あまりにリアルすぎるVRゲームの世界
ここでHMDをかぶったまま、ベッドに寝転がってみた。
体勢に関係なく画面は正面を向いたまま動かないと思ったら、画面が上に移動して昇降口の天井が見えた。
あ、そりゃそうだ。
起き上がると、画面が天井から下へ移動して、また最初の正面を向いた画面に戻る。
首を左右に振ると、画面の中でも左右に振ったように見える。
つまり、上下左右の首の動きに合わせて視点が動く、ということ。
正直言うと、こういうのは逆に不便である。
なぜなら、このHMDはなにげに重いし、長時間プレイする場合は寝転がりたいから。
えっ? 寝転がって首だけ起こせば? 無理無理。
そういうわけで、チャットで注文をつけてみよう。。
『DBT>HMDが重くて、寝転がってやりたいのですが、天井しか見えません』
反応やいかに。
今度はすぐにレスが飛んできた。
『やまだ>デフォルトはそうです』
なんだ、奥の手を教えてくれるのかと思ったら。
僕の意図を汲んでくれない。
そうですか……。我慢しろと。
さて、スタートしたが、ここから何をすればいいのだろう。
無人の昇降口では、何も変化が起きない。もちろん、人も通らない。
このゲームの世界では、今は授業中なのだろうか。
ヘッドフォンからは心地よい音楽が流れ続ける。
先ほどのレスを最後に、チャット画面にも新しい動きがない。
誰か発言するかもしれないが、デバッグに集中したいので、『Quit』でチャット画面を閉じた。
また全画面がリアルな世界になる。
ここで、ちょっと悪戯心が芽生えた。
コントローラで下駄箱の前まで主人公の体を移動し、右手をコントローラから離して下駄箱の方向に手を伸ばしてみた。
すると、画面下から右手が現れた。
右手は学ランの袖だ。主人公は学生なのだろう。
こうなると、主人公を動かすというより、自分が動いている錯覚に陥る。
その右手を伸ばすと、指先が目の前の下駄箱に触れた。
ペタって感じで。
えっ? 触れるじゃないか。
しかも、指先に鉄製の下駄箱の冷たい感触まであるのだ。
この下駄箱は、視覚でしか認識できない仮想的な物体のはずだ。
つまり、実体はこの空間に存在しない。
なのに、あたかもそこに物体が存在するかのように触覚で認識できる。
絶対におかしい。
思わず両手でHMDを外した。
視界に飛び込んできたのは、HMDをかぶる前まで見えていた<カオス>の光景である。
つまり、現実の世界。
ここには何も変わりがない。もちろん、下駄箱なんてない。
HMDを外したまま、同じ方向に右手を伸ばす。
指先に何も感じない。指を動かしても空気が触るだけ。
さっきは感じていたのに、どうしてだろう?
またHMDをかぶって、もう一度同じ方向に右手を伸ばす。
下駄箱に触れる。冷たい感触がある。
えええっ? ……どういう原理?
なぜこうなるのか理解できない。
この不思議な現象を目の当たりにしたせいで、背筋に冷たいものが走る。
同時に、指先から足先から、体の中心に向かってサーッと血の気が引いた。
血管を逆流する血の音が聞こえてくるのではと思ったくらい。
仕舞いには、手足や唇まで震えてきた。
ほんの少し前、山田さんに対して、筋肉から脳への電気信号がとか、頭蓋骨の障壁がとか言ってみたものの、実際にこの現象を体験してしまうと、脱帽して彼の言っていたことを認めざるを得なくなってきた。
でも、こんな馬鹿なことがあるのだろうか。
全く理解不能だ。
最先進技術に触れる際に覚える感動を通り越して、恐怖すら覚える。
仕舞いには、悪魔の仕業だとか、魔法がかけられたとか、思わず叫んでしまいそうだ。
これは夢か?
でも、自分の頬をつねると痛いので、実は寝ていて夢を見ているという落ちではないようだ。
もう少し調べてみる必要がある。
下駄箱に触れたついでに、扉を開けてみることにする。
扉は右へ開くタイプだ。
目の前にある適当な扉から一つを選び、へこんだところに指を入れて手前に引いてみる。
開いた。
まるで、本物の扉を開けているような感触がある。
開ききると、中にローファーがあった。
ローファーは商標名なのでその物じゃないと本当はいけないのだが、たぶんこれは見た感じ、その名前の靴で合っていると思う。
これをつかんでみる。
おお、つかめるし、引っ張り出せたぞ。
しかも、靴には重量感がある。
慌てて両手でHMDを外す。
さっきと同じく、何も変わっていないし、同じ位置に右手を伸ばしても何もない。
ベッドの上にあるのは、キーボードのみ。
コントローラは僕の足の上にある。
僕の頭の中では、ついに仮想と現実の区別が付かなくなり、混乱してきた。
このHMDをかぶると、仮想の世界が現実の世界のように認識できる。
それはあまりにリアルすぎて、ゾッとするほど怖いのだ。
恐る恐るHMDをかぶると、先ほど慌てて手を離したからだと思うが、ローファーが落ちて、すのこの上に転がっているのが見えた。
ここまで再現するとは、実に芸が細かい。開発スタッフには頭が下がる思いだ。
さて、落とし物は放置できない。
首を下に向けてローファーをとろうとする。
と突然、左耳から女の子の声がした。




