後編:答えの結果
変わり映えしない日常といえども、それでも毎日、朝はやってくるのだろう。
それを、こうして毎朝、ひと仕事を終えた後に入る朝風呂の度に感じさせられる。
……もっとも、こういった清々しい朝ってヤツを無事に迎える事が出来なくなったヤツも、世の中には多少なりとも居たりする様なのだが……。
『……連日お伝えしておりました通り、昨年から世界各地で頻発していた謎の衰弱死現象……。いわゆる「眠り病」と呼ばれている不可解な症状を見せている奇病ですが、WHO、世界保健機関は、日本国内における最後の発症者の発見から三十日が無事に経過した事を受けて、我が国における事実上の終息宣言を出すことを検討していました。ですが、昨夜、また新たな発症者が見つかった事により、その決定は未だ時期尚早であったとして……』
居間でつけっぱなしにしてあるテレビから漏れ聞こえてくるニュースに俺は我知らず、小さくため息を漏らす事しか出来なかった。
「眠り病、ね」
我知らず「なるほど」と頷いてしまう。
誰が最初に言い出したのかまでは知らないのだが、ある日突然目覚めなくなって、そのまま衰弱死してしまう謎の症状を見せているこの奇病の事を、医療現場の人達は何時の頃からか『眠り人』とかいう、なかなかに小洒落た別名をつけて、眠り病の事を呼んでいたらしいのだ。
その病気の見せる不気味で不可解な症状からして、おそらくは名前の由来となったのであろう古い時代の怪奇映画であるガリガリ博士に出てくる眠り男チェザーレに相応しい代物だったのかもしれないが……。
「なるほど。確かに“病気”だわな」
夢見がちな連中が、自分の意思で見続ける事を選んでしまった、永遠に終わることのない幸せな悪夢……。それを病気だと言うのなら確かに、それは病気以外の何物でもなかったのだろう。
本人の意思で眠り続け、夢を見続ける事を選んでしまった結果、必然として遠からず訪れる事になる緩慢な死。それは、自分の命を……。今生の命を。今の人生という物に何の価値も見いだせず、それらを全て自分の意思で投げ捨てて、別の世界での新しい人生のやり直しを選んでしまった証でもあって……。
それが分かるだけに、色んな意味で「救えねぇ」とため息をつきたくなってしまう。だからこそ、色々な意味で病気だなと、変にそのことに納得出来てしまっていたのかもしれない。
「またもや治療の甲斐なく、あっけなく衰弱死しましたねぇ……。ま、いつも通りの結末ってヤツだな……」
ニュースによると、国内最後かと思われていた発症者なんだが、昨夜遅くに入院先の病院で死亡が確認されたそうだ。
おそらくは、今回新しく見つかった新しい発症者とかいうヤツも、いつも通りと言えばいつも通りな死に方を……。これまでと全く同じように、ずっと眠ったまま……。おそらくは数日以内には衰弱が始まって、そのまま最後の瞬間まで目を覚ますことなく……。そう遠くない内に、死んでしまうのだろう。これまでの連中と同じように……。何一つ変わることなく。
「……本当にどうにも出来ないのでしょうかとか言われてもな……。専門家の人とか、現場のお医者さん達も困っちゃうだろ。未承認の薬とか未認可な治療法とかまで使っても全く駄目って有り様なのにって……。って、いやいや、根本的な部分で、アプローチの仕方が間違ってるって話なんだからさ……」
思わず口からツッコミが漏れてしまうのも無理もなかったのかもしれない。
そいつの体には、生きる意志そのものが既になくなってしまっているのだ。
そんな体に、どれだけ外部から栄養などを注いでやったとしても、生物としての根源的な生命力とでもいうべき物を……。生きていくために最低限必要になるのだろう魂の力、あるいは命の炎とでも呼ぶべき物を……。
そう、魂魄とでも呼ぶべき物を、すでに失ってしまっているのだ。
そのせいで、何をしても死という名の谷底に転がり落ちて行ってしまうのだろうし、未だ魂とでも呼ぶべき物を見つけるに至っていない現代医学では、それを食い止めることはおろか、進行を遅らせる事すらも難しいのかも知れない。
……もっとも、そいつ体には既に魂は宿っては居ないのだろうし、恐らくはソレが原因で目を覚まさなくなっているのだろうから……。魂の欠落が原因で謎の衰弱死現象も引き起こしてしまっている以上は、それを計測出来ようと出来まいと、根本的に魂を元に戻せない以上は、結局は死を回避するのは難しいのではないかとも思うのだが……。
「何をやっても……。無駄な足掻きってヤツにしかならない、か」
そもそも、そんな根本的な部分に本当の原因があるだなんて、誰にも分かるっているはずもないだろうし、原因についても誰も想像出来ていないだろうとも思う。だからこそ、おそらくは今回もまた、欠片も原因が想像出来てないのだろうから、本当の死の原因ってヤツについては、またもや不明なままに終わってしまうのだろうとも思う。
「ふーん。眠ってる内にぽっくりかぁ。ある意味、幸せな死に方ってヤツよねぇ」
全く苦しまないで済むんだし。トラックとかダンプに轢き殺されてミンチになりながら異世界にふっ飛ばされるとかよりかは、よっぽど楽な逝き方なんじゃないかなぁ……。ああ、私達って、なんって優しいのかしら。
そう自画自賛しながら「ちょっとお邪魔するわよぉ」と、当たり前のようによいしょっと大股を広げて湯船に割り込んでくる、ちんまい裸族の阿呆が一匹。……もとい、ちんまくちっぱいでつるつるな幼痴女が一匹。
「ちょっと~。せぇっかくロンリーオンリーかつ頑固でお馬鹿ちゃんで意地っ張りで。ついでにとぉっても寂しがり屋でむっつりスケベェなアンタなんかのために、こ~してアタシがわざわざ会いに来て一肌脱いでサービスしてやってんのにさぁ。そーゆーつれない態度はないんじゃないのぉ~?」
つれるつれない以前の問題として、家主が風呂に入ってるのを見て、出て来るのを大人しく外で待つんじゃなく、こうして一緒に入ろうとするのは(たとえ異種族といえども)女の子としてのマナー的にはどうなんだ? しかも、そうやって恥ずかし気もなく大股開いて湯船に入ってくるってのは、入浴マナーとしては色々と厳しいんじゃないかと思うんだがな……。
「またまた~。うれしいくせに~」
うぜぇ。
「そうツンケンしないの。まっ、これもサービスってね」
いわゆる入浴料ってヤツ? まあ、その手のお店だとサービス料は別ってのがセオリーらしいけどぉ? ま、そっちの方はオマケしといてよぉ~。
そんな訳の分からない言い訳にもならない理屈を口にしながら俺に小さな背中を預けてくるアホに、思わずため息が漏れていた。
「……で? またヤったのか?」
「何のことぉ?」
「今朝のニュースでやってたぞ。また新しいヤツが見つかったって」
「ふーん。そーなんだ。大変だね」
大変、ね……。白々しいにも程があるだろ。
「……そーだな。これから、色々大変だろうな~。アイツにも親とか兄妹が居たんだろうし。……家族も心配してるだろうからなぁ?」
「ん~。それはどうかな~……。アイツ、一人暮らしだったし。家族からは勘当同然の扱いだったみたいだけど。……って、そーいえば、そんな良い年して、未だ気ままな一人暮らしなマダオ君だったはずなのに、なんでこんなに早く見つかったんだろぉね?」
「たまたま、らしいぞ」
「たまたま?」
「ちょっと発音が違うな。というか、それだと違う意味の言葉になっちゃうからな? あと、そいつが見つかったのは、まったくの偶然なんだとさ」
たまたま疎遠だった親が何か用事でもあったんだろう、息子に久方ぶりに連絡を取ろうとしたら、固定電話にも携帯にも誰も出ないからって、何やら胸騒ぎがするって感じに不審に思ったんだろう、直接訪問してみた結果、今朝方見つかったって事らしい。
「へ~……。そーゆー偶然って、ホントにあるんだねぇ」
「案外、自分の子供の危険を本能的に察知してたのかもな。……いわゆる虫の知らせとか、野生の勘ってヤツとかみたいな」
「へー、ほー、ふーん。人間の世界って、ほんっと、ふっしぎ~」
それにしても、あ~……。仕事明けの朝風呂って、ホンット、サイコぉ~。
そう喉の奥の方から心底気持ちよさそうに「はぁあぁぁ~」と大きなため息混じりの声を漏らしている阿呆を前に、俺の顔にも思わず苦笑が漏れてしまう。
「……そっちには無いのか?」
「なにが?」
「風呂」
「似たようなのはあるけど、こういう湯船につかって~ってのは無いかなぁ」
だからコイツは事あるごとに……。こっちの世界に仕事をしにくる度に、こうして俺の家に潜り込みに来ては、風呂や飯、寝床をタダでせしめていっているのだろうか。
「あ、そうだ。こないだのアレ、またやってよ」
「あれって?」
「あの髪とか体をわしゃわしゃするヤツ! あと、アワアワするヤツも!」
以前に湯船でへばりつかれた時に、頭や体から漂った奇妙に青臭いというか生臭い嫌な匂いがやたらと気になってしまったので、スポンジでボディーソープをワシャワシャと泡立てて全身を泡まみれにして綺麗にしてやったのだが……。
それがひどくご満悦だったようで、今では、すっかり味をしめてしまったらしい。
「やり方はこないだ教えてやっただろ?」
「えー、いいじゃん。人にやってもらった方が百倍キモチイ~んだから。それに羽とか尻尾とか自分でやろうと思ってもなかなか難しいんだから。……ね? お願い」
まったく、とため息しかもれない。
とまあ、そんな訳で、今日も今日とてワシャワシャと侵入者を全身泡まみれにしてやっていた訳だが……。
「そーいえば、アンタって、なんで私の勧誘を断ったんだっけ?」
「お前の話が胡散臭かったからだって言ったはずだぞ」
「あ~れぇ~? そーだったっけぇ~?」
「確か、そんな理由だったと思ったけどなぁ……」
まあ、あの時に答えたのは拒絶だけの返事だったが……。
勿論、本当の理由は、そんな曖昧な理由なんかじゃなかった。
コイツの勧誘の内容を……。異世界に転生して人生やり直しませんかって誘いを断ったのには、当たり前だがちゃんとした理由が存在したんだ。
それは、コイツが頑なに口にしなかった事への不信感が根底にあったからだ。
こっちで死んだら、向こうで生まれ変わる。
ただし、こちらの世界での記憶は消される。
……まあ、コレについてはいいだろう。
経験に基づく能力などについても引き継ぎは行われないが、こちらの世界で獲得していた能力については、向こうの世界での新たな獲得などの際に、補正のようなものが入ると思われるので安心して欲しい。
……コレについてもある程度は納得出来ている。
容姿については普通よりちょっと上になるし、特別な力に目覚める事も保証されている。
ただし、それらが具体的に、どういった内容になるかまでは、向こうで生まれてみるまでは分からないし、目覚める予定になっているチートの具体的な内容についても母体保護のためにも生まれてからしばらく経つまでは詳細が判明しない様に封印されているので、事前には分からない仕組みになっている。
……まあ、このあたりから段々と不信感が湧いてきたのは事実だと思うのだが。
まあ、たしか、こんな感じの事前説明だったな。
ぶっちゃけ、これだけを聞いたら、迂闊なヤツだったら了解してしまいかねない内容だったとんじゃないかと思う。
一見した所、比較的筋も通っている様だったし、矛盾らしい矛盾もとりあえずは見当たらなかったからな。
……だけど、俺にはどうしても一点だけ気になる点があった。
それをあえて尋ねずに居たわけだが……。
本当は、それを自分から言ってくるかどうかを試してみたかったのだと思う。
その部分は、俺にとっては根本的な部分に関わっている問題であって、何よりも自分自身のプライドや尊厳といった挟持に関わる大きな要素であり要因でもあったからだ。
『……異世界への転生による人生のやり直しを希望しますか?』
だけど、結局、コイツは最後の最後まで、黙ったままだった。
俺が最も疑問に感じていた部分については最後まで言及しなかったんだ。
それは、仮に提案を了解した場合に、向こうの世界で今と同じ自分として生まれ直して、人生をやり直せるのかといった事だった。
それを、もっと具体的に、より詳しく言うのなら……。
俺は向こうの世界でも今と同じ『人間の男』として生まれる事を希望していた。
それが出来るのか、ということを最後の最後まで気にしていたのであって……。
ついでに言ってしまうなら、コイツは最後の最後まで、俺を『男』としてどころか、こちらの世界で言うところの標準的な種族である『人間』として向こうの世界でも似たような立ち位置にいる種族に生まれ変わらせるという事すらも……。いや、そういった『人間に相当するような種族』が居るかどうかすらも教えようとしなかった。
……いや、違うな。
あえて、そういった根本的な部分への疑問が湧きにくいように、こちらの意識を、もっと表面的な部分への疑問へとあえて誘導しようとさえしていたようにも感じられていたんだと思う……。
果たして、それが必要ないくらい当たり前な事だったから、あえてそこの部分に触れていなかったのかどうかまでは今となっては分からないが、それを聞かれてもまともに答えられなかったから答えないで済むようにしていたのか、あるいはそこを質問されては色々と困る事態が発生しそうだったから隠していたのか……。
何にせよ、俺の中の勘は、その部分をクリティカルな部分だと感じ取っていたし、それを隠し通そうしているように見えていた事に強い不信感を抱いてしまっていたし、その程度の最低限の前提条件すらも、まともに保証しようとはしなかったんだから……。
『もし、あの時、うなずいていたら……。果たして、今頃は、向こうの世界で“どんな生き物”に生まれ変わる羽目になっていたのやら……』
魔物とか人類の天敵なモンスター側の種族とかに生まれていたかも知れないし、行き先は、もしかすると人間型の生き物すら居ないような、奇っ怪な世界だったのかもしれないしな? でも、俺は、そんな変な異世界への転生など、死んでも御免だった。だから、断ったんだ。
……単純な理由だろ?
それを後悔してはいない。……いないと思う。……いや、正直言うと、ちょっとだけ惜しかったかな~って部分もあるっちゃあるんだけど。……でも、総じて、あの時の判断は間違ってなかったと思っている。……そう、今でも信じていたし、正しかったんだろうと思ってはいたんだけれども。……でもぉ……。ちょぉっとだけミスたかなぁ~って気も正直……。
『でも、まさか、こんなに生まれ変わりを望む馬鹿が多いとはなぁ……』
俺にみたいに誘いを断ったヤツが沢山居れば、必然として眠り病の仕組みとか原因とかに気がつく奴らも現れ始めるはずなのに。
そうなれば、そろそろ眠り病の本当の原因とかが、ネットなどの世界で噂になっていてもおかしくないと思うんだが……。
不思議と、未だにそういった趣旨の書き込みは見たことがなかったし、コメンテイターとかいう胡散臭い連中も、相変わらず的外れな事ばっかりテレビでがなり立てているばかりであって……。つまり、これって、殆どのやつが誘いに乗って死んじゃってるって事なんだよな?
『どんだけ命知らずな馬鹿が多いんだ……。いや、そもそも、そういう馬鹿にしか声をかけてないのかもしれないけど……。でも、本当に生まれ変わるのかどうかすら確認出来ないって時点で相当に妖しいのに、よくそんな危ない賭けに乗れるよなぁ……』
なにしろ、記憶が消えて生まれてくるんだ。
それって、本当にこっちの世界の人間の生まれ変りって言えるのか……?
ちょっと才能に恵まれた子供が生まれて来たのは確認出来たとしても、それが元々は別世界の人間の生まれ変わりであると本当に判断出来るのかまでは分からなかったし、例え、それが出来たとしても、果たして記憶をなくして魂だけ受け継いだような存在が、本当に自分と同一の存在であるだ等と言えるのかも疑問であったし、そもそも以前の自分が存在していた事すらも思い出せない時点で生まれ変わりに何の意味があるんだって思うし……。
そもそも、それが本当に自分の生まれ変わった姿だと自分自身で認識出来るのかどうかすらも妖しかった訳で……。
『送り出すだけ送り出しておいて、向こうでは「ざぁんねぇ~んながら、受け取ってませんでした~」ってオチも無いわけじゃないんだぞ。……誰だって、自分の管理してる世界を混乱させかねない異常な力を持った個体なんて、自分の世界に生まれさせたくないだろう。……神様的な立場から見た場合の心情として……』
結局のところ、そういった根本的な部分を保証はおろか説明すらしてくれなかった事などへの不信感というヤツがつのりにつのった結果、俺は最終的に相手を信用しきることが出来ずに否の答えを返す事になってしまった訳で……。
「……こうして、一人の面倒くさい居候を抱え込む羽目になったって訳だ」
「え~? なんだって~?」
髪をわしゃわしゃしてる最中は耳に指を突っ込んでいるせいで、今の嫌味は都合よく聞こえなかった事にしたらしい。
「なんでもない。……よし。もう良いぞ。泡を流すから目をつぶってろよ」
「あぁ~い」
最後にざぱーっと桶からお湯を流して泡々を洗い落として、次いで手早くバスタオルで体を拭いてやると、そのまま流れ作業的に外へとご退室を願う。
「冷蔵庫にチューペットが入ってるから食べてて良いぞ」
「えっ、マジで~? らっき~!」
ペタペタと濡れた足あとのスタンプを床に残しながら足音が去っていったのを確認すると、ようやく安心して湯船に戻ってひとしきり湯を楽しんだ後、後片付けなどひと通り済ませてから自室に戻った訳だが……。
「……それで、お前は、そこで何をしてくれてる訳?」
「何って……。テレビを見てる?」
なんで疑問符付きなんだよ?
いや、百歩譲って、俺の寝床の上に座っているのまでは許してやろう。
だけど……。だけど、なんで、お前は、素っ裸のままなんだ!
「ん~。……服、洗っちゃったから?」
そう答えて指差す先には、庭先の物干し竿にて、お天道さんの下で風に揺られている洗濯物があって。その中でひときわ異彩を放っているのは、言うまでもなく黒くてテラテカ光りながらポタポタと水滴を垂らしている、何処ぞの幼痴女の皮コスチュームこと、皮ヒモスーツであって。
「今ほど限界集落のすみっこの方なんていう超過疎地の中の過疎地帯に、こうして家を構えている事を幸せに感じたことはないな……」
何しろ最寄りのご近所さんの家まで、畑を挟んで軽く数百メートルなんて感じで離れているからな……。お陰で、庭先に干してる“おかしな物”を見られてひんしゅくを買わないで済んだ。
「夏は嫌よねぇ。すぅぐ汗ばんで服が汗臭くなっちゃうし」
それはお前の格好のせいもあると思うぞ。
「そうかなぁ? ……あ、それと、ハイ、コレ。おすそ分け~」
パキッと音を立てて、次いで、俺の口に冷たい棒が突っ込まれる。
「湯上がりに、こーしてクーラーの効いた部屋で食べるチューベットって、マジ幸せの味がするわよねぇ~」
まあ、それについては同意見なんだが……。
「俺の布団の上を占拠して座っているのも、のんびりテレビを見ているのも、扇風機の前を独占しながら髪を乾かしているのも、まあ許そう。……だけどな。マッパで胡座をかくんじゃない!」
ぶっちゃけ目のやり場に困るだと、と。
ん? なに? じゃねぇよ。平然とコッチ向くなよ。色々、丸見えだろうが。
「何か問題あったぁ?」
「あるだろ。大問題だろ。ていうか、むしろ問題しかないだろ……。常識的に考えて」
「ん~? 具体的にはぁ? アタシ、お馬鹿ちゃんだからわかんなぁ~い」
そうやってすっとぼけながら「ほーれほれほれ」とか言いながら足をVの字型に開いたり閉じたりとかするんじゃない。
「お前、絶対、分かっててやってるだろ……」
「ニャハハハハ。バレちった?」
「バレいでか!」
そう思い切り突っ込んでやってみても「んも~、照れちゃって~。ホントは嬉しい癖にぃ~」とか抜かしながら、ニッシッシッシって笑っていやがるアホタレの顔が、憎たらしいの何のって……。
「あのなぁ……。お前みたいなガキンチョは、俺の守備範囲外の更に外。ボールどころか大暴投、ボークとかビーンボールとかの外れ球だっていつも言ってるだろ」
「でも、そうやって文句言ってる割には、いっつも視線逸らさないんだよねぇ?」
「……いやぁ、それは……」
「うん、うん。わかってる、わかってる。皆まで言わなくて良いから。アタシ的には、アンタに見られて恥ずかしい部分なんてなぁんもないんだから。……だから、こうしてガン見されてても全然気にならないしねぇ?」
羞恥心という言葉はきっとコイツの辞書には載ってないか、あるいは俺達とは若干内容が違う意味として掲載されているのだろうと思う。
「あっ。でも、これって、アンタもヤラシイのが見れて嬉しい。アタシもアンタをからかえて嬉しいって事で、ウィンウィンの関係ってヤツよね……。なぁ~んだ、問題なんて何処にもなかったんじゃない」
「いや、そういう問題じゃねぇから……」
なんかさりげなくロリコン認定されてるし。
……いや、まあ、確かに、見たくないという割には視線を外さなかった俺の方にも、確かに問題はあったのかもしれないけどさ。
……でもさ……。ぶっちゃけ、見ちゃうだろ。男としては。大して興味なくてもさ。目の前でガバァっておっぴろげられたらさ。……見ちゃわないか? 男なら。人としてもさ。オスならさぁ……。メスの体に興味ないなんて、どこのインp……って、まてまてまてまて。これじゃただの変態だぞ……。
「あー、もう。ああ言えばこう言う」
「ニヒヒヒヒ。女に男が口で勝てる訳ないじゃん」
「ああ、ああ、はい、はい。俺の負けで良いよ」
「あれ? もうゲームセット? 今日はやけに素直だね?」
「面倒になっただけだ。それに、今日、朝早かったし……」
ほら、どいたどいた。そう声をかけて布団の上に寝転がると目を閉じて。
……ああ、エアコンの除湿モードと扇風機の風のコンボが最高に気持ち良い……。
「テレビ消して。眠いから寝る」
「あーいあい。……アタシもほぼ貫徹だったから寝よっと」
「ああ、ああ、そーしろ、そーしろ。……って、なんで布団に割り込んでくる」
「寝ろって言ったじゃん」
「帰れって言ったんだよ」
「やーよ。まだ服かわいてないし」
ああ、そうか。そういや、服がないからマッパだったんだった。……って!?
「おい。暑苦しいだろ。くっつくな。抱きつくな。足を絡めるな」
「え~。そんなのやってないよぉ~」
「思い切り絡みついてるじゃねぇか」
「ふっ。しらんなぁ」
「ほんっと、ダリィ」
「んふ~。まぁったく、素直じゃないんだから~。……こうされると、ホントはうれしいくせにぃ~。うりうり」
「あー。もー。マジでうぜぇ」
そんなじゃれ合いじみたやりとりのせいか、はたまたバケモノらしく大人まっさおな力で絡みつかれて振りほどけなくなってしまったせいか。あるいは、いよいよ眠気が襲ってきていたせいなのか……。
なんだか今更追い出すのも何か面倒になってきてしまっていたので、もうどうにもなぁれって感じで、絡みつく阿呆にもタオルケットをかけてやる。
するとフンスッと嬉しそうに鼻息を吐いて、もぞもぞと自分なりの良いポジションを探ること数秒。どうやら良い感じに体がハマったようで、ようやく大人しくなる。
エアコンと扇風機の奏でる稼動音に、スー、スーっと互いの寝息が混じって聞こえている。そんな室内に、部屋の外からセミのないている声が聞こえ始めていた。
……今日も暑くなりそうだなぁ。そんな考えが思わず口から漏れてしまったのか、胸元のあたりで小さく笑う声が聞こえていた。
「そーだねぇ。……暑い夏も、あと一ヶ月くらいかなぁ……」
もうちょっとしたら涼しくなるだろうから、仕事もやりやすくなるかもねぇ。
そんなごく当たり前のやりとりが出来たという事実が、あるいは互いの心理的な距離感を縮めてしまっていたのか……。
俺は、なんとなくといった口調で、これまでずっと疑問に感じていながらも口に出来ていなかった疑問を、ようやく尋ねる事が出来ていた。
「……なんで、お前らは人間を殺して回ってるんだ?」
そんな俺の問いに答えは平然と返されていた。
「人間を殺してる訳じゃないよぉ。異世界に送ってあげてるだけだしぃ~」
「でも、人間は死んでるぞ」
「そりゃそうよ。体から魂が抜けちゃってるんだから……。魂がないのに体が生き続けていたら、そっちの方が気持ち悪いでしょ?」
「そーいや、そーか」
「そーよ」
つまり、コイツの認識としては、こっちの人間を殺してるんじゃなく、向こうに送り出してるだけって事になってるのか。
「じゃあ、なんで、そんな事してるんだ?」
「なんでって……。これが仕事だから?」
「まあ、そうなのかもしれないけど……」
コイツにとっては、それをするのは自分にとっての仕事であって、ごく当たり前の事なんだから、その理由とかまでは気にしていないって事なのかもな。
「じゃあ、なんで俺に話を持ち込んだんだ?」
「リストに載ってたから」
「リスト?」
「うん。リスト。羅列されてるの。名前、住所、特徴、顔のイラストとか」
結構な情報量で、多人数分となると、結構なサイズになりそうだが……。
そう考えた俺の脳裏に、コイツが以前に手にしてた分厚い本のような物が思い浮かんでいた。おそらくは、アレがリストとかいうヤツだったのだろう。
「……あの本か」
「そそ」
「男女問わず、いろんなヤツを狙い撃ちにしてるみたいだけど、どういったヤツをターゲットにしてるんだ?」
「生物的に見て、異端児とか異分子って感じのイレギュラーな個体ってヤツ?」
「異端、ねぇ……。具体的には?」
現実逃避癖があるヤツとか、夢見がちなヤツとか……?
「ん~。やたらと一人で居る事を好んでみたり、すすんでつがいを探そうとしなかったり、そういう相手をあえて持とうとしなかったり、自分の子孫をまともに残そうと努力すらしなかったり、みたいな……?」
なにやら耳が痛いな……。
「なんていうか、生物的に考えて変な行動をとってる個体ってヤツになるのかな? こっちの世界では、おひとりさまって言うんだっけ?」
つまり、俺のことですね。わかります。
「そういう種の中で『コイツいらないんじゃね?』って判断されそうなヤツから優先して、声をかけていってるって感じなのかな……。多分」
なるほど。選考基準については何となく分かった。……分かりたくはなかったのだけれど、なんで自分が相当に早い時期……。それこそいの一番くらいに選ばれていたのかも、よーく分かった。でも……。
「なんでわざわざ異世界なんかに送り込んでるんだ?」
「多分だけど、向こうからの要請なんじゃないかな……? こっちの命が溢れてる世界から、命の密度が薄くなってきてる世界に、活性剤とかカンフル剤。もしくは劇薬みたいな感じの扱いで送り込んでるみたいだし」
なるほど。救世主的なポジションとして受け入れてるのか。……そうじゃなけりゃ、あえて危険な力を持つ異邦人なんて、わざわざ受け入れるわけ無いよな……。
「つーか、バランス的なものが破綻しかけてたり、人類がヤバイ具合に追い込まれてるなんていうトンデモない世界って、そんなにあるのか?」
「数の方も結構あるけど、一つの世界に何人も時間差つけて送り込んでるみたいよ? 第一弾、第二弾、第三弾、みたいな?」
ああ、なるほど……。次の勇者はもっと上手くやってくれるでしょう的な?
……って、なに、そのPARANOIAなトンデモ世界……。
それって、予想以上におっそろしい世界にばかり送り込まれてるんじゃないか……?
「もちろん、こっちの世界にも、ちゃんとメリットがあるからやってるのよ? 慈善事業なんかじゃないんだから。……これって、いうなれば間引き作業とか調整作業ってヤツなんだろうし。不要な枝とか、腐った果実とか、邪魔な……。全体にとって害悪になりそうな部分を切り落としてる事になるんだろうし」
それって、人という種の健全さを保つ的な意味で? ガン細胞を切除して、その他全部を救います、みたいな……?
「うん、それに近いのかも。……まあ、私ら下っ端は、そこまで上からは教えられてないし、わざわざ仕事の目的とか意義についてまで聞いたりもしないしねぇ……。それに、今やってる仕事の意味とか意義とか、そんなに深く考えながら仕事したこともないってのが普通なんだろうけど……」
そこまで話した時、良い加減眠気もピークになっていたのだろう。言葉にあくびが混じり初めていた。
「フアァ~……。なんか難しい話してたら、一気に眠くなっちゃったなぁ……」
こんな話してないで、さっさと寝よ~よ。そう眠気の谷に誘ってくる相手に、最後にどうしても聞いておきたかった事を訪ねてみる。
「……なあ。なんで俺なんかの所に入り浸ってるんだ?」
そんな俺の問いに、僅かに苦笑が返される。
「さぁ、なんでなんだろうねぇ……。アンタみたいなマダオの何処が良いのやら……。自分でもよく分かんないんだけど……。単純にココが気に入ったのかな? それか、珍しくアタシの言葉に耳を貸さなかった頑固者の事が妙に気に入っちゃったからなのかも? はたまた、単純に、まだ諦めずに狙ってるからなのかもねぇ~?」
おいおい。まだ諦めてなかったのかよ。
そんな俺の苦笑に「勿論」と、やはり苦笑が返される。
「アタシってば、仕事に関しては割りと完璧主義なんだからね? だから、狙った獲物は絶対に逃がさないって事にしてるの。……アンタは特別手強いけど、いつか必ず墜としてみせるんだから。覚悟しときなさいよ?」
……それって、それまでは、こうして入り浸りますから宜しくねってか? 何処のおしかけ女房だ、お前わ。
そんな俺の苦情に吹き出すようにして笑みが返されて。
「またまたー。ホントは嬉しいくせにぃ~。うーり、うーり。ここを、こーして、こーされると、うれしいんでしょー」
「……何処触ってんだよ」
「何処って……」
そんな言葉、アタシに言わせたいんだ。この変態。
そう耳元でボソッと呟く声の、この小憎たらしさったら……。
「ほんっと、ウッゼェ」
そんな俺の苦情は相手の爆笑を誘っただけだった。
「ケラケラ笑ってんじゃねぇよ。ってか、そんなトコに頬ずりすんな。舐めるな。噛むな。揉むな。擦るな。擦りつけんな」
なにがどうなってるのかはあえて実況しないでおく。TPOとアグネス的な意味で。
「……あと、実は、前から言おうと思ってたんだが……。あんまし押し付けてくれるな。お前の、それ、ぜんぜん柔らかくないからな? つーか、アバラが当たって結構痛いんだから、マジでやめてくれ」
「ぶー」
そんな不満マックスでぶーたれてる幼痴女は置いておいて。……というか、構えば構うだけ喜ぶタイプだから、こういう時には放置に限る。……経験則的に。
「あー、もう、面倒。眠い。俺はもう寝るからな。起こすなよ」
「へーい」
そんな「これでお終い。もう寝るぞ」の合図に、相手も眠かったのだろう。
今日は、素直に了解が返されていた。
「あと、起きたらメシだからな」
「……うん。おやすみ」
「おやすみ」
「……おひる、チャーハン食べたい」
「……へいへい」
こうして今日も、朝の気怠い時間帯が過ぎていくのだった。