六 結論は出ている
クリスマスイブだというのに、秋晴れを思わせるようなきれいな青空が広がっている。スタンダードナンバーのように雪が降るように願っても、日本で実現するのは難しい。だからこそ余計に、心の中に雪を届けたかった。アンコールのために用意したホワイト・クリスマスには、そんな思いも込められている。静かに降り積もる雪を表現したいのに、ワタルの指は思うように動かない。
「ワタルのギターが泣いてる。それじゃ雪じゃなくて雨になっちまうよ」
リハーサルで哲哉にいきなり指摘された。自覚してる以上に演奏に影響しているようだ。ワタルは沙樹とトミーを意識から追い出し、夜空から優しく舞い降りる雪を思い描く。凍える冬だからこそ、温もりがありがたい。雪の中の柔らかな陽だまりを表現しようと、意識を集中させる。
三度目にしてようやく注意されずに弾き終えた。ワタルは途端に全身の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。こんなに疲れるリハーサルは初めてだ。
「具合が悪いなら、少し休んだらどう? ワタルのパートはハヤトくんが弾いてくれるよ」
直貴がキーボードの前から心配そうに声をかけてくれた。
「すまない。大丈夫だから続けてくれ」
右手を挙げて返事をすると、弘樹は遠慮がちに「じゃあ、次行くぞ」と答え、スティックでリズムを刻み、曲をスタートさせた。ワタルは沙樹とトミーを心から追い出し、演奏に集中した。
リハーサルがひと通り終わり、メンバーは控室に戻った。出されたコーヒーを飲みながら、ワタルは自分のギターを振り返る。今この瞬間も沙樹がトミーと仕事をしているかと思うと、コーヒーの味がやたらと苦く感じられた。
加えていきなり突きつけられた挑戦状がある。絶対にクリアできない課題をどうやってこなせばいい? リハーサルの間もそのことが頭から離れなかった。いらだちと焦る気持ちが演奏に出てしまうとは。プロ失格だ。
「もしかして西田さんとけんかでもしたか?」
哲哉がワタルの隣に座りながら心配そうに声をかけてきた。相変わらず勘の鋭いボーカルだ。黙っていても仕方がないし、口に出した方がもやもやした気持ちも発散できると思い、メンバーに昨日のことを話した。
「トミーさんがねぇ。いくら沙樹ちゃんとワタルのこと知らないからって、不倫はひどすぎるよ」
直貴が腕組みをして頬を膨らませる。
「けどさ、沙樹ちゃんは、ワタルが行けないことを解ってるんだ。心配しなくてもいいんじゃない?」
「いや、そのことだけど……おれはつい『トミーさんについて行け』って言ってしまって……」
「そ、それ……本当なのか?」
弘樹が驚きの声を上げると同時に、直貴と哲哉がワタルの顔を凝視した。冷たい視線にたじろいでいると、
「おまえはバカか」
の一言で哲哉にとどめを刺された。
「そんなこと言われたら捨てられたと思い込んで、西田さんはトミーさんについて行くぜ。ワタルはそんな簡単なことも解らないほどの大バカなのか」
「ったく、ちゃらっぽいみかけに反して冷静で正確な判断するのに、沙樹ちゃんが絡むと途端に小学生並みになるのはなぜだ? ぼくにはさっぱり理解できないよ」
ちゃらっぽいだけ余計だと、心の中で直貴に反論していると、弘樹がぽつりとつぶやく。
「それだけ沙樹ちゃんが好きなんだ」
「おい!」
突っ込みながら、どことなくデジャヴな会話だと、ワタルは妙に冷静になった。
そのとき、ひとり輪から離れてラジオを聴いていた武彦が、珍しく大声を上げた。
「ワタル、トミーさんがとんでもないこと言ってる」
一同はそれまでBGMにすぎなかったラジオに耳を澄ませた。
『その彼氏は仕事を優先させて、いつも彼女に寂しい思いをさせています。だから昨日おれは、相手の男と電話で話しました。彼女のことが本当に好きで誰にも渡したくないのなら、今日の特番が終わるころ彼女を迎えに来い。もし来なかったら、そのときはおれが彼女をもらうってね』
楽屋のはしゃいだ空気は消え、メンバーは言葉をなくした。ラジオから流れるトミーの声が、部屋を支配する。ワタルの手が届かないところで事態が大きく動き始めた。
椅子の音を大きく立てて、哲哉が立ち上がった。
「なんだよ、これ。西田さん了解の上で公表してるのか?」
確認しようにも放送中は携帯の電源も切っているので連絡できない。
「ワタルとのつきあいを必死で隠してきたんだ。その沙樹ちゃんがこんなことを許すはずがない。トミーさんの暴走だな」
弘樹はそう分析したが、ワタルは別の可能性を考えていた。
自分は沙樹に試されているのかもしれない。
「これじゃあリスナーが局の前に集まっちまうな。深夜や早朝ならまだしも、九時半っていったら宵の口じゃねえか」
「トミーさん、不倫を疑ってるんだよね。相手が出て来られないこと計算の上でやってるよ。うん、間違いない」
リスナーに向けてトミー自ら応援を要請している。野次馬が集まるのは避けられない。哲哉や直貴の言うように、相手の動きを封じ込めるのが目的だろう。あれで意外と策士のようだ。
しかし流れているBGMが自分たちの曲『ホーリー・ナイト』とは。この曲は、イブの夜に伝えられない思いを綴った歌だ。誰にも話したことがないが、沙樹と一緒に過ごすことのできない寂しさを、片思いという形に変えて表現した。そんな曲をこの場面で流すとは、これ以上の皮肉はない。
ラジオでは応援メッセージが次々と読まれ始めた。反対意見は一通も読まれない。一瞬にして、トミーはリスナー全員を味方につけることに成功した。
「この調子じゃ、ワタルが行かないと絶対にトミーさんが連れて行ってしまうよ。その場の雰囲気で沙樹ちゃんも拒否できなくなる。ああ、どうしたらいいんだろ」
直貴が貧乏揺すりを始めた。
ともに考え悩んでくれる仲間たちの心遣いが、ワタルの心にしみる。
だが今やるべきことは解決方法を探ることではない。
「ライブの時間にバッティングしてるんだ。行けるわけがない。ファンのことを考えたら、結論はもう出ているよ」
自分の都合は関係ない。
「沙樹ちゃんのことを発表する予定でリハをしたんだよ? やっと事務所やレコード会社と話がついたっていうのに」
直貴は親指の爪を噛んだ。