顧客のご指名だがどうする?
「さて、ちょっと頼まれてほしいことがあってだな」
山本さんが、急にまじめな顔になって話しかけてくる。
このモードになると、冗談は通じない。
「はあ」
「なんと、君がご指名されたのだが」
また来たか……。
彼のこの言葉は、僕にとってのうれしいご指名ではなく、裏がある。
「はいはい。『君しかいない、頼む』って奴ですね、火消し役として。どこの部署で火を噴いているのですか?」
彼は、ちょっと投げやりな僕を無視して、うれしそうに笑う。
「いや、そうじゃなくて。お得意先から紹介された顧客が、ちょいと人を探していて、是非とも君に、と」
是非とも、か……。
急に目の前が明るくなった。
僕はいろいろな顧客の仕事をしてきたのだが、どこから実績を買われたのだろうか。
こんなことを顧客から言われると、もちろんうれしいし、少し鼻が高くなる。
周りから、僕は『褒められるとすぐ調子に乗るタイプ』と言われるが、『褒められると伸びるタイプ』に訂正してほしい。
「へー、是非とも僕をって、うれしいですね。どの顧客ですか?」
「先月納品したところ」
「ああ、あそこ!」
「の」
「の?」
「紹介してくれた新しい顧客」
「へ? 新しい顧客?」
だったら、僕を知っているはずがない。
やっぱり、裏がある。
「なんで、新しい顧客が僕をご指名するのですか?」
「そりゃ、君の技術力を買ってくれたからさ」
なんかおかしい。言い方を変えているだけのような気がする。
「もしかして、単に僕を売り込んだだけじゃないですか?」
「そうだよ。そしたら、是非とも君にって」
「やっぱり。……なんだぁ、喜んで損した」
僕の実績を実際に目で見てくれて『是非とも君に』ならよいのだが、履歴書で3年ぽっちの経歴を見て『是非とも君に』では、少し重みが違う。
先ほどの彼のうれしそうな笑い顔は、言葉の綾に騙される僕を笑っていたのだろう。
なんとも悔しい。
「で、何をやるのですか?」
「ちゃんと動くか、試してほしいプログラムがあって」
「プログラム? Javaですか? それともC++? まさかCとか?」
「プログラムってか、バーチャルリアリティー(VR)のゲームソフト」
「ゲームソフト? 言語は何ですか?」
「知らん」
「えっ!? それで、なんで僕ができることになっているのですか?」
「いや、言語なんか知らなくていいんだ」
「……ということは、プログラムを解析しないでデバッグ?」
「そう」
「いやいや、それは無理ですよ。ソースを追っかけないでデバッグはできません。まさか、ブラックボックステスト?」
「そんなんではなくて……。いったん、今やっている仕事のことから離れてくれるかな? 頭の中がそうだと、今まで言っていたような話になってしまうから」
「はい」
山本さんは軽く咳払いをして話を切り出す。
「普通にゲームソフトのデバッグ」
「普通がわからないんですけど。……もしかして、デバッグって言ってますが、動作確認のみですか?」
「そう」
それから彼は、急に僕の耳元へ口を近づけて、周りに聞こえないように小声でささやく。
「今回、新しいVR用の装置を使って高度な疑似体験ができるらしい」
「へー」
まだ耳元がくすぐったくて困っている僕だが、守秘の関係だろうから、小声で返した。
山本さんの声は通常モードに戻った。
「ゲームソフトのデバッグって初めてだよね?」
「初めてって……、いつも仕事を持ってくるのは山本さんの方ですから、ご存じではないのですか?」
「知っている」
「あのですねぇ……」
彼はまた嬉しそうに笑うが、同じ手には食わない。また騙されそうな雰囲気だから。
「ゲーム好きだよね?」
「ええ、まあ」
「『めっちゃ』好きだよね!?」
「はあ」
めっちゃを強調するとは、いよいよ怪しい。
すると、山本さんは左手で僕の右肩をポンと叩き、右手の親指を立ててウインクをする。
「じゃ、適任。決まりだな、台場トオルくん」
「まだ何も言っていませんよ」
「でも決定事項」
「うっ……、いきなり決定された」
「君に拒否権はない」
「ひどっ」
彼は、今度は両手で僕の両肩をポンと叩く。
「この職場でゲームができるのは君だけだ」
「山本さんだってできるじゃないですか?」
「いや。君の方がベテランだ」
「とかなんとかおっしゃってー、最初から僕はデバッグ要員にアサインされていたのですよね」
「そゆこと」
やっぱりである。
山本さんは腕組みをして、何か他に聞きたいことない?と目で問いかける。
当然、僕にはまだ質問がある。
「ということは、すでにうちの会社と委任契約済みですか?」
「今日付けで契約手続き中」
「そんな話、うちの会社から聞いていませんが」
「メールしておいたんだがなぁ、君のボスに」
「いつですか?」
「今日」
「今朝とか?」
「昼前」
「ズルッ……。一時間前じゃないですか」
「一応、正規の手順は踏んでいる」
「メール1本で?」
「そうだ」
「でも僕は知りません」
「そっちの会社内の連絡遅延までは知らん」
「うちのボス、メール投げても本の積ん読状態です。言ってやってください」
「そっちのボスの教育はそっちでやってくれ」
「僕から言っても、言うことを聞いてくれません」
「それは世の上下関係の常」
「じゃあ、今やっているデバッグは後回しでいいですか?」
「駄目」
「うげげ……」
「嘘。後回しでいいよ」
助かった。
ん? 後回しって……結局やるんかい!
ひどい話である。
えっ? デバッグを後回しにすることがかって?
そっちもそうだが、ゲームが好きだからといって、いきなりゲームソフトのデバッグ要員をやれなんてこと。
実は、初体験なのだ。




