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DLTEEE  作者: 宇理
STAGE2
7/10

02

 重い腰を上げ外に出ると静寂に包まれた会議室とは打って変わり、医療器具を運ぶ看護師や見舞い目的の来客の会話が耳に入り途端に夢から覚めたような感覚に陥った。

 先ほどまでの河合との会話は白昼夢だったのではないかと馬鹿みたいな考えが頭に浮かぶ。

 だが、そうでないことはこんな来たこともないフロアにいること自体が物語っていた。それともう一つ。

 道中、眼鏡を通して入ってくる情報と実際に目の前にある光景を照らし合わせながら歩いた。二つの情報の合致に河合から説明を受けた特殊な力とやらは少なくとも本物なのだと実感する。

 一方でそれを認めることは同時に忌まわしきゲームをも肯定するようで気が滅入った。

 そうこう考えているうちに天井の低い廊下を抜け、開放感のあるロビーへと辿り着く。首から下げたプレートを受付に返却し、病院を後にしようとしたその時、視界の端に見知った顔を見つける。


 淡い水色の長いすに浅く腰をかけたその人物は――

 「西村、さん?」

学校では度々姿を見かけることはあったが、こうして面と向かって話すのは実に数年ぶりのことである。元から顔見知り程度の関係だったが、ある事件をきっかけに疎遠になっていた。

 先刻のことがなければ学校の時と同じようにそ知らぬ顔をして通り過ぎていたかもしれないが、今は少しでも気を紛らわせたかった。それが直樹を普段とは違う行動に走らせた。

 西村と呼ばれたその人物は顎を持ち上げ直樹の方へと顔を向ける。少しばかり驚いたような表情を見せた後、ぎこちない笑みを貼り付けて口を開いた。

 「……久しぶり、だね。お姉さんのお見舞い、だよね。容態はどう?」

西村は瞳に怯えを滲ませながら自分を見下ろす少年を見つめ返した。何故西村がそのような顔をするのか心当たりのある直樹は小さく息を吐くと相手の緊張を解きほぐすように軽い調子で答える。

 「相変わらずバカみたいに眠ったままだよ。そっちは?」

そんな直樹の態度に安堵したのか、西村は少しだけ表情を和らげて返した。

 「定期健診。本当はもう来なくてもいいぐらいなんだけど念のためにね」

 「そっか。もう検査は終わったのか?」

 西村は小さく頷く。ならばこの後は会計さえ終われば自由なのだろう。そこで直樹はあることを思いつく。

 それを言うべきか言わざるべきか悩んだ末、結局、己の意思を優先させることを選んだ。

 「ならさ、姉貴の見舞いに行ってやってくれないか?きっと、姉貴喜ぶと思うから」

 当然、意識のない人間が喜ぶわけはない。単なる自己満足でしかないことは直樹とて十分承知のうえだ。だが、どうしても目の前にいる西村に病室を訪れてもらいたかった。

 それがたとえ西村本人の意思によるものでなかったとしても。

 もしも、姉が目覚めるようなことがあればその事実にきっと救われる、直樹はそう思った。

 「いいの?行っても。ほら、その、彼とか……」

再び不安な目つきをして西村は尋ねた。

 「拓馬のこと気にしてるなら大丈夫だよ。今日は来ないから。で、どう? オレは行って欲しいと思ってるんだけど。まぁ、そっちが嫌だって言うなら強制はしないさ」

 直樹とて相手が望まぬことを強いるつもりはなかった。西村にとって病室に赴くことは直樹が考えている以上に勇気のいることなのかもしれない。

 一方の西村はそんなつもりはなかったらしく、慌てて否定する。

 「いや、そうじゃない。君がいいと言うのならそうさせてもらうよ」

無理をして笑みを作ったような複雑な面持ちで西村は言うと、ゆっくりと立ち上がり直樹の肩に軽く手を乗せた。「ありがとう」と小さく呟くと手を離し、そのまま直樹の横を通り過ぎる。

 「あっ、病室」

直樹は慌てて体を半回転させる。西村を引きとめようと伸ばした手は虚しく空を切った。だが、その必要もなかったようで前方から声が返ってくる。

 「知ってる。本当は、ずっと前から何度も行こうと思ってたから」

直樹は西村が姉のことを気にかけていたことを知り、胸を熱くさせた。そんな中、奥の通路へと遠ざかって行く西村の背中を見送りながら、眼鏡越しに目に映ったあるものを見てあぁと己の失態に気付く。

 「そうか、あの人はもう……」




 自宅に着く頃には辺りは薄暗く、空は濃紺一色に染まっていた。

 錆び付いた街灯が照らす古びた木造二階建てのアパート。それが直樹の帰るべき家だった。明かりの灯っていない我が家を見てまだ父親が帰宅していないことを知る。

 鍵を差し込み、ドアノブを捻る。ドアを開くと一日中閉めきっていたせいか、不快感のある湿った熱気が立ち込めた。

 乱暴に靴を脱ぎ、玄関の軋む床板を早足で通り過ぎると、畳張りの居間へとあがる。サッシ窓のクレセント鍵を回すとガラガラと音を立てながらガラスをスライドさせた。

 外は無風で風が吹き込んでくることはなかったが、閉めきっているよりはマシだろう。気休めに過ぎないが、部屋の隅に置かれた骨董品のような扇風機を窓に向けて熱気を追い出す。

 天井からぶらさがる紐を引き、明かりを灯すと生活臭溢れる部屋の全貌があらわになった。

 物が少ない割に雑然とし、建物が古いことも相まって小汚い印象を受ける。実際、細かなゴミが転がり散らかっているのだが。

 直樹は小さくため息を漏らすと父親が昨晩飲み散らかした空き缶を拾い台所にある専用の屑篭に投げ入れた。

 

 時計を確認すると夕飯には少し遅いぐらいで、丁度腹の虫が鳴る。

 冷蔵庫を開け、目についた食材を適当に取り出し調理に取り掛かる。頭で一々考えることもなく、習慣化された動作で、てきぱきと米を研ぎ炊飯器にセットする。

 この四年で随分手馴れたものだと、食材を刻みながら直樹は思う。姉があのようなことになってから、その役割はそのままそっくり直樹に回ってきた。炊事、洗濯、掃除と家事は全て直樹が担っている。

 本来、その役割を果たすべき母親は直樹が小学生の時に、他所に男を作り行方をくらまし、今どこで何をやっているのかすら分からない。

 若くして直樹たちを生んだ母親はまだ夢見る少女をやっていたかったのだろう。

 そんな母親を何度も恨んだことはあったが、それも年月を重ねていくうちにいないものが当たり前になり次第にその感情は薄らいでいった。


 物思いに耽っているうちに料理は完成し、皿に取り分けると遅くに帰ってくるであろう父親の分にラップをかける。

 自分の分だけを居間にあるちゃぶ台へと運ぶと、そこに腰を下ろす。チャーハンに、卵のスープに豆腐のサラダ。あり合わせのものにしてはまあまあだろうと自画自賛しながらスプーンを口に運んだ。

 床に転がったリモコンを手に取りチャンネルを回し、適当なバラエティ番組を垂れ流す。

 画面の向こう側から聞こえてくる笑い声にくすりともせず、ただ瞳にその光を映した。

 父親が帰ってきたら何と言ってやろうかとそんなことばかりが頭の中を占領する。

 三十分もしないうちに皿の中身を空にすると、手早く後片付けを済まし、風呂場へと足を向ける。

 湯船にお湯を溜めるのは勿体ないので、軽くシャワーだけで体を洗い流す。水を浴びさっぱりとした爽快感はそう長くは続かず、風呂を出ると、じんわりとしたむし暑さがまた体を火照らせた。

 寝巻きに着替え、冷蔵庫から麦茶を取り出すとガラスのコップに注ぎ、渇いた喉へと流し込む。

 一息つくと居間に放ったらかしにしていた自分の荷物を抱え奥の和室へと運ぶ。勉強机代わりの折りたたみ式ローテーブルの前にどかりと腰を下ろした。

 荷物の中から黒いプレートを発掘するとそっと手に取り眺める。

河合に渡された時と何ら変わりのないそれの画面に軽く触れると別の画面へと切り替わった。上からルール、脱落者、呼び出しの三項目が並んでいる。 脱落者の文字を指で触れると残り13人と表示された画面が映し出された。

 これからこの数字が減っていくのだろうかと縁起でもないことを考えてしまう自分に嫌悪感を覚える。

 気を取り直し、矢印ボタンをタッチして前の画面に戻すと、ルールのページを開く。そこには河合が話した内容が簡潔に記されていた。



1.参加者

ゲーム参加者は私立出里都高校に所属する学生の内13名。

それぞれ1~13のナンバーの入った携帯型コンピュータを参加証明書として所持する。

なお、参加証明である携帯型コンピュータは持ち主の体内に埋め込まれたチップに反応して操作認証が行われるため、他人には操作できない。

持ち主以外が手にした場合はナンバーが表示されている初期画面でロックされる。

携帯型コンピュータとその持ち主が10m以上離れた時にはチップの埋め込まれた部位にナンバーが浮かび上がる仕組みとなっている。

 

2.ゲームの終了条件

1~12番のメンバーは13番の生命活動が停止となった時点でゲームクリアとなる。

13番は1~12のメンバー全ての生命活動が停止となった時点でゲームクリアとなる。

ゲームの制限期間以内に決着のつかなかった場合は全員がゲームオーバーとなり処分される。


なお、13番が死亡した時点で、13番を倒したメンバーにゲーム続行か終了かの選択権が与えられる。

続行を選んだ場合は、クリア条件が「ゲーム参加者の生存者を一名まで減らす」に変更される。

変更された場合はこの携帯型コンピュータを通じて残りメンバー全員に通知される。


3.ゲームの期間、区域

ゲームの参加者には6月29日までに説明が行われる。

一日の準備期間を設け7月1日午前0時からのスタートとなる。終了日時は8月18日の23時59分。

ゲームのフィールドは緑林海区、あかりみなと区、下赤岸区、平豊並区の4区とし、その区域を出たものは失格とみなし処分される。


4.能力について

参加メンバーには個々で異なる特殊な能力が授けられる。

それぞれ自分の一つ前のナンバーの相手の能力を無効化することができる。(13番なら12番、12番なら11番…)

無効化は本人の意思に関わらず相手に接近した際に自動的に行われる。

一番は誰の能力も無効化できない代わりにゲーム開始時にランダムで他のメンバー一人分の情報を知ることができる。

13番の能力は誰も無効化することができない。


5.脱落者について

脱落者はその名前、死因、死亡時刻が携帯型コンピュータに通知される。

なお、一人メンバーを殺害するごとに、他のメンバーの情報(名前)を一人分ランダムで知ることができる。

なお、亡骸はゲーム管理者によって迅速に処理、隠蔽がなされる。


6.褒賞

最後の一人として生き残ったゲーム参加者には三億円に相当する望みを何でも叶えられる権利が与えられる。

そのまま現金を褒賞とすることも可能。褒賞について予め要望のある者は河合まで一報を。

また、参加者全てに対し参加賞として四千万円を支給する。

加えて、ゲーム中に殺害した他メンバーの人数×五百万円を手に入れることができる。


7.最後に

ゲーム中に行われた行為に対しては、その期間内外を問わず如何なる法によっても裁かれることはない。

その代わり、国家機関に対してもゲーム中に起きた不利益を訴えることはできない。

ゲームクリア後の参加者の扱いについては主催側によって、ゲーム前と同等、それ以上の生活が保証される。

ゲームに関しての守秘義務はないが、ゲームに支障をきたすような場合は情報の統制が図られる。


ゲームの途中棄権は認められない。最後まできっちり戦い抜きましょう。


 一通り目を通すと大きくため息をつき、プレートを机の隅に置く。頭を机の上に落とし力なく突っ伏した。

本当にこれからこんな物騒なゲームが始まるのか、未だに真実味が湧いてこなかった。

 もし、これが事実だったとし、降りることもできないとしたら自分はどうするべきなのか。とてもではないが人を殺めるような覚悟も度胸も持ち合わせていない。

 他のメンバーが早々に13番を葬ってくれることを願うが、きっと現実はそう甘くないのだろう。

 当面は普段通りの生活を送りながら様子を見るしかないか、と考える。だが、そう悠長に構えていて良いのかという不安もある。当然だが、ゲームには制限時間がある。

 それに加え、一番の存在。ゲーム開始時点から他のメンバーについて知ることのできる唯一の人物。その知られた他のメンバーというのが自分だったら、そして一番が褒賞狙いの人物だったら。

 そう考えただけで全身から血の気が引いていく。

明日はまだ準備期間だから大丈夫だと自分に言い聞かせ、余計な考えを頭から振り払う。だが、それからは?


 ずぶずぶと底なし沼に沈みこんでいくような感覚に今日何度目になるか分からないため息をついた。

 気分を変えるために、分厚い問題集を引っ張りだして眺めてはみるものの、目でなぞるだけに留まってしまう。

 形だけの勉強を始めて半刻が過ぎた頃、玄関からドアの開く音が響く。

体を傾け居間を覗くと、くたびれた顔をした父親がのっそりと入ってくるのが見えた。

 握っていたシャープペンシルを机の上に戻すと、居間へと顔を出す。「おかえり」と声をかけると父親は「あぁ」と一言だけ返し、ちゃぶ台の前に腰を下ろした。

 普段と何ら変わりのないやり取り。直樹はキッチンに置いておいた夕飯を温め直しながら、何と声をかけるべきか思い悩む。言いたいことは山ほどあったはずなのに、いざ本人を目の前にすると言葉が出てこなかった。

 父親の方から何か切り出してくるのではないかと期待したがその様子はない。

 いつものようにテレビの前に鎮座し、缶ビールを啜っている。そんな父親の姿に苛立ちを感じながらも黙々と手を動かす。

 「あんまり、飲みすぎるなっていつも言ってるだろうが」

乱暴な音を立てて夕飯の盛られた皿をテーブルに置くと壁を背もたれにして座る。黙って夕飯を口にする父親を複雑な心境で見つめた。

 そんな視線に気付いていないのか、あえて気付かぬ振りをしているのか、父親は直樹の方を見向きもしなかった。痺れを切らした直樹は咎めるような口調で尋ねる。

 「なぁ、何かオレに言うことないのか」

父親は箸を止めると、長い沈黙の後に消え入るようなか細い声で答えた。

 「すまん」

あまりにも情けない顔して言うので、怒鳴る気すら湧いてこなかった。

 「……謝るくらいなら最初からするんじゃねぇよ」

もう何もかもが遅い。今更謝られたところで事態は何も変わりはしない。静かな怒りが直樹の中に込み上げる。

 「なんで勝手にあんなこと約束したんだよ。確かに姉ちゃんのことで金が必要だってのは分かる。でも、何もあんな。オレだって後二年もすりゃちゃんと働けるし、今だって必要ならもっとバイト増やしたってよかったんだよ。なのに」

父親がいくら謝罪したとしても意味がないように、直樹がこうして文句を言うことにも意味はない。だが、気持ちの問題としてどうしても聞かずにはいられなかった。

 「優希を助けるにはそれしか方法がないと言われたんだ。今の合法的な範囲内の治療ではもう目を覚ますことはないと。だから」

 「姉ちゃんを助けるためならオレはどうなってもいいっていうのかよ?」

 「違う! そうじゃない! ……だが、父親にとって娘ってのは特別なもんなんだ。分かってくれとは言わない。父さんのこと殴って気が済むのならいくらでもそうしてくれて構わん。だから、頼む」

 父親の勝手な言い分に直樹は拳をわなわなと震わせる。父が自分と姉の命を天秤にかけたという事実よりも、自分に何の相談もせずあんな胡散臭い契約を結んでしまったことに対して憤りを感じていた。

 昔から父親はそうだった。自分でよく考えることもせず、相手の甘言に乗り失敗する。それで随分と手痛い目に合ってきたのにこの様だ。

 何の根拠もなく大丈夫だと勝手に一人で決めて周りに迷惑をかける。直樹は父親のそんなところが大嫌いだった。

 近くにあったティッシュの箱を手に取り父親の頭目掛けて投げつける。

 「ぶざけんなよ! いつも勝手なことばっか言いやがって!」

爆発したように怒鳴りつけると、わざと大きな音を立て奥の部屋へと引っ込む。

 寝るにはまだ早い時間だったが、電気を消し敷きっぱなしになっていた布団に横になる。

 薄い壁を隔てた向こう側からは父親のすすり泣くような声が漏れてくる。タオルケットを頭から被り、泣きたいのはこちらだと耳を塞いだ。


 父親の気持ちも分からなくはない。妻に逃げられた憐れな男にとって気の利く娘は何より心の支えだったのだろう。いや、そうでなくとも大事な一人娘だ。それを不幸な事故で、手の届かないところに連れて行かれそうになっている。父親であれば何に代えても救ってやりたいと思うのは当然のことだろう。

 医者が半ば匙を投げていることも知っていた。藁にも縋りたい気持ちも理解できる。だがそれでも、やはり父親は馬鹿だと思った。

 そんな飲んだくれでうだつの上がらない男だったとしても直樹にとっては、最早たった一人の家族と呼べる存在だ。心の奥底から否定することも突き放すような真似もできない。妻からも、そして娘からも置き去りにされてしまった哀れな男を見捨てることができようか。

 直樹はまだ若い。これから新たな出会いを通し親密な相手を作ることもできるだろう。だが年老いた父はそうではない。

 両親、つまり直樹の祖父母は既になく、血縁者や友人は徐々に数を減らしていく。全てをやり直せるほどの時間も残っていない。

 だから、直樹は父親が自分に対しどんな無体を働こうとも、自分だけはこの男を見放してはならないと思っていた。

 父親が本当に家庭を省みない男であったならば、違っていたかもしれない。だが、朝から晩まで汗水を垂らして働く姿を見ればそうでないことは分かる。きっと、明日にでもなれば少なくとも表面上は今まで通りを演じることになるだろうと、どこか他人事のように思いながら直樹は眠りについた。




 06/30 5:43


 カーテンの隙間から差し込んでくる日差しと息苦しい暑さに目を覚ます。

セットしていた目覚ましをオフにすると、隣で寝ている父親を起こさぬように足音を潜め居間に出る。

 台所で顔を洗うと、朝食と弁当作りに取り掛かった。まだ、覚醒しきらぬ頭で淡々と手だけを動かす。

 六時半を過ぎた頃に父親が起き出してきた。「おはよう」と一声かけると昨晩と同じように相槌を打つだけの返事が返ってくる。

 ちゃぶ台に乗った湯気の立つ朝食を前に二人は黙々と食べ続けた。結局、食べ終わるまで会話はなく、居間にはテレビの音だけが流れる。

 普段から会話の少ない二人であったため、珍しい光景ではなかったが、互いに何となく気まずさのようなものを感じていたに違いない。

 直樹は洗いものを片付けながら、身支度をする父親に声をかける。

 「あのさ、親父。やっぱりオレ、親父の期待には応えられないと思う」

直樹の言葉に父親は動きを止め俯いた。

 「……そうか」

その一言にどのような思いが込められていたのかは分からない。失望か後悔か、それとも後ろめたさか。

 それを追及する気はなかった。

 濡れた手をタオルで拭うと、弁当をハンカチで包み父親に手渡してやる。

 「ったく、変に考え込んで仕事でミスるなよ。ほら、もう時間だろ。行った、行った」

 渋い顔をしている父親をそう言って送り出すと、大きく息を吐き出し床に座り込んだ。



 いつも通りの時間に学校に到着し、教室のある三階へと向かう。目に入ってくる景色は今までと何も変わらない。

 今日のテストはどうだ、彼氏がむかつくだの生徒たちの他愛のない話声がそこいらから聞こえてくる。

 本当に河合の言ったゲームなど行われるのだろうかと、その光景を横目に思った。

 

 教室に入ると半数ほどの生徒が既に登校しており、小さなグループを作って歓談していた。直樹は適当に挨拶を交わすと自分の席につく。

 よく話をする友人は既に別の生徒とつるんでいたため、大人しく予習でもしようかと鞄から問題集を引っぱり出した。

 数分ほど睨めっこをしていたが、シャーペンの芯を引っ込めては出しを繰り返し、解答欄は一向に埋まる気配を見せない。

 「朝からお勉強とは相変わらず熱心だな」

頭上から降ってきた声に視線を問題集からそちらへと向ける。黒い短髪で見た目だけは生真面目そうな少年が無表情にこちらを見下ろしていた。

 直樹の前の席に中身の軽そうな目に痛いピンク色のリュックサックを乱暴に置き、少年は着席した。

 背もたれに肘を乗せ、直樹の机の上に広げられた問題集を覗き込む。

 「まだ、そんなに必死にならずともいいのではないか」

 「ほっとけ。お前と違って、オレは人より努力しないと点数取れねーの」

直樹がじっとねめつけるように言うと、目の前の少年は心外だとでもいうように肩を竦めた。

 「僕は見えないところで努力してるだけだ。ここ、計算間違ってるぞ」

トントンと書きかけの計算式を指先で叩く。少年に言われたところをチェックすると確かにその通りだった。

 直樹はきまりが悪そうな顔で間違った数字列を消しゴムでなぞる。

 授業中はしょっちゅう居眠りをして教師に注意を受けているにも関わらず、そのくせテストとなるとぽんと好成績を出す。

 目の前にいる少年、永山アスカはそういう嫌味な男だった。

 もちろん、彼の言う通り陰で努力を重ねているのだろうが、傍から見ればろくに勉強もしないのに成績だけは優秀な天才肌のイヤな奴だ。

 「目、悪くなったのか?」

突然の永山の問いに一瞬なんのことだと首を傾げたが、すぐに昨日からかけ始めた眼鏡のことだと気付く。

 他のクラスメイトからは特に触れられることがなかったので反応が遅れた。

 「いや、別に。イメチェンだよ、イメチェン」

本当のことを話すわけにもいかないので、適当なでまかせを口にする。特に疑う様子もなく永山は静かにそうかと呟いた。

 お洒落専用の眼鏡が流通しているこの時代だ。日頃から外見に気を使っている直樹のキャラならば、特段不審がられることもないだろう。

 「ところで、前から言っていた話なんだが」

すっかり眼鏡には興味を失ったのか、永山が別の話題を切り出そうとした時、教室の隅から女子生徒たちの甲高い笑い声が響いた。

 またか、と直樹は眉を顰め嫌悪感をあらわにする。


 入り口付近の席に座る女子生徒を同クラスの三人の女子たちが取り囲み笑っている。

 それはこのクラスでは日常茶飯の光景だった。


 「マジでそんなのつけてきたんだぁ。ウケルんだけど」

 一人の女子生徒がけらけらと嘲笑うように言うと、彼女の取り巻きらしき残りの二人もそれに習った。

 嘲笑の対象となっている大人しそうな女子生徒は何を言われているのか分からないというように、ただ困惑の表情を浮かべている。

 「え。だって、これ美弥子ちゃんが似合うって言ってくれたんじゃ」

 「はぁ? 冗談に決まってるじゃん。今時小学生でもそんなのつけないって」

 恐らくは笑われている少女の髪に括り付けられた、いかにも子ども向けといったうさぎ型の髪飾りについて言われているのだろう。

 直樹はそんな少女たちの様子を遠巻きに見て内心穏やかではなかった。

 「ったく、ひでぇよな。あいつらあんなことして何が楽しいんだか」

ああいった場面を見るのは一度や二度ではなかった。

 美弥子という少女にとっては軽いおふざけのつもりなのだろう。わざといじってキャラを立ててやっているのだと彼女が話しているのを耳にしたことがある。

 善意のつもりでやっていると言うのだから尚更性質が悪いと思った。

 「そう思うのなら直接本人に言ってやったらどうだ」

永山のもっともな意見に直樹は言葉を詰まらせる。それができるのならとっくにやっていただろう。

 直樹にはどうしても行動に踏み切ることのできない理由があった。

 

 かつて、中学時代、直樹も笑われ者の少女と同じ立場だった。背も低く、運動音痴でガリ勉、内気。と、くれば狙われないはずがない。

 運動部に所属している男子グループに使いっぱしりのような扱いを受けたり、上履きを投げられたりと散々な目に合ってきた。

 へらへらしながら相手の機嫌をうかがい耐え忍ぶ日々。助けを求められる相手もおらず、ただ毎日が苦痛だった。

 そうして過去に苦汁を嘗めてきた直樹だからこそ、再びあの惨めな自分に戻ることは耐えられなかった。

 今現在も決して学内で高い地位にいるとは言えない。比べて、美弥子は顔立ちも整っており、明るく気の強い性格でクラスのリーダー的存在だ。同じくクラスでリーダー的ポジションにある男子グループとの親交も深く、下手に彼女の機嫌を損ねるようなことがあれば、そちらからも真っ先に標的にされることは想像に難くない。

 故に直樹は美弥子に対して、悪趣味なことはやめろと正面から食って掛かるような真似は到底できなかった。

 そんな自分の不甲斐なさに憤りを覚える反面、自分だって同じような目に遭って来たのだから彼女だって仕方ないのだと思う気持ちもあった。

 力のある誰かが助けてやればいい。そしてそれは自分ではない。そうして直樹はまた見て見ぬふりをした。

 永山の質問に答える前にホームルームの鐘が鳴り響き、固まっていた生徒たちは一斉に散り散りになっていく。



 単調な教師の声にあくびをかみ殺しながら、授業を耐え切るとあっという間に放課後が訪れる。

 今週は掃除当番も当たっていないので、早々に帰ろうとした時、肩を叩かれ呼び止められる。振り向くとそこには箒を手にした永山が立っていた。

 「川瀬、もう帰るのか?」

 「そうだけど、何か用でもあんのか」

早くしてくれと突き放すように言う。この後は軽食店でのバイトが入っていたので一刻も早く帰りたかった。

 が、永山はそんなことはお構いなしに話を進める。

 「貴重な高校生活。部活に勤しみ青春したいとは思わないか?」

何度聞いたか分からないその言葉に直樹はうんざりとし顔を顰めた。

 「また、その話かよ。興味ないって言ってんだろ。それにお前と違ってオレは忙しいの」

 永山はどういうつもりか、度々直樹を自分の所属している同好会に勧誘してくることがあった。

 オカルト研究会というその名の通り怪しげなサークルだ。

 「なら、籍を置いてくれるだけでもいい。このままいくと、研究会自体が幽霊、ひいてはオカルトの対象になってしまうんでな。とんだ笑い話だろ」

と、真顔で永山は言う。笑い話ならもっと面白そうに喋れと直樹は心中で呟いた。

 「じゃあオレじゃなくたっていいだろ。その辺の一年でも捕まえて頼めよ」

 直樹には永山が自分に拘る理由が分からなかった。特別オカルト方面に興味を示していたわけでもなく、永山とさして親しいというわけでもない。直接、永山に理由を尋ねてみたこともあったがよく分からないことを口にして結局ははぐらかされてしまっていた。

 「4月の新勧の時に同様の誘い文句で誰も入らなかったんだ。今更声をかけたってまず脈はないだろう」

 「じゃあ、オレもいい加減脈なしだと思ってくれよ」

これ以上相手をしていられるかと、直樹は話を打ち切り永山に背を向ける。

 「気が変わったらいつでも声をかけてくれ」

直樹は背後から聞こえてくる声を無視して、昇降口へと向かう。

 永山と知り合って三ヶ月が経とうとしていたが、未だに彼という人間が掴めないでいた。


 

 玄関を出て一度校舎を振りかえる。今日一日、能力を用いて学内生徒の動きを観察したものの、変わった様子は見受けられなかった。

実際は何かが起こっていたかもしれないが、人の位置情報だけでそれを知ることは難しい。

 かといって、ゲームのことを面と向かって誰かに尋ねるのはリスクが高すぎる。

 収獲のないまま、ゲームの開始日である明日を迎えることとなった。




 07/01 8:23


 「おーい、直樹!」

 廊下からよく通る友人の声がこちらに向けて投げかけられた。クラスメイトとの話を中断し、直樹は教室を出てその友人と向き合う。

 ツンツンと逆立った黒髪に目に痛いシアンのインナーが彼、葉月俊也のトレードマークといったところだろうか。

 「何の用だよ。また、辞書忘れたから貸せとか言うんじゃねぇだろうな」

 寮生であるにも関わらず何かと忘れ物の多い俊也にはクラスが変わってから度々物を貸すことがあった。

 友人の多い彼があえて自分を頼ってくるというのは満更でもなかったが、あまりにも日常的になり過ぎたため、少し辟易としてきたところだった。

 ただの都合のいい奴と思われているのではないかと邪推してしまう。そんな直樹の心情も知らず、俊也はあっけらかんとした様子で話を切り出す。

 「ほら、再来週に数学のテストあるじゃん? だから今のうちに復習しておこうと思ってさ。つーわけだから数Aのノート貸してくれよ」

 「へぇ、お前にしては殊勝な心がけだな。けど、数Aでいいのかよ。テスト範囲は数Bだろ?」

 「……俺はな、一からやり直さないとヤバいレベルなんだよ」

と、鬼気迫る顔をした俊也を前に直樹は頷くしかなかった。

 「まぁ、別にいいけどよ。今日は持ってきてないから明日でもいいか?」

 「ああ! そりゃもう! ついでに試験の山張ったもんを挟んでおいてくれてもいいんだぜ」

にやりと笑う俊也を小突く。

 「バカ。そんなことばっかりしてっから赤点常連になるんだろうが」

 「お勉強マンの直樹くんとは元々頭の出来が違うんですー」

全く反省の色を見せない俊也に、今度は本気で殴ってやろうかと考えたが何とか想像だけに押し留めた。

 ふと、俊也がまじまじと自分の顔を見ていることに気付く。寝癖でもついていただろうかと頭を掻く。

 「なんだよ?」

 「いや、似合ってんじゃん。それ」

俊也はそう言って眼鏡をかける仕草をした。一瞬それに何か他意があるのではないかと勘ぐったが、無邪気なその顔を見ると言葉通りの意味らしい。男から言われても全く嬉しくないのだが、一応形だけは礼を言っておく。

 「そりゃ、ドーモ」

 「けど、勉強もほどほどにしとけよ? そんじゃ、また明日取りにくるわ」

勝手に勉強のし過ぎで視力が下がったのだと俊也は解釈したらしい。お前はもっと頑張れよ、と音には乗せずに言うと去っていく俊也の背を見送った。


 教室に戻ると、先ほどまで一緒にだべっていた集団の話題はすっかり変わっており今更戻るのも気が引け自分の席につく。

 「なんだって?」

前の席に座る永山が突然言った。背もたれに肘を置き、体を横に向けて座るという独特な姿勢で携帯ゲーム機と格闘している。

 視線を全く寄越さずに言うものだから、初め直樹はその言葉が自分に向けられたものだと気付かなかった。「おい、川瀬」と名前を呼ばれてやっとそちらに意識が向く。

 「あ? なに」

 「さっき、誰に呼ばれてたんだ?」

見ていたのか、と思うのと同時に監視されているようで気味が悪かったが、隠すほどの内容でもないので正直に答える。

 「E組の葉月にノート貸してくれって頼まれたんだよ。よくうちのクラスに来る奴いるだろ? あいつ」

 「あぁ、あの喧しい奴か」

納得すると途端に興味をなくしたのか、それきり言葉を発しなくなりまたゲームに熱中し始める。

 つくづく勝手な奴だと思ったが、それももう慣れたことで今更とやかく言う気は起きなかった。

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