3話 カメラを回すよ、時代も回す
JRの最寄り駅から桃陰高校までは徒歩で十分かからない。私鉄だと五分、地下鉄が一番遠いが、それでも十分少しぐらいだ。
JRの駅から出てくる多くの生徒達の中に、有村梓もいた。トレードマークにしたのか、今日も細いリボンが頭の左右で揺れている。色は黄色だ。
リーンと鳴った軽いベルの音に振り返ると、自転車に乗った吉本花月が得意気な笑みを見せていた。
「おはよう」
「おはよう、自転車なんだ」
梓の声も弾む。
「うん、やっと許可が下りたんだ」
蒼いヘルメットを被る花月ははにかむ様に答える。
「良いな、自転車」羨ましがる。
「梓の家も自転車で通える距離だよね」
自転車通学の許可を得るためには距離の制限がある。学校から近過ぎても駄目だし、遠過ぎても駄目だ。
「うん、だけどほら。私はチューバを続けるつもりだったから。チューバを担いで自転車通学は嫌だなって思って……」
雰囲気がどんよりしてくる。能天気な明るさが売りの梓を唯一暗くさせるチューバという地雷を朝から踏んでしまい、花月はおろおろした。
「かっこいい自転車だね。折りたたみ?」
傷は浅かったのか、梓は胡乱な目をしながらも自転車を褒めた。
自転車はタイヤが小径のものだ。フレームは丸パイプではなく、少し角ばった有機的なフォルムで構成されている。車体はヘルメットと合わせて蒼で、birdyと白地で書かれている。
「うん。ミニベロって言うの」
「ミニベロ?」
梓は舌を少しだけ出す。
「うん、ミニベロ」
花月も少しだけ舌を出した後、突っ込む。
「違うから!」
梓は笑いながら自転車を指差す。
「でもここにはバーディーって書いてあるよ」
「あ、ミニベロって言うのは自転車の種類。こういうタイヤが小さい自転車のことを言うの」
「へー」
梓は花月と自転車をしげしげと眺める。
「私が小さな自転車に乗っていたら、小学生ぽいって言うつもりでしょ」
花月がジト目で先を取る。
「違うよ~。補助輪なくても大丈夫なんだなって」
「おかげさまで!」
花月は怒った風に返しながら、調子を取り戻した梓にほっとしていた。
怒って見せている友人を横目に、梓の興味はすでに他に移っている。花月もその視線の先を追う。
「すっごい美人……」
と思わず声に出してしまうほどの美少女がそこにはいた。
梓たちと同じ桃陰高校の制服を着ている。細身ですらっと背が高い。ほとんどの生徒はスカートの裾がを膝上にくるようにしているが、彼女は膝下五センチ程の長さであった。優美な雰囲気にはそれがまた良くあっていた。
腰の辺りまで伸びたストレートな黒髪がさらさらと流れている。白く透き通るような肌の整った顔立ち、切れ長の瞳がその真ん中で輝いている。
こんな美人がいれば、気がつかない方がおかしい。
なぜ今まで気がつかなかったのだろうか?
登校中の生徒たちも、町の人たちもその美少女に目を向けていた。
その理由は彼女が美人だったから……だけではない。
その様子がおかしかったからだ。
登校途中にもかかわらず、彼女が右手に持っているのは鞄ではなく、ハンディタイプのデジカムだった。しかも液晶画面を見るのではなく、ファインダーを覗き込んでいる。そして真剣な顔で県道の方にレンズを向けていた。
彼女を見た者はそのままその視線の先を追うが、二車線だけの県道は普通に車が行き交っているだけで、特に変わったものはない。
梓が一歩足を踏み出そうとした時、電子音が鳴り、美少女はスカートのポケットからスマートフォンを取り出した。
一瞥した後、きっと県道を睨み、言い放つ。
「もうお兄様ったら、たばかったわね!」
その言葉を合図にしたかのように県道を場違いな黒塗りのリムジンが轟音を響かせながら走ってきて、彼女の前で急停車した。ドアが自動で開くとさっそうと乗り込む。勢いをつけてドアが閉まるとリムジンはまたまた轟音を響かせながら去って行った。
「なんだったのかしら?」
「なんだったんだろうね」
呆然としていると学校から鐘が響いてきた。二人は他の生徒達と一緒に風紀委員がカウントダウンを始めた校門に向って駆け出した。
放課後、梓と花月は聡子の家に向かった。
聡子はいつもと同じように、自室で寝転んで本を読んでいた。
「これからカラオケに行くんだけど、お姉ちゃんはどうする?」
「お、いよいよ本気出すか!」
本を放り投げてがばっと起きる。
「もちろん行くわよ!」
「じゃあ……」
梓はぐるりと部屋の中を見回す。いつも通りに散らかっている部屋を、花月が既に片付け始めている。
「花月ちゃんの掃除が終わるまでに、出かける準備をして」
「了解です」
聡子はてへぺろって感じで敬礼するが、女子高生からは冷たい視線が放たれるのみであった。
聡子が行った準備は、パジャマのズボンをジーパンに履き替え、よれよれのTシャツの上から上着を羽織っただけだった。
「せめて顔ぐらい洗ってきてよ」と年下の従妹に怒られる始末である。
「化粧はいいの?」
「カラオケ行くだけでしょ?余裕よゆー」
聡子は気楽に答える。
「さすがニート」
「うるさい!」
「あの…」
二人の掛け合いに花月がおずおずと入ってきて尋ねる。
「ニートの人も出かけたりするんですか?」
「よく間違われるけど、ニートと引きこもりは違うわよ」
聡子はぴんと立てた人差し指を振りながらなぜか自慢げに説明する。
「ニートは、ノットイン、エデュケーション、エンプロイメント、オア トレーニングの略。つまり、働いても勉強しても職業訓練を受けてもいない人って意味よ。それ以外のことはなにをしていても良いの!出かけるのは勿論自由!ニートは自由、フリーなの!」
聡子は高らかに自由を宣言する。
「フリーーーーー」
「フリーーーーー」
なぜか梓が同調するので、勢いに乗って花月も続いた。
「フリーーーーー」
そんなことをしている間にカラオケボックスに到着。受付を済ませて部屋に入った。
「カラオケなんて久しぶり」
先頭で部屋に入った聡子は迷わずにコントローラーを手に取り、迷いなく選曲し、入力する。
今日の本来の目的は梓の歌唱力の確認のはずであるが、そんなことは完全に忘れ去っている感じであった。
機嫌よく歌い始めた聡子を見ながら、梓と花月の心には同じ言葉が浮かんでいた。
「このクソニートめ」
さすがのクソニートも、連続で歌うほどにはクソでなかった。
「早く入力しなさいよ」
歌い終わってもまだ歌う曲を決めていない梓を急かせる。
「どれにしよう。決められないよー」
コントローラーを睨みながら困った声を上げる。
「何を歌うかなんて、考えて来るものでしょう」
「決めてたけど、いざとなったらこれでいいのか迷うの!」
「なんで迷うのよ。時間がもったいない。もういいわ、花月ちゃん先に歌いなさい」
「え、私?でも…」
歌リスト本を見ていた花月は本来の目的が気になって戸惑うが、結局は聡子に押し切られた。
歌い始めてすぐに、梓は「上手」と手を叩き、聡子は「へぇ」と感心した。花月は上手かった。音程もリズムをしっかり取れているし、声も出ている。
なにより、一生懸命歌っている感じがあどけなくてとても可愛いのだった。
最後に、ようやく梓がマイクを持った。珍しく緊張した面持ちで大きく息を吸い込む。選んだのは誰でも知っているような少し古い歌謡曲。音の高低が広く、難しい曲だ。
圧倒的だった。
花月と聡子はその歌に圧倒された。
技術的なことを言えば、細かな指摘事項はいくつもあるかもしれない。荒削りであるのは確かだ。
しかし、聞く者の心にがつんとぶつかってくる何かがその歌の中にあるのは確かだった。
「すごい、すごいすごいすごい!」
梓が歌い終わると花月は興奮して拍手を送る。聡子も従妹の知らなかった能力に賛辞を送る。
「ほんと。こんなに歌が上手いなんて知らなかったわ」
「ありがとう」
褒められて梓は照れる。
「チューバじゃなくて歌をやっていれば良かったのに」
花月は思わず言ってしまった。
「それはまぁ、わこちゃんに誘われたから・・・」
また地雷を踏んでしまったかと花月は身構えたが、褒められているからか、梓はダークサイドに落ちなかった。
「月並みな表現だけど、歌には力があるんだって感じた!私も何かもらった気がする」
間を繋ぐように、花月は興奮気味に続ける。
「あははー、何にも考えずに歌っているだけだけどね」
くったくなく笑う顔に、それは本当だろうな、と聡子は思う。
二時間めいっぱい歌ってカラオケボックス出ると、紫色の空にはあわあわとした雲がいっぱい浮かんでいた。地下鉄の駅前にあるカラオケボックスから、人通りの少なくなったアーケード商店街を通って帰る。
花月の家は逆方向なのだが、自転車を押してついてくる。
「もうさっきから歌のイメージが膨らみまくって止まらないよ。アイデアが先走って、どれを最初に作ればいいか分からない」
花月はまだ興奮している。
「梓はどんな曲が良い?ポップス?アイドルっぽいの?バラードも良かったし、ロックもいけると思う」
「楽しみにしてる」
梓は歌い疲れたのか、控えめに答える。
「思い切ってへヴィメタはどう?こうギターを振り回して」
花月はそう言いながら腕を振り回す。自転車を押していたことを忘れるぐらいの興奮っぷりである。
振り回された自転車は閉店した店のシャッターに突っ込んで大きな音を立てた。
「あ、ああ…」
自分でも思いがけない行動に花月は固まってしまう。幸いなことに非力な力のためにシャッターに傷はつかなかったし、店の人が怒って飛び出してくることもなかった。聡子は自転車を起こしてやる。
「落ち着いた?」
「はい……」
花月はしょんぼりしながら声を赤らめる。
「曲は花月ちゃんが得意なのにすればいいと思うよ。花月ちゃんだって作り始めたばかりなんだし、いろいろ手を出すよりも、まずは曲作りに慣れるべきじゃないかな」
「はい、そうします」
聡子のアドバイスに明るく返事をする。
「おお。お姉ちゃんがニートらしからぬことをしているよ」
「ニートニートうるさいのよ!さて、歌は良い、曲はできる、残る問題は動画ね」
「動画……?」
「目は口ほどに物を言う。どんなにいい曲ができても、それだけじゃ不十分よ。視覚に訴えるものが絶対に必要よ」
聡子は強く主張する。
「でも、画までやるのは絶対無理です」花月は肩をすくめる。
「そんな時間絶対無いし、機材も無いし」
「写真をつなげるだけのソフトぐらいならフリーでもあるしすぐに使えるようになると思うけど、花月ちゃんは曲作りに専念した方がいいわね」
視線は梓に移るが、ブンブンと手を振って反対される。
「無理無理。そもそもパソコン持ってないんだよ。聡子ちゃんがやってよ」
「私がやっても意味無いでしょ。そもそも私もスキルがあるわけじゃないし。せっかくなんだからしっかりした人に頼みたいわよね。いっそネットで募ってみる?」
三人が歩いている商店街は途中でT字路がある。そこを右に曲がって少し歩くと高速道路の高架があり、そこでアーケードは途切れる。高架の下は自転車置き場になっており、外灯で照らされているが少し薄暗い感じがする。
そこに一人の少女が立っていた。腰の辺りまで伸びた髪、長めのスカートの制服。なにより右手にはデジカムを構えている。
シルエットだけで、朝の美少女だと分かった。
例え美少女であっても、暗がりで一人デジカムを回している様は少し引く。
「あの子は何しているの?」
「さあ」
初見の聡子は勿論のこと、花月も少し及び腰になる。
「こんばんはー」
しかし梓は違った。一直線に突っ込んでいった。
「フットワーク軽い!」
花月は驚くが、付き合いが長い聡子は少し冷静だった。
「あの子がデジカム持ってるから、動画と繋がったのね」
「あー」
花月は納得しつつも、短絡過ぎでしょ!と思いながら状況を見守る。
「私は有村梓。よろしく」
いくら同じ制服を着ているとは言え、初対面の相手にいきなり挨拶されたら驚くと思う。しかし美少女は目をファインダーから離すと、いきなり現れた梓を一瞥した後に静かに名乗った。
「奥多佳美」
ハスキーな声だった。
「その制服、たっかみーも桃陰高校だよね」
躊躇なく一瞬でつけたあだ名で呼んだ。
「たっかみー……?」
さすがの謎の美少女、もとい奥多佳美も眉をひそめる。
「うん、たっかみー」
しかし場の空気を読まないのか、梓は笑顔で繰り返す。
「ごめんなさい、失礼なことを言って!」
たまらず花月が飛び出していって謝った。
ふるふると多佳美は首を振った後、満たされた表情で親指を突き上げて言った。
「ぐー」
「良いの!」
多佳美の趣味は梓と合っていたらしい。
「お、お、奥さん」
見たことがないということは上級生である可能性が高い、そう考えた花月は敬語を使いながら訊ねようとするが、先ほどの梓のフレンドリーな態度が受け入れられたことから、どちらの態度で接すれば良いのか迷ってしまって、結果どもった。
「奥さんですって。なんかちょっとエロくなかった」
なぜかそこに聡子が食いついた。
「うんちょっと童貞っぽかった」梓までもが追随する。
「ど、童貞じゃない!」
「違うの?」多佳美まで乗ってくる。
「当たり前じゃない!そうじゃなくて、奥さんは何年生かって訊きたかったの!」
「一年生よ」
長い髪をかき分ける。
「だからたっかみーって呼んで」
「た、たっかみー」
「発音が違う!」
三人から同時に突っ込みを入れられ、花月は少し泣きそうになった」
「一年生にしては入学式でも気がつかなかったけど、何組なの?」
「A組らしいわ」
「一緒だよ!」
「そう。私、学校に行ってないから」
多佳美はそれがさも当たり前のことのように堂々と言う。
「どうして?」
「学校よりも大事なことがあるからよ」
多佳美はさらりと答えた。きらーんと目が光る。
「えっと、私は歌い手になりたいの!歌い手になるには動画を作れる人が必要なの!たっかみーは動画を作れる人?」
相手が歌い手を知っているかどうかなどには全く気を使わない、ど直球な質問は梓はぶつけた。
「ふうん」
多佳美は剛速球を簡単に受け流す。
ふいっとデジカムを構え、梓を捉える。そのままゆっくりと梓の周りを一周した。
梓はじっとファインダーを目で追った。
「良いわ」
ファインダーから目を離すと、多佳美はあっさりと了承した。
「今日はもう遅いから詳しいことは明日話しましょう。明日からは学校に行くことにするわ」
どこからともなく轟音が聞こえてきた。多佳美の後ろに、黒塗りのリムジンが急停車した。
「それじゃ」
走り去ろうとする多佳美を聡子が呼び止めた。
「一応訊いておきたいんだけど、あなたって何系の画像を作る人?」
ここまで女子高生達の破茶滅茶なやり取りを静観していたが、少しばかりとは言え大人の了見がある者としては確認しておきたかった。
「何系?そうね…」
多佳美は考え込む。自分が作る動画が何系かなどと考えたこともないといった様子だ。しかし多佳美は言葉を見つけ出した。
「盗撮系よ」
ドアが荒々しく閉まり、リムジンは轟音を響かせて去って行った。
「盗撮系?」
訊かなかった方が良かったかもしれないと思うが、後の祭りである。
続く
COMITIA109で発表した物に加筆修正しました。