4
◇
「転げ落ちないように気をつけて。俺たちはクルッと回れるけれど人間は無理だろうし頭から落ちてグシャリとなるだろうから」
「縁起でもないことを言わないで欲しいです、萩さん」
白銀館を出ると、林の中を通る20段ほどの急な石段があり、萩さんのあとに続いてそろそろとおりていた。
「旅館の裏から町はずれに出る狭い道もあります。そこは階段がありません。帰ったら教えますね」
そうなのか。だったらそちらを通れば良かったのでは……。それに、ここしか道が無いのだとしたら大きいものを運ぶ場合、苦労しそうだ。
「商店街へ行く場合は、遠回りになるのです」
「ちょっと重たいものを持って帰るときはこれだと辛いっすね」
「その通り。裏道にはまたたびもあるし、季節の山菜が採れますよ」
「いいなぁ。俺、タラの芽やフキノトウの天ぷら大好きなんですよー」
階段を孔輝と萩さんの会話を聞きながら、石段の先に続く土と石の混じった道を歩く。今日も天気がいい。
「タラの芽やフキノトウの季節まで、君たちが居たらね。作ってあげましょう」
いま、季節としては秋。だから、冬を越えて来年の春だ。
「エビ天やかき揚げも好きです」
「孔輝が食べ物のことばかり言うから、朝ご飯を食べたばかりなのにお腹が空いてきちゃうよ」
林の高さが低くなり、ぽつりと建物が現れる。少し歩くとまた1軒。民家……だろうか。
「家、ですか?」
「そう。空き家もあるし、いつの間にか住んでいたりしますね。もうちょっと行くと、お風呂常連オキクさんの家」
「あ、オキクさん。お風呂で会いました」
「そう。元気なおばあさんですね」
「そうですね。この石段を登ってお風呂に入りにくるなら相当。見た目も元気そうだったし」
恋の季節だねと言って、歯の欠けた笑顔を見せていたオキクおばあさん。思い出したらなんだか急激に恥ずかしさが胸を這い上がった。
「なぁ明日華」
「え? なに」
首を掻いていたら、孔輝が小さい声で話しかけてきた。おそらく、萩さんには聞こえていると思われる。
「黙っていたけど、俺の猫センサーが反応しまくっている」
「どういうこと?」
「あちこちに猫がいるし、こっちを見ている」
「そうなの?」
「気付かない?」
「分からないよ」
民家が点在する通りを抜けると、道が広くなった。広くなったといっても、車がやっとすれ違える程度だろうか。いま通ってきた道が狭かったからそう感じる。
そして、そこまできてやっとこの町の『住人』に会った。というか、見た。わたしには孔輝が言ういわゆる猫センサーが無いのだ。きっと。
「こ、こんにちわ」
「ニャーオ」
白に黒いブチがある体格のいい猫だった。猫のままなのか人間の姿になることができるのか、この状態だと分からないけれど。あそこにも、あっちにもいる。色々な柄の猫たち。
「うわぁ……いつの間にこんなに」
「お前、鈍くない? いま分かったのか。道を通ってくるときに木の陰とか建物のところにいただろう」
「うっそ。全然分からなかった……」
「鈍感だなぁ、もう」
「孔輝が敏感過ぎるんだよ」
むくれていると、あっちからもこっちからも……そして、話し声も聞こえてきた。向こうに通りが見えてきて、ひとがたくさん居る。ん? ひと?
「え、人間?」
思わず口に出してしまう。人間であるはずがなくて、分かっているのに。
「はい到着。ここが、猫町商店街です」
萩さんが、手のひらを上にしてCMみたいににっこり微笑んだ。
「普通の人間ならおそらく、尻尾が生えていたり、二足歩行して顔だけ猫だったりしないと思う……」
めまいがする。今更だけれど、ここは本当に猫の妖怪が闊歩する町だと理解した。萩さんと牡丹さんが、いかに普通でとても人間の姿形を理解しうまく化けているのかよく分かる。
深呼吸をして、商店街に入っていく。『猫町商店街』とゲートに書かれてあり、まわりに飾り模様が施されてある。こういう商店街、普通にあるというレベルだった。
着物や洋服を着ている猫がいたり、猫と人間の中間みたいな容貌のものもいる。美しい着物を引きずって歩く女性……猫がいたり、顔が人間なのに体が猫のもので、しっぽが二股に分かれていたり。
あくまで、みんな元は普通の猫であり、人間との関わりから化け方、と言っていいのか分からないけれど、変わっていくのだろう。そう思わないと、顔だけ猫なのに首から下が人間のものがいる意味がよく分からない。なにをどう間違えたのかな……。飼い主の顔を真似たのだろうか。
商店街らしく、あちこちに看板が出ている。
「肉屋、魚屋……酒屋だって」
「酒飲みの猫かよ」
「ここね、充実していますからなんでも揃いますよ。あ、それと君たちのお金はちゃんと使えます」
萩さんが振り返って言う。
「あっちの看板、見てみろよ。本屋もあるぞ」
電柱に引っかかっているような看板には『ブックスにゃにわ』と赤いペンキで書いてある。
「猫の本屋って、なにが置いてあるんだろうね……」
「……さあな……」
呆気に取られつつも、なんだかすんなり自分の中に入ってくるのは白銀館にいて慣らされたからだろう。目覚めた先がこの商店街ド真ん中だったとしたら、それこそパニックになった猫のように走り回って迷子になって、どうにもならなくなっていたに違いない。あらためて、白銀兄弟に感謝する。
「萩の旦那。今日もいい天気だな」
お腹に響くような声が後ろから聞こえ、振り返ると毛の壁があった。
「……あ、お」
なんだろうか、これ。その毛むくじゃらの壁を見上げた。そして、壁ではないことに気がつく。
「やあ、魚正の大将」
「いい天気で毛づくろいにも精が出る……おや、そっちの。迷子の人間だね」
茶と黒の毛が体中を被い、金色の目がニイッと細められた。萩さんが話している、魚正の大将……彼は、それは大きな虎猫だった。
「そう、可愛いでしょう。旅館を手伝って貰っています。女の子は看板娘になるし男の子のほうは力仕事ができて重宝しますし」
「か、看板娘?」
そんなものになる気など毛頭無いのだが。
萩さんは、冗談だよというような笑顔をわたしに向けて、魚正の大将と立ち話を始めた。人間の姿のときの萩さんは、身長180cmはあると思うのだけれど、魚正の大将はそれより大きい。そして人型ではなく、猫のままで大きい。
「山猫っていう大きい猫妖怪の話を聞いたことがあるけど」
孔輝の言葉に「それだ」と答えてしまった。
ふっと肩から力が抜けた。買い出しに来たのだから、魚屋に寄ったっておかしくない。なんだか景色が普通ではないので目的を忘れてしまいそう。普通ではないといっても、猫町にとってはこれが日常だ。
「落ち鮎が入ったよ」
「いいですね。あとで届けておいてくれませんか?」
「あいよ」
ということは、今夜のおかずは鮎の塩焼きだ。想像するとお腹が鳴った。




