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湯けむり猫のお宿はいつも雨降り  作者: 蒼山 螢
2章 朝にまたたび
15/38

7

「お取り込み中、失礼するよ」

「ああ!」

「うおっ」

「あ、明日華、鼻水」


 後ろから、突然聞こえてきた声に驚き、その拍子に鼻水がぴょんと出てしまい、孔輝が顔を拭ってくれる。軍手で。


「痛い、痛いよ!」

「ごめ、ああ」


 乱暴に顔を擦られ悲鳴をあげた。汚くなった顔を汚い軍手で拭かれてますます汚れたんじゃないか。なんだかもういろいろグチャグチャだ。ふたりとも動転している。声の主は牡丹さんだった。


「ちょっと、いつまでイチャついているの。仕事は終わった?」

「あっハイ。終わりました」

「薪割りも終わりました」


 やっぱり猫だな。気配も足音もしない。


「お疲れさま。じゃあさ、萩が風呂場で待っているから」

「風呂……?」


 そういえば、館内を移動するときに「浴場」という案内を見た。温泉があったもんね、ここ。


「足の調子、どうだい?」


 牡丹さんが孔輝に聞いた。太陽の光が当たる銀髪が眩しすぎて、クラクラする。いっそ神々しい。


「飛んだり跳ねたりするとちょっと痛むけれど、貼り薬が効いたみたいで、だいぶ良くなってますよ。薪割りができるくらいだから」


 トントンと片足で飛んで見せた。改めて、少しほっとする。歩けなくなるほどの重傷じゃなくて本当に良かったと思う。


「それはなにより。まぁ、汗もかいただろうし。疲れを取るといいよ」


 疲れって、昨日の今日で、けが人に薪割りをさせたくせにと、ちょっと笑いそうになってしまった。サドっ気があるなぁ。


「ちょっと明日華ちゃん変な顔で見ないでよ。怪我人に仕事させただろうって思ってるでしょ」

「……どうして分かったんですか」


 猫妖怪は心を読むのだろうか。それはそれで怖い。


「俺はちゃんと言ったんだからね。無理はしなくていいよって」


 ツンと斜め上に鼻先を向けてしまった。


「あ、覚えて欲しいんだけど」


ツンとしたかと思えば、振り返りながらふたりを交互に見た。


「うちの温泉は宿泊以外に、入浴のみのお客様にも対応してるから。帳場で料金払って貰えば入れる。こぢんまりとした内風呂と露天だから大量にはご案内できないけれどね。朝6時から昼12時まで、16時から夜中0時まで。間で掃除とかするから。うちはそういう感じ」


 いまは、お昼を少し過ぎた時間だった。ということは、受付時間外だ。


「時間じゃないけれど、いいんですか?」

「従業員はいいよ。常連さんが時間を過ぎて入りに来たりするし」


 ふふといたずらっこのような微笑みを返された。意外に融通を利かせているということか。まったり経営なんだなぁ。常連さんにとってはありがたいことだろう。


 牡丹さんにお風呂場へと連れて来られた。男・女と書かれた藍色に染めた暖簾がかけてある。


「はぎー。連れてきたよ。あとはよろしくね。俺は帳場に戻るよー」


 牡丹さんが呼ぶと、男湯の暖簾をくぐって萩さんが顔を出した。長い白髪を、くるっとまとめて、着物にたすきをかけている。


「はいはい」

「あとは萩にバトンタッチ」


 打点の高い兄弟ハイタッチを見上げていた。牡丹さんがいなくなると、萩さんから風呂敷包みを渡された。


「はい。これ、タオルと手ぬぐい。あとは着替え」

「え、き、着替え? ……ありがとうございます。受付時間外なのに、ありがとうございます。本当にすみません」


 風呂に入れることはありがたかった。そして着替えまで。


「気にしなくていいですよ。お手伝いありがとう。あがったらまた帳場に来てください」


 萩さんのほっこりする笑顔はまるでここの温泉のようだ。まだ入っていないけれど。


「あ……ありがとうございます」

「他にお客様いるけれど、ごゆっくり」


 そう言うと萩さんは背を向けて廊下をゆっくり歩いていった。


「宿泊客でもないのに、昼間から風呂なんて贅沢だな」


 孔輝が風呂敷包みを肩に担いで笑った。たしかにそうだ。温泉で休む時間を設けてくれたのだから、素直に甘えたいと思う。


「まぁ、せっかくだしね」

「じゃあ、あとで」

「おお」


 孔輝を見送ってから女湯の暖簾をくぐる。やや古めかしい感じがする上がりかまちで靴を脱ぐ。脱衣所には脱衣カゴが3段に分かれた木製の棚に入っていて、脱いだ服を入れるようになっていた。気休め程度に南京錠が付いた木製のロッカーがある。貴重品はここか……。財布だけ入れておこうかな。この町で人間のお金が使えるのか分からないけれど、盗まれていいものではない。財布をロッカーに入れ、鍵をかける。この小さな鍵には紐がついていたから、首にかけるか手首に巻き付けるかしよう。


ふと、カコンカコンと音が聞こえた。先ほど言われた先客だろうと思う。


 横に長い洗面台があり、その上に「白銀館」の温泉効能などが書かれたプレートがかけられている。レトロで編み目が広くて、子供が手を入れてしまいそうな扇風機が回っていた。


 ひとつの脱衣かごを定めて、おもむろに服を脱ぐ。肌からは汗の臭いが上がった。


 動物園と青葉山にいたときはいい天気で、動けば汗をかいた。シャワーも浴びないで寝たことになる。井戸水を汲んだり皿を洗ったりして、また汗をかいたし。服は綺麗にしてもらったけれど、体が汚いからまた汚れてしまっただろう。着る服がこれしかないから着替えができるのはありがたい。渡された風呂敷包みを開くと、手ぬぐいの下に長袖でピンク色の開襟シャツ。その下に紺色に花柄のズボン……じゃないか。


「もんぺ……?」


 なるほど。妙に納得してしまった。この旅館の制服として、さぞかし雰囲気と似合うだろう。無理やり納得し、服を脱ぎ進めた。孔輝も汗だくだったし、とにかく着替えられるのはありがたかった。


 裸になり、少し緊張しながら浴場へ移動する。麻の葉柄のガラス引き戸を開けると、ムワッと温かい空気に包まれる。湯船に白髪頭のおばあさんが浸かっていた。先客の常連さんか。


 鏡がある洗い場は5つほどあって、そこのひとつに腰をおろす。蛇口からはちゃんとお湯が出た。レトロなんだか近代的なんだか、よく分からないな。たらいにお湯をためて体にかけた。ちゃんと石鹸もあったので、それを使って手早く体を洗う。



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