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湯けむり猫のお宿はいつも雨降り  作者: 蒼山 螢
4章 夕方は毛繕い
32/38

7

「ふたりとも、あそこを見て!」


 ふいにポピー会長が声をあげる。指さす方向を見ると、上空から白い光の輪がゆっくりと白銀館に降りてきている。あのままいくと、中庭あたりだろうか。


「なにあれ」

「行ってみよう」


 お台所を抜け、廊下を進む。天井を突き破ってくるんじゃないだろうかと不安になり、上を向いていた。


「あいたっ」


 急に止まった牡丹さんの背中にぶつかってしまった。


「……ふたりとも、荷物を取ってきたほうがいいみたいだよ」


 牡丹さんは、中庭を指さして言った。

 光の輪は、中庭にゆっくり降りてきていて、中になにか映像が見える。「おい、あれ」と孔輝が言う。


「政宗像じゃないか?」

「もしかして、青葉山?」


 まるでテレビでも見ているかの様だけれど、映像ではない。あれは、繋がったんだ。向こう側が政宗像のあたりなのだ。


「もしかして、あれ出口なの? ここから出られる?」

「ネネの力が、戻してくれるんだ……!」

「ネネの、最後の力だ。しっかり受け止めたらいいよ」


 牡丹さんが空を見上げて、ふっと目を閉じた。風を嗅いでいるのだろうか、鼻をひくひく動かした。

 そうだ。ネネの命の力だ。


「急なことねぇ。もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」


 ポピー会長がそんなことを言う。わたしと孔輝は部屋に行き、自分の荷物を取る。たったリュックひとつで、多くは無い。


「お土産の用意が間に合わないじゃないか」

「いいですよ! そんなの!」

「待って、待って、なにか無いの? 萩」

「えーと、あ」


 旅館の中に急いで入って、すぐ出てきた萩さんは片手で持てる瓶を投げてよこす。


「またたびの醤油漬け!」

「た、食べられるんですか、これっ」

「日持ちするから、1年ぐらいは平気です」


 そういうことではないのだけれど。


「なんか、もっといいものあれば良かったんだけど」

「またたび大福とか、魚正の干物とか」

「いいえ、これでじゅうぶんです」


 チャプンと音をたてる瓶をリュックに仕舞った。その分だけ、重くなる。これだけの荷物で、ふたりでここへ呼ばれた。1匹の猫の思いに、連れてこられた。猫の妖怪がたくさんいる、猫町に。商店街があって、美しい町内会長がいて。


「こんな、急に戻ることになったから、お礼もできないし……すみません」

「いいよ、そんなこと」

「気にしないでください」

「もし万が一また来れたら、お茶しましょうね」


 迷い込むようなことにはなりたくない。でも、また会えたらいいと思う。


「はい。ぜひ……!」


 さようならが言えない。泣いてしまいそうだった。心の準備もできない急な別れ。


「早く行きなよ。輪っか、無くなったら困るよ」

「ネネがどこかで見ていてくれていますよ」


 萩さんと牡丹さんが、目をきゅうっと細めてこっちを見ている。白銀館の化け猫兄弟。白猫の萩、銀色猫の牡丹。


「忘れないでよね~」


 フサフサ長毛猫のポピー。とっても美人な町内会長。今日も安定の、おっぱいが半分はみ出している。あとで萩さんに「風邪ひきますよ」と言われるのだろう。

 わたしたちを助けてくれた、猫たち。


「わ、忘れません!」

「明日華ちゃん、泣かないでよ~」


 ポピー会長に抱きしめられると、できたてのポップコーンみたいな匂いがする。


「いい匂いがする」

「当り前じゃない。猫だもん」


 そして、わたしの頬をぺろりと舐めた。


「行こう。明日華」


 孔輝が、光の前でわたしに手を伸ばしている。掴んで、光の輪へ進んだ。


「ふたりで、帰るって決めていたよ」

「うん」


 繋いだ手を霧雨が濡らしている。


「ここに来たときもそうだったけど、出るときも雨だね」


 濡れてしまって、毛繕いをする白銀兄弟とポピー会長を想像する。霧雨はおそらくすぐ止むだろう。窓辺で日向ぼっこをしながら毛をふかふかにするのだろう。

 振り返ると、3人が手を振っていた。


「また、いつか」


 小さく言った。わたしの声は、聞こえなくていい。察するのが上手な猫は、わたしと孔輝の気持ちを分かってくれると思いたい。


「ここは化け猫や猫叉が住んでいて、普通と違うのに、結局、人間は猫の言葉が分からないんだなって。最後まで」


 猫の姿で、猫の鳴き声で。話しかけてくれているのに、わたしたち人間は分からない。孔輝の目は濡れていた。繋いだ手に力を入れた。


「離すなよ」


 痛いほど手を握り合い、光の輪に足を踏み入れた。そして、強烈な光に包まれて、なにも見えなくなった。確かなのは、繋いだ手のぬくもりだけ。




「明日華しっかりしろ!」


 急に意識を呼び戻された感覚だった。男性の声。聞いたことがある。知っている。これは……お父さん。


「おい! こっちだ!」

「明日華!」


 ああ、サブちゃんと美智の声だ。夢だろうか。まだ寝てるの? 今朝は予約がたくさん入っていたような気がするしお風呂掃除に行かないと……。


 うっすらと目を開けると、寒さで指が冷たくなっているのが分かった。草むらで仰向けに寝ている。あれ、どうしてこうなったんだろう。


「お、おとうさ、ん」

「大丈夫だからな。もう安心だぞ!」

「担架と毛布!」

「救急車回せるか!」


 たくさんの声と、赤い光が回っているのが見える。ここ、もしかして。そうだ、光の輪を抜けて、そして……一緒にいたはずの孔輝は?


「孔輝は? 孔輝はどこ?」

「じっとしてろ。どこか痛いところはないか」


 お父さんが髪を乱して慌てている。笑顔が引きつっている。お母さんもなにごとか叫びながら走ってきて、わたしの顔を両手で抱きしめた。サブちゃんも美智も、わたしの体をさすっている。


「ねぇ、孔輝は?」


 手を繋いでいたはずだ。いま、わたしは彼の手を握っていない。

 肩に毛布をかけられ、自分の力で体を起こすと、孔輝が走ってくるのが視界に入った。そして、膝をつくとわたしを抱きすくめた。


「明日華!」

「こ、孔輝」

「良かった……」


 ふたりは離れたところに「落ちていた」のだろうと思う。

 わたしは、まだ猫町のにおいがする気がして、孔輝の首を嗅いだ。萩さんも牡丹さんも、ポピー会長。魚正の大将。商店街のみんな。そして、ネネ。


「帰って、きたねぇ……よかった。いま、孔輝がいないのかと、思っ……」


 猫町の空は明るかったのに、ここ青葉山は真っ暗。赤いランプがパカパカと回り、ひとが大勢居る。全部が涙で滲んでいった。





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