八 メンバーの想い
開場が始まって間もないのに、客席はあっという間に埋め尽くされた。男ばかりのオーバー・ザ・レインボウだが、ハードロック中心のためか客層は男女がほぼ同率だ。女性の割合が多ければ、沙樹の存在を発表することはダメージになるだろう。だが五分五分なのでそこまで影響はないと見ている。音楽そのものについてくれているという自信があるので、あまり気にしていない。
だがこれからやろうとすることは、一か八かの大勝負だ。ステージを放り出してまでやることなのだろうか。メンバーは冷静な判断ができてない。それが解っていながら、止める方法が見つけられない。
ワタルは仲間と距離を取って解決方法を探るべく、廊下に出て壁にもたれかかった。
「考え過ぎるなよ。ここまで来たら、なるようにしかならないんだ。余計なこと考えてたら、ギターが泣くだろ」
顔を上げると、弘樹が紙コップを手にして立っている。
ほらよ、と差し出されたコーヒーを受け取ると、控室前の廊下においてあるベンチにふたりで腰掛けた。
「ワタルの心配も解るよ。常識から考えたら、おまえの方が正しいってことは、みんな理解してるんだ」
「だったらどうしてあんな無謀な計画を立てるんだ?」
「それだけ沙樹ちゃんのことが好きなんだよ。あの子にはずっと世話になりっぱなしだろ。アマチュア時代は頼んだわけでもないのにマネージャーしてくれてさ、男ばかりのバンドには気がつかないような細やかなところ、たくさん助けてもらったじゃないか。プロになってからだって、沙樹ちゃんのおかげでゲストに呼ばれたこともあるし、ラジオ番組も持てただろ。だいたいラジオ局に就職したのだって、おれたちの歌をみんなに届ける手伝いがしたいっていうんだから、本当に頭が下がるよ」
一緒に演奏しないだけで、沙樹は六人目のメンバーだ。仲間はそう思っている。
「心配しなくても、沙樹ちゃんは心変わりなんてしてないよ。でもな、あの状況では気持ちに関係なく、流されてしまいかねない。とくに『トミーについて行けよ』なんてバカなことを恋人に言われたしな」
「そのことなら反省してる。これ以上責めないでくれ」
後悔してもしきれない一言が、このような事態を招いてしまった。
「いや、ワタルでも焼きもち妬くんだな。今回は面白いものを見せてもらった」
「おい」
けたけたと笑う弘樹を見て、ワタルは自然と仏頂面になる。
「みんなは沙樹ちゃんに幸せになって欲しいんだよ。それをワタル、おまえに託してるんだ。それに、おまえには話したことがないけど、あの子を泣かせてまでバンドを続けたいなんて、誰も思ってないんだよ」
「……え?」
メンバーがそこまで沙樹のことを大切に思っていたとは。想像したこともなかった。
みんなの思いを聞いた今、迷ってはいられない。ギリギリの時間までライブをこなし、そのあと沙樹のもとにかけつける。トミーにさらわれるのはごめんだ。
沙樹の泣き顔は見たくない。
「まあ、おまえらふたりは最初からいい雰囲気だったからな。うちのライブに初めて来たときから、ワタルにえらく懐いてたし。実際につきあうようになるまで、どうしてあんなに時間がかかったのか不思議でならない。何遠回りしてたんだか」
はははっと豪快に笑って、弘樹は手にしたコーヒーを飲み干した。そして席を立ち、
「そういうことだから、何も心配するなって。これまで通りライブを楽しもうじゃないか」
ウインクすると控室に入った。
☆ ☆ ☆
最終日のライブが始まる。
バンドメンバーは真っ暗なステージの中、それぞれのパートにスタンバイした。
気持ちが高まったころを上手くキャッチして、弘樹がスティックを叩いてリズムを刻んだ。武彦のベースが二小節入ったあとで、全パートの演奏が始まる。同じタイミングで背後から照明が当てられ、メンバーのシルエットがステージに登場した。
会場をゆるがすような大歓声が起きる。油断するとこちらの音がかき消されそうだ。心待ちにしてくれたファンが、オープニングの数秒で受け入れてくれた。オーバー・ザ・レインボウとファンがひとつになって、ライブがスタートする。
勢いをリードするのは、哲哉のシャウトするようなボーカルだ。激しいビートは誰にも止められない。
ギターを手にしてステージに立った瞬間に、迷いは消え去った。沙樹のことを伝えたときのファンの反応も、今は気にならない。この瞬間、沙樹がトミーと一緒にいると解っていても、胸は痛まなかった。
自分たちが全力でライブをやっているのと同様、あのふたりもリスナーに音楽を届けるべくがんばっている。場所と手段が違うだけで、曲に乗せて夢を伝えようとしている。
それがオーバー・ザ・レインボウと沙樹の共通点だ。距離は関係ない。離れていても同じ目標に向かって進んでいる。それが解っていたから、信じあえた。
それなのに、小さな嫉妬がすれ違いを生んだ。仲間の言うように、おれは莫迦だった。
ステージに立てば、不安や迷いは消えてしまう。忘れていた絆を実感する。今はなすべきことをやるだけだ。
オープニングから五曲を一気に演奏した。ライブは今までの集大成にふさわしく、最高の演奏と最高のノリで進んでいる。
みんながアップテンポに疲れたころ、スローなバラードに曲が変わった。アコースティックギター一本で、哲哉の魅力を最大限に引き出す。勢いのある曲だけではなく、繊細なバラードも難なく歌いこなす。哲哉が経験した苦悩の日々は、幅広い表現力に姿を変えた。
ワタルは天性のボーカリストに巡り会えた幸運に感謝していた。
二時間あまりのステージで、ワタルは最高のメンバーとともにライブができる幸運を噛み締めていた。
☆ ☆ ☆