デバッグ前の危険な香り
まずは、終わったことを山田さんに報告だ。
「ダウンロードが終わったようです」
「そうですか。ではプレイをお願いします」
意外にあっさり。
事務的会話。
「チャットはどこでできるのですか?」
「すぐにわかります。では、私はこれで退室しますので、何かあればチャットで呼びかけてください」
「そうですか。わかりました」
ヘッドフォンの向こうでピッと音がして、ドアが開いて閉まる音がする。
山田さんが退室された。
やっぱり、説明を避けているではないか。
僕の『わかりました』って、本当にわかって言っているのではない。
なんか、曖昧な部分がまだたくさん残っている気がするのだが、こんな状態でデバッグを始めていいのだろうか。
どうもこの顧客は、説明を避けて、やらせようやらせようという意図が強すぎる。
なぜ、こうもあれこれ隠して先を急ぐのか、理解できない。
何かすごく危険な予感がする。
てなわけで、ついに僕は、デバッグ室に一人取り残された。
無駄にハイスペックで怪しげな機能が満載のHMDをかぶり、<カオス>に囲まれ、白いベッドの上であぐらをかいている僕。
呼吸はしているので肩も胸もわずかに動くが、それ以外は硬直したかのように同じ姿勢を保っている。
言っておくが、瞑想にふけっているのではない。
『どうしよう』という言葉が頭の中でループしていて、どうにも先に進めないのだ。
えっ? 何が起きたのかって?
理由は簡単。
HMDの怪しげな機能、味覚を除いた五感が再現できるという機能が怖いのだ。
恐怖と好奇心が心の中の天秤の皿に乗って、ゆらゆらと揺れている。
やがて、均衡が破られた。好奇心がかろうじて勝利した。
腹が決まった。
「いっちょやりますか!」
僕は両手で腰を、太ももを、パンパン叩く。
いよいよゲーム開始、いや、デバッグ開始、もっと言い換えると缶詰開始なのだが、まさかこの後に『とんでもないこと』が起こるとは夢にも思わなかった。
いや、もうすでに、この部屋へ入ったときから『とんでもないこと』が僕の周りに起こっていたのである。
それに気づくのは、もう少し後になってからだった。




