三 重なる不安
「ル・ボン・マリアージュだって? マジかよ。トミーさんがんばってんな」
移動の新幹線で、ワタルは隣に座る哲哉に夕べの電話について話した。
「となるとワタル、来週の場所はジャスティじゃダメだ。マスターには悪いけど、ほかを探せ」
「でもおれたちにはあそこ以上の場所はないよ」
ライブ喫茶ジャスティはオーバー・ザ・レインボウの発祥の地だ。大学時代定期的にライブを行い、人気と実力をつけてきた。沙樹との出会いもジャスティだ。
大学を卒業してからは以前ほど行けていないが、自分たちにはかけがえのない場所だ。
「キャンセル待ちなんだろ? 予約が取れてるならまだしも、そうでないならほかを探そうぜ。そうだな……ブルー・ムーンはどうだ。うん、場所的には申し分ないな。今から電話してくる」
哲哉はひとりで納得し、デッキに向かった。ひとつうしろのシートに座っていた宮原直貴が、入れ替わりに隣に腰掛けた。
「哲哉の言う通りだよ。ジャスティは貸し切りパーティーに使おうよ。身内だけだったら気兼ねせずにすむし、ぼくたちも気楽じゃない? 即興のライブとかできて楽しいよ」
「そゆこと。どうせなら昔のバンド仲間も呼んで、にぎやかにやろうや」
前のシートのリクライニングが倒れ、清水弘樹が会話に加わる。
「そのときは玲ちゃんも呼んでいいかな」
背もたれの上から顔を出して、氷室武彦が遠慮がちに問いかけた。
「いいな。みんな楽しそうですね」
南野ハヤトがうしろから声をかけた。今回のツアーで初めてサポートメンバーになった青年だ。
「遠慮せずに参加しなよ。きみもぼくらのメンバーだろ」
直貴はうらやましげに眺めているハヤトを会話に引き込んだ。
肝心のワタルが口を開く前に話が発展していく。いつもの愛すべき仲間たちだ。自主性のあり過ぎるメンバーを相手によくリーダーが務まるものだ。我ながら感心する。同窓会をかねたパーティーも楽しそうだなと考えていると、電話を終えた哲哉が戻ってきた。
「ブルー・ムーンもいっぱいだってさ。やっぱりイブのディナータイムは予約も大変だよ」
哲哉は肩をすくめると、空いた席に座った。
「だろ。予定通りジャスティのキャンセル待ちだな」
当然の結果だ。あれこれ迷う前にさっさと押さえておけばよかった。今さら悔やんでも仕方がない。
ところが哲哉は人さし指を立てて、頬のそばで二、三度振る。ライブでテンションが上がったとき、必ずする仕草だ。ワタルは嫌な予感がした。
「ところがマスターが言うには、確実にキャンセル出るから待っててくれってさ」
「複数の店を仮抑えする人が多いってことなの?」
「直貴の推理は残念ながらはずれ。実は早くから予約してても、当日までに別れるカップルが必ずいるんだとさ」
じゃあキャンセル待ちでも大丈夫だね、とみんなが口々に言う。
「別れる、か」
はしゃぐ仲間たちをよそに、ワタルはひとり沙樹に思いを寄せていた。
自分たちもその一組になるかもしれない。
沙樹が結婚について話題にしないのをいいことに、ずっと曖昧にしてきた。晩婚化とはいえ、まわりが少しずつ身を固めていく中で、自分たちはいつまでも中途半端な関係のカップルになっていた。友達が結婚して独身は少数になったと笑う姿を、真に受けてはいけない。沙樹は沙樹なりに考え、答えを出している可能性もある。
不安定な心理状態の沙樹がトミーに心変わりしたとしても、ワタルには責める資格がない。振り返ってみれば、人目を避ける中のデートや、忙しくて滅多に会えない日々の連続だった。ひとつひとつは些細なものでも、すべてが積み重なったとき、取り返しのつかない結果を招くこともある。
新幹線がトンネルに入った。すぐに抜けるかと思いきや予想以上に長く、いつまでも外が明るくならない。ときおり明るい笑い声の混じる仲間の中で、ワタルはひとり、光が差し込むのをずっと待っていた。
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