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07/02 12:51
翌日、昼休み。直樹は友人である俊也にノートを渡すため、二年E組の教室前に来ていた。
頼んだ本人が訪ねてくるべきではないかと不満を抱いていたが、俊也にそんな気遣いを期待しても無駄だろうと小さくため息を吐く。
後ろ側の出入り口から教室を覗くと4、5人の男子グループの輪の中心で談笑している俊也の姿を見つけた。
他クラスの教室には入れない決まりになっているため、廊下から相手を呼び出すほかない。そのため大声で直接本人を呼びつけるか、教室の入り口付近にいる生徒に頼んで呼んで来てもらうかの二択になる。目立つことに抵抗感を持っている直樹が選ぶのは、当然後者だ。
タイミングの良いことに、顔見知りの生徒がE組の教室から出てきた。すかさず、その女子生徒を捕まえ声をかける。
「あ、西村さん。出てきたとこ悪いけど俊也呼んで来てくんない?」
「葉月くん? わかった、ちょっと待っててね」
女子生徒こと西村は嫌な顔一つせずに頷くと、ぱたぱたと足音を立て教室の中へと小走りで駆けて行った。
一分もしない内に戻ってくると簡潔に告げる。
「すぐ来ると思うよ。それじゃあ」
「あぁ、サンキュ」
直樹が一言礼を述べると西村はそのまま脇を通り過ぎて別の教室の方へと歩いていった。視線を西村から外し教室内へと向ける。俊也は片手で謝るようなジェスチャーをすると、輪から抜け出し直樹の方へと向かって来た。
教室から出てくると開口一番に言う。
「なーおりんっ! 気が利くじゃないの」
俊也は両手で直樹の肩を掴み揺さぶると、にんまりと破顔した。反対に直樹は乱暴な扱いに顔を顰める。
「は? 何が?」
直樹は肩に乗せられた手を払うと不機嫌そうに言った。俊也は直樹の顔色を気にすることなく、おちゃらけた調子で返す。
「またまたー、西村と話すきっかけ作ってくれたじゃん」
「偶然だよ。なに? 西村に気でもあんのか?」
他人の恋路に興味はなかったが、一応興味のありそうな振りをして見せた。西村は今時の言葉で言うなら女子力の高い男子受けしそうなタイプだ。俊也が彼女のことを好いていても何ら不思議ではない。だが、俊也はあっさりとその言葉を否定した。
「いや、別にそういうんじゃねぇけどさー。やっぱ可愛い女子と話せたら嬉しいじゃん?」
いい加減な奴と直樹は呆れたように嘆声をもらした。昔からやれ何組の女子が可愛いだの、保健の先生が美人だの言っていたことを思い出す。成長のない友人を冷ややかな目で見つめながら本題を切り出す。
「あっそ。それより、頼まれてたもん持って来てやったぞ」
ぶっきらぼうに持ってきたノートを差し出す。俊也は飛びつくようにしてそれを受け取った。
「おっ! ありがとな。やっぱ持つべきものは頭のいい友だよなぁ」
俊也にその気はないのだろうが、頭以外は付属品というような言い回しに、気が萎んだ。我ながら子供じみていると思いながらも、つい憎まれ口が飛び出す。
「んじゃ、頭の悪いお前は捨ててもいいか」
「直樹くん、ヒドイ! 友達ってのは頭いいとか悪いとか損得勘定で付き合うもんじゃないだろ?」
俊也は直樹の方に手の平を向け、背を反らし、ふざけ気味に大げさなリアクションをとった。そんな俊也に毒気を抜かれ、直樹はやれやれと嘆息する。
「お前が言ったんだろうが。それよりノート貸すだけでいいのか? 何ならオレが勉強見てやらないこともないけど」
「いや、お前忙しいし流石にそこまで面倒かけられねぇよ。また、先輩にでも教えてもらうさ」
申し出をあっさりと断られたことに、直樹は表情を変えず落胆した。俊也なりの気遣いなのだろうが、時には頼ってもらいたいこともある。人の心とは複雑なものだ。そんな心情を悟らぬよう、いつも通りの平坦な口調で忠告をする。
「先輩だって受験なんだから忙しいだろうが。あんま迷惑かけんなよ」
「わーってるって。じゃあ、コレ借りてくな。週明けには返すから」
俊也は口うるさい母親にするような適当な相槌を打つと、教室の中へと戻っていった。
そんな俊也を目で追うこともなく、直樹も自分の教室へと歩き出した。
眼鏡を通し、新しくセットされたマークを見て直樹は小さく息をついた。E組の教室に一つ浮かぶ赤い丸。その上には葉月俊也の文字。個人識別のマークを付けるには、相手の存在を認識したうえでの物理的接触が必要になる。
それは、直樹側からの接触だけではなく相手からの接触でもその条件を満たす。
先ほど俊也に肩を掴まれたのをスイッチとして、マークがセットされていた。
07/03 16:37
直樹は拓馬との約束通り、彼の家へと向かっていた。
級友にどうしても外せない用事があるから掃除当番を代わって欲しいと押し付けられ、予定よりも遅い時間になってしまっていた。頼まれたら断れない自分の性格にうんざりする。拓馬を待たせては悪いと、先に家に帰っていてもらい、直樹は今、一人でこの街を歩いていた。
学校から北の方角に位置する平豊並区の西部に大月邸はある。
この地域は富裕層が集う高級住宅街であり、どの方向に首を捻っても煌びやかな豪邸が目に入る。歩道は茶に近いくすんだ赤色のレンガで舗装されており、その傍らにある花壇には手入れの行き届いた色彩豊かな花々が咲き誇っていた。
直樹は迷いのない慣れた足取りで街中を歩く。
映画にでも出てきそうな洒落た英国風の家の前で直樹はふと足を止めた。短い芝生が敷き詰められた庭には小さな子ども向けの遊具が置かれている。その使用者であろう子どもの甲高い笑い声が家の中から響く。暖かな家庭の光が灯ったその家を直樹は淀んだ瞳で見つめていた。
かつてこの場所には川瀬一家の住まう家があった。曽祖父の代から受け継がれたものでこの街にはそぐわない質素でみすぼらしい家だったが、それでも直樹はその家が好きだった。
母がいて、姉がいて、幸せだった頃の記憶が甦る。だがその幸せの象徴だった家は最早跡形もない。窓を隔てた向こう側に見える幸福そうな家庭の風景が直樹をいっそう惨めな気持ちにさせた。
だが、どんなに悔やもうが他人を羨もうが失ったものは返ってこない。考えなければならないのはこれからのことだと頭を切り替え、再び足を踏み出す。
大月の家は直樹の家があった場所から三軒隣にある。家をぐるりと一周取り囲んでいる竹垣の背丈は直樹の身長の1.5倍程で中の様子を覗い知ることはできない。見えるのは柵からひょっこりと頭を覗かせている松の木と、黒色の瓦屋根だけだ。
簡素だが趣のある数寄屋門を抜けて敷地に入ると、白い砂利と玄関へと続く黒色の敷石のコントラストが目に飛び込んでくる。その上を歩きながら両脇からアーチのように伸び、葉を交差させているアオダモをくぐり、玄関へと辿り着く。
深い茶色の格子戸の隣にあるチャイムを鳴らすと、返事が返ってくる前に戸が開いた。
「よく来たな。あがってくれ」
そう言って出迎えた拓馬は私服に着替えており、黒いジーンズにそれよりも少し明るい同系色のTシャツというラフな出で立ちだった。
拓馬に促され家の中へと足を踏み入れる。久しぶりに訪れた大月家であったがまるで時が止まっているのかと思うほどに代わり映えがしなかった。
「飲み物を取ってくるから先に部屋に行っていてくれ」
直樹は頷くと玄関の先にあるホールを左に曲がり、拓馬の私室へと向かう。
年季の入った建物ではあるが、何度か改修が行われているらしく内装は新築のものと変わらないほど綺麗だ。
磨き上げられた光沢のある廊下を突き進むと、拓馬の部屋に行き当たる。襖は開けっ放しになっていた。
畳張りの和室で部屋の中央には掘り炬燵がある。拓馬はそれを勉強机として使っているらしい。他に目につくのは本棚ぐらいなもので相変わらず殺風景な部屋だと直樹は思った。
掘り炬燵の窪みに足を下ろして座ると、テーブルに腕を預け庭の方を見やった。開け放たれた障子の向こうには、まるで一枚の絵画のような美しい日本庭園が広がっている。ちょろちょろと流れる水とそれに連動して上下するししおどしの音に別世界にいるような感覚に浸った。
ほどなくして飲み物と茶請けを持った拓馬が部屋に入って来た。
漆塗りの盆をテーブルの上に載せると、直樹の前に緑茶の入った湯のみと小皿に取り分けられた芋羊羹を置く。残ったものを反対側にずらし、自身もその前に座った。
軽い世間話をしてから、直樹はすぐに本題へと移る。
「で、一昨日言ってた話って何なんだ?」
一口茶を啜ってから直樹は尋ねた。
「ああ、最近何か変わったことがなかったか聞きたかったんだ」
わざわざ家に呼び出したにしては、はっきりとしない抽象的な問いに直樹は違和感を覚える。
拓馬は回りくどい話し方を嫌う。相手に対して失礼とも取れる程に単刀直入に物言う男だ。
「何かって、例えば?」
直樹が聞き返すと拓馬は渋い顔をして珍しく答えに困っているようだった。その間に直樹は目の前にある芋羊羹を口へと運んだ。甘すぎず素材を生かした上品な味わいが口の中に広がる。
「そうだな、例えば知らない人間が訪ねてきた、とか」
直樹は口に入ったものを咀嚼しながらその意味するところを考える。心当たりはあった。ナビゲーターを称す青い髪の男、河合朔良。
もしも、拓馬が直樹の考えている通りのことを聞き出そうとしているのなら、彼がわざわざ自宅を指定したことにも納得がいく。だが、正直に答えていいものか直樹の中で葛藤が起きる。
「あったんだな?」
拓馬はその沈黙を肯定と取った。鋭い拓馬の声色に直樹はしまったと慌てて口を開く。
「あ、いや。思い出し途中だって。そういや、この前訪問販売で誰か来たような」
直樹が誤魔化すように早口で喋り出すと、拓馬はすっと立ち上がり板の間にある小さな引き出しから何かを取り出した。
直樹は言葉を止め、背中に嫌な汗が伝うのを感じながら拓馬の背中を見つめる。いつでも動けるように窪みから静かに足を出した。
くるりと拓馬が振り向くと直樹は「ひっ」と喉を引き攣らせて小さく悲鳴をあげた。
どうやら嫌な予感が的中したらしい。黒い拳銃の銃口がこちらへと向けられていた。
「何故隠す? いいか、正直に答えろ。お前はゲームの参加者だな」
直樹はこくこくと首を上下に振る。
「IDプレートを見せてみろ」
拓馬の指示に従い、震える手でズボンの後ろポケットからプレートを取り出すとテーブルの上に差し出した。
拓馬は銃を構えたまま、それを手に取ると液晶画面を親指でタッチする。もちろん反応はなく、画面は7の数字が刻まれた画面のままだ。それを確認するとプレートを机の上に戻し、銃を握っている手を下ろした。
「何故嘘をつこうとした」
「だって、もしかしたら関係ないかもしれねぇし、それにもし13番だったらって……。えっと、大丈夫、だよな?」
恐る恐る拓馬を見上げるが、その表情からは何も読み取れない。拓馬はふぅと小さく息を吐くとその場に腰を下ろして頷きながら言う。
「ああ」
それを聞いて直樹はがっくりと肩を落とし脱力した。
「他にもうちょっと聞き方ないのかよ。心臓止まるかと思ったぜ」
不満げに眉を寄せて言った。手の平は汗でじっとりと湿っている。心臓はまだばくばくと波打っていた。
「こうした方が早いと思ってな。何だ、本当に撃つとでも思ったのか?」
拓馬は口角を持ち上げて厭らしく笑った。
「いや、場合に寄っちゃあり得るかなと」
長年の付き合い故に拓馬の性格は熟知している。彼はやる時は徹底的にやる男だ。
拓馬はそれを聞いて心外だというように嘆く。
「薄情な奴め。それにこいつは」
そこで言葉を切ると持っていた銃を再び構え、直樹の顔から十センチほど離れた場所に標準を合わせ、トリガーを引く。
直樹の背後でカンと間抜けな音がした。振り返ると畳に白いBB弾が転がっていた。
「オモチャだ」
と、拓馬は得意気に笑う。直樹は最近の遊戯銃はよく出来たものだと感心すると共に、まんまとそれに引っかかってしまった自分を恥じた。
「っとに、意地が悪いな。それより兄貴は何でオレがメンバーだって分かったんだ? 誰にも言ってないのに。あ、一番?」
他メンバーについての情報を最初から持っているのは一番だけだ。それが拓馬で知っていたメンバーが自分であったというならこの上ない幸運だと直樹は思った。だが、そうではないようだ。
「いいや。俺は9番だ」
そう言って拓馬はエアガンをテーブルに置き、ジーンズのポケットから黒いプレートを取り出した。
確かにそこには拓馬の言う通り、黒字で9と刻まれていた。直樹にそれを確認させるとまたすぐにポケットへとプレートを戻し、話を切り出した。
「直樹、一昨日病院で話したことを覚えているか?」
「えーと、何だっけ?」
必死に一昨日の記憶を探るが、ゲームのことを勘ぐらせるようなことを話した覚えはない。拓馬の口から述べられる答えを待った。
「優希が目覚めて欲しくないかと聞いただろう。それでな」
「えっ、そんなことで? なんだ、断定してるような口振りだからもっとポカやらかしたのかと思ったぜ」
「あれは鎌をかけただけだ。あっさりと引っかかり過ぎだぞ」
からかうように言う拓馬に、直樹はむくれた面をして言い返す。
「仕方ねーだろ。銃なんか出されちゃ誰だってあぁなるって。……でも、そっか。じゃあ、兄貴も同じこと言われたんだ」
直樹のあの言葉でゲームを連想するということは、そういうことなのだろう。拓馬は頷いた。
「まぁな。正直、お前がゲームの参加者かもしれないと分かった時は、二つの意味で落胆したぞ。折角、お前を国外にでも逃がしてやろうと考えていたのにな」
薄々予感していたことは、的中しており、拓馬がやけに留学を勧めて来る理由にようやく確信が持てた。
学校にいれば参加者でなくとも危険の及ぶ可能性は高い。拓馬はそれを見越し、直樹の身を案じて無理な留学を勧めたのだろう。丁度ゲームが始まった時期と拓馬が留学の話を持ち掛けてきた時期が重なっている。
「もう一つは?」
「優希のことを助けられなくなったことだ。俺は最初、あいつを助けようと考えていた。まさかお前が参加することになろうとは思ってもみなかった」
それはつまり拓馬が他の者に手をかけ、一人生き残りご褒美権を行使しようとしていたことを意味する。そこまでして優希を救いたいという拓馬の想いは嬉しくもあったが、素直に喜ぶことはできない。
「オレ、こんなわけのわからないゲームに参加させられて最悪だって思ってたけど、今の話を聞いてちょっと考えが変わったよ。オレが参加者で良かった」
「どういうことだ?」
訳が分からないというように拓馬が訊く。
「オレもそうだし、何より姉ちゃんは自分のために誰かを犠牲にするのも、兄貴が手を汚すのも望んでないと思うから」
拓馬の言葉から察するに直樹がゲームに参加していると分かったから、優希を助ける方を諦めたのだろう。彼は直樹を手にかけてまで優希を助けることを良しとしなかった。これで、拓馬が他のメンバーに手をかける必要性はなくなった。
拓馬が殺人を犯すことの抑止力となれたのならそれだけでこのゲームに参加した意味はあったのだと思う。
拓馬は実の姉と同じくらい大事な存在だ。そんな人に全うな道から外れるようなことは絶対にして欲しくなかった。
「あぁ、そうだな。そうだったな。正直俺も、ほっとしているのかもしれない」
目を細め、はにかむような笑顔で拓馬は言った。それを見て直樹も胸を撫で下ろす。
「お互い大変なことになったが、俺たち二人なら何とかなるだろう」
「ああ、そうだな。信じて、いいんだよな?」
直樹の問いに拓馬は力強く頷いた。
「当然だ。優希にもお前のことを頼むと言われているからな」
いつまでも小さな子どものような扱いに歯がゆいところはあったが、今はその言葉をありがたく受け取ることにした。
「そっか。んじゃ、とりあえず情報の交換でもしたいんだけど、現状で他に分かってるメンバーっているか?」
気を取り直し、直樹は尋ねる。拓馬は首を横に振り嘆息した。
「いいや。流石にまだ三日目だからな。学内で変わった動きも見受けられんし、今のところは動きようがないな。下手な聞き込みはこちらを危険に晒しかねん」
「だよなぁ。今は1番がどう出てくるかってところだよな。水面下で動いているか、向こうも既に行き詰っているか」
情報不足に早くも話は行き詰る。沈黙の中、風鈴の澄んだ音色だけが部屋に響いた。
そうして、どのぐらいの時間が過ぎただろうか。直樹はふと頭に浮かんだことを口に出す。
「なぁ、このゲームの参加者ってどういう人選だと思う?」
拓馬はそれに対して淡々と答える。
「例の寄生体とやらの適合率が高い者と聞いているが。後は契約をしているのが前提だな。ゲームの褒賞も考えると生活が困窮している者、と考えられなくもないが俺のような例もあるからな」
それを聞いて、そういえばと思い出したように尋ねる。
「兄貴も勝手に親に契約された口なのか?」
「いや、自ら参加したいと志願した。親には話しておらん」
直樹は驚きの声をあげる。
「えっ、よかったのかよ」
本来は親の承認が必要なはずなのだが、聡い拓馬のことだ、上手いことやってのけたのだろう。それよりも、自ら志願したということの方が気になった。優希を救うためにそうしたのか、また契約する以前にゲームや寄生実験に関してどの程度の情報を得ていたのか。
だが、直樹が追及する間もなく拓馬は前の話題へと話を戻す。
「ああ、いいんだ。それよりメンバーの選定について何か言いたいことがあったのではないか」
タイミングを逃した直樹は、自分の考えに確信がないことも相まって歯切れが悪そうに喋る。
「あーうん、えっとさ、意外と身近な人間なんじゃないかと思って。ほら、オレたちがそうだったように」
こんな悪趣味なゲームをやらせようという連中だ。親しい者同士が争う姿に歓喜するような人種ならば、そういった理由での選定の可能性も十分に考えられる。
「そうは言うが俺は顔が広いからな。学内となると周りはほとんど身近な奴になるが」
拓馬は顎に手をやり、深く考え込むようにして唸った。
「いや、でもその中でも特に親しい友達とかそういうのあるじゃん」
軽い気持ち直樹が言った言葉に拓馬は口を閉ざし考えこんでしまった。
「え、まさかいないのか?」
信じられないものを見るような目で直樹が言うと、拓馬は声を張り上げそれを否定しようとした。
「たわけ! そんなことが……!」
だが、そこで声が止まる。日が落ち、萎んでいく朝顔のように拓馬は真っ直ぐと伸びた背筋を丸め、意気消沈した様子を見せた。
「いや、そうかもしれん。おい、何だか悲しくなってきたぞ」
「……あぁ、オレもだよ」
いつも大きく輝いていたはずの拓馬が今はやけに小さく見えた。知りたくなかった一面を知り居た堪れない気持ちになる。
その時直樹は、これからはもう少し拓馬に優しくしてやろうと思ったとか思わなかったとか。
「ま、まぁオレだってそんな親友って呼べるような奴はいないしあんま気にすんなよ。それより兄貴の能力ってどんなの?」
これ以上、この話題を長引かせてはならないと別の質問をぶつける。
拓馬はすぐさまいつものポーカーフェイスに戻り、はっきりとした口調で答えた。
「そうだな、簡単に言うと百発百中。狙ったものに必ずヒットさせる、といったところだな」
「ふぅん。やっぱり人によってかなり違うんだな」
自分以外の能力を知ることは今後の対策を考える上で重要になってくる。実体のない情報というものに対し干渉を行う能力を持つ直樹からすると、物質に直接干渉する能力がある、という情報を得られたことは大きな収獲だった。
「お前はどうなのだ」
当然の質問が拓馬から返ってくる。それに対して直樹は簡潔に答えた。
「オレはレーダーって感じ。カーナビに人の位置情報を加えたものって言ったら分かり易いかな。それが見える」
「ほう。ならば今、うちの家族が家のどこにいるか分かるか?」
拓馬の挑戦に応えようと直樹は気を集中させる。眼鏡には大月家の図面が広がった。そこに自分を含めた丸印がぽつぽつと浮かび上がる。
「誰がってのまでは分からねぇけど。まずはキッチンに一人。これは芳江さんかな。このうちで料理するのはあの人ぐらいだろうし。んで、リビング隣の和室に一人。この部屋の反対側の和室に一人、裏手の庭に一人。どうだ、当たってる?」
「そんなこと俺に分かるはずないだろう。いちいち家族がどこにいるかなど把握しておらんわ」
きっぱりと言ってのける拓馬に直樹は座りながらにして、ずっこけそうになった。拓馬の言い分は確かに当然と言えば当然のことだ。だが、あれほど挑戦的に訊くのだから本人は当然答えを知っているのだと誰だって思うだろう。壮大な肩透かしを食らった気分だ。
そんな直樹を気にも留めず、拓馬は淡々と話し出す。
「直樹、今日はうちで飯を食っていけ。確認ついでに芳江さんに頼んでくる。お前の親父さんには外食にでも行けと言っておけ」
ありがたい申し出ではあったが、直樹はすぐに頷くことはできなかった。
「うちの親父のことはいいけどさ。今日、大爺様もいるんだろ?」
直樹は眉を顰め、あからさまに嫌そうな顔をして尋ねた。
大月家の家族構成は父、祖父母、曽祖父に拓馬を加えた五人家族だ。代々受け継がれた気質なのか、一人の例外もなく岩のように頑固かつ厳格だ。その中でも大爺様こと拓馬の曽祖父は自他共に厳しく、直樹の外見についてもよい顔をしていなかった。
最近の若い者はと何度か説教を受けたことのある直樹は拓馬の曽祖父に対して苦手意識を持っていた。拓馬もそのことを知っていたのか、気を回してこう提案する。
「料理は俺の部屋に運んでもらうから大丈夫だ。二人で食べよう」
「まぁ、それなら」
直樹の返事を聞くと、拓馬は席を立ち部屋を出て行った。
取り残された直樹は大きく息をつき、後ろへと背を倒して畳に寝転がった。視界には木目の天井が広がる。
ゲームから開始三日という早さで、協力者を見つけられたのは幸運なことだろう。自分は一人ではないという安堵感に少しだけ肩の荷が下りたような気がした。
だが、同時にこのままゲームに参加する流れになってしまって良いのかという思いもあった。
その後二人は、雑談を交わしたり学校の勉強をするなどして夕飯までの時間を過ごした。
ここのところ家にいても落ち着くことのできなかった直樹にとっては貴重なひと時だった。
「拓馬さん、入りますよ」
控えめなノックの後に、少しばかり枯れた女性の声が聞こえてきた。大月家の家政婦である芳江だ。
拓馬は彼女に声をかけ、中に入るよう促した。芳江は静かに襖を開けると、小さくお辞儀をし、夕餉を載せた盆を運んで来る。
「いつもすまんな」
拓馬は芳江に労いの言葉をかけると、彼女から盆を受け取りテーブルの上に置く。芳江は拓馬の顔色を窺いながら苦笑いを見せた。
「いえ、仕事ですから。直樹君もごゆっくり」
「あぁ、どうも。いただきます」
芳江は二人に小さく頭を下げると、そそくさと退室する。
目の前に置かれた夕餉を見て直樹はごくりと唾液を飲み込む。食欲をそそる香ばしい匂いに腹の虫まで騒ぎ出す。盆にはかぼちゃの煮物、ぶりの照り焼きを始めとした色とりどりのおかずが並ぶ。ふっくらとした白米は湯気を立て、きらきらと光り輝いている。
直樹は両手を合わせ、挨拶をすると箸を取り次々とおかずを口に入れていく。
「やっぱ、うめぇよなぁ。芳江さんのご飯。毎日こんな美味い飯食えるなんて本当羨ましいぜ」
直樹は久々に口にした家庭の味に満面に喜色を湛える。自分の作る料理が不味いというわけではないが、そもそも材料が限られているため質素なものしか作ることができない。それに比べ、大月家の食事は品目の多さからしてまず違う。素材自体もさぞかし高価なのだろう。加えてそれを調理する芳江は調理学校を出たその道の専門家だ。おいしくないわけがない。
「お前さえよければ、毎日来たっていいんだぞ。一人分増えたところで大した負担にはならないからな」
拓馬はそう持ち掛けるが、素直に頷けるわけもない。
「そんな図々しい真似できるかよ。だいたい、親父を毎日外食に出すのは流石に苦しいからな」
何と言っても外食は高くつく。もちろん大手牛丼チェーン店のように安い店もある。だが、毎日そんなところで一人寂しく夕食を取る父親の姿はあまり想像したくなかった。
何気なく言った直樹のその言葉に拓馬は顔を渋くする。
「また、父親の面倒か。だいたい、お前の親父はお前のことを裏切ったのだろう。放っておけばいいんだ、そんな奴」
子どものようにふくれっ面を見せる拓馬に、直樹はなんだか可笑しくなってしまった。だが、そのお陰で今までより自分の父親に対する憤りは和らいだ気がした。自分よりも怒っている人間を見ると冷静になれるものである。
「別に裏切ったってわけじゃねぇよ。ただ、オレの優先順位が低かっただけ」
自分で口にしながらチクリと胸に針が刺さるような痛みがあったが、以前ほどではない。
「それが裏切りだと言うのだ。お前は父親に甘すぎる」
拓馬は我慢ならないというように眉を吊り上げて言った。
「そうか? まぁ、周りから見たらホントただの駄目親父かもしれねーけどさ。やっぱオレにとっちゃ親父は親父だし放っておけないんだって」
「そういうものか?」
まだ納得がいかないというように拓馬は渋い顔をしている。
「そーいうもんなの。うちの場合はさ」
そう言って全てを甘受するように直樹は笑う。そんな直樹を見て拓馬は口をぽかんと開け、彼らしくない間抜けな顔を晒した。変なことでも言っただろうかと直樹は不安になる。
「なに?」
訝るように自分を見つめる直樹に、拓馬はハッと我に返る。目の前の少年が、今はもう笑うことのできない彼の実姉の姿と重なったなどという馬鹿げたことを本人に伝える気にはなれなかった。
「いや、何でもない。それより」
拓馬が言いかけた時、テーブルの上に置いてあった直樹のプレートがいつもと違う反応を示す。中央に浮かんだ数字がくるくると回転し点滅し出した。直樹は拓馬に目配せを送り、プレートを手に取る。
それと同時に点滅が終わり、代わりに画面を一行の文字列が横切った。
「脱落者に一名追加……?」
直樹は流れる文字を目で追い読み上げた。拓馬も自分のプレートを取り出して確認する。二人は画面をタッチして脱落者のページを開く。
そこに追加された名前を見て、直樹は顔を蒼ざめさせた。
「浅井だって? 嘘、だろ」