一 素直な気持ち
沙樹が主人公の『キミの来ないクリスマスイブ』と同じ話を、ワタル視点で書いたものです。
ストーリーは同じですが、あちら側ではほとんど語られることのなかったワタルの心情や、挑戦をクリアするためにどのような苦労をしたのかを書いてみました。
どちらを先に読んでも解るように書いたつもりですので、お好きなエピソードからお読みください。そして両方を読んでいただければ、より楽しめると思います。
目を閉じるとコンサートホールを満たしていた歓声が耳によみがえった。ライブの余韻が体の隅々まで行き渡り、終了から二時間以上たつのに、まだ軽い高揚感が残っている。同じセットリストでも会場によって雰囲気は微妙に異なる。今夜の観客は反応がすばらしく、それにあわせるように自分たちのテンションもいつも以上に高いものとなった。
ライブとは文字どおり生き物、オーディエンスとともに作り上げる夢のひとときだ。ロックバンド、オーバー・ザ・レインボウのリーダーである北島ワタルは、この地で仲間とともに二日もコンサートができた幸運を噛み締めていた。
「ほらよ、照れ屋な誰かさんの代わりに、親切な幼なじみがメールしておいたぜ。ありがたく思うんだな」
耳になじんだ声とともに枕元が小さく揺れて、ワタルは目を開けた。
傍らにスマートフォンが置かれている。
「メールしたって?」
ベッドから起き上がり、送信済みのメールをチェックした。送ったばかりのものが一通ある。
『今夜のライブも大成功だったよ。沙樹にも見せたかった。イブのツアーファイナルに来てもらえないのが残念だ。距離が恨めしい。この腕で抱きしめられないのなら、せめて夢で会いたい』
ワタルは一瞬にしてライブの余韻から現実に引き戻された。
「哲哉。何考えてこんなメール送ったんだ。てかその前に、どうやってロックを外したんだ?」
「いやあ、まさかと思って西田さんの誕生日を入力したら、ビンゴなんだもんな。もうちょっと推理されにくい番号に変えとけよ」
ワタルは天を仰いだ勢いで、ベッドの上で仰向けになった。
「哲哉が沙樹の誕生日を覚えてたとはなあ」
西田沙樹はワタルの恋人だ。高校時代のクラスメートだった得能哲哉は、いつまでも名字で呼ぶ癖が抜けない。
「毎年誕生日のたびにプレゼント選びを手伝わせてんのは誰だよ。嫌でも覚えるぜ」
哲哉はベッドサイドの椅子に座ると、テーブルにおかれていた缶ビールを手に取って、残りを一気に飲み干した。ホテルに戻る前にも軽く飲んでいるから、見かけより酔っているのかもしれない。
「でもあのメッセージを送るとは……。いつもは『おはよう』や『おやすみ』くらいしか送らないから、何かあったのかって心配するじゃないか」
ワタルは起き上がり、ベッドを椅子代わりにして座る。
哲哉が送ったメールは、書いたはいいが恥ずかしすぎて出せなかったものだ。何気なく下書きフォルダーに残しておいたが、それを送信されるとは夢にも思わなかった。
「いいじゃないか。本当のことだろ。だいたい女子ってのは、言葉にしてもらいたいもんなんだよ。それなのに照れ隠しでクールを気取って、あたりさわりのないメールばかり送ってさ。たまには素直な気持ちを伝えろよ。でないと西田さん不安になって、取り返しのつかねえことになっちまうぜ」
「哲哉の言いたいことは解った。でも『あのメールはどういう意味なの?』って訊かれたら、どう答えればいいんだよ」
「いつも考えてることだよ、って言えばいい。それだけで充分さ。だろ? 素直になれ」
「いや、でも……」
突然手の中のスマートフォンが「メールだよ」とアニメキャラの声でしゃべった。沙樹から『今話せる?』とメッセージが入った。
「西田さん健気じゃねえか。電話かける前に、ワタルがひとりでいるか確認してんだから。自分の存在がマスコミに知られないように、注意深く行動してるんだろ。まわりには、彼氏はいないことにしてるっていうじゃないか。これだけ神経使わせてるんだ。例の件、ぐずぐずしてないで早く誘っちまえよ。場所なんてあとから決めりゃいいんだぜ」
ワタルはこくりと頷いた。
「ったく自分のことになると、意気地がないというか勢いをなくすというか。いつも通り誘うだけが、どうしてできないのかなあ」
哲哉は肩をすくめて、軽くため息をついた。
「じゃあおれは部屋に戻るわ。カップルの会話を立ち聞きするような趣味はないんでね。お休みっ」
軽い足取りで部屋を出る哲哉を見送ると、ワタルはいつもと違う緊張の中で電話をかけた。はい、と沙樹が出る。声を聞くのは何日ぶりだろう。たった数日聞かなかっただけなのに、ずいぶん話してなかったような気がする。
「遅い時間なのに、まだ起きてたんだね」
『いろいろあった一日だったの。そのせいで興奮して眠れそうもないのよ』
高校時代からの親友が出来婚することになったという。独身が少数になったと苦笑しながら沙樹は報告した。
『そうそう、友也とフランス料理店に行ってたの。ル・ボン・マリアージュって聞いたことあるでしょ。仕事の相談したいって言うから、てっきりファミレスか居酒屋だとばかり思ったのに』
また同じ男性の名前が出てきた。友也こと仲谷友也、通称DJトミー。沙樹が担当するラジオ番組のパーソナリティーで、来週のクリスマスイブでは沙樹と一緒に特番を担当する。
「また豪華なところだな。仕事の打ち合わせには不釣り合いな店じゃないか。何かあったのか?」
『ううん、特別には何も……』
トミーが何を企んでいるのか気になり、それとなく探りを入れてみた。沙樹は言葉を濁して答えようとせず、
『ワタルさん、今作詞してた?』
と不自然に話題を変えた。
胸のざわめきに気づかれないように話をあわせる。
「そうだよ。よく解ったね」
『だってさっきのメール。詞を書いてるときでもなかったら、あんな文章出てこないでしょ』
「ごめん。驚かせちゃったかな」
いい具合に勘違いしてくれたので、そのままで通すことにした。
『驚いた。いつものメールと全然違うんだもん』
「たまには本音を伝えたくなるんだ」
勢いもあって、素直な気持ちが口から出た。哲哉の言う通り、あのメールはワタルの気持ちを飾ることなく綴っている。幼なじみのバンド仲間にはすべてがお見通しだった。
――ぐずぐずしてないで早く誘っちまえよ。
哲哉は簡単に言うが、イブ当日沙樹には朝から十時間の生番組がある。準備と反省会をあわせるとほぼ一日半の労働時間だ。ハードな一日になることを考えると、気軽に誘ってもよいものかと躊躇ってしまう。だがそうは言っていられない状況が生まれつつあるようだ。
「ところで来週のライブあと、会わないか? ちょっと遅くなるけど」
『何時ごろ?』
「最終日だからアンコールが多めになるだろうし。早くて十一時かな」
『その時間なら特番も終わってるからOKだよ』
断られるかもしれないと思ったが、予想に反していい返事を貰えた。場所と時間は追って連絡すると伝えて、ワタルは電話を切った。
「トミーさんと高級レストランでデートだって? 沙樹はどういうつもりなんだ」
胸の奥がざわざわと音を立てた。やましいことがあるのなら、食事に行ったことを隠すはずだ。話してくれたことが、何もないという意味に違いない。そう言い聞かせて気持ちを落ち着けようと努力する。だが頭では解っていても心がついて行かない。
ワタルは備えつけのミニバーから缶ビールを取り出した。本当はタバコの一本でも吸いたかったが、この部屋は禁煙ルームだ。最近は喫煙できる場所が少なくなり、愛煙家は肩身が狭くなる一方だ。
プルタブを引っ張って缶を開け、のどに流し込む。今夜のビールはやけに苦い。
半分ほど飲んだところで、缶をテーブルに置く。そのままバスルームに入り、シャワーの栓をひねった。
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