安全委員の危険
僕と同じクラスに栗田さんという可愛い女の子がいる。栗田さんはとにかく可愛い。その可愛さについて詳しく解説するならば、栗色のモダンな髪型は甘栗の殻を思わせる光沢で輝いているし、くりっとした二つの目は好物のどんぐりを見つけたリスのようにいつも愛くるしく輝いている。そんな栗田さんがモンブランのように甘ったるい声で気丈にふるまう様はツンツンした栗のイガイガのようで、僕なんかはいつもツンツンされたがっている。そして、その敵意むき出しの態度が甘い本心を臆病に包み隠しているとかいないとか、僕の中でもっぱらの噂なのである。ちなみに栗栗言ったけども、僕は特別栗が好きなわけではない。栗田さんが好きなのだ。
そして、僕と栗田さんは『栗田さんファンクラ部』と『安全委員』いう二つのグループに所属している繋がりがある。
うちの中学校では、月曜は放課後の部活動の代わりに委員会活動を行う決まりがあるため、毎週月曜日には栗田さんも僕も『栗田さんファンクラ部』を休んで安全委員の活動に参加している。
「ちょっと待て、なぜ栗田さん自身が『栗田さんファンクラ部』に入っているのか」だって?
彼女は自分が好きだからだ。一年の時に発足し、今や百人の部員をまとめ上げる部長である。もちろん百人の部員を抱える我が『栗田さんファンクラ部』は強豪で、この間は県大会を突破して全国大会の決勝までコマを進めたりしたけども、福岡代表の『栗田さんファンクラ部』の前に僅差で敗れ去ったり、福岡の栗田さんの博多弁が反則的に可愛かったりした話はこの際割愛させてもらう。
「待て、栗田さんはナルシストなのか?」だって?
その問には『イエス!』と答えさせていただこう。だが、ナルシストというだけでネガティブなイメージを持つなかれ。それは彼女が世界中から愛されている証拠である。当然、世界中から愛されていれば世界の一部である栗田さん自身からも愛されているのである。なぜなら『世界中が栗田さんを愛している』ということを前提にして、もしも『栗田さんが栗田さん自身を愛していない』ということになれば『世界』から栗田さんは消えてしまうことになるわけで、そんな『世界』僕は望まないし認めない。福岡の一部には異世界があるらしいが、それは午後のティータイムにでもゆっくり考察することにする。
話を戻すが、僕が最近心配で仕方ないのは、月曜日の安全委員の活動の方だ。
自転車で下校する生徒に危険がないようにと最近始まった活動なのだが、だいたいの内容は以下のとおりである。
『主な活動は自転車で帰宅する生徒を通学路に立って見守ること。
暗くなるまで活動するため安全委員自体の安全も確保せねばならない。その為、男女一組で活動する。
委員会の活動が終われば真っ直ぐに家に帰る為、それぞれの地区に近いものから二人ずつ選ばれる』
さて、この活動の危険性についておわかりいただけただろうか。
先程も説明したが、たかだか生徒の自転車下校を見守るためだけに、夕暮れ時に男女が遅くまで二人きりなのである。
ふざけてるね、呆れたね。そんな小学生じゃあるまいし、自転車下校を見守ってなんになるっていうんだろうか。奴らが補助輪を卒業して何年経つと思ってるんだろう。危険なのは下校している生徒ではない。危険なのは、思春期真っ盛りのさかりのついた野郎と本人の意思を無視して暗くなるまで二人っきりにさせられてしまう栗田さんではないか!? しかもなぜに家が近いというだけで、僕ではなく近藤なんだろうか!?
この近藤という男子生徒、顔がただ均等のとれたシンメトリーだったり、たまたまメンデルの法則的な確率でぱっちり二重に生まれたり、たまたま両親が芸能人だったりするので、たまたまそういう顔立ちの奴が好きな女子生徒が意図的に集められたとしか思えないような我が中学のせいで、不思議な人気なのである。
これだけ周りがキャーキャーキャーキャーアナーキーな悲鳴を上げていれば、いくら品行方正な栗田さんといえどもパニックを起こして近藤に好意を持ってしまうかもしれないではないか。
◆
危機感と使命感に駆られたある昼休み、居てもたってもいられず、こんなシステムを考案した安全委員長のばかに直訴しに行った。
「月曜の放課後に行われている活動についてですが、僕の栗田さんが……おっと、栗田さんが近藤みたいな怪しい人間と一緒に活動していることは非常に危険だと思います。栗田さんは僕と同じ配置につくべきです。栗田さんの安全は僕が守ります。一人の安全委員として」
「やあ、キミか。何を言ってるのかわからないがちょうどよかった。こちらも話があってね。この前の月曜にキミと一緒に活動していた女子から『キミが一人でブツブツ呟きながら中腰になって羽ばたいている様子が不気味すぎるので、来週からパートナーを変えてほしい』って話をもらったところだったんだ。心当たりはある?」
「それはきっとその子の嘘です。近藤と同じ配置になりたいが為のその子の嘘でしょう、けど、自分に都合のいい展開なので本当だということにします」
「そうか、言い訳がましいけど、本当なんだね。じゃあ、キミは来週の活動から一人で」
「……意義アリ。なぜそうなるのですか!? 委員長として『よし、ならば隣の地区の近藤とキミを入れ替えよう! 次期委員長のポストも栗田さんの未来もキミに一任するよ』ぐらいの激励が言えないのですか!? そうすれば僕は『三年には生徒会長になる予定なんで栗田さんだけもらっておきますね』ってさわやかな返しができるのに!」
「わかったわかった。ちょっとそのことは今日の放課後に当事者で集まって考えよう。いいね?」
「当事者ってことは栗田さんも来るんですか?」
「ああ、僕から声をかけよう」
「行きます。スーツ着てった方がいいですか? もしくはタキシード? 結婚式の予こ」
「制服。……はあ、こっちは例の事件で忙しいっていうのに……」
「ああ、例の事件ですね。あれ犯人近藤ですよマジで」
「……いつか逮捕されるぞキミは」
ちなみに例の事件というのは、ここ最近女子生徒の体操服が頻繁に盗まれている事件である。月に一回、必ず出席番号と月を一致させて盗むのが特徴である。つまり、出席番号十五番の栗田さんの体操服が盗まれる心配はないわけで、そのことから僕はその事件に全く関心を払っていなかった。
◆
委員長の言っていた会合は放課後、空いている理科室で行われた。集められたのは、栗田さんと僕、それから名も無き女子生徒と近藤である。(偉い順)
安全委員長が「すまない遅れた」と言って登場すると、いよいよ話し合いが始まった。
安全委員長は席に着くなり、僕を見て言った。
「ちょっとキミ、バッグの中身を全部出してみて」
「え、なんでですか?」
「いや、また体操服泥棒が出たみたいでさ。それでちょっと遅れたんだ」
「や、遅刻の説明はいいです。なぜ僕の持ち物検査を?」
「日頃の言動が怪しいから?」
「えー」
僕は抗議の声を上げたが、他の三人がひたすら視線を逸らすだけなのでしぶしぶとバッグの中身を開けた。
まあ、怪しい物なんてないし、それでおかしな疑いが晴れるならいいだろう。委員長も僕を疑ったことを悪く思って、この後行われる配置変更では泣きながら栗田さんと僕を同じ配置にしてくれるに違いない。
僕のバッグから、まずブルマが取り出された。その途端、その場にいたみんなが悲鳴をあげた。
「えーと、それは物的証拠ってことでいいのかな?」
「違います。これは盗んだものではありません。うちの学校は短パンですし」
あれ、なんだろうこのリアクションは。僕はただ栗田さんにブルマをプレゼントしたかっただけなのに。僕はただ、彼女には色気のない短パンよりブルマの方が似合うだろうからという純粋な善意を形にしただけで……。言ってしまえばそれは、自分の魅力になかなか気づくことのできないの村娘にドレスを着せてあげるようなものだった。つまりシンデレラに例えるなら、僕は間違いなく親切な魔法使いに他ならない。ああ、でも僕には親切な魔法使いの役は演じきれないかもしれない。だって僕は親切すぎるから、シンデレラ(栗田さん)が惚れてしまって舞踏会そっちのけになってストーリーがめちゃくちゃになってしまうかもしれないからね。
ぷるぷる震えながら恍惚とした表情をしている僕に対して、委員長は冷たかった。
「じゃあ、なんでそんな物を持ち歩いているのかな?」
「正直に言います。栗田さんが似合うだろうと思ってプレゼントするつもりで持ち歩いていました。愛の物的証拠かと聞かれたら、きっとそうなんだと思います」
「本人すごくいやがってそうだけど……」
「栗田さんは自身の魅力に気づいていないのです。ブルマを履いたらきっともっと素敵なのに」
「本人を前にやめてあげなよ。栗田さん怖がって白目剥いてるじゃないか。それに栗田さんは筋金入りのナルシストだろ」
「……とりあえずこれで僕の疑いは晴れたわけですね」
「いやいや、ブルマ持ち歩いてる時点で怪しさ倍増だよ」
「な、納得できません! さっきも言ったようにこれはプレゼントしようと持ち歩いていた物です。委員長! これは不当な差別です。そこにいる近藤が女子生徒に花束をプレゼントしたとしても何も言わないでしょう!? どうして近藤がよくて僕じゃダメなんですか? どうして花束ならよくてブルマじゃダメなんですか? ブルマと僕だけが許されないのですか? これではまるで僕がブルマみたいじゃないですか?」
「何言ってるかわからないから落ち着いてくれ。とりあえずキミがブルマじゃないのは確かだから、真剣な表情でどうやって栗田さんに履かれようか考えるのはやめてやれ。栗田さん怖がって泡吹いてるじゃないか」
委員長はそんなことを言いながらも僕のバッグを隅々まで点検していた。
「ふむ、他には怪しい物はないな。大量の栗田さんの写真や観察日記ぐらいなものだが、今回の件とは無関係だし」
その時、ぼんやりしていた近藤が急に声を上げた。近藤って言葉話せたんだ。直接話したことないから知らなかった。
「委員長、そのブルマ、元々は短パンだったんじゃないですか?」
「な、なんだってー」
委員長は大いに驚きながら、先ほど取り出したブルマをじっと見つめた。
「た、確かに近藤君の言うとおりだ。よく見るとハサミか何かで切られたようなギザギザがある。これは一体……」
僕はやれやれと両肩を竦めて見せるとニヒルに弁解を始めた。
「ええ、それは確かに元々短パンでした。理由は簡単です。学校指定の体操服じゃなくちゃ体育の時に着てもらえませんからね。だからわざわざ学校指定の物を買って、短くしました。スカートを短くするのがまかり通っているこんな世の中ですから、体操服を短くしてはいけない道理はないと思います。はい論破」
だが、委員長はなおも食い下がってきた。
「しかし、それではキミが事件と無関係とは言えなくなってきたな。本当は盗んだ物を短くしただけかもしれないからな。どうしてこのブルマ……もとい、切られた体操服が盗まれた物ではないと断言できるんだ?」
「そんな!? じゃあ匂い! 匂いを嗅いでみてください、それで新品だとわかるはず。ほらほら、好きなだけ嗅いでくださいよそのブルマの匂いを!」
僕は誠に不本意ながら、まるで追い詰められた犯人のように慌てまくりながら近藤に向けてブルマを投げつけた。
「……クロだな」
近藤はすんなりと匂いを嗅ぐとそう断言しやがった。おまえにブルマの何がわかるっていうんだ。
そして、順番に匂いを嗅いでいく。
「私にはこれが新品の物なのかわからないわ」
「私にも洗濯されたかどうかさえわからないわ」
「とりあえず強い汗の匂いみたいなのはしないからなんとも言えないね」
四人のうち三人が『わからない』という意見だった。
僕は近藤に向かって怒った。
「おい近藤、何がなんでも僕を犯人にしたいみたいだな。証拠もないのに人を犯人扱いするのは最低だぞ。そういうのは軽々しく断言していいものじゃないんだぞ!」
委員長が僕をすごい勢いで軽蔑しているのが感じられたが、気にしない。
近藤がやや顔を青ざめさせてしどろもどろし始めた。
「違う……適当な言いがかりじゃないぞ。オレにはこれが使用済みの物だということがわかるんだ」
そう言うと、近藤はおもむろに自分のバッグから女性の体操着を取り出した。
「これは今日、とある女子生徒が履いていた物だ。ほら、みんなよく匂いを嗅いでみるんだ。微かに同じ匂いがするだろう……?」
近藤を覗く全員が目を点にしてその体操服を見つめていた。
「ああ、ほら、わかりにくいなら体操服の上もあるんだぜ」
そう言って近藤が取り出したのは、マジックで名前の書かれた体操服(上)だ。
委員長が「今日の被害者の名前と一致するね」と漏らした。
栗田さんと名も無き女子生徒が近藤を見ながらショックな様子で口元を抑えている。
やがて、委員長は黙って退席すると、学年主任の先生を連れて戻ってきた。近藤は「わかりにくいなら上もあるんだぜ」って言った時の半笑いのまま、ぎこちない動きで連行されていった。彼はきっとここにはもう戻ってこないだろうと思った。
◆
「疑ってしまって、すまなかった。絶対キミだと確信してしまっていた。命かけるつもりだった。申し訳なかった」
委員長が微妙な謝罪をする。ぼけっとしている栗田さんの前ということもあり、僕はとりあえず格好つけることにした。
「全部僕の計算通りですね」
「なんだって!? じゃあ、まさか、キミが一番最初にブルマをあいつに渡したのは?」
「計算です」
「まさか!? 自分が変態扱いされるリスクを承知でかばんの中にブルマを忍ばせたのか!?」
「もちろん計算です」
「そもそも危ない言動を繰り返してこんな場を開かせことさえ?」
「計算です。一桁の足し算より簡単でした」
口からでまかせを並べてみたけれど、意外とみんな信じているようだった。近藤が犯人だったことがショックだったのか、委員長はこの集まりを提案したのが自分だということも思い出せていないようだ。
みんながここまで人がいいとちょっとした罪悪感も覚えてしまうのだが、そもそも僕が栗田さんに服をコーディネートしようとしてあげただけで悪人に仕立てあげようとしていたことを考えれば、まあいいような気もする。
「待てよ、だがしかし、そのブルマからは汗の匂いがしたらしいじゃないか。あれは誰が使用した物だったんだ?」
「僕もわかりません。いや、本当はわかりたくないのかもしれません。僕が知っていることは、ただ一つ。僕の母、松恵(52才)がこのブルマに強い興味を示していたことぐらいです」
僕は指先でブルマをつまみ上げると、しずしずと栗田さんに歩み寄った。そして、笑顔で栗田さんに語りかけた。
「僕の気持ちです。履いてください」
栗田さんはモンブランのような甘い声音で「きもっ」と言ってブルマを受け取ってくれようとはしなかった。
仕方ないので、僕は諦めるふりをして去り際に彼女の頭上にブルマを置いて、そのまま自分のバッグを掴むと爽やかにかけ出した。
「委員長、月曜日の配置の件よろしくおねがいしますね!」
◆
翌、月曜日。
安全委員の一員として生徒の下校を見守る僕の前には、自転車に跨った近藤の姿があった。
「元気そうだな近藤。退学になったかと思った」
「義務教育だから大丈夫だったよ。けっこう先生には怒られたけどね。安全委員から除名されちゃったからおかげさまで月曜日にすぐ帰れるようになったよ、ははは」
「つよがりだね。絶対つよがりだね。変態ってことがバレて周囲の反応も変わったんじゃないかい?」
「ああ、確かにな。こんなことがバレるまでは毎朝オレの下駄箱には大量のラブレターが届いていたんだけどね……」
「ぷぷ、ざまあ」
「今は大量の体操着が届くようになった」
「…………」
「今度オレの下駄箱に来いよ、すごく臭いぜ」
「それは自慢かい?」
「さあね、ところでなんで一人なんだ? 相方の女子はどこにいった?」
「委員長が僕は強くて頼もしくて知的だから一人で大丈夫だろうって」
「丸め込まれた?」
「いや、栗田さんも『二人がかりの仕事を一人でこなすなんて格好いい(棒)』って……ほら、僕格好いいだろ?」
「……ああ、そうだな」
近藤は僕にしょんぼりした笑顔を返すと、そのまま自転車に乗って帰っていった。
なんだか近藤と仲良くなった気がする。
栗田さんとはなかなか仲良くなれないけど、いつかきっとわかり合える日が来るのだろう。
僕は栗田さんが活動しているであろう隣の地区に向かって、中腰になって両手をばたばたし始めた。
僕の起こした風が彼女の元に届くようにと祈りながら……。