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「おふたり、聞いていただきたいことがあります。すぐ、終わらせます」
兄弟は顔を見合わせ「なんでしょうか」と並んで座った。わたしは箸を置いてふたりへ向き直る。
「昨夜、萩さんが孔輝のところで寝ていたとき、わたし、部屋を出たんです。お水をいただこうと思って」
「ああ、そうでしたね。覚えています」
白猫の萩さんが丸まっていた姿を思い出す。すると、牡丹さんが「なんだよ」と抗議した。
「なに、萩ってば自分ばっかりぬくぬくしたのか。ずるい」
「いいじゃないか。人間と寝る機会がなかなか無いんだから」
「膝なら俺のところに乗ればいいじゃない」
「交代とはいえ、たまには離れて寝てもいいかなって」
「なんだよー。じゃあ俺は明日華ちゃんのところに」
「いやですやめてください」
ちょっと、話の途中だし黙っていて欲しいんだけれど。いまはひとの布団に入る話をしているのではない。というか、ふたりともひとりで寝て欲しい。
またどんな方向から邪魔が入るか分からないので、わたしはまず、圭樹の伝言を伝えた。
「ああ、圭樹さんね。アケビは萩が準備したんだ」
「そうなんですよ。喜んでいただけて光栄だ。夜中に中庭から話し声がするなと思っていましたが、お客様だろうとあまり気にしませんでした。圭樹さんと明日華ちゃんだったんですか」
萩さんは目を細めた。さすが猫、聞こえていたの。その隣で牡丹さんは目をまん丸にしている。
「俺は、天ぷらちょっと苦手。油が撥ねるし」
「牡丹は油の温度をちゃんと見ないからだよ」
「同じにしているはずなんだけど。まぁ、いいよね。得意な萩が作ったほうが美味しくできるし」
「天ぷらの話はいいんですけど、その」
「また来てくれるといいね。雪男さんには、温泉きついだろうけど」
「ゆ、え?」
いま、なんて?
「圭樹さん、雪男さんだよ。そうだね、ここにはほかの妖怪界からも時々いらっしゃるからね」
「そうなんだ、すげぇな」
感心している場合じゃないよ、孔輝。
そうか……雪男だったのかあのひと。昨夜のことを思い出すと震えが来る。怖いからじゃない。寒さだ。
「いなくなったあと、雪が舞ったのはそのせいなんだね。こう、なんとなくあのひとの仕業だとは思ったんだけれど。まさかと思うじゃない?」
「明日華、雪男に会ったんだ。それって、凄くねぇ?」
「なにも凄くないよ……」
葡萄を口に放り込んで咀嚼している孔輝の目はキラキラしている。
「旅行や帰省客だね。雪男や河童、鬼さんなんかも寄ってくれたよね。温泉だけ、食事だけしていくお客様もいる」
「細々となんとかやれているのはそのおかげだよね。クチコミで広まってうれしいよねー」
「ねー」
「ねー、じゃないよ!」
いちいち話が脱線する白銀兄弟をまとめるように、わたしは両手を広げた。
「続きがあるんですよ。聞いてくださいってば」
「落ち着いて、明日華。鼻の穴が広がってるぞ」
「うるさい」
「で? どうしたの」
萩さんが姿勢を正してくれた。牡丹さんもそれにならって、わたしの方を注目してくれた。話の続きを、先ほど孔輝にしたように話すと、兄弟は真面目な顔でじっとわたしを見ていた。
「……置いていただいていること、ありがたいと思います。置いて貰うあいだは、お手伝いします。あと……ここから出たい。家に帰りたい」
「……出られないって言ったはずだけれど」
牡丹さんが銀色の髪を撫でつけて言った。
「可能性はゼロじゃないと思う。分からないけれど……。入れたなら出られるでしょう。手がかりがあるなら、出られる方法を探したいし、相談に乗って欲しいんです」
牡丹さんが、フンと鼻を鳴らす。
「雪男さんに連れて行かれなくて良かったね。悪徳妖怪だったら、今頃は精気を吸い取られて凍り付いて」
「アーアーやめてください怖いアーアー」
耳を塞いで天井を見た。精気を吸われるとか怖すぎる。隣を見ると、孔輝が険しい顔をしていた。
「俺のせいだし、ここにずっといるなんて……人間界に帰りたい。明日華が言うように、方法を探したい。」
「わたしも、一緒に」
孔輝と一緒に帰りたい。いままでに無いくらい強くそう思った。わたしたちの様子を見ていた白銀兄弟は、顔を見合わせる。
「しかし……既に死んでいる猫が飼い主を呼び寄せることができるでしょうか。せいぜい、暮らしていた家をフラフラするくらいだと思うけれど」
萩さんが人差し指を頬に当てて考える。
「あくまで仮定の話だけれど……成仏できずに魂だけ彷徨ううちに、思いが強すぎて悪い気だけを溜め込んでしまうこともありうるよ」
牡丹さんが耳を掻きながら言った。
「そうだな。それは人間の魂でもあることだ」
「そうだとしてね……あくまで仮定の話だけれど。大事なことだから2回言うね」
「最近、町で変わった出来事があったでしょうか」
兄弟は湯飲みや皿を片付け始めた。一緒に、食べ終わったお椀などをお盆に乗せる。
「さ。買い出しに行きますよ。明日華ちゃん孔輝くん。善は急げ、です」
「え、はい」
萩さんが言う。まだ話の途中だった。それなのに、いまから出かけるの? 立ち上がった兄弟を見上げると、牡丹さんが腕組みをしてわたしを見た。
「手伝って欲しいんでしょ?」
牡丹さんは口角を片方だけあげてそう言った。少しやんちゃっぽい牡丹さんの素振りは、張り詰めたこの雰囲気の中でなんとなく笑顔を誘い、心が和らいだ。
「はい……!」
「はは。ちょう嬉しそうな顔」
猫でも「ちょう」とか使うの。萩さんも微笑んでいる。
「仕方ないよなぁ。またたび大福で手を打とう」
「またたび大福? なんかよく分からないけれど分かりました。そしてお願いします」
その大福がなんだか分からないけれど、とにかく兄弟の気が変わらないうちにお願いして、行動しないと。
「買い出しがてら、会長のところへ顔を出します。またたび醤油漬けも届けましょう」
「会長って」
「そ、猫妖怪の町内会長。面通ししておいたほうがいい」
背筋がぞっとする名前の町内会長さんなんて、生まれて初めてだ。
「大福も忘れないでね」
「分かっているよ。牡丹、留守番を頼む」
どうやら牡丹さんは旅館に残るみたいだ。萩さんと3人で出かけることになる。
「牡丹さん、高い大福を食べてそう。わたしたちのお金で足りるかなぁ」
「そんなに高価なお菓子じゃないよ。ねえ、萩」
牡丹さんがとぼけたような顔をした。
「なんだ、牡丹。この子たちはまだ子供だしお金はそんなに使わせられないでしょう。結局は俺が買うんじゃないか」
「お兄ちゃん。頼りにしているね。お願い」
兄弟の会話を聞きながら、わたしはふっと笑ってしまった。
「またたび大福だって。可愛い。牡丹さん可愛い」
「……馬鹿にしてない?」
「してません」
茶碗類を乗せたお盆を持ち、部屋を出た。
「明日華ちゃん、そんな笑ってるけどな。喜久水にゃんのまたたび大福は、それはそれは美味しいんだからな」
「な、なに?」
孔輝が聞き返した。わたしも同じ反応だった。似たような店名を知っているし、どう考えても真似したとしか思えない。またたび大福はご当地銘菓なのかもしれない。猫町銘菓。
「さぁ、早く行きましょう。ぐずぐずしていると置いていきますよ。支度してください」
「わぁ~待ってくださいよ!」
わたしと孔輝は慌てて萩さんを追いかけた。




