出勤七日目 グランドフィナーレ 中編
「マスター、おじゃまするよ」
「お久しぶりだね、恵美さんと太一くん?」
この店にもずいぶんとお世話になったものだ、初めに恵美と来たバー、
飲みやすい雰囲気と客層で選んだ俺のお気に入りの中の一つで、
恵美にも是非来てもらいたかったのだ、その目論見は幸いにも吉となり、今では俺が連れてこないときでも来ているとマスターからタレコミがある。
「さあ、何を今日は飲ませてくれるのかな?」
そんな思惑も知らず、嬉々としている恵美とは裏腹に、俺の心はバクバクだったが、ここまで来たら、覚悟を決めるしかないと気を引き閉めて、カウンターに向かった。
ここが俺の今日の戦場なのだ
恵美には今日酒のチョイスを一括して任せて貰っているが、
カルーアミルクやロングアイランドアイスティーでは企みがバレてしまうこととなってしまうだろう。
「Between the sheets」なんてもっての他。
「レディキラーカクテルなんて恵美は知ってるだろうしなあ…」
そう、普通の女の子を相手にしている訳じゃない、向こうも酒の知識がある、しかも酒豪の恵美となれば、相当なチョイスが求められる、
俺は、鹿児島先輩との作戦を思い出していた。
………
「酔わせて落とす、まあ基本なんだがなんでお前が触れてこなかったのかは俺にも痛いほど解るよ」
「そうなんですよ…恵美、じゃなかった和歌山先輩酒への知識があるから、レディキラーカクテル出したらバレて警戒されてしまいます」
「少なくとも付き合ってる奴にするアドバイスじゃない気がする、何故か?俺はとっくに事に及んでいるものと考えていたからだ」
「そうだったらこんな風じゃないですよね」
「…先輩が辛口好きなのは知ってるな?良い酒を教えてやろう」
………
「おっ、スカイナインティ・アンドソーダじゃない、私好きなのよ」
スカイナインティ・アンドソーダはその名の通りスカイナインティーにソーダを混ぜたもので
非常に辛口ながら、不思議と喉を通り抜けていく飲みやすさがあり、その為数をいかせやすく、
その上、名前の由来になった90proof、パーセンテージに直すと45%のアルコール度数を誇る。
さしもの酒豪の恵美でもジャブとして効いてくるだろう。
「美味しいですか?」
「うん、やっぱり飲みやすいし、色とかも綺麗だし、私こういうの好きだな」
色は透き通ると言うよりはどこまでも深く沈んでいくような青、それがまた恵美の心をわしづかみにしたようで、グイグイと喉に入っていく。
「美味しかったよ!太一くん、次はなに?」
「24トニックです」
「あ、作ってくれるんだ」
あ、作ってくれるんだと言う言葉に表されているように、24トニックは、ビフィータ24をトニックウォータで割って作るカクテルなのだ、
こちらのビフィータ24もアルコール度数は45%、割ることを差し引いても中々の強さである、
昔は酔わせた後が怖かったので、酔い潰すことが出来ずにいたので、今こそ出来る本気の組み合わせと言ったところか。
24トニックを作っていると恵美が横顔を覗いてきて、なにやらご機嫌そうな顔を浮かべてきた。
「どうしたんですか?」
「ふふ…昔からこうやって酒を作って貰ったり選んだりしてもらうの、夢だったんだ私」
「そ、そうだったんですか?」
唐突な言葉に少しこっ恥ずかしくなってしまい、顔を赤らめてしまうが、
ここはバーなので顔が赤くて当然だと自分に言い聞かせながら、24トニックを恵美に差し出す。
それからは会社の事などに話を咲かせた、誰が噂を広めたのか、等気にはなっていたのだが、まさか
「ああ、翌日には嬉しくてうちのお局さんに話しちゃったわ」
……発信源が恵美だったとは、不覚だった、しかし逆に言えば、それほど嬉しいことだったのだろう、今まで抑えて抑えて、心の海溝の奧深くへと仕舞い込んでいた思いを、わざわざ潜って取りに行くような馬鹿に出会ったのは。
トリプル・シトラス・ジントニックを飲ませた辺りから恵美がうつらうつらしてきたので、そろそろと思っていると、マスターがこっそりと何かカクテルを作り、こちらに手渡してくれた。
「何ですか?…ビトウィーン・ザシーツ……」
「今日の太一くんのカクテルの選び方はね、ここに来るような人は大概やるんだよ、そして成功した人たちは皆、これを頼んでいたよ」
「……なんだそりゃ」
「最後は気持ちを伝えないといけないよ、さあ、まだ銘柄がわかる程度に酔ってるうちに」
そう言われるがまま、俺は恵美にビトウィーン・ザシーツを差し出す。
「たっ太一くん!?」
「俺からの気持ちです」
恵美は顔を真っ赤にしてうんうん唸りだす、そしてしばらくすると、観念したか、俺の差し出したビトウィーン・ザシーツに口をつけ
「ありがたく頂くよ」
とウィンクして、右手でOKマークを作っていた。
「気持ちもですか?」「もちのろん、太一くんの彼女として、好きなように扱ってほしい…優しくね?」
はやる気持ちを抑え、恵美に先に出るよう言って、マスターに勘定を頼むと、今日はサービスだと笑って、そのまま背中を押してくれた。
「ありがとう、マスター」「頑張ってくださいね?」
その足で行くべき場所へと向かうのだが、どうも話が続かない、互いにこういうのは初めてで、どんな会話をするのかわからないのだ。
まるで水滴ひとつ、空っ風ひとつの音すらねじ伏せて、消し去ってしまいそうな雰囲気が、先程までのとろけるような甘い雰囲気を掻き消してしまっている。
あまりの空気に耐えかねたのか、恵美が話題を切り出してくる。
「たっ、太一くんは、初めてなのかな」
「うん、恵美も?」
「私はもちろん当たり前…何言わせるのよ」
「フフッ、すいません」
「……ねえ、太一くん」
「何ですか?」
「今日は、着けなくてもいいよ」
「……本気ですか」「うん」
それから二ヶ月程度たった頃だろうか、
恵美が社内で俺を呼び出した、何でも所用なのだと。
お局さんらの目線がなぜかその日はやけに厳しかった、もちろん、その理由はすぐにわかってしまうのだが。
恵美の居る席に赴くと、そこにはあの日のように顔を真っ赤に…あの日…
まさかが頭をよぎるが、それはないはずだと思いを振り払うが、それを予見したかのように恵美が制する
「残念だけど、その日の事なんだ、多分太一くんが思ってるのは、二ヶ月ほど前の事でしょ」
現実は残酷と言うか、何と言うか、もう内容がわかりきっているのが、
恐らく恵美の口から発される言葉は。
「……妊娠しちゃいました、二ヶ月です」
子供が出来るのは、嬉しいことではあるのだが
恵美にはこれからつわりなどの苦労が、
そして俺は現在進行形で、ギロチンに送られる死刑囚の気持ちを味わっていた。




