディルであったが、その足に擦り寄ってきたものがいることに気付く。
「お前」
「ぷる!」
それは、先のスライムであった。
*
肩に乗せたスライムが体を変形させ、触手のようなものを伸ばす。マルディルはそれが示した方へと足を向けた。
「あぁ、スライムに従うなど……俺はどうにかなっちまったか……」
彼は歩きながら頭を押さえて、一人ごちる。
スライム。動物的な器官を何一つとして持ち合わせない特殊な生命体。所謂、魔法生物。一般的には、何かの『大いなる流れ』に従って動き、その反応だけで生きていると言われているが……マルディルは不思議と、最初に会った時から、この赤いスライムには個としての意志めいたものがあるように感じていた。
そして、今回も『自分が道案内をするから連れていけ』と訴えているような気がしてならなかったのだ。こんなことを他人に話そうものなら、頭がイカレたかと馬鹿にされるだろう。それでも、自分のこの直感を信じてみたくなった。藁にもすがりたい状態だというのもあるが、あの巨漢に毒された、と言った方が正しいだろう。
マルディルはやれやれと小さく首を振る。
「本当に頼むぞ、お前」
「ぷる!」
彼の肩でスライムはぷるぷると震えた。
しばらく歩いていると、足場が細くなってきた。普通の人間の感覚なら心許ないと思うほどの狭さだが、エルフの狩人たる彼にとって、少々の足場の悪さなど特に問題にならない。
だが、何かの間違いで二、三歩よろめいたならば……マルディルは体を少し乗り出して切り立った崖の下を覗き込む。
「こりゃ、助からないな」
と、その時! 彼の狩人としての鋭敏な感覚が何者かの気配を感じ取った! 素早く前方へと注意を向ける。狩人の目が岩間にチラリと見えたその正体を看破した!
タール・ベアー!
相手をするにも、逃げ場が少ないここでは不利。なるべくなら戦いは避けたい。彼は息を殺し、シャドーウォークで下がろうとした、が!
後方から小さな石ころが崖下へと落ちる音。
振り向く! そこにはもう一匹のタール・ベアー! それは何かを探るように鼻を地面に擦り付けていたが、ふと頭を上げ、マルディルと目を合わせた! 合ってしまった!
「くっ!」
彼は駆けだす、前へと! 最早挟み撃ちは避けられぬ。そう判断した彼は前方の個体を素早く突破する賭けに出たのだ。進むために!
となれば、当然気づく前方のタール・ベアー! 立ち上がり、前腕の両爪を器用にすり合わせ、手に勢いよく火を灯す! マルディルも駆けながら腰のナイフを引き抜いた! 弓を使いたいが、後方からも熊が迫っているこの状況では悠長に狙いを定めている暇はない! スライムはといえば、彼の外套の下へと潜り込んで、体に巻き付いていた。不思議と動きの邪魔にはならない。
「ごふっ!」
興奮した魔獣が立ちはだかる。
マルディルの狙いは首元。相手の攻撃をかわしざまに一撃ぶちこんで、怯んだところを横から一気に抜ける算段! あとの問題は!
「『ステータスチェック』!」
指を前へと突き出し叫ぶ! そして、素早さの項目を確認。
よし、こちらが上! 逃げ切れる!
マルディルは十分な勝機を確信した上で、タール・ベアーの懐へと飛び込んだ! 彼に振り下ろされる左腕! 炎の軌跡が描かれる!
「はっ!」
マルディル、身を捻る! 翻った外套が爪に裂かれ、焦げる!
だが、それだけだ。正に紙一重の回避! 彼は身を捻った勢いで一回転し、その勢いのまま魔獣の首元へとナイフを突き立てた! 計画通りの攻防!
ここまでは。
タール・ベアーは怯まなかった。ナイフなど意に介さず、右腕を彼の脇腹めがけ横薙ぎに振るってくる。痛みになど、もう慣れているとでもいいたげに。
マルディルは自分の読み違いを悔やみ、そして、覚悟した。この攻撃は防げない。全身に力を込め、来るべき痛みに備える。それしか出来なかった。しかし。
ガキィィィン!
その攻撃は、硬質的な何かで防がれた! 驚愕に目を丸くするマルディル!
「お前!」
そう! それは赤きスライム! 外套下から飛び出し、彼の体を覆ったかと思うと、自らの体を硬質化してタール・ベアーの攻撃を防いだのだ! しかも、その体は炎すら通さぬ!
「ごふっ!」
ただ、爪は防げても、魔獣の腕力は防げぬ!!
鼻息を荒くしたタール・ベアーは、防がれた爪などお構いなしにそのまま腕を振り抜いた!
「うぐっ」
剛腕にすっとばされるマルディル! そして……あぁ! 彼は崖から飛び出してしまった!
しかし、ここでもスライム!
今度は体を軟化させて触手を伸ばし、崖から飛び出た枯れ木を掴む! そして、マルディルを振り子のように振り上げて、足場へと着地させたのだ!
「!!」
その位置はタール・ベアーを抜けた先! 動揺している暇はない! マルディルは脇目も振らずにそのまま走り抜けた。
*
タール・ベアー達を振り切ったことを確認して、マルディルは岩陰へと腰を下ろした。
「はぁ、はぁ、助かった……」
彼は大きなため息をつく。そして、傍らにいるスライムに目をやった。
「お前のおかげ……? おい!」
そこで異変に気付く。張りのあったはずのスライムの体が、まるで黄身の潰れた卵のようにのっぺりと平べったく潰れていくではないか!
「しっかりしろ! 『ヒール』!」
マルディルは慌てて両手を突き出し、スライムに回復魔法を唱える。魔法生物に対して魔法の効果があるかは定かではない。それでも、彼はやるしかなかった。
「死ぬな! まだ礼も出来ていないんだ!」
彼は必死に回復魔法を唱え続けた。
*
しばらくして、スライムは元気を取り戻していた。
マルディルは肩でぷるぷるしているスライムへと話しかける。
「命をかけて俺を救ってくれたんだな、お前……いや」
首を振る。
「もう『お前』とばかりは言えないな」
彼が差し出すように手を伸ばすと、スライムはその手のひらの上へと移動した。
「『ウィル・ファイア』」
そのまま初歩の火の魔法を唱えるマルディル。すると、不思議なことにスライムの体がボウとうっすら輝く。
「今から、ギル。『ギル・ルイン』と呼ぼう。我々の言葉で『輝きの火』という意味だ」
輝くスライムに彼は微笑んだ。
「ありがとう。友よ」
【お忍び番長3 終わり】