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DLTEEE  作者: 宇理
STAGE2
8/10

03

 朝のHR。

 今朝のニュースで話題になっていた教育法の改正について熱弁する教師の話を聞き流しながら、窓の外を眺める。青い空に浮かぶ雲は形を僅かに変えながら、緩やかに流れていく。

 ついにゲームの開始日となったが、昨日までと変わらずなんてことのない日常の風景が続いていた。

 初日から何かが起こるとは当然考えていなかったが、肩透かしを食らったような気分になる。

昨日から地道に、個人識別のマークをつけるべく身近な人間から接触を図っていたが、直に他人に触れるというのは意外にも難しい。それが異性であるなら尚更。結局、マークをつけられたのは片手に収まる程度。

 力が正常に機能しているか、マークをつけた人物の位置を探る。眼鏡には直樹の所属する2年C組の教室を中心とした校舎内部の図面が表示されている。

 自分を示す緑色の丸の前方に表示された赤い丸。永山も昨日の段階でマーク付けは完了しており、彼を示す赤いマークの上にはそのフルネームが記されている。

 永山に対して、監視されているようで気味が悪いと感じていながら、その実自分の方がそれらしいことをしていると胸の内で苦笑いをした。

 他のマークも正常に機能していることを確認すると、意識を目の前へと戻す。


 一学期も後半。慣れと暑さで教室内は弛み切っている。HR中であるにも関わらず、教室の諸所から小さく雑談をする声が聞こえた。

 永山に至っては机に突っ伏し居眠りをしている。あまりの能天気ぶりに腹が立ち、椅子の座面を蹴ってやった。

 永山はびくりと肩を震わせ、顔を上げると何事かと左右に首を振った。それを見て直樹はほくそ笑む。だが、断じてこれは八つ当たりではない。間もなく出欠の確認が行われる。そこで寝ていることが教師に知れれば、怒られるのはまず間違いない。そうならないために、事前に起こしてやったのだ。言わば、これは善意の行為。と、誰に文句を言われたわけでもないのに胸の内で言い訳を並べた。



 放課後。朝の空模様からは一転、重苦しい鈍色の空からは大粒の雨が降り注ぎ、アスファルトを黒く塗り替えていく。

 今日一日は晴れだと予報されていたためか、傘を持たず鞄を雨避けに駆けていく生徒の姿が多く見られた。常に折り畳み傘を携帯している直樹はその様子を可笑しく眺めながら昇降口で約束の人物を待っていた。

 時間が経つごとに雨足は強まり、地に叩き付けられた雫は弾けて飛び散る。

 「すまん、直樹。待ったか?」

左手側から聞こえてきた声の方に視線を向ける。そこには待ち人である大月拓馬の姿があった。

 清潔感のある短い髪に、校規に則った制服の着こなし。極めつけは黒縁の眼鏡。

 まさに典型的優等生をそのまま具現化したような男だ。それもそのはず、彼、拓馬はこの学園の生徒会長を務めており、生徒たちの規範となるべき存在なのだから。

 すらりとした長身の躯体に、鼻筋の通った端正な顔立ち。おまけに文武両道。少女漫画のヒーローのようなその男に想いを寄せる女子生徒の数は両手の指では足りないだろう。

 外見だけで言うならば、身長の高低、髪色、制服の着こなしと直樹と拓馬は対極にある。一見、接点のなさそうな二人はいわゆる幼馴染というやつでかれこれ十年ほどの付き合いになる。

 まだ直樹が家族4人で暮らしていた頃の家の近くに大月家はあった。

 姉である優希が小学校に通うようになり、同級生となった拓馬と共に登校するようになったのがきっかけだっただろうか。次第に拓馬と優希はお互いの家を行き来するほど親しくなり、川瀬家に拓馬が訪問した際には直樹もそこに混ざって遊ぶようになった。

 そんな日々が何年も続き、直樹は拓馬のことを実の兄の如く慕うようになっていった。それは今も変わっていない。


 「いや、そうでもないよ。それより生徒会の方はいいのか? 今日って活動日だったんじゃ」

自分よりも二十センチ以上背丈の高い拓馬を見上げ、直樹は言った。毎週火曜日は生徒会の活動日だったはず、と記憶の引き出しを探る。

 どうやら、それは当たっていたようで拓馬は小さく頷いた。

 「顧問の教師が急な出張でな。なしになった」

ふぅんと適当に相槌を打つと、ガラス戸越しに外を見やる。依然、雨は振り続いている。

 「兄貴、じゃねぇ。大月先輩は傘持ってきた?」

鞄の底から折り畳みの傘を引っ張り出して、拓馬へと見せる。もしも、持ってきていないようだったら、入れてやろうかと考えていたところだった。

 だが、そんな心配も必要なかったようで拓馬は当然だと言わんばかりに得意気な笑みを浮かべる。

 玄関に設置された傘立てから一本の黒い傘を引き抜き無言で示した。拓馬が愛用しているブランドものの傘だ。よく盗まれなかったものだと直樹は感心する。

 二人は校舎を出て激しい雨の下、歩き出した。


 学校を出て十五分。中央駅のシンボルである星をあしらった巨大な時計が前方に見えてくる。

 駅前は学校帰りの学生たちでごった返していた。ガラス張りの壁の向こうで濡れ鼠になった人々が身震いをしている。

 屋根のある場所まで来ると、直樹は傘をたたみ、水を払うと元々入っていた袋に突っ込む。傘でカバーしきれなかった右肩部分はたっぷりと水分を吸っており、肌に張り付いたシャツが不快感を煽った。

 駅構内は空調が効いているものの、人が密集しているためか息苦しい暑さを感じる。

 二人は迷いのない足取りで駅内を突き進む。改札を抜けホームに出るとタイミング良く目的の電車が来たところだった。直樹は人波にもまれながら乗車すると、入って来た方とは反対側の扉の前まで移動し、そこに背を預けた。拓馬もその傍に陣取る。

 中央駅から直樹の姉が入院している病院の最寄り駅まで二駅。時間にしておよそ十分。二人は何を話すわけでもなく電車に揺られた。

 周囲からは同じく帰宅途中の学生たちの無駄話をする声が絶えず響いている。

 気楽なものだと冷ややかな視線を浴びせるが、無論向こうがそれに気付くわけもない。

 一つ目の駅を通り過ぎ、程なくして目的の駅に到着した。病院までの道中にある行きつけの花屋で見舞い用の切り花を購入し、そのまま目的地へと向かう。


 院内に入ると速やかに受付を済ませ、優希のいる病室へと向かう。拓馬と一緒に来ると、若い女性看護師たちが色めき立つ様子が窺え、直樹はその度に複雑な心境になった。

 病室は前に訪れた時と変わらず静寂に包まれていた。一つ違うのは窓を叩く雨の音ぐらいだろうか。

 直樹は来る途中に買ってきたひまわりを花瓶に生けると近くのパイプ椅子に腰をかける。

 拓馬もベッドを挟んだ反対側に椅子を置いて座った。


 この場所のせいか、直樹の頭には青い髪をしたホスト風の男の小憎たらしい顔がちらついた。

 ――ゲームのご褒美権を使用すれば、寝たきりの貴方のお姉さんを再び目覚めさせることも可能だと思います。

 河合の言ったその言葉が頭の中に木霊する。

 「あのさ、やっぱり兄貴も姉ちゃんが目を覚ましたらいいなって思ってる?」

拓馬の呆気にとられた表情を見て、直樹はやってしまったと己の失態に気付く。

 四年もこうして欠かさずに見舞いに訪れている人間がその回復を願わないわけがない。今更そんな当たり前のことを訊くなどどうかしている。失言を取り繕おうと口を開いたがその前に拓馬が答える。

 「ああ。優希は必ず目を覚ます。だから俺はその時までずっと待っているつもりだ」

拓馬はベッドに横たわる女性の手を取り、愛おしむようにそっと握った。普段は人を寄せ付けない尖った空気を纏う拓馬だったが、優希の前では違っていた。

 おそらく拓馬は優希のことを特別な相手、恋愛対象として見ていたのだろう、と直樹は思う。

 姉が大切に想われているのは嬉しい。こうして4年間も足繁く見舞いに来てくれているのは家族を除き拓馬だけだ。だが、そのことは同時に彼のことを縛り付けているのではないかという不安にも繋がった。

 自分たち姉弟が足枷になっているのではないかと。それを本人に尋ねてみたいという思いもあったが、「そんなわけがあるか」と一蹴されるであろうことは目に見えていたので実行には移さなかった。

 いや、移せなかったと言うべきか。万が一、そうだと肯定され拓馬が自分達の前から去ってしまったら自分は途方に暮れ果てる、そんな予感があった。目覚める気配のない姉を独りで看続けるのはあまりにも寂しい。

 

 外の雨模様と同じように暗くなった気分を切り替えようと別の話題を切り出す。

 「そうだ。そろそろ姉ちゃんの髪を切ろうと思ってんだけどさ。兄貴はどんな髪型がいいと思う?」

直樹の言葉を受け拓馬は優希の方へと視線を下ろす。彼女の髪は首元で一本に緩くまとめられ胸の下辺りまでだらりと伸びていた。

 無造作に束ねられた黒髪は所々うねり絡まっている箇所もあった。拓馬は備え付けの棚の引き出しから櫛を取り出すと丁寧に髪を梳く。

 「そうだな。夏だし短くするのもいいかもしれん。ついでに色も抜いてもらうか?」

流石に病院でそれは無理ではないだろうかと直樹が言葉を詰まらせていると、すぐに拓馬から冗談だと笑い混じりの声が返ってきた。

 「すっかり逆になったな」

 拓馬は優希と直樹を見比べ言った。

 何のことかと直樹は一瞬戸惑ったが、会話の流れから髪色のことだと気付く。

 「……あぁ」


 拓馬の言う通り四年前、つまり優希が事故に遭うまでは姉弟の髪色は逆だった。優希は今の直樹のような明るい黄色で、逆に直樹は地毛である黒色。

 優希が髪を染めていた正確な理由は直樹にも分かっていない。非行少女でも今時のギャルといったタイプでもなかった。

 面倒見が良く気のいい少女として振舞っていた優希。だが、オレンジに近い黄色の髪の毛だけは父親や教師にいくら注意を受けても直すことはしなかった。

 

 早くに母親という存在を失った優希に圧し掛かる負担は肉体的にも精神的にもそう小さいものではない。子どもながらにして母親の役割を押し付けられたのだから。

 家事を一手に担い、だらしない父親を諌め、弱気で泣き虫な弟のお守をするのが彼女の日課だった。可愛い洋服も着られず、放課後に友達と遊びに行くこともできない。全てを放り出し、好き勝手に振舞いたいという衝動に駆られることもあっただろう。

 だが、健気に自分の後ろをついてくる弟の存在がそれを押し留めていた。弟には自分と同じ思いをして欲しくないという気持ちも手伝い、優希は頼れるお姉さんを演じ続けることを自分に強いていた。

 派手な髪の色は表立って周囲に反抗することのできない彼女のささやかな意思表示だったのかもしれない。


 反対に直樹は外見からして典型的なよい子であった。と言うよりも、そうあらねばならないと幼心に感じていたのだ。

 姉に迷惑をかけてはならないと、我侭を言うこともなく一人静かに遊ぶ子どもだった。それでも小学生の頃は近所の悪ガキにからかわれ大泣きをしたりと、姉に世話を焼かせることが多く、直樹の中に苦い記憶として残っている。

 いい子でなければならない。そんな強迫観念にも似た思いは中学に上がってからも続いていた。自分でも深く意識しない内にどこかで母親のことを気にしていたのかもしれない。自分が手のかかる子どもだったから母は出て行ってしまったのではないかと。

 そのことから、直樹はいかにもな模範的学生として中学の最初の一年を過ごした。元より内向的で目立つことが苦手だった直樹は周りの同級生達が何故あんなにも必死に髪を立てたり、服装を乱そうとしたりするのか理解できなかった。教師に怒られてまで続ける価値があるものなのか。

 それは、尊敬する姉に対しても薄々感じていたことだ。一度だけ面と向かって尋ねてみたことがあったが、「あんたは分からないままでいいの」と寂しげに微笑む姉を前にそれ以上追及することはできなかった。

 たった一つしか歳は変わらないのに、その間には大人と子どもを分ける深い溝ができあがっていた。

 姉にとって自分は頼れる存在ではなかったということが悔しくて悲しくて仕方がなかったことを覚えている。


 そんな直樹が自ら髪を染めたのは、優希が事故に遭ってから二週間が過ぎた頃だった。

 一人娘がもう目覚めることはないかもしれない、と告げられた父親は目に見えて憔悴し仕事へ行くのもままならない程やつれきっていた。次第に父親は現実から目を背け酒に耽溺するようになり家の中は荒れ果てた。

 家族以外で唯一頼れる存在だった拓馬もすっかりと生気を失くし、直樹が話しかけてもほとんど上の空であることが多かった。目の前が真っ暗になる思いだった。


 こんな時、姉だったらどうしただろうか。

 それで何かが変わるとは思わなかった。ただ、ほんの些細なことでもいいからきっかけが欲しかったのかもしれない。

 直樹は真っ黒だった髪の毛を、ひまわりを連想させる鮮やかな黄色に変えた。鏡に映った自分の姿は姉によく似ていて笑いたいような、泣きたいような気分になった。

 それを機に今まで怖けて物言えなかった父親に対して口出しできるようになり、酒癖の悪さも幾分か緩和された。それに伴い心身の不調も和らぎ、今まで通りというわけにはいかないが一旦の落ち着きみせた。

 拓馬もまた、直樹のその行動に思うところがあったのか次第に以前の調子に戻っていった。

 その時になって直樹はようやく姉が髪色に固執していた理由が分かったような気がした。髪を染め、煌びやかな衣服に身を包むのは、ある種役者が舞台衣装を着る時のそれに似ている。自分ではない誰かになりきるための仮面。直樹にとって派手な髪色はそのような意味合いを持っていた。

 そうして、今も尚、直樹は彼自身が理想とする、だがそれに程遠い川瀬優希を模った歪な形の仮面を被り続けている。


 「まぁ、オレは割と気に入ってるよ、この髪。それよりさ、兄貴も染めてみたら? きっと皆驚くよ」

 当然、拓馬が髪を染めるなど彼の性格的にあり得ない。そのことはよく知っている。ジョークだ。拓馬もそれを分かったうえで微笑を浮かべ頷く。

 「ふ、そうだな。うちの婆様あたりは心臓麻痺で死ぬかもしれん」

 「それ、笑えねーって」

と、言いながら直樹は苦笑する。


 ひとしきり近況を報告し終わった後、思い出したように拓馬が言う。

 「そうだ直樹、先日話した留学の件だが考えてくれたか?」

拓馬にそう言われ、2、3日ほど前にそんな話をしたことを思い出す。

直樹はそれに応じる気など毛頭なかったのですっかりと頭の隅に追いやっていた。

 「いや、だからウチ金ないから無理だって言ったじゃん。それに今からじゃあもう遅いだろ」

 拓馬が直樹に勧めたプログラムは今月の中旬開始の一年間留学だった。留学には一般的に半年程度前からの準備が必要となる。留学校の選定、外国語能力の証明、ビザの申請等々時間を要する手続きが多い。

 到底間に合うわけがない。が、拓馬は首を横に振った。

 「そうでもない。あの後、学校側に掛け合ってみたんだが、費用は条件つきだが従来の半額にできるらしい。うちの学校は色々と伝があるからな。明後日までに必要書類を提出できれば何とかなる」

 そんな上手い話があるだろうかと直樹は疑った。だが、河合の話を聞いた後ならばそれもありかと思ってしまう。重い代償の変わりに自校は大抵のことに融通が利くのだとゲームの一件を通じて知った。

 故にそんなものに参加したら今度こそ大掛かりな人体実験を施されサイボーグにでもされてしまうかもしれない。お断りというものだ。

 「半額って言ったって六、七十万はするだろ? 金の問題もあるけど、それより親父の面倒みなきゃならないから一年も行ってられねぇよ」

もっともらしい理由を盾に拒否するものの、拓馬はしつこいまでに食い下がる。

 「たわけ、学生身分の子どもが親の面倒を見る必要などあるか。寝たきりの老人というわけでもあるまい」

 「そりゃ、そうだけどさ。てか、何でそんなに勧めてくんの? 前は全然そんな話してこなかったじゃん」

直樹が留学したところで拓馬には何の得もない。彼がそうまでして留学を勧める理由は何処にあるのか。然もこの間際になって。

 直樹はじっと拓馬の顔を見つめる。拓馬は予め用意してきたかのような台詞をスラスラと述べた。

 「なに、たまたまテレビで海外留学の特集を見てな。お前にどうかと思ったんだ。若いうちに色々と経験しておくに越したことはないぞ。特にお前は消極的なところがあるから、それを治すにも打ってつけだと思ってな」

 「あっそ、消極的で悪かったな。とにかく、何を言われようが無理なもんは無理だから。この話は終わり」

 拓馬はまだ物言いたげな顔をしていたが、これ以上話をしても不毛だと理解したのだろう。それ以上口を挟むような真似はしなかった。

 直樹としても拓馬の気遣いを無下にするのは心苦しい。だが、どうあってもその提案を容認することはできなかった。

 ゲームの参加者である直樹はこの地域を離れることを許されていない。一歩でも指定区域から出ようものなら即失格、ということらしい。その後のことは考えるのも恐ろしい。

 そうこう思っているうちに、ふと直樹の中に一つの考えが浮かぶ。拓馬が自分を遠くへ追いやろうとした理由はもしかして、と。

 「……まさか、な」

小さく呟くと耳聡い拓馬には届いてしまったようで、即座に聞き返される。

 「何か言ったか?」

 「いいや、何でもない」

直樹は慌てて首を振ると、誤魔化すように備え付けの棚を整理し始める。不要になったものをエコバッグに詰め、空いたスペースに持ってきた姉の着替えをしまう。

 「んじゃ、そろそろ帰るか」

 「ああ、そうだな。またな、優希」

二人は立ち上がりパイプ椅子を所定の位置に戻すと、病室を後にする。プレートを返却し外に出ると湿った生暖かい風が肌にまとわりついてきた。

 雨は勢いを弱めることなく降り続いている。


 「はぁー、あっちぃ。のど乾いた」

病院から数分歩いたところで直樹はシャツをバタつかせながら言った。

 弁当用に持ってきた水筒は既に空。家に帰るにもまだ時間がかかる。すると、隣からからかうような声が飛んできた。

 「上を向いて口を開けてみろ。傘を閉じれば天然水が飲み放題だぞ」

馬鹿なことを言う拓馬を睨みつけると、こんなことならば病院の売店で買っておけば良かったとため息をつく。

 「そう落ち込むな。飲み物ぐらい駅に着いたら買ってやる」


 その言葉通り拓馬は駅に着くと、自動販売機で買った缶ジュースを直樹に手渡した。

 「おっ、サンキュー」

直樹は受け取った缶を傾け喉に流し込む。甘酸っぱい果汁の味が口いっぱいに広がった。喉が潤い満足した直樹は小さく缶を振る。中でたぷたぷと液体が流動する音が聞こえた。

 いつのまにか携帯をいじっていた拓馬へとそれを差し出す。奢ってやったのにその態度かと拓馬は眉を寄せた。

 「何だ、ゴミぐらい自分で捨てんか」

 「いや、まだ中入ってんだコレ。残りよろしく」

拓馬は呆れたような顔を見せると缶を受け取り一気に飲み干した。

 近くにあったゴミ箱へとそれを放り投げる。手から離れた缶はゴミの入れ口として空いた丸い穴の縁にぶつかり床へと落下する。

 「おいおい、そりゃ無理があるだろ。っていうか行儀悪いぞ」

直樹は床に転がった缶を拾い、ゴミ箱へと入れる。口の広いバケツタイプのゴミ箱なら投げ入れたくなる気持ちも分からないでもない。だが、ビン・カン専用の投入口の小さいゴミ箱に投げ入れようとするのは如何なものかと思った。

 訝るように拓馬の方を見ると、彼自身が一番驚いたような顔をしていた。

 「すまん。どうかしていたな」

 「いや、別にいいけど。疲れてるんじゃねーの?気使ってくれるのはありがたいけどさ、見舞いだってそんな頻繁に来なくたっていいんだぜ」

 「そんなことはない。本当にただぼうっとしていただけだ」

それが疲れているというのではないかと直樹は言いたかったが、拓馬は絶対に認めないだろうと口をつぐむ。

 「それよりも、明日の放課後空いているか?」

 「どんぐらい? バイト入ってるからあんま長くなるなら無理だけど」

 「そうか、ならば明後日はどうだ? うちに来て欲しいんだが」

直樹は携帯をポケットから引っ張り出し、スケジュールを確認する。

 「うん、明後日ならいいぜ。でも、何でまた?」

 「少し話したいことがあってな。たまにはうちでゆっくり話すのもいいだろ?」

 「ふーん。まぁ、いいや。そんじゃ久しぶりにお邪魔になろっかな」

話しがつき拓馬と別れると自宅方面行きのホームへと足を向けた。直樹は歩きながら眼鏡のブリッジを持ち上げる。

 青い丸が忙しなく動く中、赤色の丸――拓馬を示すもの――だけが静止していた。何をしているのか振り返り確認したかったが、もし相手がこちらのことを見ていた場合、気まずいうえに怪しまれる可能性がある。

 直樹は見なかったことにして、そのままホームへと歩いて行った。

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