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DLTEEE  作者: 宇理
STAGE2
6/10

01

06/29 17:46


 自宅アパートから電車を二本乗り継ぎ、さらに歩くこと10分。高層ビルが立ち並ぶ街の中、一際巨大な建物が視界を占める。周辺にはその建造物を外界から切り離すかのように背の高い木々が規則的に植えつけられている。

 ここを訪れるようになってから何度季節が巡っただろうか、と少年――川瀬直樹はその白い建物へと繋がる道を歩きながら考えた。

 白い壁にはめ込まれた鏡面ガラスに反射する夕日が目に痛い。正面の自動ドアを抜けると、青と白を基調とした清潔感のあるロビーが出迎える。三階まで吹き抜けになっており天井は遥か彼方だ。普段から己の身長の低さを気にしている直樹は、ここに来るとそのことを一層意識してしまうため、あまりいい気分ではなかった。

 何より、この場所は直樹にとって痛ましい現実と向き合わねばならぬ場でもあった。猶もここに繰り返し足を運ぶのは、彼にとって切り捨てることのできない大事な存在が囚われているからである。


 12と書かれた窓口で手渡された名簿に記入を済ませると、受付の女性からプレートを受け取る。それを首から下げ、行き慣れた順路を辿る。

 東棟の第一エレベーターで七階まで上がり廊下に出ると、ナースステーションで慌しく動く看護師たちの姿が見えた。その横を通り過ぎ、目的の病室へと向かう。スライド式のドアを静かに滑らせ中へと足を踏み入れる。

 自分の足音と医療機器の機械音以外は何も聞こえない。目に映るベッドの中身は皆一様に静止している。それを横目に窓際まで移動すると壁に立てかけられたパイプ椅子をベッドの傍に開いて置いた。

 ゆっくりと腰を下ろし、ぎこちない笑顔を作って呼びかける。

 「よう、気分はどうだ?」

ベッドの上の女性は目を閉じたまま何も答えない。痩せ細った手足は寒々しい白色でまるで人形のようだ。病衣の裾から伸びる管は支柱台に吊り下げられた透明のパックへと繋がっている。

 「オレは元気にやってるよ。でも相変わらず親父は酒ぐせが悪くてさ。姉ちゃんからも何とか言ってやってくれよ」

女性は答えない。

 「髪、伸びたな。そろそろ切った方がいいか? あ、でも兄貴は長い方が好きって言ってたもんな。姉ちゃんはどうしたい?」

直樹は女性の髪を掬うと手の中で遊ばせた。さらさらとした細い髪の毛が指の間から滑り落ちる。

 「オレは短いのもいいと思うんだけどな。もう夏になるし。つってもここじゃ暑さもクソもねーか。ったく、こっちは冷房なしの生活でバテバテだってのにいい気なもんだよなぁ。正直、ちょっと羨ましいぜ」

ふっと目を細めて笑う。女性は変わらず沈黙を保ったままだ。それでも直樹は女性に対して会話でもするかのように声をかけ続ける。

 返事が返ってくるはずがないことは直樹自身が一番よく知っていた。4年前の事故の日から彼女は言葉を発していない。

 深い眠りに落ちたまま今も夢の中を彷徨い続けている。

 「まったく、とんだ眠り姫だぜ。姫なんて柄じゃねぇのにな。それでも王子様はずっと待っててくれてんだぜ? いい加減起きてやんねーと流石に愛想尽かれちまうぞ」

 視線を横にずらすと、備え付けの棚の上に飾られたヒペリカムの花が目に入った。

 花弁を彩る柔らかな黄色は彼女が最も好んでいた色だ。花言葉はきらめき、悲しみは続かない、そんなところだっただろうか。

 この花を持ってきた人物であろう王子様はどんな気持ちで花を選んだのか、直樹はあくまでも想像することしかできなかった。

 「こうやって兄貴が世話も見舞い品も持って来てくれるからオレなんもすることねーんだよな。ほんと、実の弟失格だな」

自嘲するように薄笑いを浮かべていると背後でドアの開く音が聞こえた。

 見回りの看護師か、それとも別の患者の親族だろうか。コツコツと足音はこちらへと近づいてくる。

 「川瀬直樹くん、ですよね?」

 振り向くとそこには二十代半ばぐらいの男が立っていた。深い青色に染められた髪にラインの入った黒色のスーツ。

 歓楽街で量産されていそうなホスト風の男に警戒心を強める。こんな親戚も知人も記憶にはなかった。

 そんな直樹の心中を察したのか男は胡散臭い営業スマイルを浮かべ、物腰柔らかに話しかけてきた。

 「そう怖がらないで下さい。見た目はこんなですが怪しい者ではありませんよ」

男は懐から小さなケースを取り出すとその中から一枚の紙片を抜き取る。

 「私、ユミト製薬株式会社営業部の河合サクラと申します」

直樹は立ち上がると男から差し出された名刺を受け取る。男が名乗った事柄に加え、本社の住所と個人連絡先、それから社のロゴマークがその紙には印刷されていた。ユミト製薬といえば国内でも一、二を争う大手の企業だ。

 「あの、セールスか何かですか? それだったらオレに話されても困るんですけど。だいたい姉の症状は……」

医者からは今の状態を維持するのが限界だと告げられている。製薬会社の、それもただの営業の男がいきなり何を話そうというのか。

 「いえ、既に契約は成立しています。その件についてこれからご説明しますので、お時間よろしいですか?」

 「え? いや、そういう話なら親父の方に」

 「そちらも既に話は通っています。後は貴方だけなんです」

逃げ道を塞ぐように男は言った。


 訝りながらも直樹は男――河合の言葉に従い話を聞くことに決めた。

 外に連れて行かれそうならば、話を打ち切って逃げるつもりだったが案内されたのは院内の一室だった。病院関係者とも面識があるようで、先ほど名乗った肩書きに大きな偽りはなさそうだと受け取った。

 あんな派手でチャラついた格好の人間に営業職など勤まるのかと未だ不信感は拭えないが。


 通された部屋は会議室のようで二人で話すにはやや広く、何となく居心地が悪い。二人はロの字型に並べられた長机の角の席に対角線上に座った。

 河合は黒い皮製の鞄からクリアファイルを取り出すと机の上に広げる。

 「それでは、始めましょうか。勘違いされては面倒なので先に言っておきますが、これから話すことは貴方のお姉さんとは関係ありません。直樹くん、貴方自身のことです」

 「オレのこと?」

河合の言葉を聞いて益々訳が分からなくなる。姉とは違い健康体である直樹と製薬会社を結びつけるものとは何なのか。

 高校生、それも二年生である直樹に求人スカウトといった話はまずないだろう。残りの可能性として考えられるのは――

 「治験、ですか?」

河合は肯定するように首を縦に振った。

 「概ねそんなところです。察しが良くて助かりますよ」

 「でも、あれって成人が対象なんじゃ」

よく見かける第一相試験の治験ボランティアの募集対象といえば二十歳以上の健康男性というのが大半だ。また、第二相、三相試験で行われるようなある特定の患者を対象としたものには、健康体である直樹は当てはまらない。

本人の知らぬ病があるのならば話は別だが。

 「概ね、と言ったでしょう。一般に言われる治療臨床試験とは違いますから」

 「違うって、どういう風に?」

 「第一に、投薬試験ではありません。薬品の代わりにある生き物を体に打ち込み、寄生させて反応を見る、といったものです」

河合のとんでもない言説に直樹は目を白黒させた。生き物を体に入れるなどおぞましいにも程がある。想像しただけでも鳥肌が立ち、ぶるりと体が震えた。

 「あの、冗談、ですよね?」

頬の筋肉を引き攣らせながらも何とか返すと、相手の反応をうかがった。河合は軽い口振りで答える。

 「いいえ、大真面目に言っていますよ。でもまぁ、確かに生き物と言われれば抵抗もありますか。大丈夫、SFホラーで見るようなグロテスクな軟体動物ではありませんのでご安心ください。一種の細菌のようなものですから。単なる表現の問題ってやつですよ」

 河合はそう言ったがその言葉を受け入れることは到底できなかった。目の前の男に言いようのないきな臭さを感じていたからだろうか。そもそも、人間を使った寄生実験など今まで耳にしたことがない。

 「オレはそんなの協力したくありません」

きっぱりと言い放つ直樹に対して、河合はやれやれと肩を竦めた。

 「今日、私が貴方の元を訪れたのは承諾を得るためじゃありません。説明のために来たのです。言ったでしょう、既に契約は済んでいると」

数分前に河合が口にした言葉を思い出す。確か彼は父親には話が通っていると言っていた。

 即ち、直樹の父親はこの件について説明を受け、その上で既に許可を出してしまったということになるだろう。直樹はカッと顔が熱くなるのを感じた。

 「親父が、いいって言ったんですか」

語調を強めて睨みつける。その怒りは他人事のように淡々と語る河合に対してなのか、自分に何の相談もせず勝手に了承してしまった父親に対してなのか。

 河合は顔色一つ変えずに返答すると、指先でトンと直樹の胸を突いた。

 「ええ。それに、もう貴方の体の中に入っていますよ。例の生物がね」

直樹は絶句した。いつの間に、誰が、何処で。頭の中には様々な思いが錯綜したが、声にはならなかった。衝撃的な事実に目が眩む。

 「そう怖がらなくても大丈夫ですよ。私の説明をちゃんと聞いてその通りにしてくだされば身体に害はないはずですから」

 直樹は苦虫を噛み潰したような顔をしながら渋々河合の言葉を受け入れることにした。

 今後どのような対応に出るべきか、まずは話を聞いてみないことには始まらない。河合が先に述べたように、実際それほどの危険性はないということも考えられる。また、そうであって欲しかったのかもしれない。

 直樹が頷くのを確認すると、河合はまるで御伽噺でも読み聞かせるように話し始めた。

 「ある日、この国に飛来した謎の生物。生物、と定義していいのかも分からないようなものですが。それを人間に寄生させるとある現象を起こすことができるんです。大雑把に言うと寄生された人間の内にあるものを外に表出させる、といったところでしょうか」

 いきなり突拍子もないことを口にした河合にますます不信感を募らせる。そんな直樹の懐疑的な視線を受け流し河合は喋り続けた。

 「寄生体の力。それは貴方の内なる世界と現実の世界を繋ぐ力。貴方の意思、意識を持って現実世界に働きかける。ですが、これって誰しもが当たり前にやっていることなんです。寄生体はそれを今までの常識を超えた形で実現させるもの」

 河合の話を要約すると、その寄生体は寄生した人間の意識に反応しそれを外的現実世界に反映させるというものだった。

 「かといって、寄生体を使えば頭の中で念じたことをそのまま現実で再現できるなんて便利なものではないんですよ。現段階ではね。非常に限定された形での表出しか実現していません」



 寄生体の寄生実験は隔離された研究施設内で行われ、研究者やそのスポンサーが望む形の能力の発現を促すよう、被験者たちはそれに合った訓練を延々と続けさせられる。

 寄生体の力を引き出すには、生まれ落ちてから今までに獲得してきた自分を定義づける定位感覚を手放し、確立された外部性や他者性を再びまっさらな状態に戻す必要があった。また、同時に寄生体自体が被寄生者に対してそのような働きかけを行っている傾向もみられている。

 個の存在であることを放棄し、世界との合一化を図る。外的世界と内的世界の境界を曖昧にすることによって、寄生体を通じ世界に対し物理的接触を行わなくとも干渉することが可能になるのだ。

 だが、個としての自分と外的世界との線引きを無くす行為は人としての死を意味する。被寄生者はそれに耐えられず拒絶反応を起こし神経症や神経系そのものへの物理的損傷によって最終的には肉体的な意味でも失命へと至る。

 そのため、全能的干渉には未だ程遠く、ごくごく限定的な干渉能力を引き出す程度に止まっている。

 そこまでの話を聞いた時点で直樹は顔を青ざめさせながら呟いた。

 「そんな人体実験のような真似して許されるのかよ」

 「許されているからうちの会社は存続しているんですよ。それにこれは国としてのプロジェクトでもありますから」

河合のその言葉はどこにも逃げ場がないことを示唆していた。

 「じゃあ、オレもその被験者たちのように実験に使われて死ぬっていうのか……?」

 「いいえ。貴方に行ってもらう試験は今お話ししたものとは違います」


 直樹に注入された寄生体はそうして数多の生命を食い潰し学習を重ね、被寄生者の受容限界を越えないように調整されているという。

 直樹の寄生体は外的世界との合一レベルを空間知覚のみに限定し、それも極めて狭い範囲に絞られている。

 よって、発現できる干渉能力は地形情報や生体反応を視覚化することだけに抑制されているらしい。

 直樹がその寄生体の宿主として選出されたのは、彼自身が元から空間、状況把握能力に長けるといった特性を持っており、寄生体との親和性が高かったからだという。長所が自分の身に不幸をもたらすことになるとは皮肉なものだと、直樹は薄笑いを浮かべた。

 「貴方にお願いするのは調整済みの寄生体の実用性を検証するための試験ですので、調整自体を行う試験とは違い貴方の身体への危険性はほとんどありません」

 「ほとんどっていうのは?」

 「調整済みとは言っても、完璧なものではありません。調整された受容レベルを無視して力を行使しようとした場合は、調整試験の被験者と同じように身体や精神に異常をきたす場合があります。と、言ってもまずそんなことはないでしょうが。走っていて息が苦しくなったら足を止める、普通の人間はそうしますよね。死ぬまで走り続けるようなバカはいません」

 河合が言うには、それと同じで限界以上の力を出そうとすると体が先に悲鳴をあげ、自己を守るために自然とセーブされる仕組みらしい。

 「百聞は一見にしかず。口で説明するよりも分かっていただけると思うので、一度試してみましょう。これを差し上げます」


 河合は再び鞄からケースを取り出すと直樹の前に差し出した。

 丁度手の平に収まるサイズのそれを開くと、中には蜂を連想させる色のプラスチックフレームの眼鏡が収められていた。

 「かけてみてください。サイズが合わなければ他のものと交換しますから」

 何のつもりでこんなものを渡したのか直樹には理解しがたかったが、後に説明されるだろうと大人しくその通りにした。

 折りたたまれたテンプルを開き、耳にかける。こめかみが締め付けられるような感覚はなく、かといってずり落ちるほど緩くもない。逆に気持ち悪いくらいにフィットしていた。フレームに自分の好む色が使われているのも、こちらのことを全て把握されているようで気味が悪い。

 「ぴったり、ですけど」

素直に感想を述べると河合は口元を緩め満足気な表情を浮かべた。

 「そうですか、よかった。では、次に蝶番、角の可動部分の辺りにあるボタンを押してみてください。右の方についていますから」

河合の言った部分に指を這わせると指先に伝わる感覚でボタンを探す。すぐに突起部分が見つかりぐっと押し込んだ。

 カチリと小さな音が鳴るのと同時に視界いっぱいにこの部屋の見取り図のようなものが広がる。

 「それでは、表示された図の中にいる自分をイメージしてみてください」

半信半疑ながらも河合の言った通りに、想像してみると見取り図の中に緑色の丸がぽつりと浮かび上がった。

 「どうです、何か見えましたか?」

 「緑色の丸が一つ」

 「それが貴方ですね。次に同じようにして私のことをイメージして見てください。自分以外の存在である私を」

 すると、緑色の丸のすぐ傍に青色の丸がぽっと表示される。それが河合の位置情報を示しているものだとすぐに分かった。

 それを伝えるともう一度眼鏡についたボタンを押すように指示を受けた。眼鏡に映った地図は一室から一フロアへと広がる。

 「では、このフロアにいる人間を思い浮かべてみて下さい」

 「見えないのに?」

この部屋にいる二人とは違い、フロアにいる他の人間は壁に隔てられていてその存在を認識することはできない。

 「ええ。何となくでいいんです。壁の向こう側にいる人間を思い浮かべ存在を感じ取ってください。今の貴方なら造作もないことです」

 そんなことできるかと、切り捨てたい気持ちではあったが試さないわけにはいかないのだろう。この部屋に来るまでの道のり、そしてそこにいた人間の姿をうすぼんやりと頭に思い浮かべる。

 青い丸が十数個に増えた。静止しているものもあれば忙しなく動いているものもある。

 「……見えるには見えたけど、これ正確な情報なのか?」

この丸が自分の意識に反応して表示されているというのなら、新しく増えたこの丸は曖昧模糊なイメージを表したものにしか過ぎないということになる。

 だが、河合はそうでないと言った。

 「当然、確かな情報ですよ。寄生体を通じ貴方は外的世界と繋がっている。寄生体は貴方の知覚機能を増幅させ目に見えない範囲の情報の獲得を可能にしてくれるのです。そして、その情報を貴方が認識できる形に変換して伝達する、それが貴方に与えられた寄生体の力です。お渡しした眼鏡はあくまでも寄生された人間のイメージの補強を図り、力の順応を促すための道具に過ぎません。もう少し慣れてくればその眼鏡も必要なくなるでしょう」

 そう言われても直樹としては実感が湧かなかった。今しがた行ったこともGPS機能つきの眼鏡の操作といった感覚でしかない。

しかし、河合はそんなことはお構いなしに次の行動を要求する。

 「私に触れてみて下さい。河合サクラという一個体を認識するように。軽くタッチする程度で構いませんので」

直樹は戸惑いながらも手の伸ばし、そっと押すように河合の腕に触れた。緑色の丸のすぐ傍にある青色の丸が赤色へと変化する。

その上にはご丁寧に河合サクラと名前まで表示されていた。

 「どうです? 変わりましたか。それがマーカー機能です。直接接触した相手に印をつけ識別することが可能になります。これは貴方が解除しようと思わない限りは絶対に外れません。それこそ対象者が死にでもしない限りは。まっ、私は例外ですけどね」

河合の言った通り、赤色の丸はすぐに他と同じ青色に戻っていた。

 すなわち、寄生体をけし掛けた河合を含む向こう側の人間にはそれを無効化する技術があるということだ。当然といえば当然であるが。

 「今説明した事柄が受容レベルを超えない程度の力といったところでしょうか。と、言っても今までの被験者から得た指標ですので、貴方のキャパシティによってはもっと無茶をしても平気かもしれません。また、逆も然り。ひどい頭痛や触覚が鈍くなってきたら危険信号だと思って下さい。それでは、具体的な試験内容に入りましょうか」


 河合は机の上に広げられたクリアファイルへと視線を落とす。

 「貴方には七月の一日。つまり明後日から貴方の通う学校、私立出里都高等学園で行われるゲームに参加していただきます。与えられた寄生体の力を駆使してそのゲームのクリアを目指す、といったものです」

 「ってことは、うちの学校も一枚噛んでるのか?」

新たに告げられた事実に瞳を揺らす直樹に、河合は愚問だとでも言うように呆れ顔を見せた。

 「当然。あの学校はうちの系列ですからね。今まで疑問を抱いたことはありませんか? あんなに大規模で充実した設備のある私立学校。それなのに学費は国公立以下。有名大学や企業とのパイプもある理想の学校なのに。どう考えてもおかしいですよね。その分の釣り合いはどこでとれているんでしょうか」

 確かに考えてみると不可解な点が多かった。特待生でもない生徒の学費でさえ一般基準以下。加えて生徒の極端に不均一な学力に、選考基準の曖昧さ。

 「貴方がた生徒は入学した時点で被験体となる契約は済んでいるんですよ。かといってあの学校に入学した生徒が全員試験に使われるというわけではありません。何事もなく卒業できる生徒もいます。むしろその方が多い。そういう甘い蜜に誘われてやってくる人々は掃いて捨てるほどいるんですよ。特に貧困層ほどね」

 契約は生徒の親によって行われ、その事実が生徒本人に伝えられることもあればそうでない場合もある。直樹の家は後者だったのだろう。

 河合は再びゲームとやらの説明に戻った。参加メンバーは学内の13人であること、No.13を殺害すればゲームは終わること。最後の一人として生き残ったものには褒賞があるということ。河合の口からは淀みなくゲームのルールが告げられていった。

 「言ってしまえばこのゲームは企業や研究機関同士のくだらない権力誇示なんですよ。我が社や他の企業の傘下にある複数の研究機関がそれぞれ育て上げてきた寄生体の有用性を示すためのデモンストレーション。それがこのゲームなのです。実に非効率的ですがね」

 河合の言う通りだと直樹は思った。寄生体の力を試すというならば他にいくらでもやり様はあるはずだ。

 わざわざ、命を削り合わせるような真似をして何になるというのか。寄生体が身体に害をもたらさずともこれでは意味がない。調整試験よりもよほど危険なのではないかと憤った。

 「人の命を賭けておいて何がゲームだ。勝手に人の体弄繰り回したうえに人殺しをしろだって? オレはそんなのゴメンだ」

 ゲームは遊びだからゲームというのだ。若者達が熱中するテレビゲームの類とて、プレイヤーは神視点で絶対安全圏にいるから成り立つもの。

プレイヤー自身や倒した相手が実際に死ぬようなシステムなら誰も見向きはしないはずだ。

 「ゲームですよ、上の連中にとってはね。ですが、その分の見返りはあります。このゲームに参加するだけで、四千万円。それから他のメンバーを倒した人数分かける五百万。とある条件を満たせばもっと手に入りますし」

 直樹はギリギリと奥歯をかみ締める。人の命がたったそれだけの値段だというのか。それ以前に、人の命を金でやり取りするという行為自体、直樹にとっては許し難いものであった。

 小さく肩を震わせる直樹を見て、河合は深く息を吐く。

 「もう拒否権はないので気休めのために言っておきますが、貴方のお家は今、大量のお金を必要としていますよね。お姉さんの入院費用ももうすぐ支払いが厳しくなってくる頃でしょう」

 河合の言う通り、姉の入院費は馬鹿にならない。この4年間は事故を起こした相手からの示談金で何とか賄われてきたものの、それももう残り少ない。

 直樹の父親はしがない町工場の作業員であり、給与などたかが知れている。実際のところ、直樹一人養うのが精一杯といったところであった。

 「それにゲームのご褒美権を使用すれば、寝たきりの貴方のお姉さんを再び目覚めさせることも可能だと思います」

 「でも、だからってそんな……」

誰かを救うために、それ以上の何かを犠牲にするなどあってはならないことだ。そんなことは間違っていると頭の中にサイレンが鳴り響く。

 「残念ながらゲームへの参加はもう決定事項です。割り切って自分が生き残る方法を考えた方が身のためでしょう」

河合から直樹に黒い板状のプレートが手渡された。

 「これがあなたの参加証明書、IDカードといったところでしょうか」

赤い画面に黒字で7と表示されたそのプレートを直樹はじっと見つめる。よく見かける薄型の携帯電話によく似た形状をしていた。

 「ナンバーの証明以外にも残り人数、脱落者の詳細、ゲームのルール一覧を確認できます。それからコールボタンを押すと直接私の方に繋がりますのでゲームに関して質問がある時はそちらにかけてください。また、このプレートは貴方の体に埋め込まれたチップに反応して動くので、貴方以外の人間には操作できません。他の人間が持った際にはナンバーが表示された画面のままロック状態になります」

 寄生体の次はチップかとげんなりしたが、最早口に出すのも億劫だった。

 「説明はこれで以上ですが、何か質問は?」

その言葉だけを聞くと目の前に座る男が塾の講師か何かに錯覚しそうになる。だが、今まで受けてきたどんな講義よりも徒労感は遥かに勝っていた。

座っていただけなのにも関わらず全身が鉛のように重い。

 「……いや」

直樹は目を伏せて小さく言った。今は頭の中を整理するので精一杯だった。

 「ここからはゲームの説明役としてではなく、河合サクラ個人として少し助言をさせていただきます。多分、これ言ったら後で上司に説教食らうんですけどね」

人差し指を口元に当てヒミツですよ、と苦い顔をしながら言った。

 「君は幸いにしてサクリファイスナンバー<13番>ではない。まだある程度の選択肢があります。先ほどはご褒美権でお姉さんを助けられるといいましたが、そのために他のメンバーに手をかけるなんてことはしない方が身のためですよ。きっと後悔することになります」

 こんな非人道的なゲームの一端を担っている人間が抜けぬけと、とありったけの不満を込めた視線を河合へとぶつける。

 「言われなくたって分かってるさ、そんなこと」

 「そうですね、余計なお世話でした」

河合はどこか安堵するように微笑を浮かべていた。それがどうにも腑に落ちず直樹は尋ねる。

 「何で、あんたはこんな仕事してるんだ」

先ほどからの言い回しといい、河合はこのゲームについて肯定的に思っていないようにも見えた。

 河合は少しだけ意外そうな顔をすると、しばしの思案の後、口を開いた。

 「寄生体の実験はこの先必要になってくるものだと思っています。だから僕はここにいるんです。詳しい理由はお話しできませんがね。あぁ、ゲームについては否定的に見ていますよ。やめさせられるものならそうしたい。ですがこの僕も所詮は末端の人間。仕事は選べないんですよ」

 話はここまでというように、河合は机に広げたファイル類を鞄にしまい出す。鞄のチャックを閉め、スッと立ち上がると萎んだ風船のようになっている直樹を見下ろした。少し屈むと、直樹の肩に軽く手を乗せる。

 「何かあったらこのサクラお兄さんにいつでも相談してくださいよ。何なら恋愛相談だって受けつけますよ。これでも結構モテますからね、僕は」

 白い歯を輝かせどこかのアイドルのようにウインクをしてみせた。

 男相手にそれはないだろうと思いつつ、何となく様になっているところがまた腹立たしかった。

 河合はそれ以上言葉を発することもなく静かに部屋を去っていった。一人取り残された直樹は手に持った黒いプレートをただぼんやりと眺めていた。

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