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「そ、そんなに、わたしおかしい……?」
「まわりが気付かなくても、俺は気付いてるけど」
またそういうことを言う。水槽で泳ぐわたしというメダカが、サブちゃんが蒔く餌にパクパクと食いつくビジョンが浮かんだ。ああ。辛い。
「告白……しなきゃよかったとは思っていないよ。明日華のこと変えたのも俺だから」
「……どういうこと」
「いままでの明日華も好きだけど、俺のせいで変わっても、それでも同一人物だし」
それ以上、喋らないで欲しいとサブちゃんを手で制した。受け身が取れない。なにを言われているのか理解できない。
「言ってることいまいちわかんないけど、サブちゃん、そういうことよく普通に言えるね……わたし恥ずかしくて死にそう」
「俺だって……恥ずかしいんだよ」
手で顔を覆って、指の隙間からこちらを見ている。サブちゃんのこんな顔を見るのは初めてだ。
「そ、そうなんだ」
「俺のことなんだと思ってるんだよ。まったく」
横断歩道で信号待ちをする。背の高いサブちゃんと、それより頭ひとつ低いわたしの影が地面に落ちた。
「なんだって、サブちゃんは、サブちゃんじゃん」
「……俺にとっても、明日華は明日華。同じことだよ」
「?」
何語を話しているんだろうか。もっと分かるように言って欲しいんだけれど、また「明日華が好き」というワードを盛り込まれると心臓の鼓動が止んでしまいそうだから質問はしなかった。
「ああ、俺なんでこんな恋愛音痴の子を好きになったんだ……」
サブちゃんは、ため息をつきながら歩いている。
「ごめん~」
「恋愛音痴だって分かってるからはっきり告白したんだけど。せいぜい俺のこと頭から離れなくなればいいよ」
「ええ、なにそれ怖い」
恋愛音痴と言われて、否定はできない。初恋もあったような無かったような。よく思い出せないし。サブちゃんはわたしの前で出て、くるりと振り向いた。わたしは歩みを止める。
「明日華が自分の本当に気付く前に、洗脳しようと思って」
サブちゃんは、ちょっと困ったような顔をして、わたしを見ている。
「なに言ってるのか分からないよ。サブちゃん」
「……もういいよ……」
これ以上言っても無駄だとでも言うように、頭を抱えてサブちゃんは歩き出した。
「ごめん、サブちゃん」
広い背中にそう声をかける。聞こえないように。
あなたの言うことが理解できるとき、きっといろんなことに気付くのだと思う。わたしだけがなにも分からないでいられるわけがない。美智もサブちゃんも、自分の気持ちに素直に真っすぐに生きている。
次第に暮れていく空を見上げて、あと何度これを見上げたら胸の痛みはおさまるのだろうと思った。
◇
目が覚めてから家を出るまで、予定していた行程を急ピッチでこなす。少しだけ寝坊をしてしまったのだ。念入りにブローしようと思っていた髪の毛は、はねたままで結局いつもの様にポニーテール。お気に入りのビジューが付いたゴムを使った。
日が暮れれば肌寒くなるだろうからカーディガンを羽織る。デニムスカートにスニーカー。財布と携帯、ハンカチとリップなんかを入れたポーチを、これもお気に入りのリュックに入れた。折り畳みのトートバッグも忘れずに。先週買い物にいったときにどうして新しいのを買ってこなかったのだろうか。途中までは買うつもりでいたのに。結局、持ち手がボロボロのまま、使い続けることになりそうだ。
今日から世間は3連休。孔輝と美智、サブちゃん、わたしの4人で八木山動物公園へ行く当日だ。
八木山動物公園は、地下鉄の駅が出来てとても行きやすくなった。前回行ったのは、小学生のときに両親に連れられてだったと思う。そんなに前なのかと言われるかもしれないけれど、単純にうちの家族旅行に動物園が選ばれなかっただけだ。
ほかの3人も頻繁には行ってなかったみたいで、一番最近が数年前、地下鉄の駅ができてからは行っていないそうだ。それならかえって新鮮に感じられていいと思う。
車でドライブがてら行くような感じだったのに、変わったなぁ。高校生だけで地下鉄で来ることができてしまうんだもの。もう何年も行ってないわねぇと言いながら嬉しそうにお母さんもお父さんも「楽しんできなさいね」と言ってくれた。そのあと、わたしが動物園でダダをこねた話やソフトクリームをお父さんのスボンに落とした話をされ、記憶に無いことは責任取れないと思った。
「いってきまーす」
外に出ると、少しだけ風が冷たい気がする。最近は暗くなるのが早くなって、夜明けも遅い。着実に季節は進んでいた。今日の天気予報をチェックしたけど降水確率は低く、いまはとても晴れている。よかった。雨なんか降ったらテンションが下がる。
この間、孔輝におかしな態度を取ってしまって、自分でも気持ちが悪かったから次の日に謝った。すると孔輝は「拾い食いでもしたのかぁ?」とニヤニヤ笑い出したから、悩んでいたのが馬鹿らしくなり、腹が立ったから足を踏んでやった。
いつも通りの毎日。だけど、わたし以外はちょっとずつ変わっている。美智、サブちゃん、そして孔輝。わたしだけがいまのまま、変わりたくない、このままでいたいと願っているように思えて仕方がなかった。
時間を確認する。いけない。待ち合わせの時間にギリギリだ。小走りになって、先を急いだ。
最寄駅まで行くと、電車の発車時刻5分前だった。改札の前に、青いチェックのシャツを着て、伸び上がってこちらを手招きする孔輝の姿があった。もとから、最寄り駅が一緒のふたりは駅で待ち合わせして行くことになっていた。いまはそれを後悔している。仙台駅集合にすればよかったのだ。もしくは現地集合現地解散とか。わたしは、こういうときに限ってギリギリ。余裕が無い。
「遅いよお前」
「やばいやばい。ダッシュ!」
ICカードをタッチして、ホームへの階段を駆けあがる。ちょうどホームに電車が入ってきたところだった。わたしと孔輝は階段をあがってすぐのドアから乗り込む。
『ドア閉まります』
プシュゥという音を立てて、電車のドアが閉まった。危なかった。
「ご、ごめん」
「来ないかと思ってひやひやした」
仙台駅で美智とサブちゃんと合流し、地下鉄に乗り換える予定だ。
「サブちゃんはもう駅にいるってさ」
「早いなあ」
「お前が遅いんだよ」
「……すみません」
電車は乗客が多く、孔輝が近い。急いで来たから少し汗をかいてしまっている。呼吸を整えていると、同じように息を吐く孔輝の喉ぼとけが目に入ってドキリとした。
「意外と混んでるな。連休だもんな」
「う、うん」
喉が渇いていた。孔輝が近い。息が浅く、苦しくなってきた。
「大丈夫か? なんかすげぇ汗かいてるけど」
「だ、だいじょうぶっ。あっついよね」
「まぁ走ったからな」
ガタンゴトンという電車が走る音と振動に合わせて、わたしと孔輝は揺れる。そこから仙台駅に到着するまで、会話はなかった。
猫のこと、聞いてみたいと思っていたのに。




