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湯けむり猫のお宿はいつも雨降り  作者: 蒼山 螢
3章 午後のかつおぶし
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2


 結局、部屋に戻ってからは一睡もできずに朝を迎えた。しかし、寝不足という感じはなく、かえって冴えている。孔輝はぐっすり眠ったらしく、萩さんが一緒だったこともなんとなくしか覚えていなかった。


「夢にネネが出てきたような気がするけれど、萩さんだったのか」


 孔輝にとっては猫と眠ることは至福のようで、うっとりと目を閉じた。猫は可愛いし好きだけれど、飼ったことがないからよく分からないな。白銀兄弟は妖怪だし。普通の猫を撫でたいな。


 萩さんが、朝食の用意ができたと呼びに来てくれた。初日に食事をした部屋へ行くと、焼き鮭や漬物が並び、お味噌汁と白いご飯から湯気が立っていた。昨夜から空腹が続いていたから、ありがたかった。


「昨夜はよく眠っていたので、夕食では無理に起こさなかったんですよ」

「どっと疲れが出てしまったみたいで。おかげで夜中に空腹で起きちゃいました」

「そうでしょうね。自覚が無かったかもしれないけれど、消耗しているはず。世界が違う影響です。すぐ慣れると思いますけど。たくさん食べてください。あ、おかわりはここね。あとでまた来ます。今日は買い出しのお手伝いをお願いします」


 消耗すると言いつつも休んでいろとは言われない。優しいのかそうじゃないのか分からない。まぁ、働かざるもの食うべからず、だよね。


「じっとしていても慣れるものじゃないですし、動けるならばの話ですが」

「寝込むほどじゃないです。たっぷり眠って、元気っす」


 孔輝がガッツポーズをした。その様子に笑顔を返して萩さんが部屋を出て行く。襖が閉まったところを見計らい、話を切り出した。


「ねぇ孔輝。夕飯を食べないで寝たから、わたし、夜中に空腹で目が覚めたの」

「そういえば食いものの夢も見たかも」

「そういえば口がもぐもぐしていたよ」

「肉まんが食べたい」

「分かったからちゃんと聞いてて。夜中、水でも飲んで紛らわそうとお台所へ行こうとしたの。そしたらね……」


 昨夜の出来事を話す。孔輝が思案顔で黙ってから、箸を持った。気が気ではなかったので、話したことで少し安心する。お味噌汁も出汁巻き玉子も焼き鮭も残すことなく胃に納めることができた。


「……はぁ。美味しかった」


 空腹が満たされ、幸福感でいっぱいになる。孔輝には悪いけれど、わたしも食べないと保たない。満腹の幸福に一時漬かったら、色んなことを考えることができる。ここからは、孔輝と一緒に悩むし、考えるんだ。


「ということは、ここにいるのは俺のせいか」

「うん」

「はっきり言いすぎ」

「だって本当じゃん。たまたまわたしが一緒だったから巻き込まれたっていうか」

「畳みかけるなよ。落ち込む」


 がっくりと肩を落とす彼だったが、事実なのだから仕方がない。


「ネネに呼ばれたのか」

「自分では来られない。いたずらして飛ばされたわけでもない。消去法で、呼ばれたと思うしかないよ」


 昨夜のあのひとも、そうだろうと言っていたのだから。


「ここに、居るのかな」


 いま、わたしたちはなにも分からない状態でここにいる。どうしてと疑問ばかりが浮かび、それは鎖みたいに動きを封じていきそうで、怖かった。


「動けなくなるのが、一番怖いと思わない? 悩んで苦しんで、身動きが取れない。それで、なにも進まない」

「そうだな」

「だから、行動しよう」


 口から飯粒が出たけれど、気にしなかった。


「ここに来ちゃったのは孔輝のせいだけれど、一緒に悩むし、考えよう」


 顔の前で拳を作り、やる気があることをアピールする。なにより孔輝にその気になって貰わないと進まないのだ。


「はっきり言うなよ……悪かったな」

「責めてないから。孔輝を責めてマイナス方面に発展しても誰も得しないかなって」

「大人な意見だな」

「まぁね」


 もとから、幼なじみを責めて憎む気持ちなどこれっぽっちも無い。冷めたお茶を飲んだ。ほうじ茶の香りがホワンと鼻に抜ける。


「それでね、萩さんと牡丹さんのこと白銀兄弟って呼ぶことにしたんだけれどね。勝手に」

「おお。まぁその通りだな」

「相談してみようよ。郷に入りては郷に従え。猫町のことはここに住むひと……じゃないや化け猫さんや猫叉さんたちに聞くのが一番でしょ」

「それもそうだ。黙っていてもなにも始まらない」


 孔気の顔が少し晴れやかになった気がする。少しの変化があることで、自分は止まっていないのだと安心することができる。変化は進化だと思うから。

 持っていた湯飲みを手の中で遊ばせていた孔輝は「うん」と言って顔をあげた。


「明日華はぼんやりしているけれど、瞬発力はある。そういうところ、変わらないな」

「なにそれ」

「褒めてんだよ」


 孔輝がニヤリとした。その時、ノックのあと部屋の襖の向こうで「入りますよ」と声がした。


「猫叉さんたちがなんです? 葡萄を持ってきました」

「は、萩さん。聞いていましたか」

「いや。聞くのが一番だ、から。明日華ちゃんのボインが出発力あるというところだけ聞きました」

「絶対わざと聞き間違えているし、ボしか合ってない」


 ボインとはまた古い言いかたを。そしてわたしはボインではない。


「今朝は、牡丹が出汁巻き玉子を作ったんですよ」


 紫色の大きな葡萄を3粒入れた小鉢をふたつ、テーブルに置いてくれた。出汁巻き玉子、兄弟で味が違うのだろうか。


「出汁巻きって、巻くのが難しいですよね……」

「俺はできるよ。明太子を巻いたり、中に海苔を入れたり」


 萩さんは感心している様子だ。そりゃ、孔輝のほうが数段料理の腕は上だろう。わたしは玉子を割ことさえ怪しい。


「孔輝くんには、調理場にすぐにでも入って貰いたいですね」


 即戦力。そのうち、この旅館の看板板前になっていそうだ。


「昨日、俺のところで寝ていたそうですね。気付きませんでした」

「孔輝くんのお膝は温かかったですよ。寝心地も良かったし」

「俺、寝相が悪いから蹴ったりしなかったかなぁ。うちの猫をよく蹴飛ばしてて……」


 そこまで言って、孔輝が口を噤んだ。萩さんは「大丈夫ですよ」と微笑む。そこへ、牡丹さんがやってきた。


「お客様は朝食を終えて、もう発ったよ。急ぐんだって」

「そう。じゃあ、片付けに行くよ」

「今日は1組予約だよね」


 そうだ。仕事はたくさんあり、白銀兄弟は忙しい。伝言と用件は早く伝えてしまったほうがいい。



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