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湯けむり猫のお宿はいつも雨降り  作者: 蒼山 螢
4章 夕方は毛繕い
31/38

6

 萩さんがふふっと笑いながら言った。笑っている場合じゃないよ。顔を真っ赤にして、鼻に汗をかいている孔輝と目が合った。

 冷たくしていたつもりは無かった。でも、避けていた。それは自覚しているし、孔輝にもサブちゃんも気付いていた。

 ずっと彼から目を逸らしていた。


「あんたは、自分を守るために、他人を傷つけている。傷付くのが怖いからって、そんなことをしていいわけがない」


 分かっている。そんなこと、許されるわけがない。孔輝をずっと傷つけてきた。心のどこかで分かっていた。それをも見ないようにしてきたのだ。


「孔輝をとてもよく見ているくせに、煮え切らない態度で」


 わたしが黙っていれば、ネネはずっとしゃべり続けるのだろう。


「う……わ、わたし!」


「たしかに、傷付くのが怖くて目を逸らしていた。ネネの言うとおりだよ。ずっと孔輝のそばで見ていたんだもんね。死んでからもいたんだもん、分かるよね。自分の心に向き合うことって、意外に難しくて、辛いんだ」

「素直に生きることのなにが難しくて辛いのよ。だから人間って、不自由だなって思う」

「そ、そうだね。でも、人間なの。いまさら辞められないの」


 自分の気持ちに、正直に。人間界に戻ることができたら、正直になろうと思える。もし、帰ることができるのなら。


「孔輝、ごめん。もし人間界に戻れなくても、仲良くして」

「なに言ってんだ、明日華」

「でもね、せめて、ネネのことだけは救いたい」


 この優しい魂が、寂しくないように。このまま消えるなんてだめ。見守ってあげたい。


「孔輝がネネのこと大事に思って大好きだったように、わたしもネネが好きだったよ」

「信用できないよ。会いに来なかったじゃん」

「そ、それは……なんか、孔輝の家に行くのが前みたいにできなくて。小さかった頃みたいにできなくて」


 子供のままでいたいなと思っていた。みんな変わっていく。どうして変わらなければいけないのか。そして自分の中の変化にも気付いていく。


 小さかったわたしたち。孔輝とじゃれあって遊んでいた頃。ネネを抱っこして可愛いね、温かいねと笑いあっていた。もう、戻れない。でも。


「孔輝に辛く当たっていたことは、悪いと思ってる。ごめん」


 後ろにいる孔輝には聞こえただろうか。自分の声が小さいと思った。


「これから、改めるから。素直になるから。約束する。わたしも、ネネと同じだから、その、同じ気持ちだから。孔輝のこと」


 回りくどいかもしれない。でも、わたしにはこれが精一杯だ。伝わって欲しい。


「ネネが心配しないように! これからはわたしが一番近くにいるから。こ、孔輝のそばに……」 


 頭が沸騰するんじゃないかと思う。木の葉がこすれる音しか聞こえない。誰もひとことも発さない。


「あす、か」


 ネネがわたしの名前を口にした。はじめて、その声で呼ばれた。じっとわたしを見つめていたかと思うと、ふっと孔輝に視線を移す。


「孔輝は、寂しくない?」

「寂しくないよ。家族も友達もいる。明日華は幼なじみだし、たぶん、これからも……」

「声が小さいよ!」


 ネネが叫んだ。


「これからも、ずっと一緒だ!」


 孔輝も、叫んだ。

拳を握りしめて言うことだろうか。そう思った2秒あとに、全身の血が沸騰するんじゃないかと思うほど心臓が高鳴った。


「よかったぁ……」

「ネネ?」


 ネネが笑って、ふっと力を抜いたときだった。

黒い涙やどろどろしたもので汚れた部分が水洗いでもしたかのように剥がれ出した。美智の容貌はとっくに消えていたけれど、背丈もどんどん小さくなって、ネネは、ため息が出るほど真っ白ふわふわの猫に戻った。


「ニャオーン」


 孔輝のところへぴょんと飛び、足にすり寄ってくるりと回る。しゃがんで頭を撫でて、それから抱き上げてやると顔を擦りつけている。


「ネネ」

「やだ。なに、けっこう美猫じゃないのよ」


 ポピー会長が親指を噛んでいる。


「綺麗になったみたいね。悪いものはどうやら拭われたっぽい」


 牡丹さんが、萩さんを見て頷いた。


「ネネは寂しかったし、孔輝くんの片思いの寂しさの心配もしていたんですね」

「か、かっかたっ」

「ネネがそう言っていたでしょう」


 萩さんは、目をきゅっと細めて、優しい眼差しでネネと孔輝を見ていた。孔輝はますます顔を赤くしている。

 ゴロゴロとひとりきり甘えて満足したのか、ネネは孔輝の腕からスルリと抜け地面に降り立つ。

 そして、わたしたちに背を向けて数歩進んで振り返った。ちょこんと座り、尻尾をふわりふわりとゆらしている。なんだろう。


「もしかして、行こうとしてる?」

「おい、ネネ。どこ行くんだよ!」

「ニャオーン」

「な、なんて言ってるんだ」


 白銀兄弟へ、すがるような目を向けた。さっきまで人間の姿で言葉の通じていたのに、猫本来の姿になったら、もう言葉が分からない。

 兄弟は目配せし、牡丹さんが鼻の頭を掻きながら言った。


「……二回も、自分がいなくなるところを孔輝に見せられないってさ」

「え……」

「わたしのことは忘れないでほしいけど、新しい縁があったら可愛がってあげてね、だって」


 ネネの言葉を伝える牡丹さん。わたしと孔輝は言葉が出ない。


「分かってやれよ。なんかこんなに大騒ぎさせておいて、すごく自分勝手でマイペースだけど」


 下を向く孔輝の肩が少し震えているように見える。


「まぁ、それが猫っていうか」


 牡丹さんが、孔輝の頭をポンポンと撫でた。孔輝は、拳を口に当て歯を食いしばり、泣いていた。


 茂みの中に白い体を滑り込ませ、もう一度こちらを振り返ってから、ネネはその場からいなくなった。わたしたちはそこから動けず、誰もひと言も発さない。


 頬に当たるのが細かな雨だと気付く。いつの間にか、霧雨が舞っていた。晴れていて雨降るような天気じゃないのに。


 鳥の囀りが聞こえる。柔らかな風が吹いて、霧雨は太陽の光を吸い込んでキラキラと光っていた。



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