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夏のホラー

スレンダーマン殺し

 初めてあいつを見たのは夕暮れの公園です。

 公園には遊具で遊ぶ子供達とその母親達がいました。

 娘はジャングルジムで遊んでいたのですが、傍に怪しい男が立っていたんです。逆光で顔はよく分かりませんでしたが、痩せぎすで黒いスーツを着ていたと思います。

 男は何をするでもなくただじっと立っていただけでしたが、私の娘を注視していたのは明らかでした。

 どう見ても不審者です。

 不安に駆られた私が、慌てて追い払おうとしたのも当然でしょう。

 けれど、おかしなことが起きました。

 誰も私の言葉に耳を傾けてくれないどころか、怪しい男の側に立って口々に私を非難し始めたのです。そして、こともあろうに立ち去るべきは私の方だとの結論が下されてしまいました。

 どうしてこんな異常なことが罷り通るのでしょう?

 娘を見れば可哀そうに、あまりの事態にわけが分からずに泣いていました。

 私だって悔さの余り涙が出そうでしたが、歯を食いしばって堪えていたのです。

 ただ、あんな娘の姿をこれ以上見るに忍びなかった。だから、一見無様だったとしても目を伏せてその場を退くことにしました。

 まさにその時、私には男の正体が見えたのです。

 恐るべきことに奴は人間ではなく、異常に長い手足をしたおぞましき姿の化物でした。

 あれは一体何なのでしょう?

 私は震える身体を必死に抑え、足早にその場を去りました。


   ◇ ◇ ◇


 その日、大学時代の旧友から連絡を受けて、俺はひどく戸惑っていた。

 何しろ卒業後はお互い連絡を取ることもなかった程度の仲なのだ。人伝に結婚したらしいことは聞いていたが、招待を受けたわけでもない。

 とっくに切れたと思っていた関係だけに、突然、会わないかと言われて少し嫌な予感がした。何かの勧誘目的ではないかと警戒が先に立ったのだ。

 しかし、どうしても話がしたいと疲れた声で訴えるのが気になり、仕事帰りに会うだけ会ってみることにした。

 久しぶり見る旧友は、ひどくくたびれた様子だった。

 目の下には隈があり、無精髭も伸ばしたまま、着ている服だってヨレヨレだ。

 一体、こいつに何があったのだろう?

 夕食を兼ね、近くの居酒屋レストランに腰を落ち着ける。

 始めはお互いぎこちなかったが、酒が入り思い出話に花が咲くにつれ、徐々に昔のように打ち解けていった。

 できれば近況について語り合いたかったが、あまり乗ってこなかったので深入りせず、取り留めもない与太話に終始した。

 おそらく、それを望んでいると思ったからだ。

 そんな中で意外だったのは、お堅いあいつには不似合いな話を振ってきたことだ。


「お前、オカルト話が好きだったよな? ぜひ聞いて欲しい話があるんだ。これは友人の体験談なんだが――」


 そんな前置きと共に、あいつが語ったのは公園で目撃したという怪人の話。

 きっと俺を楽しませようと思って選んだ話題なのだろうからと、こちらもうまく話を合わせていくことにした。


「そいつはスレンダーマンじゃないか?」


 怪訝な顔をする彼に、俺はノリノリで解説してやった。

 スレンダーマンとはアメリカ生まれの都市伝説の怪人だ。名前の通り細身の男だが、異常なほどに背が高く手足の長いのっぺらぼうで、背中には触手も生えているらしい。そんなでたらめな体型のくせに、きっちりとサイズに合った黒スーツを着ているのが謎だが、手製なのだろうか?


「性質は残忍そのもので人を襲う。逃げても瞬間移動でどこまでも追いかけるんだとか。特に子供がターゲットになりやすいそうだ」


「何だって?」


 何ともサービス精神旺盛なことだ。旧友は大袈裟に反応してくれた。

 俺も負けじと声のトーンを低くして神妙な声音を作る。


「スレンダーマンの最も恐ろしいところは、人を狂わせる力があることだ」


 これには諸説あって、近付いた者が病気に感染して狂うとか、その姿を見ただけで狂うとかいわれているのだが、いずれにせよ狂うことに変わりはない。


「実際、スレンダーマンを恐れるあまり味方に付いた人もいたそうだぞ」


 これは都市伝説であると同時に、現実に起きたことでもある。

 それがいかに恐ろしいことなのか、この時、俺にはまるで分っていなかったのだが。


「そうか、そういうことか……」


 旧友は得心がいったかのように何度もそう呟くと、そのまま黙り込んでしまった。

 最初から疲れた様子だったこともあり、気分が悪くなったのかと心配して声をかけたが、大丈夫だと生返事をするだけで心ここにあらずだった。

 結局、そのまま店を出て別れることになったのだが、あいつの爛々と輝く眼の光が妙に恐ろしく感じたものだった。


   ◇ ◇ ◇


 スレンダーマン? スレンダーマン。スレンダーマン!

 それが恐るべき怪物の正体だ。

 人を襲う? 子供を狙う?

 人を狂わせてしまう?

 全部が全部、私の置かれた状況と合致しているではないか!

 何と恐ろしいことだろう。そんな、人外の化物が私の娘を狙っているだなんて。

 守らねば。

 私は決意した。

 命に代えても、スレンダーマンを退治しなければならない。

 あの怪物を倒して娘を救うのだ。

 家族を守ることができるのは、もはや私しかいないのだから!


   ◇ ◇ ◇


 その日、大学時代の旧友から連絡を受けて、俺はひどく戸惑っていた。

 何しろ、それは共通の友人が殺人者になったとの知らせであったのだ。

 あいつは、保育園の男性保育士を滅多刺しにして殺したらしい。


「何てことをしでかしたんだ……」


 血の気も凍る犯行に、俺はめまいを覚えた。

 ふらついた身体が道端のブロック塀にぶつかり、目の前を通行人が怪訝な顔で通り過ぎていく。

 壁によりかかったままスマートフォンを取り出し事件を検索する。報道によれば、離婚した元妻と保育士が男女の関係にあると誤解しての、嫉妬による犯行ということらしい。

 だが、内容を読み進めていくうちに、俺は更なる恐怖を味わうことになる。

 なぜならあいつは「人は殺していない」と主張しており、その理由に挙げられていたのが、殺したのは人ではなくスレンダーマンだ、というものだったのだ。


「……そんなことって」


 頭を殴られたような衝撃に、俺は知らず頭を抱えていた。

 スレンダーマンだと?

 あの時、話に出た都市伝説の怪物だと?

 これでは、まるで俺が殺しに繋がるインスピレーションを与えてしまったみたいじゃないか。

 あの時、自分が何を言ったのか必死に思い出す。


『スレンダーマンの最も恐ろしいところは、人を狂わせる力があることだ』


 そうだ。そして、次に何と言った?


『実際、スレンダーマンを恐れるあまり味方に付いた人もいたそうだぞ』


 そう言った。

 そうしたら奴は、すっかり様子が変になってしまったんだ。


「くそっ、何でだ、ふざけるなよ」


 元妻を、娘を、新しい男に取られると思ったのか?

 その怪物は、人を狂わせるスレンダーマンだから?


「一体、どうしてそんな馬鹿げた話を真に受けるんだ!」


 だが、俺の脳裏にはとある事件名がよぎっていた。

 それは俗に『スレンダーマン事件』として知られる、二〇一四年にアメリカで起こった殺人未遂事件である。

 スレンダーマンの存在を本気で信じてしまった二人の少女が、怪物への心酔もしくは自身と家族の安全を手に入れるため、スレンダーマンの手下に加えてもらうべく、怪物に代わって友人を殺害することを計画、実行に移したのである。結果、被害者は命こそ助かったものの全身十数か所を刺されるという重傷を負ってしまった。

 元々、スレンダーマンとはネット上で人工的に作られた都市伝説に過ぎない。

 フォトショップで加工した一枚の不気味な写真をきっかけに、多くの人が様々な設定を付け加えてゆき、誕生から数年であっという間にネット上で有名な怪談のスターとなったのだ。

 そんな、ちょっと調べれば作り話と分かるような空想上の産物が、どうして殺人を決意させるほどに人の心に影響を与えてしまうのか?

 あるいは、現にスレンダーマンをきっかけに狂気が引き起こされている以上、それこそがスレンダーマンという超常的存在の実在証明ということなのだろうか?


「思えばあいつは、俺に会う前から化物を見たと言っていたな……」


 もちろん、普通に考えればその時点で狂っていたから怪物などを見たのだ。

 だが、どんな状況であれ何かを見たと認識していたのは確かといえる。


「あいつは、一体何を見たんだ?」


 俺は重い手足を引き摺るようにして家路についた。

 既に陽は暮れようとしており、朱に染まった住宅街の道を行く者は自分の他に誰もいない。

 いやに静かだった。

 車の走る音や生活音が全くしてこない。

 まるでどこか、違う次元にでも迷い込んでしまったかのようで不気味だった。


「――!?」


 そんな時、ふと感じた気配に俺は驚いて視線を移す。

 そこには細長い人のシルエットがあった。

 何のことは無い。夕陽が射して自身の影が塀に伸びるのを、視界の端で捉えたのだ。

 けれど、影の形に違和感があるのが妙に気になった。

 細身長身の背中の一部が、こんもりと盛り上がっているのだ。

 俺は何も背負っていないのに、どういうことだろう?

 それで、そのまま影を凝視し続けた。

 すると、どうしたことだろう。背中の盛り上がりは徐々に膨らみを増してゆき、やがて幾本も触手のようなものが生えてきたではないか。

 何だこれは?

 何なんだこれは?

 あまりの展開にまるで頭が付いていかない。

 その間にも、触手はどんどんと増殖を続け、みるみるうちに壁一面を覆い尽くしていく。

 そして、視界が闇に包まれる――。


「うわあああっ!」


 俺は叫び声を上げて目を瞑った。

 逃げることも、身を守ることもできなかった。ただただ本能的に、恐ろしいものを直視したくなかったのだ。

 今にも襲い掛かってきた触手によって、絞め殺されるのではないか。そんな恐怖にかられながらも、耳を塞ぎ目を瞑ってその場にうずくまる。

 そうしてじっと耐えていると、不意に張り詰めていた空気が緩むのを感じた。

 遠くを走る車の音がして、民家からはテレビの音声が流れてくる。

 恐る恐る目を開けると、辺りはすっかり真っ暗になっていた。

 きっと、精神的疲労から白昼夢でも見ていたのだろう。

 そう思って帰宅すると、全てを忘れて眠りについた。

 それっきり、俺はこの件について考えることをやめた。テレビもネットも見ずに過ごし、好きだったオカルト話からも距離を置くようにした。

 ほんの僅かでも、あの怪物の影を感じることには関わりたくなかったのだ。

 それでも時折、看過できない危険を感じる時がある。

 奴の姿を想起させる長身の黒スーツを着た男性を見たときだ。

 まったく、奴らは何故あんな無責任な格好をしているんだ?

 あれではいつ何時、怪物へと姿を変えるか分からないではないか。

 仕方ないので最近はナイフを持ち歩くようにしている。

 備えあれば憂い無し。いざという時には、自分の身は自分で守らねばならない。次にあいつが現れたら、恐怖に捉われたまま無様を晒すつもりは無い。

 今度は、きっと返り討ちにしてやるつもりだ。

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