十一 伝えたい想い
ワタルは沙樹を連れてコンサート会場に戻った。帰りを待っていたバンドメンバーは、ワタルたちの出現に気づくなり、一斉に取り囲んでもみくちゃにしてきた。
「おめでとう!」と口々に歓迎する一方で、スタッフたちは次々とクラッカーを鳴らす。沙樹は中心にいるのが申し訳なさそうに、頬を赤らめながら下を向いていた。
「ワタルがいなくなったあとのアンコール、異常な盛り上がりだったんだぜ。もう予定の曲だけじゃ終われなくて大変だったよ」
哲哉はライブのテンションを残したまま、今日の動きを説明してくれた。充実したアンコールになったことは、メンバーの表情を見れば解る。全力で演奏したあとに見られる疲労感と充実感が全員から伝わってきた。
「今ごろネットじゃ大騒ぎさ。芸能ニュースのトップになるし、ライブに来てた人たちは一斉にSNSに書き込んでる。しばらくは身の回りが騒がしくなるだろうな」
哲哉がスマートフォンにSNSを表示させ、今の状況を確認してくれた。
「今回の件に関しては、事務所やレコード会社もやっと許可してくれたからね。ずいぶん時間がかかったよ」
沙樹の悩みは解っていた。それを解決するためには、自分の意志だけではどうにもならない。だからこそワタルは、長い時間をかけてまわりを固めた。
「ワタルがここまで必死になったのは、それなりの訳があるんだ。西田さん、解る?」
哲哉がにやにやしながら質問すると、沙樹は首を軽く傾げて考えたあとで、左右に振った。
「あっ、待てっ」
ワタルは慌てて哲哉の口をふさごうとしたが、すでに遅かった。
「嫉妬したんだとさ。トミーさんの出現に、ワタルも相当焦ってたんだぜ」
「うそみたい……」
沙樹は目を丸くしてワタルをじっと見る。
「こら、哲哉。なんでもかんでもバラすんじゃないっ」
ワタルの頬が熱くなる。とっさに沙樹に背を向けたが、動揺をごまかすには遅すぎた。
冷静なリーダーを必死で演じる。秘めている情熱は、できることなら知られたくない。だが哲哉たちがいる以上、裏も表もすべて筒抜けになる。幼なじみの親友に隠し事は通用しない。
「そんなことより早く行かないと、予約の時間が過ぎちまうぜ」
哲哉は壁の時計を指差した。
「本当だ。もう時間に追われるのはこりごりだよ」
「どこかに行くの?」
「そうだよ。ライブのあとに会おうって約束しただろ」
ワタルは沙樹の手をつかみ、楽屋の扉を開けた。
「健闘を祈るぜっ」
哲哉の応援に右手を挙げ、微笑みとともに返事をした。
みんなに見送られてライブ会場をあとにしたワタルは、ホテルの最上階にあるバー、ブルー・ムーンに沙樹を連れてきた。夜景のきれいな店で、ワタルはメンバーと何度か来たことがある。沙樹を連れて来るのはこれが初めてだ。
眠ることのない都会は、さまざまな光で夜を彩る。ライブで全国を回ってきたワタルだが、ここから見下ろす夜景以上に美しいものは見たことがない。夜景の好きな沙樹にこの景色を見せたい、ずっとそう考えていた。
用意してもらった窓際の席に座り、ワタルは沙樹に気づかれないように、手のひらに「人」と書いて飲み込んだ。
やがて運ばれてきたマルガリータで、乾杯のポーズを取る。
このあとのことを考えると、しらふではいられない。
大会の最終審査で、あこがれのアーティストの前で演奏したこともあった。全国ネットのテレビ番組に出演したこともあった。何万人ものファンに向かって曲を届けたこともあった。ステージが大きければ大きいほど、緊張を楽しむ自分がいる。
それなのに今、鼓動は激しさを増し、息をするのも忘れそうだ。こんなことがかつてあっただろうか。たったひとりに向けて話しかけるだけなのに。
沙樹が夜景に見とれている隙に、深呼吸をする。わずかに落ち着きを取り戻したワタルは、流れる音楽に耳を傾けるだけの余裕が生まれた。
店内を彩る生演奏は、ナット・キング・コールのザ・クリスマス・ソングだ。アンコールでファンに打ち明けるとき、直貴もこの曲を弾いていた。
あのステージで沙樹のことを発表することと、今からやろうとすること。労力の大きいのはどちらだろう。いずれにしても引き返せないのは同じだ。
ワタルは軽く頷くと、ポケットから小さなケースを取り出す。夜景に満足した沙樹が、こちらに視線を戻した。中身を悟られないように、両手でケースを包む。
「メリー・クリスマス。プレゼント、受け取ってもらえるかな」
「あ、ごめんなさい……昨日あんなことがあったから、あたし部屋に置いてきちゃった」
「いいよ、そんなこと。それよりこれ、気に入ってくれるといいけど」
なるべく平常心を保ちながら、手の中にあるケースのふたを開けた。
そこにあるのは、プラチナリングにダイアモンドの粒があしらわれた指輪だ。
沙樹は息を飲み目を見開いて、無言で指輪を見つめる。キャンドルの炎を反射したダイアモンドが、黒く大きな瞳に映った。
沈黙がふたりの間に流れる。意味が上手く伝わらなかったのかと心配になったワタルがフォローの言葉を考えていると、沙樹が小さな声で訊いてきた。
「どの指にはめたらいいの?」
「どこだと思う?」
「解らない。……教えて」
沙樹は両手を広げてテーブルの上においた。真っ先にはめたい指があったが、照れと緊張で即答できない。
ワタルは沙樹の表情を見ながら、右手の小指から順番に触れた。左手の薬指にそっと触れると、沙樹は小さく微笑んで目を閉じた。
受け入れてもらえた。ワタルはそう直感した。
「やっぱ、ここしかないか」
沙樹の手を取り、左の薬指にリングをはめる。部屋に行ったとき、こっそり見つけた指輪からサイズを確認した。努力の甲斐があってピッタリと指になじんでいる。
「今までずっと待たせてごめん。仕事の都合で今すぐにって訳にはいかない。でもいつまでも待たせるつもりはない。だから――」
「……だから?」
「沙樹、おれと結婚してください」
こくりと頷いたかと思うと、沙樹の瞳から涙の雫が落ちた。
出会ってから今日にいたるまでの日々が、ワタルの脳裏によみがえる。こんな自分に愛想をつかすことなく、よくついてきてくれた。今までの道のりを思い返すと、泣きたくなるのも当然だ。
でもこれからは、悲しい涙は流させない。
店の照明が少し落とされ、店内がセピア色に染まり、夜景が輝きを増す。沙樹の泣き顔に気づいたマスターの粋な計らいだ。
ジャズアレンジされたクリスマスソングが、店内に優しく響き渡った。去年も一昨年も、一緒に聴くことのできなかった優しい曲たち。今年も来年も、これからはずっと一緒に聴くことができる。
誰もが慈悲深くなる夜に、これ以上はない幸せをふたりで噛み締める。
ひとりで過ごすイブは、終わりを告げた。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
前書きにも書いたように、このお話は『キミの来ないクリスマスイブ』と対になっています。未読の方は併せて読んでいただけると嬉しく思います。