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ネネとわたしの視線が一本に繋がった。
「ねぇ、隠れてないで出ておいでよ」
ぽんと投げられた声は、ちゃんとわたしのところまで転がってくる。人間であるわたしの気配だけがここでは異質だったのだろうか。それとも最初から気付いていたのか。白銀兄弟とポピー会長は黙って見ていた。
「ちょっと、行って来る」
戸を開けて、外に出た。うしろに白銀兄弟とポピー会長の気配を感じながら、1歩2歩と孔輝とネネに近付いていった。あと目の前まで来ると、ネネの目が大きく見開かれ、口から「グルル」という音が漏れていた。威嚇していると分かる。冷気が肩を包むようだった。
「なんで、孔輝だけでいいのにお前がいるの?」
お前と吐き捨てるように言って、ネネが立ち上がる。孔輝が彼女の手を掴み制止する。鈍くテラテラと光る目、汚れた顔と洋服。絡まった髪の毛。孔輝の家にいたふかふかな白猫と言われても信じられないほどだ。
「ち、近くにいたから、たまたま一緒に来ちゃっただけだよ」
「一緒に来るなんて邪魔だよね」
「じゃ、邪魔って」
そんな、孔輝だけに懐いているのは分かっているけれど、露骨に嫌わなくてもいいのに。美智の顔で言われるときついものがある。
「ネネ」
「だって孔輝。会いたかったから、わたし」
「明日華だって、困っているんだぞ」
孔輝は強めに言ってくれた。
「さっきも言ったけど、俺と明日華は帰りたいんだよ。もとの世界に」
「ヤダ!」
わがままを言う子供みたいに、ネネは頭を振った。「グルル」と喉から音がしている。
「また、ひとりになっちゃう……うう」
がくりと頭を下げて、ゆらりと揺れた。ああ、まただ。ネネがまたおかしくなる。お台所の戸のほうを見ると、兄弟と会長が顔を縦に並べてこちらを見ている。
「あーあ、刺激するから」
「刺激しないで説得なんて無理です!」
もう隠れなくてもいい気がするのだけれど。
「ナンダ、お前たち……いじめに来たのか」
ネネはまた頭をカクカクさせながら、わたしの後ろに視線を飛ばした。「仕方ないわね」とポピー会長がひらりと出てきて、それに兄弟が続く。女王と、護衛の騎士のように見える。
「わたしはポピーっていうの。いじめはしないけれど、ここにいられたら困ると思っているわ」
ネネとポピー会長たちのあいだに、わたしと孔輝が立っているような状態だった。
「なん、で。わたしは、孔輝と一緒にいたい」
「孔輝くんたちも帰りたがっているんだし」
「自分勝手というものですよ」
兄弟が静かに加わった。
「本来、孔輝くんだけだった。ふたり分は、予想外だったのだろう? ただでさえ負担を受け入れて呼び寄せた。どのみち耐えられないと、きみだって分かっているはずだ」
「このままいったら、どうなるかあなたも分かっているでしょう?」
猫妖怪たちの、静かな声。ネネは頭を振る。
「どんな姿になっても、自分の魂が消滅しても、どうしても、孔輝に会いたかった。話しがしたかった……」
「ネネ」
孔輝が優しくネネの手を掴む。真っ白な毛が被う、柔らかな前足。
「体が動かなくなって、声も出せなくて……孔輝も家族も泣いている。わたしを呼んでいるのに返事ができなくて。苦しくて悲しくて。目が覚めたらそばにいるのに、わたしの声は届かなかった」
「ネネ!」
涙を流すネネを抱き寄せた孔輝が、なぜか弾かれたように離れた。
「呼んでいるのに、何回も。わたしはここだよって、孔輝は全然気が付かないの。分からないの。こんなに辛いことってないよ。寂しかったよ。ひとりは寂しい。捨てられて箱の中でお腹が空いて、鳴いていたあの、あのとき……」
ポピー会長が孔輝の腕を引っ張って、ネネから離した。
「ほかの、きょうだいが次々に、死んで……」
捨て猫だったネネ、死んでもなお孔輝の近くにいた。自分が死んだことを受け入れられていない。すると、様子を見ていたポピー会長が眉をひそめた。
「捨て猫だったのね。寂しさを思い出して、それに支配されている……」
「箱に数匹いたんだけどネネ以外だめでした。冬で……よく生きてたなと」
「キャァアアアア」
孔輝の返答を遮るようにいきなり、ネネが叫び声をあげて体をのけぞらせる。するとまわりの空気がスウッと冷える。
「ネネ」
「ふたりとも、離れたほうがいい。諦めろ」
牡丹さんが冷たくそう言った。
「なんで! このまま放っておけって言うんですか」
「話したってもう受け入れられる状態じゃないだろう」
「なんで、ネネ。なぁ!」
萩さんが、ネネへ駆け寄ろうとした孔輝を後ろから抱えて制する。
つかの間、この町でほのぼのと過ごしていたけれど、ネネはもうこの世のものではない。生きている猫でもなければ、人間でもない。そして、わたしたちと同じ世界にはいられない。
「……諦めろって」
もう戻れないってことか。そして、ネネは自分を見失い、寂しく永遠に彷徨い続ける。
「そんなのって、ないよ」
戻れない。ネネのこと。悲しくて涙が出てきた。でも、それならせめてネネだけでも救いたい。
「ネネ! 聞いて!」
また黒い涙を流しているネネがこちらを向いた。美智の顔は変形して、猫と人間の中間のような形になっている。白い毛は、ところどころ汚れていた。
「孔輝のことが大好きなんでしょ。ここに居るし触れるし、ネネのことも分かるんだよ!」
「アァ……」
「わたし、ネネに何回か会ったことあるんだよ。一緒に遊んだし、覚えてないのかもしれないけど」
「おい、明日華」
止めようとする孔輝を制して、一歩、ネネに近付いた。
「知っているわ。匂いも覚えているし、ずっと見ていたもん」
一緒に遊びネネに直接触れたことがあるのは数年前のことだ。
「覚えていてくれたんだね」
嬉しいと言おうとしたとき、ネネの視線がきつくなる。
「態度が冷たかったり、一緒に帰るのを嫌がったり。いじわるをしているように見えた。わたしと同じ恋の匂いがするくせに、ツンツンしていた」
「こ、え……」
なんだか返り討ちにあったようだった。
「あんな風な態度を取るなんて、孔輝が可哀想だよ」
「ネネ」
「孔輝が心配なんだよ」
ネネの視線が尖る。
「あんな風に冷たくしないで! あんたのそういう態度のあと、孔輝がどれだけ寂しそうにしているか分かる? 振り返ってちゃんと顔を見たことなんてないんでしょう。考えたこともないんでしょう。わたしは孔輝の猫だから分かるの。でも、癒したくて寄り添っても気付いて貰えない。死ぬより辛い」
「もうきみは死んでいるだろ」
牡丹さんが突っ込んだ。
「なるほど、孔輝くんに執着する一因が明日華ちゃんにもあったということですね」




