今から仕事だけれど、何か
さてと、新しい仕事が舞い込んできた。
この業界に多い、掛け持ちである。
残業が増えそうだな。
家でたまっているビデオは、いつ観られるのかな。
借りっぱなしのDVD、ないよな。
気を取り直して、残っているおにぎりを食べる。
そして、仕事に取りかかる前、ちょっと自分の机の上が汚いのが気になり、掃除を始めることにした。
といっても、ティッシュで机やキーボードの上を拭いて、ゴミを捨てて、食玩のフィギュアを並べ直すだけで終わりにするつもり。
僕の今いるオフィスには、三人の机と三人の机が向かい合わせになった六人の『島』という単位がある。
その『島』が五つと、その各島を監視する位置にお偉いさんが一人ずつ。合計五人分の席がある。
割と小規模なオフィスだと思うが、どうだろう。
僕は出入り口から一番遠い島の席で、お偉いさんから一番遠い位置。
山本さんは僕の右隣の席である。
掃除している間に、山本さんが自分の机の下から鞄を取り出すのが視界に入ってきた。
見ると、普段はノータイなのに、いつの間にかネクタイを締めている。
そして、脇に鞄を抱え、曲がったネクタイを直しながら、出入り口そばにあるロッカーの方へ小走りに急ぐ。急な出張のようだ。
僕はキーボードの上をティッシュで拭きつつ、顔を山本さんの背中の方に向ける。
「出張ですか? 行ってらっしゃい」
彼は反射的にこちらへ振り返る。
「おいおい。何言っているんだ? これから君も出かけるぞ」
その言葉に、キーボードの上の手が止まる。
「僕もですか?」
「無関係を装わない。ほらほら、早く用意する。おいていくぞ」
彼は、せわしない招き猫みたいに、右手でおいでおいでの仕草をする。
今僕は割と忙しいのだ。掃除ではなく仕事が。
「今からどこへですか?」
「客先」
「打ち合わせですか?」
「それプラス作業」
「えっ? 作業も?」
「そう。打ち合わせしたらすぐ、作業に取りかかる話になっている」
今日の今日で、いきなり作業だなんて……。
またかい。
そう。こんなことは前からたまに経験するのだけれど、『今日の今日』は緊急度が高いから『お泊まり』になる確率が高い。
受け容れ側は『即戦力』と手ぐすね引いて待っているのだけれど、僕たちの間ではこれを『人質』と呼んでいる。
さあ、困った。
「作業って、……何の作業ですか?」
「さっき話した」
「ああ……」
どうやら、いきなりVRゲームのデバッグに駆り出されるようだ。
ということは、やっぱり緊急なんだ。
バグだらけのボロボロなゲームで、発売日が近いから、なんとかせえ、と。
緊急なら仕方ない。腹を決めてやるっきゃないのだ。
こりゃ、しばらくは泊まり込みかぁ。……とほほ。
僕はパソコンの電源を切って、鞄を脇に抱えて山本さんの後を追い、廊下へ出た。
こういうときって、たまに上着を忘れて飛び出すことがあるので、僕は下を向いて自分の服を点検した。
しまった。
上着を忘れたのではない。
上下ちぐはぐな色のジャケット&メンズスラックスの組み合わせだったのだ。
こんな格好で、初対面のお客様に挨拶に行くのである。
ラフすぎる。
しかも、ネクタイは……忘れているし。
初めての顧客のところへ訪問する格好としては、ないわーと後悔した。
今更後悔しても仕方ない。
山本さんの足が駆け足になったので、僕も駆け足で後を追いかけた。
まるで、親にはぐれないよう、必死に走る子供のように。




