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湯けむり猫のお宿はいつも雨降り  作者: 蒼山 螢
5章 きょうも雨降り
33/38

1

 ◇


『青葉山で遭難? 高校生、無事救出』


 小さかったが、新聞にそんな記事が出てしまったこともあり、わたしと孔輝は1日入院のあと1週間学校を休むことになった。家族にも学校にも迷惑をかけ騒ぎになってしまった。半分停学みたいなものだと思う。正直、青葉山は遭難するような深い山ではない。


 美智とサブちゃんは、わたしと孔輝の姿が見えなくなり青くなった。まさかこんなところでいなくなるなんて。必死に探したがどこにもいない。携帯も通じない。日も落ちてきてしまったのでお店のひとに相談しにいったのだと言う。結局、学校と消防に連絡が行き救助隊とヘリコプターまで出動。一時騒然となる。そして、発見されたのが美智たちとはぐれてから6時間後……。


 猫町で過ごしたのは6時間じゃ到底足りない。でも、正確に何日だったかは途中から数えるのを辞めたから、いまいち思い出せない。6時間なはずがない。いろいろな出来事、旅館を手伝っていた記憶だって、ネネのことや白銀兄弟という猫妖怪のことだって、はっきり覚えているのに。


 猫町、か……。


「これ、預かってきたプリント。怪我の具合、どう?」


 別なことを考えていたところへ、現実へと戻す声が聞こえた。顔をあげると一瞬ここがどこなのか分からなくなる。


「あ、ああ、ありがとう」


 ネネじゃない。美智だ。


「怪我っていっても擦り傷だからね。もう瘡蓋になってるし」

「そう。ならいいんだけど」

「……心配かけて、ごめんね」


 学校帰りにわたしの家へ寄ってくれた美智を、部屋に通した。お母さんがお菓子と紅茶を用意してくれて、わたしはベッドに腰掛け、美智はクッションを抱えて座布団に座っている。

 心配そうにわたしの顔を見てくる、わたしが知っている優しい美智だ。


「こんな聞き方はおかしいかもしれないけれど、その、なんかあったの?」

「遭難した。青葉山で」


 あんな迷いそうもないところで。そういう意味で『遭難?』とはてなマークが付いた記事だったのだ。なんとも言えない気持ちになったから読んではいない。


「それはまぁ、そうだけど。そうじゃなくて、あれの前から明日華、ちょっと変だよ」


 美智のタイミングがいまだっただけだ。孔輝にも、サブちゃんにも同じことを言われている。もやもやとひとり考えていたことが漏れ出てしまっていたのだと思うと、気恥ずかしくなる。美智はフンと鼻息を漏らして、言葉を続けた。


「サブちゃんに聞いたんだけどさ、明日華のことが好きだって」

「なんで美智に言ってんのかな。あの男」

「告白済みだって聞いて驚いたんだよね。明日華、なにも言ってなかったから」

「あ、う」

「サブちゃんは、外堀を埋めていこうと思っていたみたい」

「それ、高校生が言うこと?」


 わたしは頭を抱えた。 


「もちろんなにもかも報告して欲しかったとかそういうんじゃないよ。言いたくないことってあると思うし」

「言おうと思っていたんだけど……その」


 その、なんだろう。なにを言ったらいいのか分からなかった。


「サブちゃんのことじゃなくて。もっと別なことだよ」


 美智はゆっくりと紅茶に口をつけた。そして、カップを静かに置く。


「孔輝くんのこと、好きなんでしょ?」


 困ったような、怒ったような顔をして、わたしを見ている。好きなんでしょ? そう言われて不思議と戸惑いは膨らまなかった。


「明日華って、顔に出るよね。分からないと思っているのかもしれないけれど」


 美智は、腹を立てているのだろうか。顔が見られないから声だけ。心の中まで探りたいと思ってしまう。


「美智には、悪かったなって思っているの……」


 もし怒っているのであれば、わたしがなにを言おうが、責められると思った。でも、謝罪だけはしたかった。


「美智にどう言ったらいいのか分からなかったから黙っていた。黙っていれば誰も傷付かないと思っていたけれど、違うね。大きな勘違い……」


 守ろうとして尖った心は、自分もまわりも傷つける。


「孔輝が特別な存在だって、見ないようにしていた。認めたくなかったの。認めたら普通じゃいられなくなるし、怖くて。美智とも……」


 美智は黙ってわたしの話を聞いている。


「わ、わたしは、美智と友達でいたい。勝手かもしれないけど……美智はわたしのこと嫌いかもしれないけど」


 ふうんと、ため息が聞こえて、沈黙が充満した。30秒? 1分? もっと短いのかもしれない。押し潰されそうになりながら、冷えた手をぐっと握った。


「本当に勝手だよね。わたしの気持ちは、無視なわけ?」


 美智の声が、沈黙も、気持ちも破って入ってくる。それが強くても弱くても、覚悟はしている。


「……誰が、明日華のこと嫌いだって言ったのよ……」


 言葉の意味を理解するのに時間が係った。顔を上げると、美智がいまにも涙を零しそうな目でこちらを見ていた。


「バカ! 悪いのはわたしなのに! わたしは孔輝くんを好きになったけど、明日華がただの幼なじみ以外の感情を持っていることは、なんとなく気付いていたの」


 綺麗な涙が、まるで弾けたみたいに落ちた。それを、目で追う。敷いたラグに吸い込まれて行った。


「わたしの知らないふたりがいる。分かっているよ。でも、好きは仕方なかったよ」


 静かに話す美智の声が染みこんでくる。

 わたしだけが変われなかった。黙っていれば分からないだろうと思っていたのは、自分だけだった。


「孔輝くんが誰を見ているかなんて、とっくに気付いていたよ。分かっていたのに……ちょっと邪魔したくなっちゃって。わたしこそ、ごめん。明日華を悩ませた」


 ごめんなんて、謝らないで欲しいのに。その涙も、わたしのせいだね。


「ご、ごめ、ごめん美智」


 濡れた笑顔を返してくれる美智は、鼻をすすってわたしの手を取った。


「学校に来るようになったら、普通にしてよね。いままで通りにさ」

「美智……」


 わたしはベッドから美智に向かって両手を広げ、抱きついた。シャンプーの香りがする。


「美智ぃ!」

「あっちょっと! なに!」


 美智は抗議しつつも、わたしの背中をポンポンとあやすように叩いてくれている。


 泣きそうになったから、食いしばって我慢をしたけれど、溢れてしまうのはどうしようもない。でも、止めなくちゃ。乱暴に顔を拭ってから美智を離し、向かいに座り直す。黒い塊みたいなものが心にずっとあったのに、それが蒸発していく気がする。


「美智にちゃんと話ができただけでも、遭難して良かったなって思っているよ。あの出来事がなかったら、わたしなにも変われなかったと思う」

「死ぬほど心配したけど」


 泣き笑いの顔を見合わせて、笑う。恋を覚えて、少しわだかまりが出来て。そして乗り越えて。友達との関係も強く弱く変わっていく。たぶん、何気なく生活をしていたら気付かなかったよね。


『いまごろ気付いたの』

『明日華ちゃんは鈍感さんですからね』


 白銀兄弟の声が聞こえた気がする。


「6時間のあいだに、なにがあったのかなー」

「あるような、ないような」

「なんか怪しいことしたわけ?」

「そういうことじゃないよ……」


 突っ込んでくる美智を制しながら、あらためて猫町のことを思い出していた。



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