メロンパンと空
メロンパンと少年少女のお話です。
「空っていつまでも見てられるよね」
佳織は茜に染まる夕空を仰いでいた。河川敷に吹く優しい風にその髪を揺らしながら。
「そうだな」
俺も空は好きだった。空を見上げると不思議と心が落ち着く。ストレスの多い高校生活から、空に逃げることは多々ある。しかし今日は違った。綺麗な空を見上げているのに、心は騒いで落ち着かない。
「聡」
急に名が呼ばれた。返事をして向くと、佳織の瞳が俺を見つめていた。その瞳はどこか悲しそうに見えた。
くせの強い茶色がかったミディアム。幼い頃からこの髪型は変わらない。記憶は曖昧だが、少なくとも小学生のときからはずっと今の髪型だ。似合っている。ずっと思っているが口に出せたためしがない。
「今日誕生日でしょ」
「え、…あぁ」
想定外だった。誕生日の話をされるとは思っていなかった。現に今の今まで今日が自分の誕生日であることを忘れていた。
「プレゼントあげる」
そう言うと佳織は嬉しそうに鞄の中を探った。
「はい」
差し出されたのは、青春の権化だった。
「メロンパン?」
「好きでしょ」
「好きだけど…」
購買で売ってるメロンパン。校内でも人気の高いこのパンは、いつも昼の時間帯に争奪戦となる。佳織と俺もファンの一人であった。一年の頃からほとんど毎日のように購入をした。俺の佳織との日々にはメロンパンが付き添った。メロンパンを見れば佳織を思い出すほどだ。
「最後の最後までメロンパンかよ」
冗談めかしく放った台詞だが、少しして後悔した。もっと他に言うことあっただろ。もっと気の利いた言葉をかけてやれただろ。
「いいじゃん、おいしいし」
気付けば佳織はもう一つメロンパンを取り出し、袋を開けて食していた。
「自分のも買ったのかよ」
「食べたかったんだもん」
「相変わらず食欲だけは旺盛なのな」
「何よその言い方ぁ」
「何だよ」
しばらく見つめ合うと、二人して笑った。
「私たち喧嘩ばっかしたよね」
「…ああ」
一緒にいる時間が長かった分、衝突も多かった。だが二人共に単純な性格で、ひどい喧嘩を起こしても翌日には忘れていた。そのため軋轢が生じたり疎遠になったりすることなど一切なかった。
「それももうできなくなると思うと、なんか寂しいな」
「…」
何も言えなかった。佳織の目はまた空を見つめ、言葉の通り寂しさを露わにしていた。
「別に二度と会えなくなるわけじゃないだろ」
佳織は誤魔化すように笑った。
「シアトルだっけ」
「うん」
「そうか…」
言葉に詰まる。
「俺の連絡先、分かるだろ」
「あれ、何?連絡してほしいの?」
「…当たり前だろ」
「あら珍しい。聡がそんな素直なの初めてだよね。雪でも降るんじゃない?」
茶化すなよ。そう言いかけたとき、佳織は声を出した。
「なんかさ」
「何?」
「怖いんだ、アメリカ行くの」
佳織の口が初めて弱音を吐いた。彼女自身、前向きな性格であり、普段マイナスな言葉を口にすることは滅多にない。そんな佳織から聞く弱音は、新鮮で、切なくて、空に向かって吐いたはずなのに、俺の心に染み入ってきた。
「俺も怖いよ」
「え?」
驚いた佳織の顔が俺を見た。佳織の顔は見なかったが、涙が浮かんでいた―――なんとなくそんな気がした。
「佳織が遠くへ行くのが」
「私が?」
「なんか、ずっと戻ってこないんじゃないかって」
言うつもりなんてなかったのに。俺の口はペラペラと本心を語りだした。
「もしかしたら、会うのも今日が最後なんじゃないかって」
声が震える。
「俺さ―――」
突然口が塞がれた。甘い。懐かしい。そんな香り、味。メロンパンだった。
見ると佳織は、自分のメロンパンを俺の口に突っ込みながら、笑みを浮かべていた。
「今度帰ってきたとき、またここでメロンパン食べよ」
すると彼女は満面の笑みを浮かべて、
「約束ね」
そう言った。
俺は何も言えずただ俯き、緩んだ口元を隠すように、メロンパンを噛った。
「今日は佳織に奢られたから、そのときは俺が奢るからな」
「おっ!男に二言はないんだよ?」
「…分かってるよ」
そう言うと佳織は目一杯の喜びを表情に表した。そこにはいつもの佳織がいた。
「食べて帰るか、メロンパン」
「うん!」
俺は佳織に貰ったメロンパンの袋の上部を無造作に引き裂いた。
「下手くそ」
「うるせえな」
茜に染まったその日のメロンパンは、少ししょっぱかった。