1940年7月7日 東京 ~帝国ホテル~
『臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
大日本帝国陸軍戒厳司令部発表、七月四日未明より首相官邸及び国会議事堂を占拠していた帝国陸海軍混成の叛乱部隊は本日七日午前九時、近衛第二歩兵連隊と銃火を交え戦闘状態になった後、午後七時十五分を以って下士官は全員投降、原隊に復帰されたし。
繰り返します。大日本帝国陸軍戒厳司令部発表…』
日本放送協会のラジオが帝国ホテル内の臨時会議室内に虚しく、しかしハッキリと響き渡った。
安堵の声を漏らす者、涙ながら悲嘆に暮れる者、まるでラジオが聴こえなかったかの様に表情一つ変えない者…
会議室内は五十といる軍人が五十の世界を作っていた。
帝国陸軍少将である石居啓次もまた、瞬きと呼吸以外の生命活動をしていないかのような立ち姿で窓の向こうを眺めていた。
『尚、この叛乱部隊に所属していた陸海軍将校の一部は占拠していた首相官邸前で自決。
又、近田武夫陸軍少将、佐々木正造海軍中将の身柄を確保。
他にも三名の海軍将校の身柄を確保しました。』
三名の海軍将校-この言葉を聴いた途端、石居の眉はぴくりと動いた。
同時に脳裏には一人の男の顔が浮かぶ。
吉野潔海軍大佐-このクーデターの立案者であった。
幼馴染であり、好敵手であり、唯一無二の友であった石居と吉野は、組織は違えど、国を守らんがために己の全てを注いできた。
時には酒を交わしながら、国体のあるべき姿について日の出の刻まで語り合った。
お互い言葉は乱暴で時には殴り合いの喧嘩にまで発展した事もあったが、大日本帝国を良き方向へ導かんとする本心は一致していた。
吉野よ、これが皇国を強くするためにお前が出した答えなのか?
だとするとお前は国のために命を燃やしたということになる。
たとえお前が身柄を確保された三人に入っていたとしても、叛逆罪で死刑は免れられないだろう。
だが、生きていて欲しい。
もう一度だけでいいから酒を交え東亜の地図を机に広げて国益について語ろうではないか。
そんなことを思いながら、石居は外の世界を見ていた。
街は人気がなく、この事件の結末の悲壮感をより一層醸し出していた。
空にはまるで雪でも降っているかのよう、星が空を覆っていた。
本日の空は、あまりにも綺麗すぎた。
石居は生涯、この空を忘れる日は訪れなかった。